カテゴリ:「未解決事件」を解読する。( 3 )

「未解決事件」を解読する。FILE 003

 
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悪鬼毒婦の角田美代子の亡霊は原発ジプシーの生き血をすする。


「死者を鞭打つな」という。「罪を憎んで人を憎まず」という。しかし、角田美代子というモンスターについてはこのことを斟酌しない立場をあえて取る。手加減なし容赦なしで角田美代子を鞭打つ。その罪も角田美代子も憎む。憎悪しつづける。そうすることが百鬼悪鬼が夜行し、跳梁跋扈する国と堕した日本社会が抱える「闇」を炙りだすことにつながると思うからだ。それが吾輩のリアリティである。

角田美代子をめぐる「闇」は深い。生半可な覚悟では軽々と飲み込まれてしまう。角田美代子というモンスターの「闇」に感応し、こちらがまた別のモンスターになってしまうことさえあるように思える。

過去には被害の程度や犯行態様の冷酷非情ぶり、残虐悪逆非道さにおいて角田美代子らの犯行の数々と同程度の、あるいはさらにそれをも凌ぐ事件事案があるのは事実だ。ここ数十年のスケールでみても、オウム事件、連合赤軍事件、オレオレ詐欺殺人事件、世田谷一家惨殺事件、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件(警察庁広域重要指定117号)、酒鬼薔薇聖斗事件(神戸連続児童殺傷事件)、山口県光市母子殺害事件、女子高生コンクリート詰め殺人事件(「野獣に人権なし」)、名古屋アベック殺人事件、勝田清孝事件(警察庁広域重要指定113号)、大阪愛犬家連続殺人事件、埼玉愛犬家連続殺人事件、京都元警官強盗殺人事件(広田雅晴事件/警察庁広域重要指定115号)、富山・長野連続女性誘拐殺人事件、藤沢母娘殺人事件(藤間静波事件/警察庁広域重要指定112号)、八木茂らによる埼玉本庄保険金殺人事件、荒木虎美による別府3億円保険金殺人事件、論告求刑の際に検察官から「史上最高の黒い金メダルチャンピオン」と糾弾され、判決文では「悪魔の申し子」と形容された西口彰による連続強盗殺人事件、古谷惣吉連続殺人事件等々。

だが、角田美代子らが犯した悪業は犯行態様の悪質悪辣さもさることながら、その「根」にある救いようのなさ、卑しさ、浅ましさ、愚劣さにおいて他の犯罪を軽々と凌いでいる。有史このかたの犯罪、悪業の数々のなかでも、角田美代子一味が手を染めた悪逆非道は、その陰湿陰険、卑欲、冷酷さ、残忍さ、愚劣卑劣非道ぶりにおいて最悪のものであるというのが吾輩の見立てだ。

犯罪は行為自体をみた場合、すぐれて「個人的な体験」である。犯罪を生んだ背景にある問題をも考慮するべきであるとの「極楽とんぼ議論」には与しないというのが吾輩の揺るがぬ立ち位置だ。それであってもなお、角田美代子の犯した悪逆非道には日本社会が抱えるいくつもの「闇」の貌が仄見えてくる。

角田美代子の実父の生業は、いわゆる「手配師」である。手配師は「人夫出し」「人足出し」とも呼ばれる。「ニコヨン時代」の遺物。悪徳。人間性無視。極悪とまでは言わないが、手配師どもがやっていることは非道であることにまちがいはない。手配師は他者の労働の対価の上前をはねることにまったく頓着しない精神と価値観と世界観の持ち主である。違法行為であるにもかかわらず、厳しく指弾されることはほとんどない。罪刑も軽い。量刑も甘い。

試みにまわりを見回してみるがいい。手配師はいるか? まず、いないはずだ。そう簡単に手配師にはなれない。だれもが望んで手配師になれるというような生易しい「仕事」「職業」ではない。手配師になるためにはある「特殊な条件」を満たしていなければならないからだ。

福島の原発事故現場において、劣悪な労働環境、労働条件下で働く労働者、作業者のほとんどは全国から手配師たちによって集められ、送り込まれている。原発事故現場で働く人々は否応なく被曝するが、手配師たちは指先ひとつ動かさず、被曝することもない。これは動かしようのない事実だ。放射線による健康被害、危険を承知の上で、それでも「目先のカネ」のために働かざるをえない人々と、それにつけ込む手配師ども。このあたりの「構造的な悪」のことは堀江邦夫の『原発ジプシー』(現代書館/講談社文庫)に詳しい。

