カテゴリ:4次元シアター( 1 )

4次元シアター#1 アルカポネのフルスイング

 
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 As if I dream a dream. and I take someone into another dimension. E-M-M

 フルスイングのつもりがハーフスイング。ハーフスイングのつもりがフルスイング。それが人生というゲームだ。E-M-M


 中学2年のときの英語教師は「宇宙人」あるいは「魔物」だという噂があった。その教師は巨漢で、風貌はギャング・スターのアルカポネによく似ていた。それだけではない。尖った耳は『スター・トレック』のミスター・スポックの耳の形状にそっくりで、触れれば突き刺さりそうなほど鋭かった。先っぽの割れた緑色の舌を見たとか主食はスライムだとか飼育小屋の白色レグホンの鶏冠をチロチロ舐めていたとかいうことがまことしやかに語られていた。
 英語教師の名前は田代アルフォンソ・ガブリエル・カポネ砲一。われわれは彼を「アルカポネ」あるいは「田代砲」と呼んでいた。アルカポネの親戚なのと、口が大砲のように大きくて、真円に近かったからだ。
 アルカポネ田代砲の父親はアメリカ合衆国海軍太平洋艦隊第7艦隊のコマンダー・タスクフォースCTF-70の司令官だった。母親は元オペラ歌手のピアノ教師。父親が横須賀基地に赴任中に田代砲は生まれた。
 アルカポネ田代砲の英語の発音がネイティブなのはよかったし、授業の終りにカセット・デンスケで『アルトロ・ディメンシオーネ』を始めとするナポリの古い民謡を聴かせてくれるのが楽しかった。ナポリは田代砲の父親の先祖の街だ。田代砲の父親はイタリア移民の末裔である。
 金曜日の4時限目の授業は毎週たのしみだった。アルカポネ田代砲は教室に入ってくるなり、「4次元シアター、オープン!」と叫んで、彼がみてきた映画の話を聴かせてくれるのだ。アルカポネ田代砲の映画の話はとても面白かった。役者の演技やセリフの物真似を交えた話は時間が経つのを忘れさせた。『グリニッジ・ヴィレッジの青春』の主人公が真冬の駅でアカデミー賞主演賞受賞の予行演習をするシーンの再現はクラス全員の笑いと涙を誘ったほどだ。
 私とアルカポネ田代砲は兄弟のように仲がよかった。当時の私にとって、アルカポネ田代砲は年齢の離れた風変わりな兄貴といった存在だった。根岸台にあるアルカポネ田代砲の自宅にはちょくちょく遊びに行った。アルカポネ田代砲の家(外人ハウス)からすぐの所にある根岸競馬場公園では散歩したり、プロレスの技のかけっこをしたり、ジョギングをした。休みの前の日の真夜中、酒盛りをしたこともある。
 田代砲の家では英語かイタリア語しか話すことがゆるされなかった。英語を始めとして、外国文化に強く魅かれていた私にはうってつけの勉強場でもあった。
 アルカポネ田代砲の誕生日は1月17日。誕生日を過ぎ、聖ヴァレンタインの日が近くなると、アルカポネ田代砲は物思いに沈んだ。物思いに沈むアルカポネ田代砲は夕暮れの哲学者のようだった。
 夕暮れどき、アルカポネ田代砲と街を歩いていると、彼は茜色に染まる残照の空と闇の中に沈みつつある街を交互に眺め、何度も何度も深々とため息をつき、言ったものだ。

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 わたしはいつか人生をフルスイングする。

 きっと、アルカポネ田代砲は、彼にしかわからない深くて大きな闇を抱えこんでいたにちがいない。夜の帳の中に沈みつつある街が抱える重苦しい闇を。そのような彼を私は嫌いではなかった。

 アルカポネ田代砲の部屋にはルパン三世の相棒、次元大介が描かれたモンキー・パンチ直筆の色紙が何枚もあった。「だれにも内緒だよ」と言って、ワルサーP38やコルト・ガバメント45(M1911)やブローニング380(FN-M1910)やルガーP08などの拳銃を見せてもらったこともあるし、そればかりか、磯子の円海山山頂で拳銃を撃たせてもらったことさえある。そのときはNHKの送信所を標的にして撃った。何年もあとに、「NHK横浜放送局FM放送送信所に謎の弾痕」の見出しで地元紙の神奈川新聞に記事がデカデカと掲載された。その事件は捜査本部が立ち上げられるほどの大騒ぎになったが、あとの祭りだった。私は街を遠く離れていたし、人生のフルスイングを果たしたアルカポネ田代砲はすでに異世界、異次元、別世界に行ってしまっていたからだ。

 それでは、アルカポネの「人生のフルスイング」の話と毎週金曜日4時限目の「4次元シアター」をはじめよう。

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by enzo_morinari | 2013-08-23 09:49 | 4次元シアター | Trackback