カテゴリ:琥珀色の夜が来る( 2 )

琥珀色の夜が来る#番外 甘味処の女王さま、こんな時間にコバンザメに食べられた小判猫にワンバンコ

 
c0109850_3472716.jpg

 
生きとし生けるもののすべては殺生をしながら命を未来へと繋いでいる。E-M-M


そうです。このワン公はトリスです。保健所で殺処分寸前のところをCMの制作スタッフに引き取られて天寿をまっとうしたという「都市伝説」がまことしやかに巷間伝えられていますが、それは真っ赤なポルシェ並みに大獺です。サイドミラー擦りすぎもいいところです。

天寿をまっとうしたなどとはとんでもない! トリスはその後、わたくしとともに生き、いまもわたくしの一番弟子、一の子分として界隈でぶいぶい言わせまくっています。

当年とって33歳。見てのとおり、今では全身毛が抜け落ちた上に身の毛もよだつようなしわくちゃ爺さんですが、中身は中々どうして矍鑠としております。現在でも御近所に住まう♀のトイプーやらシーズーやらチベタン・マスティフやらバーニーズ・マウンテンドッグやらアイフル・ドッグやらスヌープ・ドッグやらディオゲネス・ドッグやら樽犬やらドク・ホリデーやらのうなじ、首筋、耳元に熱い吐息を吹きかけてナンパの日々を送っていますよ。羨ましいかぎりです。「女好き」はわたくし伝来であると思量されます。

たまにサイラス・モズレー上智大英文科名誉教授がスキャットマン・ジョンする『夜がくる』を遠吠えがわりに聴かせてくれます。もちろん、そのときは天井から如雨露を吊るして嘘雨を降らせながら、飲むとワイハーに行ける安ウスケヴォー・ウシェクベーハーをちびちびと飲ります。格別です。

では、甘味処の女王さまにいい朝が来ますように。いい週の中日も来ますように。ついでにいい週末が来ますように。世界中の生きとし生けるものにいい終末が来ますように。今日も晴れ晴れ、ハレルヤ!
 
[PR]
by enzo_morinari | 2013-11-13 03:50 | 琥珀色の夜が来る | Trackback

琥珀色の夜が来る#1 冷たい小糠雨の中の仔犬 ── 万物森羅万象に多情多恨たれ

 
c0109850_1213241.jpg
 
思い出は琥珀色に染まりゆく E-M-M
人間らしくやりたいな。人間なんだからな。KAITA-KAKEN
いろんな命が生きているんだな。元気で。とりあえず元気で。みんな元気で。ずっと元気で。N-T
世界を貪り読め。読みつくせ。耳を攲てろ。眼を見開いたまま眠れ。森羅万象に多情多恨たれ。KAITA-KAKEN


1981年晩秋。「青葉繁れる日々」はとうに終りを告げていて、永遠などないと思い知りながら、ワイオミングスイカを貪り喰いながら、街を、世界を、ビロード地下帝国のワイルドサイドをほっつき歩いていた。スパゲティ・バジリコでも25メートルプール1杯分のビールでも床一面に5cmの厚さで敷きつめられた南京豆の殻でも心と魂は満たされず、水晶とは似ても似つかぬ鉛色の世界が広がっていた。「ジョシダイセー」なる珍妙奇妙奇天烈なイキモノが肩で風を切ってのさばり歩いていた。

冷たい小糠雨が降りしきる週末の夕暮れの青山通り。1本の路地から茶色と白のブチの仔犬が顔をのぞかせた。ボクサー犬かジャックラッセル・テリアか。生後半年ほどでもあったか。仔犬は車と人と雨とでざわめき立つ夕闇迫る混乱の大通りを前に辺りを落ちつきなく見回し、小刻みに震えていた。その表情は不安と恐怖で凍りつく寸前であるように思われた。

どこからともなく晩鐘が聴こえてきた。仔犬は傘をさして自転車を走らせるクソばばあに轢かれそうになる。しかし、夕暮れの雑踏と家路を急ぐ大衆どもは仔犬には目もくれず、無関心そのものだ。それどころか、仔犬を食い殺そうとでも言いたげなほどに残酷だった。私もそのうちの一人だった。

小さな命が抱える冥さに目も眩みそうになる。そして、その小さな命を待ち受ける孤独と困難と困憊にも。

仔犬に微笑みかけることしかできなかった。それだけがそのときの私にできることだった。ほかにはなにもない。彼を抱きしめ、あたため、連れて帰りたかったが、すべての事情を勘案した結果、それはゆるされなかった。だが、それは言い訳だ。愚にもつかぬ言い訳にすぎないと今にして思う。仔犬はどんなにか寒く、凍え、心細かったろうかと思う。しかし、重要なのは言葉の数ではない。言葉の巧みさでも美しさでもない。言葉ではない。

当然に、仔犬のその後の日々がどうなったかはわからない。そして、30年の歳月の流れ。30年以上を経ても凍えるような喪失のかなしみ、痛みをともなった喪失感がある。

あのときあの仔犬をふところに抱きしめていれば。あのときあの仔犬を一瞬でもいいからあたためていれば。あのときあの仔犬にひと晩の宿りとわずかの糧とを与えていれば ── 。そのことによって失うものなどなにもなかったのに、そして、そのことによってもっとたいせつであたたかくて深いものを手に入れられたはずなのにできなかった。いや、できなかったのではない。しなかったのだ。

30年のあいだに、街からも人間からも「貌」が失われた。のっぺりとした記号だけが無目的/無感動に徘徊している。「すごい」をいつ果てるとも知れずに連発しながら(「すごい」は形容詞だ! 形容詞で形容詞と副詞を修飾するな!)。

子守唄がわりに『Metal Machine Music』を聴かされつづけた赤ん坊どもはいまやアヒルに毛の生えたようなニヒリストとして無限大の幻影を夢みる日々を生きている。彼奴らをみていれば、そう遠くない将来、近々、「世界の終り」がやってくるのはまちがいないとわかる。救いはソニーロリンズ・ベイビー島の人々が青と黒のクセノフォンの巨人の夢を見つづけていることだけだ。

c0109850_10481194.jpg



雨と子犬
琥珀色の日々 - 菅原進
夜が来る - 小林亜星
 
[PR]
by enzo_morinari | 2013-11-12 10:48 | 琥珀色の夜が来る | Trackback