カテゴリ:ソバージュネコメガエルの実存( 4 )

ソバージュネコメガエルの実存の最先端#4 ジャングル・ブギー

 
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風が強くなり、冷たくなって、とうとう雨が降りだす。雨粒がソバージュネコメガエルの顔に立てつづけにあたる。ソバージュネコメガエルはからだをぷるぷるっと震わせる。眼を半分ほど開けて横目でじろりと私を睨む。そして、おもむろに口を開き、ややくぐもったような声で「ジェーエイチダブリュエイチ」とつぶやいた。

ジェーエイチダブリュエイチ? なんだ? JHWH? 暗号か? 神聖四文字か? 神のことか? 幻聴か? 福音か? 啓示か? 呪文か? それとも、なにかの前触れか? なぜカエルがしゃべる? 原因はまたきゅうりなのか? きゅうりといえば河童だ。カエルではない。

私が不審さ満載で見ていると、ソバージュネコメガエルは今度は明瞭に「La Pensée sauvage」と言った。「ジェーエイチダブリュエイチ」のときよりも大きな声で。

試しに「野生の思考」と言ってみる。ソバージュネコメガエルは胸を張り、即座に「クロード・レヴィ=ストロース」と答えた。とてもいい発音だった。ネイティヴと言ってもいいくらいだ。特に、ストロースの「ロース」のところがいい。「Tristes tropiques」と私が言うと、「悲しき熱帯。でも、Tropiques の発音が悪いです」とソバージュネコメガエルは気難しいフランス語のフェメ教師のようにぴしゃりと言った。

「驚いたな。わたしの言うことがわかるんだね?」
「はい。言うことだけではなく考えていることも」
「またまた驚いた」
「ぼくも驚いてます。ぼくの言うことがわかる人間に会うのはあなたで3人目です」

風と雨足が強くなる。寒いくらいだ。

「寒くないかい?」
「すごく寒いです」
「だろうね。たしかきみは寒さにすごく弱いんだろう?」
「はい。半分砂漠のようなところで育ちましたから」
「ぼくの家にくるかい?」
「うーん。どうしようかな」
「ぼくの家は冷たい雨と強い風の日のパンタグリュエリヨン草の葉っぱの上より居心地はずっといいはずだよ。保証する」
「いじめない?」
「いじめないよ。きっとたいせつにする」
「へびはいない?」
「いない。へびは大嫌いだ」
「人間のこどもは?」
「いない。人間のこどももあまり好きじゃない。いるのはぼくとポルコロッソと奥さんだけ」
「奥さんはどんなひと?」
「まちがいなく宇宙で一番やさしくてファンキーでファニーで豊かで心の広いひとだよ。美人だし。1回死んで生き返ってるし」
「ほんと?」
「うん。ほんと」
「ぼくのこと、好きになってくれるかな?」
「きっとなるさ。ぼくの奥さんはカエルが大好物なんだ」
「ぼく、食べられちゃうの?」
「冗談だよ」
「わかってますって。虹子さんがカエルを食べたりするひとじゃないことくらいわかります。虹子さんが大のきゅうり好きだってことも」

そこで初めてソバージュネコメガエルは笑った。胸の奥に100W電球が灯ったようなあたたかな笑顔だ。

「どうして虹子ちゃんの名前がわかったんだろう? それにきゅうりのことも」
「さっき言ったでしょう? ぼくはあなたの考えていることがわかるって。あなたの脳みその中にダイブしたんですよ」
「ああ、なるほど」
「ちょっと酸っぱかった」
「え?!」
「あなたの脳みそ。遠くのほうで酢豆腐さんがエピキュア・チーズを肴に般若湯で湯浴みしながら寿手練経を唱えてるみたい」
「わけがわからないけど、とにかくすごく酸っぱくて臭そうだ」
「問題はあなたなんです。あなたはとても不安定だから」
「うーん。たしかに。でも、きみにはかならずやさしくする。誓うよ」
「心変わりしない?」
「しない」
「約束ですよ」
「約束だ」
「誓ってください」
「何に誓えばいい?」
「宇宙を支配する巨大な意志の力に」
「誓います」
「ちゃんと言葉にしてください!」
「わたしは宇宙を支配する巨大な意志の力に誓って彼をたいせつにします! やさしくもします!」
「ちゃんとごはんもくれる?」
「宇宙を支配する巨大な意志の力に誓ってごはんもあげます!」
「じゃあ行きます」