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「斡旋料」「紹介料」と言えば聞こえはいいが、早い話が人間、労働者を商品、モノ扱いして雇用主の元に送り込み、労働者からピンハネをするペテン師である。3分の2をピンハネされることもめずらしくない。まぎれもなく、「人の生き血をすする」とはこのことであると言っても決して過言ではない。

角田美代子の父親は手配師の仕事を手広くやり、財をなした。職業に貴賤の別はないが、手配師を職業と呼ぶことには強い抵抗がある。労働基準法に抵触するのは無論のこと、人権侵害をしているのは明らかである。手配師は人としての尊厳を無視し、蔑ろにする「仕事」なのだ。人としての尊厳を一切慮らない父親の姿を角田美代子は生まれたときから身近で当たり前のように目にしてきたはずだ。人を人とも思わない点において、手配師も角田美代子が行ったことも同類である。「自らは手を下さず、手を染めず、手を汚さず」という巧妙狡猾さも。
 
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by enzo_morinari | 2013-06-12 12:07 | 「未解決事件」を解読する。 | Trackback

「未解決事件」を解読する。FILE 002

 
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「尼崎大量殺人事件」の首魁、卑鬼毒婦角田美代子の「貌」を読む。


逮捕直後の角田美代子の半身画像を見る。すさまじい。まさに鬼である。亡者、餓鬼、畜生、悪鬼、卑鬼。

これまでの人生で、不良、裏街道を生きる者、やくざ者、反社会勢力に属する者、愚連隊、悪党、ならず者、犯罪者等々、修羅、鬼の一群を随分と目撃してきたし、自分自身が修羅の日々を生き、鬼となったが、角田美代子の「貌」にはそれらとは異質のものを感じる。桁外れの「嫌なもの」「救いようのないもの」「卑劣なもの」を。

これだけの御面相、顔相、相貌にはそうそうお目にかかれない。この傲岸不遜、この太々しさの背景にあるもの、奥底に潜むものはいったいなんだ? 後天的な経験、体験でこの顔相、貌ができたとは考えられない。出自、生育環境にまで遡らなければ読み解くことはできないように思える。角田美代子の一族の「血」の問題、その「血」が孕む闇にまで遡らなければ。それほど、角田美代子の「貌」は難解にして怪異である。

今の段階で直感的に言いうることはふたつだ。ひとつはこの「貌」は10人20人の単位どころではない数の命を奪っているということ。ふたつはこの「貌」は持って生まれたものであるということ。角田美代子が孕む闇の奥にたどり着く道は細く暗く険しい。

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被害者と被害者遺族には申し訳ないが、「愛の亡霊」の阿部定にしろ、戦後初の女性死刑囚小林カウにしろ、どこかに「可愛げ」「愛嬌」「愛らしさ」がある。しかし、どう贔屓目に見ても角田美代子には「可愛げ」の「か」の字もない。「愛嬌」「愛らしさ」の「あ」の字もだ。

吾輩の知るかぎりにおいて、角田美代子の「貌」のすさまじさに匹敵するのは、質はちがうが「連合赤軍事件」の永田洋子の「貌」くらいである。おなじ尼崎の「児童虐待死事件」の犯人や「秋田連続児童殺害事件」の犯人も凄まじい御面相だったが、角田美代子に比べればかわいいものだ。

釈迦は心の中、生命の状態を地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界、声聞界、円覚界、菩薩界、仏界の十界に分け、それぞれにまた地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、円覚、菩薩、仏の十界が具わっていると説いた。「十界互具」である。このうちの地獄、餓鬼、畜生を特に「三悪道」あるいは「三悪趣」と呼んで最悪道、最下劣とした。さらには、『法華経』の中で「如是相」と言った。人相、面相、顔相、容貌に生命、心の状態は端的歴然と現れるということだ。角田美代子の「顔」がどれかは自ずとわかるだろう。

日頃から、鏡をよく見て自分の「顔」「貌」がどうかを確認しておくことは必要である。ろくでもない輩はろくでもない貌をしているし、まともな者はまともな顔をしているものだ。善相か悪相か。日頃から、自分の顔だけではなく他人の顔もよく見ることを習慣とするのは「人間、人物を見極める眼」を涵養する。

