カテゴリ:言語にとって快とはなにか( 3 )

日曜の夕暮れ前のスターバックスのテラス席と『言語にとって美とはなにか』と金持ちの団塊男#3

 
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 男に断り、電話に出た。「朝からずっと胸騒ぎがひどいんだ」とガジンは言った。
「あいかわらず、おまえはよく鼻が利く。その”胸騒ぎ”の件で、今取り込み中なんだ。詳しいことは折り返し電話する。おれから連絡があるまでSM遊びと調教は控えて、『失われた時を求めて』と『言語にとって美とはなにか』をおさらいしておいてくれ」
 きわめて察しのいいガジンは「了解」とだけ言って電話を切った。私は男に中座を詫びてからたずねた。
「あなたは『失われた時を求めて』を地図にしていったいどこに行こうとしているんですか?」
「今の段階ではわからない。実際に『失われた時を求めて』を地図にして目にしてみないとね」
 男はそこで小さなため息をひとつつき、視線を落とした。男はつづけた。
「人類はまだ『失われた時を求めて』を解読できていないんです。誰一人としてです。『言語にとって美とはなにか』は『失われた時を求めて』を解読し、地図にするための羅針盤、参考書なのです」
 男は経年によってところどころ黄ばんでしみの浮いた勁草書房版の『言語にとって美とはなにか』を撫でながら軍艦の浮かぶ海に目をやった。詳細が地図に載らない自衛隊とアメリカの軍事施設が密集する名もなき岬の緑が目にしみた。私はさらにたずねた。
「思惑どおりに、『失われた時を求めて』があなたの仰る”地図”になりえたとして、その地図を頼りにあなたはどこを目指すんですか?」
「”地図”を実際に見てからでないとわからないというのは先ほど申し上げたとおりです。おそらく    おそらくですが、わたくしはその”地図”で本当の自分を探しはじめるのではないかと思っています。正確にはエンゾさん、あなたとガジンさんの二人に探してきていただくということになるでしょうが」

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 男はブルーベリーのイングリッシュ・マフィンを小さくちぎり、テーブルの上の雀に与えた。雀たちのなつき方から、男がこのテラス席に頻繁に来ていることがうかがえた。私はこの「物語」が開かれた時点から引っかかっていた疑問を口にした。
「ところで、あなたはなぜ私やガジンのことを御存知なんでしょうか?」
「わたくしはあなたの『Signifié/Signifiant』と『アノニマス・ガーデン』の熱心な読者ですよ。あなたは知らないでしょうがね。きっかけは”横須賀””THE MORRIGAN'S””ドブ板通り”のキーワードでGoogle検索したときにあなたが書かれた『冷たい雨の夜のヨコスカのRAINY NIGHT IN GEORGIA』がヒットしたことでした。あれは確か2012年の秋のことだった。あなたの『冷たい雨の夜のヨコスカのRAINY NIGHT IN GEORGIA』はとてもよかった。不覚にも涙を禁じえませんでしたよ。以来、わたくしはずっとあなたの追っかけです。時折、あなたが茶目っ気たっぷりに載せるあなたの画像はすべて保存してありますよ。だから、きょうあなたがここに来られたときもすぐにわかりました。Facebookには驚くほど大量の画像がUPされてますしね」
 男がとても気持ちよさそうに笑った。私もだ。「ガジンさんについては彼とあなたとのコメントのやりとり    あれもスリリングで知的で茶目っ気があってとてもおもしろかった    、そして、つい先日のUSTREAMの放送も聴かせてもらいましたよ。DLして一日に一度は聴いてます」
 私の当初の疑問はほぼとけた。
「申し遅れましたが松平です。わたくしにもなにかいい名前をつけていただけませんか?」
「少し時間をください」
 私は松平の顔をみ、全体像を詳細に観察した。松平にふさわしい名前はすぐに浮かんだ。
「では、きょうからあなたは”苦悩するビーバー・カモノハシ”です。どうでしょう?」
「いいですね。実にいい。ビーバーとカモノハシの見分けがつかない愚者たちに翻弄されつづけてきたわたくしの人生をみごとに象徴している」
 苦悩するビーバー・カモノハシは握手を求めてきた。あたたかくやわらかな手だった。私は苦悩するビーバー・カモノハシの手をやや強く握りしめながら言った。
「私がきょうここへ来るという偶然がなければこういう展開にはならなかった」
「エンゾさん、それはちがいますよ。偶然なんかではありません」
 苦悩するビーバー・カモノハシの手が固く冷たくなった。
「どういうことでしょう?」
「いずれわかります。いずれね」

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by enzo_morinari | 2013-07-08 00:55 | 言語にとって快とはなにか | Trackback

日曜の夕暮れ前のスターバックスのテラス席と『言語にとって美とはなにか』と金持ちの団塊男#2

 
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M.プルーストの『失われた時を求めて』を地図に男は本当の自分を探していた。 E-M-M


