カテゴリ:虹のコヨーテ( 9 )

虹のコヨーテ#6 森のひととの契約

 
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その者は森に降りそそぐ光の束の中心から現れた。森のひとだった。森のひとの額の中心には楢の葉の形をした淡い浅葱色のしるしがある。しるしは不規則に明滅を繰り返している。

森のひとは滑るようにビッグフェイス・ガジンが倒れている場所に向かう。森のひとはビッグフェイス・ガジンの頭の間際に経ち、威厳と慈愛を含んだ眼差しをビッグフェイス・ガジンに注ぐ。そして、ビッグフェイス・ガジンの胸郭あたりに手をかざした。

森のひとの手のひらから無数の淡い薄桃色をした光の粒が零れ落ちる。ビッグフェイス・ガジンの指がぴくりとする。ビッグフェイス・ガジンの骸のような肉体から半透明の人像のものが徐々に起き上がってくる。ルイスウェイン・キャットだった。

「やっと死ねるな」
「そうだ。それを望んでいた」
「弛緩した死だな。生ぬるい死。生きてきたとおりにおまえは死ぬというわけだ」

ルイスウェイン・キャットは言葉に詰まる。

「どうした? 図星で言葉もないか?」

ルイスウェイン・キャットは口惜しさをにじませてはいるが言葉もない。

「どうだ? ”森のひと”として生きてみる気はないか?」
「森のひと?」
「そうだ」

そのとき、初めてルイスウェイン・キャットは森のひとのほうに顔を向けた。

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「”森のひと”の仕事はなんだと思う?」
「わからない」
「掬い上げ、受け止め、包みこみ、そして救うことだ。世界中のすべての森とありとあらゆる命を」
「おれにできるとは思えない」
「できるかできないかの問題ではない。おまえにその意志があるかどうかだ」
「おれに意志なんかない。意志を持てるとも思えない」
「生まれ変わることはできない。しかし、少しずつ変わることはできる。さあ、契約だ」

森のひとの額の楢の葉のしるしが一層強く輝く。ルイスウェイン・キャットを射抜く。ルイスウェイン・キャットは眩しさに眼を細めた。細めた眼に外部外界との境目が曖昧になった森のひとのごく淡い桃色の輪郭が映った。

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by enzo_morinari | 2013-06-24 09:18 | 虹のコヨーテ | Trackback

虹のコヨーテ#5 死ぬ方法と死に場所と至高体験

 
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ビッグフェイス・ガジンことルイスウェイン・キャットは死の淵で経験した至高体験酷寒のミル・プラトーからの帰還に至る彼自身の物語を静かに語りはじめた。

深く湿った森をいくつも抜けながら、おれは「死ぬ方法」についてずっと考えつづけた。おれをここまで追いつめた者の貌が浮かんでは消えた。その声もはっきりと聴こえた。背後にはその者の気配がつねにあり、足音はすぐそばにまで迫っていた。
「はやくしろ。はやくするんだ。時間がない。おまえに残された時間はわずかだ」
野太い声だった。何人もの罪人に死を宣告し、執行し、葬ってきた者の声は魂の奥深くにまで届き、おれの魂をずたずたに切り裂く。

餓死。それがおれが選択した「死ぬ方法」だった。薬物の服用でもなく、首を吊るのでもなく、飛び降りるのでもなく、手首を切るのでもなく、「自由意思による餓死」だ。それはある意味では自然死にもっとも近い。
「死ぬ方法」は決まった。あとは「死に場所」だ。最後は眺めのいい場所で死にたい。美しい景色を眺めながら徐々に訪れる緩慢な死。それは罪深くも臆病だったおれを裁くのにもっともふさわしい。
原生林の森を視界のすべてに眺めることのできる場所でおれは足を止めた。素晴らしい眺めだった。
「ここにしよう。ここがおれの死に場所にふさわしい」
悔やまれるのは雲が原生林の森を押しつぶすように垂れ込めていることだった。しかし、これ以上を望むのは贅沢というものだ。おれは靴を脱ぎ、靴下を脱いだ。さらに、着ているものをすべて脱ぎ、丁寧に畳んだ。そしてすべてをひとつに積み重ね、最後に一番上に靴を置いた。
「これでいい。これで心置きなく死を迎えることができる。重要なのは整理され、認識され、メタファーを一切含まぬことだ。あとは座し、眼を瞑り、黙し、思考し、静かに死を迎えるだけだ」
その者の声も気配も足音も消えていた。おれは見納めにと雲の垂れ込める原生林の森に眼をやった。すると、にわかに巨大な雲の塊が二手にわかれはじめた。初めの数秒はゆっくりと動いていたふたつの雲の塊は、巨大で揺るぎのない意志の力による仕業としか思えぬような精緻明晰にして迅速な動きに変わった。左右にわかれた雲の塊は疾走するようにおれの視界から消え去っていった。そして、目映いばかりにあざやかなブナの原生林が全容を現した。深く息づいているようにもみえた。天空から巨大な光の束が原生林の森に降りそそいだ。
輝ける緑。眼も眩むような光景だった。おれは光に包まれた。あたたかく確かななにものかがおれの身体の中を突き抜け、駆けめぐり、跳躍し、跳梁した。全身がふるえ、戦慄いた。そして、おれは気を失った。
 
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by enzo_morinari | 2013-06-23 19:59 | 虹のコヨーテ | Trackback

