カテゴリ:埴生の宿の夜はふけて( 3 )

母が教えてくれた歌 ── ドヴォルザーク

 
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歌いなさい。泣きなさい。そして、最後は笑いなさい。OFF-CROW-SAMA


母はいつも歌を口ずさんでいた。わが母ながら素晴らしい美声の持ち主だった。エディット・ピアフに心酔していた母が歌うのは『バラ色の人生』や『パリの空の下』や『愛の讃歌』などのシャンソンが中心だった。『ダニーボーイ』のときもあれば『すみれの花咲く頃』のときもあれば『テネシー・ワルツ』のときもあった。ドヴォルザークの『母が教えてくれた歌』もよく歌っていた。

『母が教えてくれた歌』(Když mne stará matka zpívat, zpívat učívala/Als die alte Mutter mich noch lehrte singen/Songs My Mother Taught Me)はアントニン・ドヴォルザークが1880年に作曲した作品55『ジプシーのメロディ』の第4曲である。『ジプシーのメロディ』はボヘミアの詩人アドルフ・ヘイドゥクによる連作詩集を元にしたものであって、これに深い感銘を受けたドヴォルザーク自身がチェコ語の原詩をドイツ語に翻訳し、曲をつけた。『ジプシーのメロディ』は荒野を放浪するジプシーの母親による一人語りの形式を持ち、全7編からなる。『母が教えてくれた歌』の日本語訳は以下のとおり。

遠い昔に老いた母が歌を教えてくれたとき
母の目に大粒の涙が絶えることはなかった
母親となってその歌を子供らに教えるとき
私の目にもいつの間にか涙が浮かんでいる


母親思いで子煩悩であったと伝えられるドボルザークの『母が教えてくれた歌』にこめられた切々とした心情は聴く者を強く深く揺さぶらずにはおかない。

『母が教えてくれた歌』は『ジプシーのメロディ』の中でも特に愛され、フリッツ・クライスラーがヴァイオリンとピアノのために編曲したことによって広く世に知られるようになった。レパートリー、持ち歌とする歌い手、ヴァイオリン奏者、ピアニストも多い。エリーザベト・シュヴァルツコップ、ビクトリア・デ・ロス・アンヘレス、ネリー・メルバ、ジョーン・サザーランドらの歌唱がある。ポール・ロブソンの愛唱歌でもある。また、映画『刑務所の中』のエンディングでゆっくりとタンポポが大写しされるシーンで流れる日本フィルハーモニー演奏の『母が教えてくれた歌』はとても印象的だった。それまで飄々としたギャグ連発の映画が一転、美しく深い詩情を湛えるものとなった。監督の崔洋一は「運不運、幸不幸は人それぞれだが、だれでもに等しく古今東西の別なく母はある」とでも言いたかったか。

やむにやまれぬ種々の事情、経緯によって母のいない者であってもその胸の内に「母の面影」を宿すことはできる。レオナルド・ダ・ヴィンチは生涯にわたって「母の面影」を追いつづけた果てに「万能の天才」「知の巨人」「創造の王」となった。

母は『母が教えてくれた歌』をいつ、どのような場面で歌っていたのであったか。いずれにしても心さびしいときか困憊のときでもあったろう。母の哀しげな歌声もさることながら、『母が教えてくれた歌』の曲調と旋律は子供心にも大層せつなく哀しく儚く聴こえた。このまま母が私の前から永遠に消え去り、死んでしまうのではないかとさえ思われた。

母は歌いながら泣いていた。いつも決まって夕餉前の夕暮れ時だったと記憶する。黙々と夕餉の仕度をする母の哀しげな歌声に混じって狭く薄暗い台所から煮物のにおいがした。大根と人参と生揚げの煮物。裸電球に照らされた母と私だけのつつましく貧しい夕餉。それでも、母と二人きりで向かう夕餉の食卓は暖かく慈しみに満ちていたのだと思える。

