カテゴリ:言葉とモノ( 1 )

言葉とモノ マドレーヌ現象のための徒然なること

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 私は天下御免のモノ好きである。こどもの頃から蒐集にいそしんだモノは膨大なジャンルと数におよぶ。

 変なモノ、トゥートゥーポマシェリマシェリなモノ、マルセーユ行きの貨物船の船員が思わず、「そりゃ、メルドーだ。」とお漏らししちゃうモノ、おもしろいモノ、めずらしいモノ、臭いモノ、貴重なモノ、ちいさいモノ、おっきいモノ、小物、大物、フツーのモノ、長いモノ、短いモノ、丸いモノ、角張ったモノ、ひとのモノ、親のモノ、兄弟姉妹のモノ、シュールなモノ、リアルなモノ、ソニーなモノ、ホンダなモノ、とんぼモノ、機械式なモノ、トランジスターなモノ、ピカピカしたモノ、ぬるぬるしたモノ、ざらざらしたモノ、すべすべしたモノ、やわらかなモノ、かたいモノ、ぼのぼのなモノ、過激なモノ、コンサーバティブなモノ、トラディショナルなモノ、南の島なモノ、北の国なモノ、東京なモノ、都会なモノ、まったりしたモノ、哀しいモノ、せつないモノ、デジタルなモノ、アナログなモノ、なんだかわからないモノ、ケーブルなモノ、重いモノ、ずっしりなモノ、ガーデニングなモノ、気持ちのいいモノ、気持ちの悪いモノ、すーっとするモノ、イッちゃうモノ、ずんずんするモノ、ネジなモノ、パテック・フィリップなモノ、フランク・ミューラーなモノ、ロレックスの金無垢モノ、Gショックなモノ、グッチの靴モノ、フェラガモの靴モノ、エルメスのかばんモノ、ヴィトンのエピモノ(ロゴだらけ系は断然不可!)、カシミアなモノ、ブルックス・ブラザースなモノ、アンティークなモノ、新製品なモノ、コットン100パーセントなモノ、羊毛100パーセントなモノ、FABER CASTELLなモノ、戸田ツトムなモノ、杉浦康平なモノ、平野甲賀なモノ、菊地信義なモノ、村上春樹なモノ(いまは反吐が出る。)、秋山晶なモノ、アーネスト・ミラー・ヘミングウェイなモノ、HIP-HOPなモノ、レゲエなモノ、ジャズなモノ、ライブなモノ、松任谷由美なモノ、なんとなくクリスタルなモノ、おもいっきりクリスタルなモノ、バカバカしいモノ、健やかなモノ、賢いモノ、あかるいモノ、おいしいモノ、キモなモノ、はずれたモノ、ズレたモノ、オフビートなモノ、オンビートなモノ、アコースティックなモノ、吉本隆明なモノ、全共闘なモノ、高橋和巳なモノ、埴谷雄高なモノ、開高健なモノ、ヴィンテージなモノ、ヌーベル・バーグなモノ、ピカソのモノ、サリンジャーなモノ、酔いどれの誇りにかかわるモノ、人間の尊厳にかかわるモノ、自由なモノ、不自由なモノ、坂口安吾なモノ、芥川龍之介なモノ、夏目漱石なモノ、哲学してるモノ、哲学していないモノ、現代思想なモノ、ユリイカなモノ、異化くさいモノ、他個くさいモノ、コンバースなモノ、ナイキなモノ、プロケッズなモノ、ヘインズなモノ、ボタン・ダウンなモノ、スウェットなモノ、クールなモノ、ホットなモノ、ムスティスラフ・レオポリドヴィチ・ロストロポーヴィチなモノ、ウラジミール・アシュケナージなモノ、ミッシャ・マイスキーなモノ、モーツァルトなモノ、バッハなモノ、ストラビンスキーなモノ、マーラーなモノ、アダージョなモノ、カンタービレなモノ、カウンター・カルチャーなモノ、オタクなモノ、マニアックなモノ、ウィンダム・ヒルなモノ、無伴奏なモノ、コンチェルトなモノ、キース・ジャレットなモノ、カサブランカなモノ、ハードボイルドなモノ、探偵モノ、フィリップ・K・ディックなモノ、ウィリアム・ギブスンなモノ、カート・ヴォネガット(・ジュニア)なモノ、晶文社なモノ、ハヤカワ文庫なモノ、講談社文庫なモノ、福武書店文庫なモノ、三島由紀夫なモノ、グラフィックなモノ、ボイジャーなモノ、シナジー幾何学なモノ、アップル・コンピュータなモノ、アドビなモノ、T-Timeなモノ、青山通りなモノ、『青山通りから十二本目の銀杏の木の下』なモノ、アルマジロなモノ、赤坂なモノ、やしきたかじんなモノ、上田正樹なモノ、サザン・オール・スターズなモノ、SMAPなモノ、ヨー・ヨー・マなモノ、アバンギャルドなモノ、アプレゲールなモノ、横浜元町のポピーなモノ、横浜元町のフクゾウなモノ、横浜元町の信濃屋なモノ、横浜本牧埠頭のシーメンズ・クラブなモノ、神谷バーなモノ、下町なモノ、山の手なモノ、港区なモノ、青山なモノ、外苑西通りなモノ、外苑東通りなモノ、不良なモノ、いい子のモノ、わるい子のモノ、マウンテン・バイクなモノ、フェラーリなモノ、ベントレーなモノ、フランシス・スコット・フィッツジェラルドなモノ、レイモンド・チャンドラーなモノ、矢作俊彦なモノ、神さまなモノ、仏さまなモノ、アフリカンなモノ、ラテンなモノ、東風荘なモノ、ミッキー・スピレインなモノ、ロバート・B・パーカーなモノ、ガルシア・マルケスなモノ、バルガス・ミョサなモノ、亡き王女のためのパバーヌなモノ、動物の謝肉祭なモノ、ケルン・コンサートなモノ、タル・ファーロウなモノ、ギブソンなモノ、マーチンD45なモノ、ハミング・バードなモノ、シュール・レアリスムなモノ、ダリなモノ、ルオーなモノ、キュビスムなモノ、バウ・ハウスなモノ、中川憲造なモノ、ボルト&ナッツ・スタジオなモノ、NDC GRAPHICSなモノ、PUSH & PIN STUDIOなモノ、ミルトン・グレイサー&シーモア・クワストなモノ、分裂病者のダンス・パーティなモノ、『エロスの涙』なモノ、ジョルジュ・バタイユなモノ、宮崎駿なモノ、「その者、蒼き衣をまといて、金色の野に降り立つべし」なモノ、アシタカなモノ、キャンベルのポタージュ・スープなモノ、アンディ・ウォーホルなモノ、1ミリの誤差にこだわる仕事なモノ、フォルマリズムなモノ、「全日本カエルだけれども人間の手協会」なモノ、BEKKOAME の PUB なモノ、NTTふれあいトークなモノ、機械式腕時計なモノ、宝石広場なモノ、ボート・ハウスなモノ、アメリカなモノ、パリなモノ、アイルランドなモノ、スコットランドなモノ、グリニッジ・ヴィレッジなモノ、カルチェ・ラタンなモノ、モンマルトルなモノ、モンパルナッスなモノ、フォーブル・サントノーレなモノ、ロバート・デ・ニーロなモノ、クリストファー・ウォーケンなモノ、『戦争の犬たち』なモノ、武蔵野の面影なモノ、『ストリート・オブ・ファイアー』なモノ、ギリシャなモノ、地中海なモノ、真空管なモノ、カチカチ音がするモノ、ロータリー式なモノ、トランス・ルーセントなモノ、アンチ自己啓発セミナーなモノ、オルターナティヴなモノ、ジョージ・オーウェルなモノ、精神分析なモノ、カルトなモノ、神話なモノ、反アムウェイなモノ、純愛なモノ、不倫なモノ、粋なモノ、歌舞伎なモノ、古典芸能なモノ、古典落語なモノ、ケルトなモノ、ジェームズ・ジョイスなモノ、マフィアなモノ、やくざなモノ、民族派なモノ、サヨクなモノ、日和見なモノ、浪漫派なモノ、小林秀雄なモノ、安部公房なモノ、サウス・ブロンクスなモノ、ハーレムなモノ、ゴシックなモノ、バロックなモノ、ロココなモノ、アール・ヌーボーなモノ、アール・デコなモノ、トライベッカなモノ、別冊宝島なモノ、割れずなモノ、ジーニアスなモノ、ブルーノートなモノ、リバーサイドなモノ、インパルスなモノ、ECMなモノ、ゲノムなモノ、DNAなモノ、『部屋とYシャツと私』なモノ、ハンフリー・ボガートなモノ、スティーブン・スピルバーグなモノ、ディズニーなモノ、水曜の午後の動物園なモノ、『宇宙を支配する巨大な意志の力』なモノ、ジャン・レノなモノ、マッキントッシュなモノ、ギンガム・チェックなモノ、銀紙なモノ、アルミニウムなモノ、無垢なモノ、夕焼けをみる心なモノ、アウト・サイダーなモノ、クロコダイルなモノ、オーディオなモノ、ラックスなモノ、AIR