虹のコヨーテ#4 ビッグフェイス・ガジンことルイスウェイン・キャット旅の隊列へ

 
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私はいつも自分のできないことをしている。そうすればいつかできるようになるからだ。 P-D-J-F-d-P-J-N-M-d-l-R-Ci-d-l-S-T-R-y-P


ルイスウェイン・キャットことビッグフェイス・ガジンが旅の隊列に加わったのは虹のコヨーテとの旅が始まってから17日目の真昼のことだ。ビッグフェイス・ガジンはトパンガ・ケイヨン・ロード沿いのさびれた食堂で山盛りのシーザーサラダと格闘しているところだった。山盛りのシーザーサラダは3皿あった。3皿の山盛りのシーザーサラダの中心には7UPのソーダ・ファウンテンが聳え立っている。
ビッグフェイス・ガジンはソーダ・ファウンテンのレバーを慣れた手つきで操って、ピッチャーサイズのジョッキにあふれるほどドクターペッパーを注ぐと一気に飲みはじめた。大きな喉仏が別の生き物のように動き、喉仏が動くたびにビッグフェイス・ガジンの口から「ブピャブピャ」という奇妙な音がした。私と虹のコヨーテがその様子を呆れて見ていたときだ。
「あんたらも飲むかい?」
そう言ってから、ビッグフェイス・ガジンはジョッキをチェス盤のような模様の床に叩きつけた。安普請の食堂が揺れた。「おれは1日にシーザー・サラダを42皿喰い、ドクターペッパーを42リットル飲む。自己療養のためにな」
虹のコヨーテはビッグフェイス・ガジンに足音さえ立てずに素早い動きで近寄り、左の頬に平手打ちを喰らわした。食堂の42枚あるガラスのすべてが震えた。
「しゃんとしろ!」
私のときとおなじだった。ビッグフェイス・ガジンは虹のコヨーテの手を両手で強く握りしめながら嗚咽を上げた。そして絞り出すように言った。
「やっと来てくれたんだな。やっと会えたんだな」
「そのとおりだ。ルイスウェイン・キャット」
虹のコヨーテのよく通る声が食堂中に響きわたった。客の全員が食事の手を止めた。
 
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by enzo_morinari | 2013-06-22 12:31 | 虹のコヨーテ | Trackback

虹のコヨーテ#3 大地のヘソ

 
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いい旅を。大地のヘソがいつもあなたがたとともにありますように。


虹のコヨーテとの旅が始まってから2週間が経つが、われわれがいったいどこに向かっているのかは虹のコヨーテ以外にはだれもわからなかった。あるいは、虹のコヨーテにも「旅の目的地」も「旅の意味」もわかっていないのかもしれないとも思えてくる。一度だけ虹のコヨーテにたずねたが言下に拒否された。
「おまえはあてのある旅を望んでいるのか? 目的地のある旅を。意味のある旅を。理由のある旅を。旅程表に縛られた旅を」
「どこを、なにを目指しているのかがわからなければ起こる困難と向かい合えません。心が折れてしまう」
「そんなことで折れてしまうような心ならとっとと捨ててアナグマにでも喰わしちまえ! そんなものはクソの役にも立たないガラクタだ。ガラクタ以下だ」

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虹のコヨーテの眼がつり上がり、強い光を放つ。「いいか? よく聴くんだ。あてや目的地や意味のある旅など本当の旅ではない。”本当の答え”は旅のさなかにみつかる。自分の眼と耳と心と魂でみつけるんだ。みつけなければならないのだ。おぼえておけ。そして、二度と旅の目的地や意味や理由をたずねるな。いいな?」
「わかりました」
本当はわかっていなかった。わかっていなかったが「わかった」と言わなければこの旅の隊列から外されるように思った。それはどうしても避けなければならない。虹のコヨーテの言う「本当の答え」がみつかるというのなら、この身をすべて委ねるしかない。おそらく、そのほかにはもう生き延びる道はないのだ。
虹のコヨーテとの旅が始まってから2週間。気がつけば、「現実世界」で生きていたときに抱えこんでいた諸々の厄介事が少しずつではあるけれども心の中から剥がれ落ちている。不意とアボリジニの戦士が別れ際に言った言葉が胸をよぎる。

「いい旅を。大地のヘソがいつもあなたがたとともにありますように」

大地のヘソとはなんだ?

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by enzo_morinari | 2013-06-20 03:30 | 虹のコヨーテ | Trackback

虹のコヨーテ

 
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いにしえの昔、ディネの男たちとアステカの民はコヨーテを「歌う犬」と呼び、いたずら好きの神として敬った。彼らはコヨーテが太陽と死と雷とたばこをもたらしたと信じて疑わなかった。


Who is the Coyote?
I already answered that question.
I am the Aimless Coyote.
Why am I aimless?
Beats me.

If I had a coherent answer,
I wouldn't be aimless, now would I?

Where?
Somewhere in JAPAN
Coyotes live most everywhere,
Even Tokyo City.
Coy is everywhere!

When?
About five minutes ago.
And in 1977.

Why?
Why not?
Because the internet needs
Another rambling website.
Don't you agree?



『虹のコヨーテ』のための若干の準備運動#1

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ディネの男
ディネの男は「水を汲んでくる」とだけ言い残してトパンガ・ムーンに行ったきり、帰ってこない。もう11年になる。彼の1958年型フォード・エドセルはガレージで埃をかぶったままだ。 バッテリーは溶けて跡形もないし、4本のタイヤはすべて空気が抜けてぺしゃんこなうえに乾いてひび割れ、エンジン・ルームは鼠どもの寝倉に変わり果てている。
11年のあいだ、月の美しい夜は月を見上げ、雨の日は雨粒を数え、風の強い日はディネの男の人なつこい笑顔を思いだした。そして、杯を傾けた。何杯も。そうだ。何杯も何杯もだ。そうとでもしなければやりすごせないほど風向きの悪い11年間だった。この11年間に関するかぎり、「風向きもいつかは変わる」というのは大うそだ。これっぽっちも変わってやしない。事態は悪くなるいっぽうのようにさえ思える。強い南風が吹きつける七里ヶ浜駐車場のレフト・サイドに丸一日立ちつくしたこともあるが、答えらしいものはなにひとつみつからなかった。答えは風の中なんかにはないんだ。きっと。
11年。多くの人々が通りすぎ、色々なものが壊れた。妻と飼犬の死。ビートニク・ガールの消滅とマッキントッシュMC275の経年劣化による引退。ベニー・グッドマン『Memories of You』のEP盤はスクラッチ・ノイズしか聴こえなくなった。40年以上も付き合いのある左の前歯は一昨日するりと抜け落ちた。
見上げた月とカウントした雨粒とかさねた杯はいったいどれくらいになるか。3年目の冬で数えるのはやめた。それでも、いつかディネの男と再会できる日がくると信じる。再会を待つ。再会の場所が炎のただ中であったとしても、私はけっして尻込みしない。ディネの男とともに炎の中心に立つ。 ディネの男との再会の日までに、目を背け、置き去りにしていたことどもと向かい合う勇気を取りもどそう。まだ遅くはない。まだ間に合う。まだ旅は終わっていない。まだ旅はつづく。まだ息をすることができる。
わが名は月で酔いどれるカタジュタの男。ホピとチェロキーとナバホの友人が一人ずついる。ディジュリドゥは楊枝がわりだ。トパンガ・ケイヨン・ロードは200mile/hでぶっ飛ばす! セヴンナップを1日に1ダース飲む!

ホカ・ヘイ! ヤタ・ヘイ! アヒェヒェ!


『虹のコヨーテ』のための若干の準備運動#2

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千年の記憶と縄文杉の孤独
空を見上げ、人生は流れる雲のようなものだとわかったとき、左の前歯がするりと抜けた。そして、森の奥からパット・メセニーの『TRAVELS』が聴こえてきた。背負っていた荷物をすべて放りだし、音のするほうへ、光のただ中へ向かって走った。森の奥、光の中心にそのひとはいた。森のひとだった。森のひとも左の前歯が抜け落ちていた。「やあ。ずっと待っていたよ」と森のひとは薪割りの手を休めて言った。森のひとのまわりに飛び散ったミズナラのかけらがかすかに明滅を繰り返している。

「千年生きた樹は土に還るのに千年かかる。なぜだと思う?」
森のひとは暖炉に薪をくべながら言った。
「新しい命を千年かけて育てるため」
「半分正解」
「残りの半分は?」
「千年分の記憶を反芻するためさ。千年かけて朽ち果てながらね。反芻するたびに世界中の樹木たちの痛みは癒される。そして、癒し終えたあと、跡形もなく消える」
「ということは、世界で一番孤独なのは縄文杉だ」
薪が大きな音を立てて爆ぜた。

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カリブーはなぜ殺されたか?
厳粛な綱渡りを終えてすぐに死滅する鯨の背に乗って持続する志河を渡る。持続する志河にはカリブーの憤怒の血が流れている。雄々しきツノは無惨にへし折られ、森の息吹と冷気をたっぷりと吸い込んだ毛皮は軽々と剥がされ、鞣され、流通する。冷徹な経済原理はカリブーたちの日々の困難と誇りにはいっさい無頓着である。ガリアの地で英雄を驚嘆させ、讃えられた誇り高き森の王も、いまや追い立てられ、撃ち抜かれ、打ち捨てられる。
カリブーはなぜ殺されるのか?カリブーは快楽のために殺戮される。聖なる日がやってくるたび、思い知るがいい。赤いのはトナカイの鼻ではなく、人間獣の血塗られた手であることを。

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憤怒の河を渡るバッファローの群れ
幻の巨大野牛を殺戮することに飽きた白い者=人間獣どもは次に誇り高き者たちを飢餓に追いこむ卑劣に取りかかった。農耕という名の堕落を潔しとしない誇り高き者たちは白い者どもとの徹底抗戦の道を選んだが、文明という名の野蛮はやすやすと誇り高き者たちを滅ぼした。誇り高き者たちのほとんどが酒に溺れ、白い者に飼いならされ、自分たちの先祖が自然との長い格闘と共生の中から育んだ智慧の樹を伐りたおし、打ち捨てた。彼らにはもう慈雨は降らない。幻の巨大野牛の頭蓋の粉末が降りそそぐのみである。だが、幻の巨大野牛の頭蓋の山の頂から新しい幻の野牛が誕生し、山を駆けおり、群れをなして憤怒の河を渡ろうとしている。彼らの眼を見よ。憤怒と憎悪の炎が燃えている。彼らの雄叫びを聴け。呪いの言葉に満ち満ちている。