顔も貌も自分の生きざまでつくるものだが、いったいどう生きれば角田美代子のような御面相、容貌になれるのか。そのリアリティがまったくつかめない。見当がつかない。まちがいなく下衆外道の生きざまをさらした結果がこのような「貌」をもたらしたのであり、判明しているだけで8家族を崩壊離散させ、家屋敷財産を根こそぎ奪い取り、8人の死者と3人の行方不明者失踪者を生む凄惨きわまりもない事件に至ったのだと言えるが、リアリティに欠ける。それほど想像を絶するということである。

被害の規模から言うならば、角田美代子らが引き起こした凶悪事件はまぎれもない災害である。災害をもたらす自然に悪意はないが、角田美代子一味は醜悪きわまりない悪意の巨塊そのものである。

この一連の事件のほかにも、角田美代子らは「山を踏んでいる」と考えるのが妥当だろう。まさに、鬼畜悪鬼の所業だ。だが実は、日本自体がここ数十年のあいだに、「百鬼夜行の国」に堕してしまったのではないかと思えなくもない。「尼崎大量殺人事件」の首魁である角田美代子らはその象徴にすぎないということだ。そう思って街中で見かける「善良そうな人々」の顔をよくよく見れば、その顔の裏側、奥深くに「角田美代子的なるもの」の貌が見え隠れするのを如何ともしがたいのだ。恐ろしいことである。

角田美代子は拘留中に留置場で自ら首をくくって果てたが、直前にはクロノスの大鎌を振り上げる死神の貌をその眼に焼きつけ、震え戦いたにちがいあるまい。死を選択しなかったとしても、法の庭においてまちがいなく極刑、すなわち死刑判決が下されたはずだ。反省悔悟の情、更生の可能性を忖度勘案する必要は微塵もないし、百万歩譲っても死刑以外の刑を選択しえない事案である。

埋もれている被害、未発覚の事件も含め、捜査関係者の地道な捜査による「尼崎大量殺人事件」の全容解明を待ちたいが、期待はできまい。37件にも及ぶ被害の訴え、犯行の端緒を疑いうる機会があったにもかかわらず、なんらの手も打てなかった兵庫、高知、香川、岡山、滋賀、京都の各県府警、捜査機関の面目は丸つぶれである。警察は顔に泥を塗られたままでいいのか?
 
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by enzo_morinari | 2013-06-10 03:23 | 「未解決事件」を解読する。 | Trackback

「未解決事件」を解読する。FILE 001

 
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NHKスペシャル 未解決事件 FILE No. 003「尼崎大量殺人事件」から視えるもの
 

1980年代末。かつて、アメリカに NIGHT STALKERS と呼ばれるならず者集団がいた。彼らは赤の他人の家に有無を言わせず上がり込み、傍若無人悪辣蹂躙悪逆非道の限りをつくし、財産を食いつぶし、家族を崩壊させ、去ってゆく。襲撃を受けた家族はなすすべもなく、ただ NIGHT STALKERS が去るのを待つしかなかった。惨殺、一家皆殺しに発展したケースもあった。近隣住民からの通報を受けた警察が訪ねても、被害者たちが被害を訴えることはなかった。家族が「人質」になっていたからである。 NIGHT STALKERS の問題は全米を揺るがしたが、その後、どういった経緯を辿ったのかは不明である。

角田美代子という稀代の毒婦が中心となって発生した「尼崎大量殺人事件」は、角田美代子の自殺という節目、結末を迎え、事件が孕む「闇」に光が当てられることは永遠になくなった。吾輩が評価する数少ない言説者のうちの一人である高村薫が、いずれ「尼崎大量殺人事件」の闇に光を照射し、その深層にある闇の正体、貌を暴くことを期待しているが、吾輩もまた、この事件が起きた同時代を生きる者の「責務」として、事件の闇と事件を生んだ日本社会の「だれも助けてくれない」という絶望と、そして、角田美代子というただ貧しいだけだった一人の人間が、どのようにして亡者、毒婦、悪魔、悪鬼、卑鬼に変貌変容変節していったのかに向かい合おうと思う。歩みはゆっくりとだが確実に進める。急ぐ必要はない。
 
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by enzo_morinari | 2013-06-09 23:44 | 「未解決事件」を解読する。 | Trackback