私はソバージュネコメガエルをそっとつまみ上げ、左の手のひらの上にのせた。少しひんやりとしていたがソバージュネコメガエルの命の輝きのようなものが手のひらを通し、腕を伝い、全身に広がってゆくように感じられた。

ポルコロッソがうれしそうに尻尾をふり、何度も吠える。風がやみ、雨があがり、雲の切れ間から幾筋もの光が射しはじめる。壊れ物を扱うようにソバージュネコメガエルを手のひらにのせ、虹子の待つ家に急いだ。遠くから Kool & the Gang の『Jungle Boogie』のリフが聴こえてきた。そのさらに遠くで笠置シヅ子が「ウワオ ワオワオ ウワオ ワオワオ」と吠えていた。

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Jungle Boogie (1973) - Kool and the Gang
 
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by enzo_morinari | 2014-07-30 09:48 | ソバージュネコメガエルの実存 | Trackback

ソバージュネコメガエルの実存の最先端#3 現象と発見

 
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旅の途中、一人の王子がある田舎道を歩いていた。王子は自分の歩いている道を直前に片目のロバが歩いていたことに気づく。王子がなぜそのことに気づいたかと言えば、彼の歩いている道の左側の草ばかりが食べられていたからだ。H-W『スリランカの三人の王子の旅』

電流と磁気の関係にかかる発見、ダイナマイトの発明、クリップの発明、X線の発見、ラジウムの発見、ポリエチレンの発見、ペニシリンの発見、LSDの幻覚作用の発見、テフロンの発見、電子レンジの発明、マジックテープの発明、トンネル効果の発見、宇宙背景放射の発見、パルサーの発見、ポストイットの発明、恐竜滅亡の小惑星衝突原因仮説、高分子質量分析法の発見、カーボン・ナノチューブの発見、安全ガラスの発明、導電性高分子の発見、キチンの開発 ── すべてはセレンディピティウサギ=「幸福な偶然」を捕まえた結果である。H-S


当日、葬儀に来られなかったひとに「虹子の復活」のことをなんと説明すればいいのか悩んでいると、剥がされた背中の皮をカーボン・ナノチューブとキチンで再生された因幡の白兎のように顔を輝かせながら「わたしが電話する」と虹子は言い出した。

「虹子ちゃん、それはいくらなんでもいきなりすぎるんじゃないか?」
「いいよいいよ。かえってよろこぶよ。もしかしたら、御祝儀もらえるかも」

虹子のセレンディピティぶりにはいつも驚かされる。おそらく、21世紀世界において虹子くらい「現象と発見」のあいだに横たわる深い渓谷を飛び越える能力を持った者はいない。セレンディピティ・セレブリティと呼びたいほどだ。

虹子は実に手際よく「復活通知」をこなした。昼すぎに始めて、夕方のニュースの時間には「復活通知」は最後の1件になった。最後の1件は東大の仏文科でフランス語を教えている虹子の伯父さんだ。フランス象徴派詩人の著名な研究者で、大江健三郎のノーベル賞受賞についてラブレーばりの奇妙奇天烈な文章で過激な批判を行った人物。名前を言えば誰だって知っている。

私が電話した。「馬鹿者! グラン・ペゾン!」と怒鳴られて電話を切られた。虹子が再度電話して事なきをえた。グラン・ペゾン伯父さんからは何日かして祝電がきた。たぶん、祝電だと思う。お祝い電報だったから。電報にはただ一行、「Un coup de dés jamais n'abolira le hasard」と記されていた。

サイコロのひとふりは偶然を排除しない ── 。マラルメか。気障なじいさんだ。「99本のきゅうりと9リットルのエビアンは幸運をもたらさない」のほうがイケてるぜ、グラン・ペゾン伯父さん。

「99本のきゅうりと9リットルのエビアン」が幸運をもたらすことを知るのはもうちょっと先だ。現金書留で御祝儀を送ってくれた奇特なひとびとに「99本のきゅうりと9リットルのエビアン」に匹敵する幸運が訪れますように。

イエスの復活の例もあるし、お通夜の最中に息を吹き返して「棺桶から世界のみなさまこんにちは」という話だってあるのだから虹子が生き返ったのはいいとして、きゅうりを食べすぎて死ぬなどというふざけた話があるのか? 腑に落ちない。納得がいかない。