THIGHT なモノ、オルトフォンなモノ、光悦なモノ、マイクロ精機なモノ、マランツなモノ、マーク・レビンソンなモノ、いまはなきアントレーなモノ、DENON 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HERBS」なモノ、カルパッチョなモノ、ラタトゥイユなモノ、琥珀なモノ、二重らせんなモノ、『数学者のこころでは』なモノ、遠山啓なモノ、松下竜一なモノ、『潮風の匂う街』なモノ、『豆腐屋の四季』なモノ、魚河岸なモノ、築地なモノ、月島なモノ、佃島なモノ、浅草の「鮨よしだ」なモノ、浅草六区の「天健」のかき揚げ丼なモノ、電気ブランなモノ(口当たりのよさに騙されて飲みすぎるとえらい目に遭う。)、おいしい水なモノ(究極の「シンプル・イズ・ベスト」である。)、なにも足さないモノ(基本である。)、なにも引かないモノ(コレも基本である。)、純水なモノ(ひどい味である。)、ピュアなモノ(なんと言ってもコレに勝るモノなし。)、有原優香なモノ(フジテレビの連ドラ『ピュア』の主役である。和久井映美がパーフェクトな演技であった。ずいぶんと涙腺ゆるめさせてくれた。)、「好きでいてはだめですか?」なモノ(『ピュア』で和久井が言う台詞。これは90年代のドラマ・シーンにおける、サイコーの、無比の、かけがえのない、宝石のような台詞であると断言する。)、NHK朝の連ドラ『あすか』なモノ(普段、ほとんどテレビを視聴しない私が日曜を除く毎日、8時になると、テレビ受像機の前に急行していた。)、少女時代のあすかを演じていた女の子なモノ、和なモノ、舶来なモノ、ハイカラなモノ、岩波文庫なモノ、アルト・ハイデルベルグなモノ、『チップス先生さようなら』なモノ、『かもめのジョナサン』なモノ、恥ずかしそうに呟く「翼の折れたエンジェル」なモノ、『バスルームから愛をこめて』なモノ、ローズ・ガーデンなモノ、ホワイト・ハウスなモノ、『銀の匙』なモノ、「たとえあなたがギャングでも、勇気をもって愛すでしょう♪」なモノ、正直なモノ、大風呂敷なモノ、雑貨なモノ、希有壮大なモノ、心が風邪をひきそうなモノ、ソーダ水の中を貨物船がとおるモノ、ドルフィンなモノ、休日の横浜・根岸森林公園なモノ、夕暮れの横浜・外人墓地なモノ、真夜中の横浜山下埠頭なモノ、本牧埠頭入り口「シーメンズ・クラブ」のジミーなモノ、曲者、諜モノ、北野武なモノ、サクサクしたモノ、しゃりしゃりしたモノ、『As time goes by』なモノ、『星に願いを』なモノ、『虹の彼方に』なモノ、『煙草の煙が眼にしみる』なモノ、『世界は日の出を待っている』なモノ、『Misty』なモノ、『愛さずにいられない』なモノ、『誰かが私を見つめてる』なモノ、『ダニー・ボーイ』なモノ、『きらめく星座』なモノ、『上を向いて歩こう』なモノ、『見上げてごらん、夜の星を』なモノ、『懐かしきケンタッキーのわが家』なモノ、『オーモンド』なモノ、『みんなのうた』なモノ、『テネシー・ワルツ』なモノ、『アイ・ラヴ・ユー』なモノ、『アマ・ポーラ』なモノ、『昔々、アメリカで』なモノ、『甘い記憶』なモノ、『セント・トーマス』なモノ、『クル・セ・ママ』なモノ、『モモ』なモノ、フェデリコ・フェリーニなモノ、ウンベルト・エーコ教授なモノ、記号なモノ、宇宙なモノ、ディープなモノ、あさはかなモノ、宮武外骨なモノ、南方熊楠なモノ、妖しいモノ、怪しいモノ、牧野富太郎なモノ、ファーブルなモノ、フォーマルなモノ、シックなモノ、エレガントなモノ、クラシックなモノ、おニューなモノ、ワイン・オープナーなモノ、聖書なモノ、古事記なモノ、『葉隠』なモノ、木陰なモノ、ゴールズワージーなモノ、アノニマスなモノ、罪刑法定主義なモノ、構造主義なモノ、現象学的手法なモノ、LEDなモノ、ドラスティックなモノ、田中角栄なモノ、反ピース・ボートなモノ(辻元清美のあさましさは特筆に値する。)