夕餉のときは母と実に色々のことを話した。学校での出来事や勉強のことや音楽のこと、読書のことや日々の暮らしの不満や母の青春時代の思い出話など。母は私に真剣に向き合って話に耳を傾け、身振り手振りを交えて話してくれた。かけがえのない宝石のような時間だった。

他愛のないことで悄気返る私に母は言ったものだ。「歌いなさい。泣きなさい。そして、最後は笑いなさい」と。今、虹子と二人囲む食卓にもおなじ時間が流れ、おなじものがある。

母は私が中学2年生の秋に片手で持てるほど小さく軽くなって死んだが、今も静かに語りかけてくる。「歌いなさい。泣きなさい。そして、最後は笑いなさい」と。

残り少ないわが人生の日々。仕上げがわりに、せめて、母の言いつけを守ることにしよう。そして、母にできなかった分の孝行を虹子にしようと密かに決めている。おそくはない。まだ間にあう。折れそうになったら、『母が教えてくれた歌』を聴き、歌えばいい。母の歌う『母が教えてくれた歌』が聴ける日も、遠い日の花火ほど遠くはない。


Dvorak - Songs My Mother Taught Me (No.4, Op.55)/わが母の教えたまいし歌
Itzhak Perlman
Pablo Casals
Yo-Yo Ma
Anna Netrebko(Soprano)+Daniel Barenboim(Piano)
Bela Banfalvi & Budapest Strings
Joshua Bell
Julian Lloyd Webber
Victoria de los Angeles
 
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by enzo_morinari | 2014-01-16 05:33 | 埴生の宿の夜はふけて | Trackback

埴生の宿の夜はふけて#2 二度と取りもどすことのできない夜の訪問者 ── タツゾー先生のこと

 
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タツゾー先生は中学のときの担任だ。音楽教師だった。クラーク・ケントに似た男前で、テニス部の顧問をしていた。東京オリンピックの開会式で合唱団の一員となるほどの美声の持主でもあった。とうに定年退職し、裁判所の調停委員をしながら、今は悠々自適の日々を生きている。ちょくちょく吾輩を音楽室に呼び出して本格式のサイフォンで淹れたコーヒーを飲みながらレコードを聴かせてくれた。勿論、音楽教師らしい解説付きで。

思い立って「過去の遺物」の整理をしているときにタツゾー先生の自宅の電話番号が出てきた。晩めしどきだった。早速電話した。素晴らしく声のきれいな奥様が出た。タツゾー先生の奥様は声楽家だ。なるほど。声の美しさは齢を重ねても変わらない。

名乗ると、「あら! 樽さん! 主人からいつも樽さんの話は聴かされてますよ」とタツゾー先生の奥様は言った。

「いい噂話だといいんですが」
「いいこともわるいこともですよ」

奥様はそう言ってから、からからと笑った。そして、タツゾー先生に電話をかわった。タツゾー先生は口をもぐもぐさせながら電話に出た。

「樽! 樽か!」

40年ぶりに聴くタツゾー先生の声だった。中学の卒業式の夜以来だ。タツゾー先生は声をつまらせた。「とっくに死んだと思ってた。あちこち手をつくして探したけど、おまえはみつからなかったよ。いい噂はひとつもなかったし」

「うん」
「すごく心配してた。おかげで白髪三千丈だ」
「うん。── ごめんなさい」
「今はどこにいるんだ?」
「冥王星の刑務所」
「ばかもん!」
「馬鹿は今に始まったことじゃない」

そこでタツゾー先生はやっと笑った。吾輩は住んでいる街の名を伝えた。

「隣町じゃないかよ!」
「そうだよ」
「驚いたな。おまえが日本にいるとは」
「地球にいるとはと言っていただきたいもんですな。── いろんなことがあったんだ」
「うんうん。おれもだよ。おれもいろんなことがあったよ」
「タツゾー先生といっしょに聴きたい曲があるんだ」と吾輩は涙をこらえて言った。
「そうかそうか。先生もだよ。先生もおまえと聴きたい音楽が山のようにある。話したいことも」