きゅうりを99本もいっき喰いしてエビアンを9リットル飲んだ虹子も虹子だが、死亡診断書に「きゅうりと水の過剰摂取に起因する低ナトリウム血症による心不全」とシュライブしやがったドクター野本に腹が立つ。きっと死亡診断書を書きながらむひょむひょ笑っていたにちがいない。死亡診断書はどうするか? 記念にとっておくことにしよう。なにも知らせずに虹子がドクター野本を訪ねるという手もある。ナースの辻と不倫していることを証拠画像付きで暴露したって文句は言わせない。


きゅうりの食べすぎと水の飲みすぎで突然死した虹子が生き返ってから1週間。やっと以前の生活が戻ってきた。虹子は「死んでいた時」にずっとカエルの夢をみていたそうだ。オリーブ・グリーンの太ったカエルがある日我が家にやってきて一緒に暮らす夢。退院してからもずっと同じ夢をみるという。キッチンではそんな虹子が『バラ色の人生』を口ずさみながらきゅうりを刻んでいる。虹子のことだから、そのうち、『きゅうり色の人生』を歌いだすだろう。虹子に声をかける。

「朝ごはんはなに?」
「きゅうりの塩揉みときゅうりの酢の物ときゅうりサンド」
「冗談?」
「うん」
「おもしろくないよ」
「どうして? おもいっきり笑うところじゃん」

そんなようなかなり入り組んでいてちょっと不思議でなんとなく愉快な事情を抱えたギラン・バレーの朝だ。朝ごはんができあがるまでのあいだにポルコロッソと散歩に出た。

桜の蕾がほころびはじめている。空を見上げる。花曇り。スミダ川沿いの桜の土手が薄紅に色づくのはもうすぐだ。雨の気配がある。雨の匂いも少しする。さくら橋のたもとにさしかかり、ポルコロッソが急に強くリードを引きはじめる。さくら橋の中程のベンチに向かってぐいぐいとリードを引く。いつもどおりのいい朝だ。おとといもきのうもおなじ朝だった。あしたもきっといい朝にちがいない。

散歩の仕上げはさくら橋のベンチでポルコロッソにピーナッツをあげること。ポルコロッソもわかっている。世界にただ1匹のミニチュア・セントバーナードであるポルコロッソは朝のさくら橋のベンチでピーナッツを食べるのが大好きだ。ポケットにはひと握りのピーナッツがある。私がベンチに座ると同時にポルコロッソは素早い身のこなしでベンチに飛び乗り、お座りをする。待ちきれないのか、ぐーぐーと唸り、足踏みまでしてピーナッツを催促する。「はやくはやく! はやくピーナッツちょうだい!」とでも言っているようだ。

「ダウン!」

ポルコロッソはその場に素直に伏せる。「タウン!」と吠えたら合格。しかし、まちがっても、「症!」なんて言うなよ、ポルコロッソ。演説青年のスミジル・スミスじゃないんだからな。レイシストはお断りだぞ。いろいろめんどくさいことになるからな。いいな? 当然、わかってるよな? 返事くらいしろよ、ポルコロッソ。無理か。相手は犬だものな。

ポケットからピーナッツをひと粒取り出し、「ウェイト!」と言いながらポルコロッソの鼻の上にのせる。ポルコロッソは上目づかいで私をみる。焦らす。ぐーぐーと唸って不満げなポルコロッソ。さらに焦らす。ぐーぐーぐー。まだ焦らす。ぐーぐーぐーぐー。口の端っこから涎がこぼれはじめる。私の「よし!」のひと言を待っているのだ。

「吉田!」

ポルコロッソは一瞬ぴくっとするが我慢する。ポルコロッソの前足のまわりが涎で濡れている。ポルコロッソが「ブラマヨの!」と言ってくれることを期待するが、それもやっぱり無理な相談というものだ。

「吉本!」

まだ我慢するポルコロッソ。まちがっても「隆明!」と言ってくれないのは先刻承知だ。合掌。私の個的幻想が速度を増して疾走しはじめる。「興業!」では台無しだからな、ポルコロッソ。わかってるよな?