、『現代思想の100人』なモノ(たいへんお世話になりました。)、『流行通行止め×!』なモノ、『思想の測量術』なモノ、ピーター・マックスなモノ、岩合光昭なモノ、『20世紀号、ただいま出発!』なモノ、『現代思想臨時増刊/1920年代の光と影』なモノ、『1000 Dessous---History of Lingerie』なモノ、ペーパー・バックなモノ、カストリなモノ、美空ひばりなモノ、高倉健なモノ、役所光司なモノ、鈴木京香なモノ、唐沢寿明なモノ、緒形拳なモノ、ホイジンハなモノ、『北の国から』なモノ、陣内孝則なモノ、『おバカさんの夕食会』なモノ、エルスケンなモノ、『戦場のカメラマン』なモノ、ロバート・キャパなモノ、デイヴィッド・ホックニーなもの、ヴァーチャルなモノ、「筆洗」なモノ、『デジタルの風』なモノ、ホット・ワイヤードなモノ、『本とコンピュータ』なモノ、津野海太郎なモノ、「青空文庫」なモノ、未必の故意なモノ、芦部信喜先生なモノ、我妻榮先生なモノ、團藤重光先生なモノ、平野龍一先生なモノ、反金沢一郎先生なモノ、西麻布交差点そばの「ラ・ボエーム」のめんたいこスパゲティなモノ、おなじくクラム・チャウダーなモノ、おなじくガーリック・トーストなモノ、ボヘミアンなモノ、吟遊詩人なモノ、ラスコーリニコフなモノ、スビドリガイロフなモノ、「漂えど沈まず」なモノ、FLUCTUAT NEC MERGITURなモノ、反サブカルなモノ、反ギョーカイくんなモノ、クリエーティブなモノ、脱デザインなモノ、脱構築なモノ、脱イデオロギーなモノ、フクロウなモノ、冬眠を忘れた熊なモノ、呪われたアルマジロなモノ、見捨てられたモノ、誰にも振り返られることのないモノ、黄昏たモノ、パステルなモノ、ニートなモノ、プリミティブなモノ、ナチュラルなモノ、人工的なモノ、人間的なあまりに人間的なモノ、エッケ・ホモなモノ、中世なモノ、ホモ・ファーベルなモノ、ジャック・デリダなモノ、クラウゼヴィッツなモノ、広瀬隆なモノ、『東京に原発を!』なモノ、ひそやかなモノ、ひめやかなモノ、さりげないモノ、オフ・ホワイトなモノ、MARVY の ART DIRECTOR 1400なモノ、ココ・シャネルなモノ、笑っちゃうモノ、笑えるモノ、笑いモノ、松本人志なモノ、公安調査庁なモノ、警視庁公安部なモノ、FESTINA LENTEなモノ、数寄モノ、沼津産地魚なモノ、沼津モノ、そしてフェチなモノ。

 こうして、思いつくまま並べただけでもすさまじい。われながらたいした数寄者だと感心するやら呆れるやらだ。もっとも、私は無類の好き者なわけであるし、整合性はじゅうぶんにある。いつかは天下無双の数寄者になってやるとひそかに思っているのであるからしてこれでいいのだ。試みに類語辞典で「物」「もの」を引いてみると物ものモノの大行進、大行列だ。
 物心、物差し、物々しい、物わかり、物欲、物質、物まね、物品、物件、物権、物の怪、もののふ、物寂しい、物悲しい、物狂い   。 モノというのは実に奥深い。このことだけでもモノと日本文化は密接に繋がっていることがわかる。モノ自体に美を見いだそうとしたのが芭蕉であり、利休であり、世阿弥だろう。また、モノとコトの狭間で苦悩したのが藤原定家であり、西行であり、本居宣長であり、西田幾太郎であり、小林秀雄だ。そして、モノとコトを超越しようとしたのが道元であり、山頭火であり、三島由紀夫なのだろう。世界のありとあらゆるところでフェチなモノが、連日連夜、「一般常識」からすればとんでもない価格で取り引きされているのはモノの持つ妖気、物の怪に感じるひとが確実にいるということをあらわしているように思える。