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溶ける魚たちが蝟集する磁場としてのシュルレアリスム、あるいはダダイストの呪詛におののくダリ
いまにも指の間から滑り落ちそうなレモン色の平行四辺形によって切り取られた夕暮れの薄暗がりから貌をのぞかせたアンドレ・ブルトンは、浅葱色をした隠喩の法衣を無惨にも剥ぎ取られ、溶け出したベーコンに接吻を捧げている。彼の唇の右端にはフォークが突き刺さっていて、傷口からは蝙蝠傘色のミシンのミニアチュアが無限に吹き出してくる。フォークの持ち手部分に刻印された「その者の魚」が胸びれを痙攣させると、それまでじっと沈黙していたニンフのひとりは静かに瞼を閉じた。そして、ついに世界は『最後の晩餐』に巧妙に隠蔽された鎮魂歌で満たされる。もちろん、この事態に興味を抱く者などサルヴァドール・ドミンゴ・フェリペ・ハシント・ダリ・ドメネクのほかにいるはずもない。

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さて、ミトコンドリア・サーカス団の花形スターとして一世を風靡したサルヴァドール・ドミンゴ・フェリペ・ハシント・ダリ・ドメネクであったが、いまやヤヌスグリーンの庭師に身をやつしてしまった。マトリックス世界の盟主であるクリステの襞の形状に魅入られ、日々をクレブス・ラビリンス造りに費やしている。これは彼にとってはアポトーシスの過程のひとつであって、何者にも止めることはできない。

Quod Erat Faciendum.

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ウルルにかかる虹の麓から走りくるもの、旅のはじまり
ウルルにかかる虹の麓から七色のコヨーテはやってきた。私を見すえて突っ走ってくるコヨーテの姿は秋の初めの陽の光をうけて輝き、美しかった。
虹とウルルと七色のコヨーテ。
私は胸のふるえを抑えられず、その場にへたりこんだ。気を取りなおし、IMAGE MONSTER 2.0を組み込んだEOS 7Dをかまえて七色のコヨーテに向ける。同時に七色のコヨーテは私に飛びかかり、私をがっしりと抑えつけた。指一本動かせなかった。七色のコヨーテの筋肉の動きのひとつひとつが伝わってきた。私は「ああ、これでやっと死ねる、腐った世界とおさらばできる」とうれしくなった。小躍りしたかった。だが、ことはそう簡単にはいかなかった。
「まだ、当分、死なせるわけにはいかねえよ。おれは虹のコヨーテ。これからおまえと旅をする」
七色のコヨーテが嗄れた声で言った。そして、私の左頬を右前脚で叩き、「しゃんとしろ!」と怒鳴った。怒鳴ったけれども、なにかしらあたたかみとなつかしさのある言葉だった。私はうれしくて泣きだしそうだった。「さあ、出発だ」と七色のコヨーテがうながす。私と七色のコヨーテはならんで歩き出した。奇妙な旅のはじまりだった。

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TONY LAMAその他の完全性
「その姿では旅は難しいんじゃないだろうか?」
私は虹のコヨーテにたずねた。虹のコヨーテは少し目を細め、ウルルにかかる虹を見ていたがやや間を置いてからゆっくりと顔をこちらに向け、言った。
「おまえたち人間がだめなのは物事の本質を見極められないことだ」
虹のコヨーテの言うとおりだ。だが、いまの問題はコヨーテの姿のままではバスにも列車にも乗れないし、食堂にすら入れないということだった。私が思ったとたんに虹のコヨーテが言った。
「そんなことは先刻承知だ」
私が足元に転がっている奇妙なかたちの石ころに目をやった一瞬の隙に虹のコヨーテの姿は精悍な若者に変わっていた。虹のコヨーテの瞳はトスカーナの海のように深いブルーで、見つめられるとどきどきした。虹のコヨーテが穿いているジーンズはラングラーのカウボーイ・カット13MWZだった。腰には5万ドルはしそうな R.W. ラブレスのカスタムメイド・ナイフが光っている。ビッグ・マックのネルシャツにはGERRYのあざやかな赤のダウン・ベストをあわせていた。ビッグ・マックのネルシャツはとがった襟の形状から1970年代初期のものであることがわかる。帽子はステットソン社製の黒のカウボーイ・ハット、Diamante 1000Xだ。ビーバーヘアにチンチラの毛がブレンドされている。カウボーイ・ハットの名品中の名品。TONY LAMAのウエスタンブーツ CY825 CHOCOLATE LIZARD はまぶしいくらいにピカピカで、ウロコの一枚がときどき私にウィンクをしてきた。私もウィンクを返したがみごとに無視された。
「あんたのような愚か者にウィンクされたってだれも喜びゃしない。あきらめな」と虹のコヨーテは手きびしいジャブを放ってきた。だが、やはり虹のコヨーテの言うとおりだった。さらに驚いたことには彼のかたわらには使い込んであちこちニスの剥げたマーティンD28が置かれていた。つまり、虹のコヨーテは完璧だった。一分の隙もないのだ。私は自分が穿いているくたびれ果てたリーヴァイスの501をその場に脱ぎ捨て、火をつけてしまいたかった。