「吉行!」

まだまだ。「淳之介!」と言おうものなら宮城まり子が黙ってはいまい。ろくでもない奴に騙されてそれどころではないだろうけど。

「ヨシムラ手曲げ直管!」

「え?」という顔をするポルコロッソ。「いやあ、ポップ・ヨシムラというごきげんなじいさんがいてさあ」と言っても、ポルコロッソにわかるはずがない。ポルコロッソが生まれるはるか昔にポップ・ヨシムラはこの世界にアディオースしているんだから。

「よしなに!」

くぅんと鼻を鳴らすポルコロッソ。

「よっしゃ!」

私は田中角栄か? いや、田中角栄ではないはずだ。たぶん。しかし、あまり自信はない。くぅんくぅんくぅん。そろそろポルコロッソは限界だ。

「よし!」

私が言った途端にポルコロッソは頭をさっと後ろに引き、落ちるピーナッツを見事にキャッチ。技にさらに磨きがかかってきた。動きに微塵も迷いがない。反復継続というのはすごいものだ。

そんなことを繰り返しているうちにピーナッツはすべてなくなる。イマドシルト中学校の始業を知らせるチャイムが鳴る。そろそろお家へ帰る時間だ。虹子のおいしい朝ごはんが待っている。私が立ち上がるとポルコロッソもベンチから飛び下りる。ポルコロッソは私の右側真横にぴたりとつき、私のペースに合わせて歩く。ときどき、私の様子をうかがうように顔を横にふり、私を見上げる。これもいつもどおりだ。こんな幸福な日々がいつまでもつづけばいい。でも、きゅうりはしばらく御法度だ。口の臭い戸籍係はもううんざりである。ドクター野本にはかならず仕返しをする。

さくら橋を渡ってすぐにポルコロッソが立ち止まった。植え込みに顔を向け、不審そうに鼻をくんくんさせている。ん? なにかいるのか? 犬だから当然だが、ポルコロッソはとにかく鼻がきく。危険や異常事態をすぐに察知する。ポルコロッソといっしょに暮らすようになってからきょうまでの7年間、ポルコロッソには何度命を救われたか知れない。

ポルコロッソが鼻を向けている先を見る。特に変わったものはない。パンタグリュエリヨン草の一群が春のやわらかな風をうけて揺れているだけだ。ん? いや、なにかいる。眼を凝らさないとわからないが、たしかになにかいる。さらに眼を凝らす。パンタグリュエリヨン草の濃いモス・グリーンの葉の上になにかがいる。そこだけ光っている。近づく。さらに近づく。光っているものの正体を見極めるのだ。

私はそうすることがあらかじめ決められていたように顔を近づけた。ローズマリーのような強い香りを放つパンタグリュエリヨン草の葉の上には一匹のソバージュネコメガエルがうずくまっていた。からだの大きさと白い筋とイボの数と形状から見てかなり若い。

「ねえねえ、ぼくにも見せてよ! においを嗅がせてよ!」とポルコロッソがせがむ。ソバージュネコメガエルはかたく眼を閉じ、身動きひとつしない。世界のすべてを拒絶しているようにも見える。ポルコロッソが吠えたてても、私が指でつついても、アルミ缶を満載したリアカーを引くホームレスの老人が『The Long and Winding Road』を大声で歌いながらすぐそばを通りすぎても、カミナリが鳴っても、クロネコヤマトの配送車が電信柱に激突しても、ポリス・カーが耳障りなサイレンを鳴らしながらやってきても、ソバージュネコメガエルは微動だもせずにパンタグリュエリヨン草の葉の上にうずくまっていた。
 
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by enzo_morinari | 2013-11-24 16:16 | ソバージュネコメガエルの実存 | Trackback

ソバージュネコメガエルの実存の最先端#2

 
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葬儀の段取りや親戚、友人知人への連絡、形見分け、生命保険金の請求手続き、役所への死亡診断書の届出など、虹子が生き返るまでの2日間は目がまわるほど忙しかった。実際に目がまわって3回気を失った。昏倒した私を介抱する虹子の妹のナオちゃんの巨大な乳房が顔にこすれるのはとてもいい感じだったが、そのあとセックスしてしまったことについては大いに反省しなければならない。

マーカス・デュ・ ソートイ教授が手なずけた複素数猿デュオのヨタ&ヨクトが苛立たしげに奏でる『素数の音楽/ノンブルのソネット』が荘重軽薄に流れる中、山あいのけむり棚引く火葬場で虹子の葬儀は始まった。