 ところで、モノへの嗜好、性向はきわめて個人的なものであることを世の「常識人」を自任する人々はまったくわかっていない。 「フェチ? 変態じゃん! 気持わりー! 飯がまずくなるぜ!」 「コレクター? オタクだろ!」等々。だが、他者の権利を侵害せず、「公共の福祉」に反しないかぎりにおいてどんなモノに愛情を注ごうが、いかなるモノを蒐集しようが、他人にとやかく言われる筋合いは微塵もない。大きなお世話である。大きなお世話のコンコンチキである。モノへのこだわり、嗜好はまったく個人の自由に属する問題だからだ。ちなみに、ブルセラものに対して抑えがたい所有欲を抱くのと、シュタイフ社のヴィンテージ・テディ・ベアを手に入れたいと思うのとは等価だ。また、履き込み5年のウルトラ・スーパー・スペシャル・ナットウ・スメルなコンバースを我がモノとして日々くんくんすりすりすることと、ロレックスのエクスプロラー・ワンのティファニー・ダブルネームを見せびらかすことも等価である。それを「常識」だの「フツー」だのという曖昧で胡散臭い物差しで測ろうとすると鬱陶しいことになる。モノとモノ、モノとコト、コトとコトのあいだに、モノ自体、コト自体としての価値の高低などありはしないのだから。
 ホテル・オークラの創業者もすこぶる付きの数寄者だったようだが、私が目指すはなんといっても利休である。数寄の究極がいっさいの修飾を排除した「侘び/寂び」だというのだから、なにをか況やである。その点、天下人の秀吉はモノ集めはしたが物狂いはできなかったと言わねばならない。モノに狂った者は金ピカの茶室など作らない。秀吉の嗜好、趣味と言ってしまえばそれまでだが、あれだけの金塊黄金があったらもっといろいろなモノが買えたはずであるのに「MOTTAINAI!」ことこのうえもない。人たらしの金ぴか猿太閤殿下は最後の最後まで「へうげもの」にはなれなかったということだ。「息子を頼みます」と家康以下に頭を下げるなんざあ野暮の極み、国立の谷保天神様もぶんむくれである。
 あしたはあしたの風が吹く。江戸開府以来、八百八町に暮らす江戸庶民たちの生活は実に「その場限り」「その日限り」のきわめて場当たり的な基本姿勢が潔いほどに貫かれていた。江戸及び東京は「宵越しのゼニは持たない」というライフ・スタイルが当然のように肩で風をきる風狂都市だったのである。粋、鯔背といった美意識は軽やかで執着のない暮らしの基本原理があってはじめて成り立つ。野暮は読んで字のごとく、野に暮らす、つまり、田畑に執着し、家屋敷に執着し、ついでに過去に執着するあさましさ・さもしさをあらわしている。私はやはり軽やかなのがいい。あした吹く風のことをきょう心配したところでなにもはじまりはしない。同様に、あしたひく風邪について、きょう気を揉んだところでどうにもならない。
 そう。あしたはあしたの風が吹く。あしたはあしたの風邪をひく。わたしはわたしの道をゆく。そんなようなノリで生きたいものである。

 ところで、私の山ほどある夢のひとつは、宿泊施設付きレストランをつくることだ。ひとつはほぼ成就した。残るは日本だ。名前はすでに考えてある。土地も確保済みだ。その名も、「オーベルジュ・ル・リキュー/Auberge LE RIKYU」。瑠璃宮&利休の離宮。オーベルジュ・ル・リキューには世界中の数寄者と好き者が集まって、夜ごと昼ごと朝ごと数寄と好きの限りを尽くすのだ。自由と放埒と悦楽と享楽と絶頂と猥雑と耽美とデカダンスの宴。夢とモノはふくらむばかりである。


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by enzo_morinari | 2012-10-01 05:00 | 言葉とモノ | Trackback