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導きと「そのものたち」と月の羊
「精霊と宇宙を支配する巨大な意志の力の導きがはじまったんだ」
虹のコヨーテがグレープフルーツ・ムーンを見上げながら言った。虹のコヨーテのからだが目映く輝きだす。遠くから地鳴りのような音がゆっくりと近づいてくる。
「くるぞ」
虹のコヨーテが低く唸る。月の光に照らされて私にもやっと「そのものたち」の正体がわかった。「そのものたち」は青白く輝く無数のバッファローの群れだった。群れの先頭にはひときわ強い輝きを放つ羊がいた。禍々しく巨大なツノを持つスコティッシュ・ブラックフェイスだ。邪悪な羊が巨大なツノを振り立て、滑るように虹のコヨーテに近づいてくる。禍々しく巨大なツノは憎悪の塊ともみえる。羊は速度を増しながら目の前に迫る。周囲にいやな臭いが立ちこめる。月の羊はツノを一段と下げて虹のコヨーテの胸のあたりに突き立てる。虹のコヨーテは俊敏な動きで月の羊の攻撃をかわすと喉元に食らいついた。絹の布を引き裂くような鋭い音がして月の羊の喉から鮮血が吹き出した。血はみるみる大地を染め、月の羊は息絶えた。月の羊の死とともにバッファローたちは地響きを立て土煙を巻き上げながら走り去った。あとには深い闇と虹のコヨーテの息づかいだけが残った。

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月の羊の死、神の幻影
虹のコヨーテは月の羊のツノの一撃をうけ、胸のあたりに深手を負ったようだった。傷口から血が滴っている。虹のコヨーテは身を横たえ、傷口をなめつづける。出血はやみ、傷はみるみる小さくなり、ついには跡形もなく消えた。虹のコヨーテは顔を両前脚のあいだにうずめ、眼をとじた。しばしの休息に入ったようだった。虹のコヨーテのやすらかな寝息を子守唄がわりに私も眠ろうしたが気持ちの昂りはなかなかおさまらない。仰向けに横たわり、夜空を見上げる。ウルルの真上に月がかかっている。かたわらの巨大なハシラサボテンのカルネギア・ギガンテアが月光を受け、かすかに揺れている。やっと、深い眠りがやってきた。

「私もいっしょに連れていってくれませんか。200年のあいだ、ずっとあなたたちを待っていたんです」
私と虹のコヨーテが出発の準備をおえたとき、月の光を浴びて踊っていたカルネギア・ギガンテアが口をひらいた。カルネギア・ギガンテアの右の腕にとまっているサボテンミソサザイがうれしそうに羽根をふるわせている。虹のコヨーテがもどかしそうにカルネギア・ギガンテアを見つめていることに私は気づいていたが、そのとき、私はやっと理解した。虹のコヨーテはカルネギア・ギガンテアを旅に誘っていたのだということを。
「いいよ。はやく支度しな」と虹のコヨーテは満足そうな表情をみせて言った。「ところで、あんたの名は?」
「人間は私を”神のペヨーテ”と呼びます」
カルネギア・ギガンテアが答えると、虹のコヨーテは満足げに足を踏み鳴らした。グレープフルーツ・ムーンは高く遠く静かに私たちを照らしている。

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12人の戦士、ディジュリドゥ、カタ ジュタへ
「カタ ジュタを目指す。途中、アボリジニの戦士と会う。くれぐれも無礼無作法のないようにな。かれらはディネの男たちとならんで、宇宙でもっとも誇り高い人々だから」
虹のコヨーテは噛んで含めるように私と神のペヨーテに言った。私と神のペヨーテは黙ってうなずいた。
ウルルを出発してすぐにアボリジニ戦士の一団に遭遇した。12人のパックのナイフの切っ先のように鋭い24個の眼光がいっせいに我々を射抜いた。虹のコヨーテでさえ唇をふるわせたほどだ。それくらいアボリジニ戦士の眼光は鋭く、威厳に満ちていた。虹のコヨーテが彼らに駆けより、なにごとか話しかけると、彼らの表情からみるみる敵意が消え去り、親和的でおだやかな空気が辺りを満たした。

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「いい旅を。大地のヘソがいつもあなたがたとともにありますように」
別れぎわ、アボリジニ戦士のリーダーは言い、虹のコヨーテにディジュリドゥ、大地の管を手渡した。かわりに虹のコヨーテはマーティンD28を差し出したが、戦士はけっして受け取とろうとしなかった。姿が見えなくなっても、戦士たちがはなむけがわりに奏でるディジュリドゥの唸るような音はいつまでも聴こえていた。赤茶けた大地を通しておおらかで逞しい力が注ぎこまれるように感じられた。大地を踏みしめるたびに力が漲ってきて、このまま冥王星までも走りつづけられるとさえ思う。彼方のカタ ジュタに真っ黒で不思議なかたちをした雲が近づいている。