焼かれて小さな骨になってしまう虹子のことを考えると無性にうまい棒のシュガーラスク味が食べたかった。挨拶回りや初七日や忌明法要や四十九日や一周忌のときに着る服を考えるのはちょっとだけたのしかった。しかし、ちょっとだけだ。

まさに棺桶がロストル式の火葬炉に納められようとしたとき、どんどんどんと音がした。棺桶からだった。その場にいた全員が驚いた。中にはその場で凍りついてガリガリ君のミツユビナマケモノ・ポタージュ味に変身し、その薄情そうな薄い唇から味の素の冷凍餃子を吐き出す者すらいた。無理もない。当然ですらある。それで驚かないのはミツユビナマケモノ本人か細木数子か野村沙知代くらいのものだ。

腰を抜かしてくそを漏らすやつが3人いた。臭いったらありゃしない。火葬場でくそを漏らすような不届き者はこの世界から物静かに退場したほうがいい。永遠に。人生はそれほど甘くない。甘くないのだから、せめて臭くてはいけない。世界はそんなふうにできあがっているはずである。

火葬場の職員がバールやら釘抜きやらを使って大慌てで棺桶をあける。虹子の兄弟や親戚、友人たちが一斉にのぞきこむ。私は彼らの隙間から遠慮がちに。しかし、内心はwktkわくわくどきどき。「こりゃ、おもしろい展開になりやがったぜ」と胸は高鳴るばかりだ。棺桶の中でかすみ草に埋まった虹子は満面の笑みを浮かべ、こちらを見ていた。

「うへへへへ。死んじゃった。でも、生き返ったから怒らないであげてね」

虹子は言い、のぞきこむ者たちの中から私を見つけた。そして、舌をぺろんと出した。虹子の舌はきゅうり色に染まっていた。「虹子ちゃん。べろが緑色だよ。すごくへんだよ」と私は言った。虹子の棺を取り囲む者どもがげらげらげらげら笑った。火葬場で大笑いしている集団は周囲にはどんなふうに映ったんだろう? あまりの悲しみに集団ヒステリーを起こしたか、不気味なカルト教団と思われたにちがいない。

生き返ってからはもっと忙しかった。一番厄介だったのは区役所だ。合計9回足を運ぶ羽目になった。また「きゅう」だ。9回のうち、4回はメジャー・リーグに行ったダルビッシュ有のこと(惜しい!「ダルビッシュ球」だったら、また「きゅう」だったのに。実に惜しい!)、2回はいかに公務員がいわれなき誹謗中傷を受けているかについて区役所の居心地の悪い窓口で担当の戸籍係から聴かされた。

9回目、「前例がありませんのでねえ」ととても顔色が悪くて口の臭い戸籍係は言い、行政実務法令集をめくった。こいつも世界から物静かに退場したほうがいい。こいつのおかげで世界は2パーセントくらい悪くなっている。

「前例があろうがなかろうが死んだものは死んだんだし、生き返ったものは生き返ったんだからなんとかしてくださいよ。なんなら、生まれたことにしてもらってもいいし」
「その手がありましたか! わかりました。では、出生届を提出してください」

戸籍係の口から猛烈な勢いでいやなにおいが吹き出る。顔をそむけても襲いかかってくる。息を止めても強引に鼻腔の中に押し入ってくる。シュールストレミングやカオリフェよりはましだが、まちがいなくエピキュア・チーズより臭い。アラバスター単位で3000くらいはありそうだ。「こいつなら悪臭強盗ができるな」と思う。

「あなた、それ、本気で言ってるの? 出生届を出せって」
「もちろんです。戸籍係はうそと冗談を言ってはいけない規則になってますのでね」
「どんな規則だよ、まったく。で、父母の欄にはなんて書けばいい?」
「まあ、適当に。奥様の御両親でいいんじゃないですかね」
「二人ともとっくの昔に死んじゃってるけど」
「ああ、それはそれは御愁傷様なことで。そうなると、話はちょいとばかり複雑になってまいりますなあ」

そんなようなやり取りを繰り返して、虹子はやっと戸籍上も生き返った。
 
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by enzo_morinari | 2013-11-23 15:38 | ソバージュネコメガエルの実存 | Trackback