そこでタツゾー先生は再び言葉をつまらせた。吾輩は苦しいときつらいときかなしいとき、善きにつけ悪しきにつけ、長いあいだタツゾー先生と一緒に聴きたいと思いつづけてきた曲を言った。

「『旅愁』『埴生の宿』『仰げば尊し』『故郷』『冬の星座』『星の界』『Deep River』『讃美歌312番』── そして」
「うん」
「フランク・シナトラの『Strangers in the Night』」
「二人で最後に一緒に聴いた曲だな」
「そう。音楽室で」
「音楽室で。卒業式の夜の」
「うん。いい夜だった。40年経っても忘れない」
「先生もだよ。あんなに心にしみた夜はない」
「おれもです。二度と取りもどすことはできないけど」
「取りもどせるよ。── 今から来れないのか?」
「行くよ」
「待ってる。何時まででも。あの夜を取りもどそう」

そして、吾輩は夜の訪問者となった。月のきれいな深々とした夜だった。


Strangers in the Night - Frank Sinatra
 
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by enzo_morinari | 2013-11-07 00:51 | 埴生の宿の夜はふけて | Trackback

埴生の宿の夜はふけて#1 いつかさよならのときが来たとき

 
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 貧しいことがあたりまえであり、貧しさが美しかった時代がかつてあった。E-M-M


 月に1度、豊饒の月が幽けく輝く夜、ジャズ・ミュージックでも古典楽曲でもHIP HOPでもなく、ひたすらに「童謡/唱歌/子守唄/世界の民謡」を聴きつづける時間をつくっている。この夜を吾輩と虹子は「埴生の宿の夜」と名づけている。いつも初めに聴くのはイングランド民謡の『埴生の宿(楽しき我が家/Home! Sweet Home!)』だ。
 ゆうべの「埴生の宿の夜」は鮫島有美子が歌う『埴生の宿』で始まった。鮫島有美子については吾輩も虹子も「ひとつの奇跡」であると考えているので、まことに心ふるえる「埴生の宿の夜」の幕開けとなった。われわれは「"鮫島有美子" という奇跡」についてもっと思いをいたさなければならない。

 2時間ほどの「埴生の宿の夜」が静かに消え入るように終わり、中井貴一主演の『ビルマの竪琴』をみていた。戦死した戦友の菩提を弔うために仏僧となった水島上等兵が、今は虜囚の身となったかつての戦友たちに向けて竪琴で『埴生の宿』を奏ではじめたときだ。おそい夕餉の仕度の手を止めて虹子が言った。
「いつかさよならのときが来たとき」
 しばしの沈黙。深い沈黙。「いつかさよならのときが来たとき、ずっと手を握っていてください。ずっとわたしを見ていてください。いつまでもわたしのことを忘れ ──」
「みなまで言うな」
 水島上等兵の奏でる『埴生の宿』が深く静かに秋の夜の闇の中に消えていった。かくして、埴生の宿の夜はさらにふけゆく。
 

 埴生の宿 - 鮫島有美子
 埴生の宿 - 東京放送児童合唱団


 Home! Sweet Home!/Lyric: John Howard Payne
 Mid pleasures and palaces though we may roam,
 Be it ever so humble, there's no place like home;
 A charm from the skies seems to hallow us there,
 Which seek thro' the world, is ne'er met elsewhere.
 Home! Home!
 Sweet, sweet home!
 There's no place like home
 There's no place like home!



 埴生の宿/訳詞 里見義
 埴生の宿も 我が宿 玉の装ひ 羨まじ
 長閑なりや 春の空 花はあるじ 鳥は友
 おゝ 我が宿よ たのしとも たのもしや

 書読む窓も 我が窓 瑠璃の床も 羨まじ
 清らなりや 秋の夜半 月はあるじ むしは友
 おゝ 我が窓よ たのしとも たのもしや


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by enzo_morinari | 2013-10-21 05:13 | 埴生の宿の夜はふけて | Trackback