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砂嵐、石をみつめる少女、長い夜のはじまり、小さな焚火を囲んで
巨大な砂嵐がわれわれの背後に迫っていた。
「厄介なことになったな」
虹のコヨーテが言うと、私と神のペヨーテは顔を見合わせ、手を握りあった。神のペヨーテの棘が刺さって痛かったが我慢した。
「あのブッシュの先の岩かげに避難しよう。このダスト・ボウルは尋常ではない。とてつもない悪意と憎悪を感じる」
虹のコヨーテは言うと、駆け出した。私と神のペヨーテもあとにつづいた。そして、岩かげにうずくまる美しい少女に遭遇した。ブルー・サファイアの化身、石をみつめる少女だった。岩の裂け目に逃げ込むと同時に猛烈な風と砂つぶてが襲ってきた。そして、長い夜がはじまった。
焚火の炎は静かに燃えつづけた。虹のコヨーテ、神のペヨーテ、石をみつめる少女、そして私は小さな焚火を囲み、弱々しい炎をしばらくみつめた。そのときばかりは石をみつめる少女も石をみつめるのをやめ、炎に見入っていた。薪をくべるのは私の役目だ。神のペヨーテが虚空に腕を伸ばす。呪文を唱えながら小刻みに掌を動かすとひと塊のペヨーテを出現させた。そして、それをわれわれに分け与えた。神のペヨーテがペヨーテローの役回りを買ってでた。神のペヨーテはうってつけのペヨーテロー、トリップ・シッターだった。
虹のコヨーテは饒舌だった。マーティンD28を爪弾きながら、さまざまなことを語った。雲ひとつない満天の星空とグレープフルーツ・ムーンと虹のコヨーテの歌と語りとマーティンD28のゴビ砂漠の砂のように乾いた音。それらは絶好のセッティングとなった。
「アボリジニの戦士になにを言ったのですか?」
私はずっと気になっていたことをたずねた。虹のコヨーテはにやりとし、ニール・ヤングの『収穫の月』のメロディをアルペジオで奏でながら言った。
「ウルルで立ち小便をしていた人間どもをたっぷり懲らしめてやった。だが、仕返しに追われている。力を貸してくれ。そう言ったんだ」
「うそを?」
「まあな。ときにはうそも役に立つ。使いどころをあやまらなければの話しだがな」
虹のコヨーテはそう言って、おどけた表情をみせ、ウィンクした。私もウィンクしようとしたが、うまく瞼が動かなかった。トリップがはじまりかけていたのだ。
「わたしはブルー・サファイアの化身なの。世界中のブルー・サファイアはわたしの心の中から生まれるんだよ。いまも、カシミールの山奥で矢車草の花の色をしたブルー・サファイアがひとつ生まれたところよ」
石をみつめる少女が話し終えると焚火の薪の1本が大きな音を立ててはぜた。
「ちっちゃな青い粒がこれから何億年何十億年をかけて立派なブルー・サファイアになってゆくの。すごくすてきでしょう?」
「きみはいつからブルー・サファイアの化身になったんだい?」
『Hotel California』のイントロを爪弾いていた虹のコヨーテが手を止めて尋ねた。
「宇宙創世のときから」
石をみつめる少女の全身が青白く輝きだし、あたり一面が青く染まった。


耳のうしろに不思議な力を持つ石を挟む男と青空の月と緑色のターコイズ

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ホピの長老耳のうしろに不思議な力を持つ石を挟む男は赤茶けた岩に座ってしきりにいくつも渦巻き模様のある巨大なグリーン・ターコイズをこすりながら言った。
「おまえがいったい何者なのか、生まれてから今まで何をしてきたのかに興味はない。興味があるのは、おまえがわたしと”炎の中心”に立って尻込みしない男かどうかだけだ」
私は言葉もなかった。長老はつづけた。
「いついかなるときにも質素な身なりをして、何者にも腕をつかませず、自分のための物は持つな。つねに弱き者を助け、貧しき者に分け与える者であれ」
私は涙が止まらなかった。見ると、長老も泣いている。私の視線と長老の視線が音を立ててぶつかり合い、翡翠色の火花を散らした。まわりにいたホピの若者たちがバネ仕掛けのおもちゃのような動きで一斉に跳びのいた。
「おまえの涙はなんの涙だ? だれのために流している涙だ?」
「よろこびの涙です」
「よろこびの涙は自分のための涙だ。これからは一滴たりとも自分のための涙を流してはいけない。そして、自分以外の者のために泣け。いいな?」
「わかりました」

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私のうしろにうずくまって息をひそめていた虹のコヨーテが立ち上がり、長老の座っている赤茶けた岩に駆け上がった。そして、真っ青な空の中心にある月に向かってそれまでに耳にしたこともない美しく強く悲しげな遠吠えをした。長老とホピの人々も虹のコヨーテとおなじように天空の月に向かって声をあげた。カルネギア・ギガンテアとサボテンミソサザイと石をみつめる少女も。そして、私も。

ホカ・ヘイ! ヤタ・ヘイ! アヒェヒェ!


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いい旅を。大地のヘソがいつもあなたがたとともにありますように。


虹のコヨーテとの旅が始まってから2週間が経つが、われわれがいったいどこに向かっているのかは虹のコヨーテ以外にはだれもわからなかった。あるいは、虹のコヨーテにも「旅の目的地」も「旅の意味」もわかっていないのかもしれないとも思えてくる。一度だけ虹のコヨーテにたずねたが言下に拒否された。
「おまえはあてのある旅を望んでいるのか? 目的地のある旅を。意味のある旅を。理由のある旅を。旅程表に縛られた旅を」
「どこを、なにを目指しているのかがわからなければ起こる困難と向かい合えません。心が折れてしまう」
「そんなことで折れてしまうような心ならとっとと捨ててアナグマにでも喰わしちまえ! そんなものはクソの役にも立たないガラクタだ。ガラクタ以下だ」