ソバージュネコメガエルの実存の最先端#1

 
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私が仮想ストレージ・サーバ上で運営するメビウス-クライン型のヴァーチャル・ビルテイン・ボード・システム(VBBS)に『ソバージュネコメガエルの実存の最先端』というテクストがポスティングされたのは月曜日の明け方のことだ。ポスティングしたのは「苦悩するビーバー・カモノハシ」。マルチ・ポストの類いかと考えてテクストの一部を抽出し、徹底的に検索をかけたがヒットはなかった。「苦悩するビーバー・カモノハシ」もヒットしない。

私が運営するメビウス-クライン型VBBSはネットワークからはほぼクローズドで、一般にはいっさい公開していない。検索にヒットしない設定にもしてあるし、BB420-OTP方式の量子暗号、音声認証、指紋認証、虹彩認証で何重にもセキュリティがかけてある。ポスティングできるのはこの世界にただ一人、私だけだ。もちろん、完全はない。過去に一度だけ、「時代者」を名乗るフリーのジャーナリストが果敢に攻撃をしかけ、ROMすることには成功している。私の部屋に忍び込んだのだ。彼はいま、マンスリー・ウェブ・マガジン『時代』の記者として活動中である。私は訝しく思いながらも苦悩するビーバー・カモノハシのテクストを読んだ。

Click,


ソバージュネコメガエルの実存の最先端/苦悩するビーバー・カモノハシ
「聖護院きゅうり大食い選手権」のためのトレーニング初日の夕方。虹子は「デトックス、デトックス」とつぶやきながら、テーブルの上に積み上げられた聖護院きゅうりを黙々と食べつづけていた。山のようにあった聖護院きゅうりと1ダースのケース入りエビアンがみるみるなくなっていく。

聖護院きゅうり99本。エビアン9本。「きゅう」だらけだ。残ったのは聖護院きゅうり1本とエビアン3本。

「すごく疲れた。頭痛い。吐きそう」

痙攣がはじまる。その場にくずおれる。ポルコロッソが激しく吠えながら、虹子のまわりを駆けまわる。

「息が苦しい。死にそう」

虹子はそう言って本当に死んでしまった。腹がカエルのように膨れている。カエル好きの虹子にふさわしい死に様だ。きゅうりのキューちゃん好きの九官鳥のキューちゃんといっしょに坂本九の『見上げてごらん夜の星を』でも聴きたい気分だった。

事態を理解できないポルコロッソは虹子の顔を夢中で舐めている。とりあえず、救急車を呼ぼう。きゅうきゅうしゃ? また「きゅう」かよ。ダイヤルする。119。あ、また、「きゅう」だ。

「火事ですか? 救急ですか?」
「きゅうりの食べすぎです」
「はあ?」
「妻がきゅうりの食べすぎと水の飲みすぎで死んじゃいました」
「ああ、よくあることです」

きゅうりの食べすぎと水の飲みすぎで死ぬのはよくあることなのか。世界はまったく不思議に満ちているものだ。

住所を告げ、救急車が到着するのを待つ。テーブルの上に1本残ったきゅうりをかじっているとあまりの馬鹿馬鹿しさに笑いがこみあげてくる。きゅうりを99本も食べて、エビアンを9リットルも飲んで死ぬなんてふざけた話がどこにあるっていうんだ? 風船おじさんといい勝負ができるよ、虹子ちゃん。

救急車のサイレンが聴こえはじめる。角の加藤のたばこ屋のあたりだろう。サイレンが家の前まで来た。ドアを開け、救急隊員を招き入れる。虹子を見て、年配のほうの救急隊員が言った。

「奥さん、おめでた?」
「きゅうりの食べすぎです。それと、水の飲みすぎ」

私が言うと、若いほうの救急隊員が吹き出した。そりゃ、笑うよな。誰だって。年配のほうの救急隊員が「こら」と言って若いほうの救急隊員をたしなめる。いいよ。彼に悪気はない。きゅうりの食べすぎと水の飲みすぎで腹をカエルみたいにぱんぱんに膨らませて死んだ者を見て笑わない奴なんかこの世界にはいない。あんただって必死に笑いをこらえてるじゃないか。ベテランの救急隊員さん。

3人がかりで虹子をストレッチャーに乗せた。虹子は信じがたいほど重かった。99本のきゅうりと9リットルのエビアンのせいだ。
 
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by enzo_morinari | 2013-11-22 15:19 | ソバージュネコメガエルの実存 | Trackback