「なぜそれほど深刻に『言語にとって美とはなにか』を読まれていらっしゃるんですか?」

無礼を覚悟でたずねた。彼が激怒し、テーブルをひっくり返し、殴りかかってくるのではないかと気が気でなかった。いつ/どこで/なにを/どのように読むか/読まないかはきわめて個人的な問題だからだ。他者がとやかくのことを言う領域には属さない。『草枕』を渡良瀬川の清流における午睡のための枕がわりにするのも自由だし、iPad/iBookを愛を囁きあいながら食す鍋の鍋敷きにするのも自由だ。そこにはことの善し悪し、正邪の問題はいっさいない。あるのは自らの内なる声と読まれる/読まれないテクストがいかに響き合うかという問題だけである。

ウンベルト・エーコ教授の『薔薇の名前』において修行僧たちが向かい合っていたのは「書物」「テクスト」だろうか? 私はそのようには了解しない。彼らが向かい合っていたのは教会という名の権威、さらに言うならば「中世」という暗黒、闇であるというのが私の考えだ。ことほど左様に、書物/テクストのたぐいは時代/世界の権力権威と不可分のものであるととらえることもできる。このちっぽけでばかでかくて広い世界には読むことを拒否するテクストすら存在することを踏まえながら私はテクストと向きあってきた。にもかかわらず、今自分がしていることはそれらとはあきらかに矛盾する。しかし、男の切迫感、深刻さが私の中の「掟」「流儀」を破らせた。男の答えは意外なものだった。

「『失われた時を求めて』を地図にするためのプロセスだからですよ。深刻にならざるをえない」

男は言い、サビルロウのSR-エグゼクティブの奥にある青みがかった瞳をぎらりと輝かせた。「あなたならその意味を理解できるはずだ。虹のコヨーテさん。いえ。エンゾさん」

血の気が引き、全身が総毛立った。

「わたくしとしてはビッグ・フェイス・ガジン・フロム・アプリコットアイランドさんも一緒だと都合がいいんですがね」

男のテーブルに二羽の雀がやってきて男の血色のいい顔を見上げている。男の表情は『言語にとって美とはなにか』に目を落としていたときとは打って変わって、とても穏やかで慈しみにあふれていた。私はその光景を目にしながら徐々に冷静さを取りもどしていた。そして、思った。

「物語の開き方としては悪くない」

同時に、ガジンからの着信を知らせる P!nk の『TRY』のメロディーが鳴った。
 
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by enzo_morinari | 2013-07-07 19:21 | 言語にとって快とはなにか | Trackback

日曜の夕暮れ前のスターバックスのテラス席と『言語にとって美とはなにか』と金持ちの団塊男#1

 
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 金持ちの団塊男は『言語にとって美とはなにか』で呪法と変容する。 E-M-M

 M-Dの『ビッチェズ・ブリュー』を愛する男は孤独に耐えきれなくなっていた。 E-M-M


 いま、横須賀の軍港を目前にするスターバックスのシーサイドビレッジ店の2階のテラス席にいる。夏の始まりを告げる乾いた風が心地いい。巨大な潜水艦が3隻、星条旗がたなびく巡洋艦が5隻、最新鋭のイージス艦が2隻停泊している。まさに軍港だ。そして、国際政治のいくぶんかを象徴する風景でもある。
 30分ほども前から隣りの席の人物が気になって仕方ない。年の頃60代後半から70代前半。まちがいなく団塊世代だ。身なり服装からみていかにも裕福そうだ。腕時計はパテック・フィリップのカラトラバ。淡いブルーの麻のパンツ。素足にはトップサイダーのネイビーのデッキシューズを履いている。元町若松屋で誂えたインド綿の白いBDシャツ。BDシャツのすそを外に出し、オフホワイトのサマーセーターを肩から羽織っている。髪型はクルーカット。中々の男前。眼鏡はサビルロウのSR-エグゼクティブ。加山雄三と村上春樹とワイルドワンズの融合体だと思えばほぼまちがいない。問題は彼の表情には爽快さ、明るさがないことだ。深刻そのもの。苦悩と痛みがあらわれすぎている。身なり服装とふさわしくない表情の原因は彼が読んでいる書物、あるいは読書自体にあるのではないかと私は考えた。気づかれないように書名を確かめる。吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』だった。
 私はあやうく椅子から転げ落ちそうになった。功成り名を遂げた金持ちの団塊の男が日曜の夕暮れに海に面したスターバックスのテラス席で吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』を読んでいるというのは、まちがいなく異質な風景であるように思われた。吉本隆明に特別の思い入れでもあるか、逆に強い憎しみを持っていなければありえないことだ。
 彼の姿は読書というよりも苦行に勤しむ修行僧にみえる。痛々しいほどだ。眉間の皺、ときおり吐き出す嘆息のような呻き、ごく小さく呟きも聴こえる。呪文のようだ。『言語にとって美とはなにか』を呪法の書として読んででもいるのか? いや、そんな話は聴いたことがない。しかし、世界は思っている以上に広く、想像を遥かに超える風変わりな出来事が起こる。今私が目撃しているのも「広い世界に起こった風変わりな出来事」のうちのひとつかもしれないのだ。このあと、私の興味本位から始まる些細な出来事は思いもよらない方向へと急展開をみせ、想像を遥かに超える地点に着地する。
 
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by enzo_morinari | 2013-07-07 16:12 | 言語にとって快とはなにか | Trackback