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虹のコヨーテの眼がつり上がり、強い光を放つ。「いいか? よく聴くんだ。あてや目的地や意味のある旅など本当の旅ではない。”本当の答え”は旅のさなかにみつかる。自分の眼と耳と心と魂でみつけるんだ。みつけなければならないのだ。おぼえておけ。そして、二度と旅の目的地や意味や理由をたずねるな。いいな?」
「わかりました」
本当はわかっていなかった。わかっていなかったが「わかった」と言わなければこの旅の隊列から外されるように思った。それはどうしても避けなければならない。虹のコヨーテの言う「本当の答え」がみつかるというのなら、この身をすべて委ねるしかない。おそらく、そのほかにはもう生き延びる道はないのだ。
虹のコヨーテとの旅が始まってから2週間。気がつけば、「現実世界」で生きていたときに抱えこんでいた諸々の厄介事が少しずつではあるけれども心の中から剥がれ落ちている。不意とアボリジニの戦士が別れ際に言った言葉が胸をよぎる。

「いい旅を。大地のヘソがいつもあなたがたとともにありますように」

大地のヘソとはなんだ?

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by enzo_morinari | 2013-06-13 02:39 | 虹のコヨーテ | Trackback

虹のコヨーテ#2

 
耳のうしろに不思議な力を持つ石を挟む男と青空の月と緑色のターコイズ

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ホピの長老耳のうしろに不思議な力を持つ石を挟む男は赤茶けた岩に座ってしきりにいくつも渦巻き模様のある巨大なグリーン・ターコイズをこすりながら言った。
「おまえがいったい何者なのか、生まれてから今まで何をしてきたのかに興味はない。興味があるのは、おまえがわたしと”炎の中心”に立って尻込みしない男かどうかだけだ」
私は言葉もなかった。長老はつづけた。
「いついかなるときにも質素な身なりをして、何者にも腕をつかませず、自分のための物は持つな。つねに弱き者を助け、貧しき者に分け与える者であれ」
私は涙が止まらなかった。見ると、長老も泣いている。私の視線と長老の視線が音を立ててぶつかり合い、翡翠色の火花を散らした。まわりにいたホピの若者たちがバネ仕掛けのおもちゃのような動きで一斉に跳びのいた。
「おまえの涙はなんの涙だ? だれのために流している涙だ?」
「よろこびの涙です」
「よろこびの涙は自分のための涙だ。これからは一滴たりとも自分のための涙を流してはいけない。そして、自分以外の者のために泣け。いいな?」
「わかりました」

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私のうしろにうずくまって息をひそめていた虹のコヨーテが立ち上がり、長老の座っている赤茶けた岩に駆け上がった。そして、真っ青な空の中心にある月に向かってそれまでに耳にしたこともない美しく強く悲しげな遠吠えをした。長老とホピの人々も虹のコヨーテとおなじように天空の月に向かって声をあげた。カルネギア・ギガンテアとサボテンミソサザイと石をみつめる少女も。そして、私も。

ホカ・ヘイ! ヤタ・ヘイ! アヒェヒェ!
 
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by enzo_morinari | 2013-01-24 18:27 | 虹のコヨーテ | Trackback

虹のコヨーテ#1

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いにしえの昔、ディネの男たちとアステカの民はコヨーテを「歌う犬」と呼び、いたずら好きの神として敬った。彼らはコヨーテが太陽と死と雷とたばこをもたらしたと信じて疑わなかった。


Who is the Coyote?
I already answered that question.
I am the Aimless Coyote.
Why am I aimless?
Beats me.

If I had a coherent answer,
I wouldn't be aimless, now would I?

Where?
Somewhere in JAPAN
Coyotes live most everywhere,
Even Tokyo City.
Coy is everywhere!

When?
About five minutes ago.
And in 1977.

Why?
Why not?
Because the internet needs
Another rambling website.
Don't you agree?
If you don't agree,
Hungry Coyote angry.



『虹のコヨーテ』のための若干の準備運動#1

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ディネの男
ディネの男は「水を汲んでくる」とだけ言い残してトパンガ・ムーンに行ったきり、帰ってこない。もう11年になる。彼の1958年型フォード・エドセルはガレージで埃をかぶったままだ。 バッテリーは溶けて跡形もないし、4本のタイヤはすべて空気が抜けてぺしゃんこなうえに乾いてひび割れ、エンジン・ルームは鼠どもの寝倉に変わり果てている。
11年のあいだ、月の美しい夜は月を見上げ、雨の日は雨粒を数え、風の強い日はディネの男の人なつこい笑顔を思いだした。そして、杯を傾けた。何杯も。そうだ。何杯も何杯もだ。そうとでもしなければやりすごせないほど風向きの悪い11年間だった。この11年間に関するかぎり、「風向きもいつかは変わる」というのは大うそだ。これっぽっちも変わってやしない。事態は悪くなるいっぽうのようにさえ思える。強い南風が吹きつける七里ヶ浜駐車場のレフト・サイドに丸一日立ちつくしたこともあるが、答えらしいものはなにひとつみつからなかった。答えは風の中なんかにはないんだ。きっと。
11年。多くの人々が通りすぎ、色々なものが壊れた。妻と飼犬の死。ビートニク・ガールの消滅とマッキントッシュMC275の経年劣化による引退。ベニー・グッドマン『Memories of You』のEP盤はスクラッチ・ノイズしか聴こえなくなった。40年以上も付き合いのある左の前歯は一昨日するりと抜け落ちた。
見上げた月とカウントした雨粒とかさねた杯はいったいどれくらいになるか。3年目の冬で数えるのはやめた。それでも、いつかディネの男と再会できる日がくると信じる。再会を待つ。再会の場所が炎のただ中であったとしても、私はけっして尻込みしない。ディネの男とともに炎の中心に立つ。 ディネの男との再会の日までに、目を背け、置き去りにしていたことどもと向かい合う勇気を取りもどそう。まだ遅くはない。まだ間に合う。まだ旅は終わっていない。まだ旅はつづく。まだ息をすることができる。
わが名は月で酔いどれるカタジュタの男。ホピとチェロキーとナバホの友人が一人ずついる。ディジュリドゥは楊枝がわりだ。トパンガ・ケイヨン・ロードは200mile/hでぶっ飛ばす! セヴンナップを1日に1ダース飲む!

ホカ・ヘイ! ヤタ・ヘイ! アヒェヒェ!


『虹のコヨーテ』のための若干の準備運動#2

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千年の記憶と縄文杉の孤独
空を見上げ、人生は流れる雲のようなものだとわかったとき、左の前歯がするりと抜けた。そして、森の奥からパット・メセニーの『TRAVELS』が聴こえてきた。背負っていた荷物をすべて放りだし、音のするほうへ、光のただ中へ向かって走った。森の奥、光の中心にそのひとはいた。森のひとだった。森のひとも左の前歯が抜け落ちていた。「やあ。ずっと待っていたよ」と森のひとは薪割りの手を休めて言った。森のひとのまわりに飛び散ったミズナラのかけらがかすかに明滅を繰り返している。

「千年生きた樹は土に還るのに千年かかる。なぜだと思う?」
森のひとは暖炉に薪をくべながら言った。
「新しい命を千年かけて育てるため」
「半分正解」
「残りの半分は?」
「千年分の記憶を反芻するためさ。千年かけて朽ち果てながらね。反芻するたびに世界中の樹木たちの痛みは癒される。そして、癒し終えたあと、跡形もなく消える」
「ということは、世界で一番孤独なのは縄文杉だ」
薪が大きな音を立てて爆ぜた。

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カリブーはなぜ殺されたか?
厳粛な綱渡りを終えてすぐに死滅する鯨の背に乗って持続する志河を渡る。持続する志河にはカリブーの憤怒の血が流れている。雄々しきツノは無惨にへし折られ、森の息吹と冷気をたっぷりと吸い込んだ毛皮は軽々と剥がされ、鞣され、流通する。冷徹な経済原理はカリブーたちの日々の困難と誇りにはいっさい無頓着である。ガリアの地で英雄を驚嘆させ、讃えられた誇り高き森の王も、いまや追い立てられ、撃ち抜かれ、打ち捨てられる。
カリブーはなぜ殺されるのか?カリブーは快楽のために殺戮される。聖なる日がやってくるたび、思い知るがいい。赤いのはトナカイの鼻ではなく、人間獣の血塗られた手であることを。

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憤怒の河を渡るバッファローの群れ
幻の巨大野牛を殺戮することに飽きた白い者=人間獣どもは次に誇り高き者たちを飢餓に追いこむ卑劣に取りかかった。農耕という名の堕落を潔しとしない誇り高き者たちは白い者どもとの徹底抗戦の道を選んだが、文明という名の野蛮はやすやすと誇り高き者たちを滅ぼした。誇り高き者たちのほとんどが酒に溺れ、白い者に飼いならされ、自分たちの先祖が自然との長い格闘と共生の中から育んだ智慧の樹を伐りたおし、打ち捨てた。彼らにはもう慈雨は降らない。幻の巨大野牛の頭蓋の粉末が降りそそぐのみである。だが、幻の巨大野牛の頭蓋の山の頂から新しい幻の野牛が誕生し、山を駆けおり、群れをなして憤怒の河を渡ろうとしている。彼らの眼を見よ。憤怒と憎悪の炎が燃えている。彼らの雄叫びを聴け。呪いの言葉に満ち満ちている。

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溶ける魚たちが蝟集する磁場としてのシュルレアリスム、あるいはダダイストの呪詛におののくダリ
いまにも指の間から滑り落ちそうなレモン色の平行四辺形によって切り取られた夕暮れの薄暗がりから貌をのぞかせたアンドレ・ブルトンは、浅葱色をした隠喩の法衣を無惨にも剥ぎ取られ、溶け出したベーコンに接吻を捧げている。彼の唇の右端にはフォークが突き刺さっていて、傷口からは蝙蝠傘色のミシンのミニアチュアが無限に吹き出してくる。フォークの持ち手部分に刻印された「その者の魚」が胸びれを痙攣させると、それまでじっと沈黙していたニンフのひとりは静かに瞼を閉じた。そして、ついに世界は『最後の晩餐』に巧妙に隠蔽された鎮魂歌で満たされる。もちろん、この事態に興味を抱く者などサルヴァドール・ドミンゴ・フェリペ・ハシント・ダリ・ドメネクのほかにいるはずもない。

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さて、ミトコンドリア・サーカス団の花形スターとして一世を風靡したサルヴァドール・ドミンゴ・フェリペ・ハシント・ダリ・ドメネクであったが、いまやヤヌスグリーンの庭師に身をやつしてしまった。マトリックス世界の盟主であるクリステの襞の形状に魅入られ、日々をクレブス・ラビリンス造りに費やしている。これは彼にとってはアポトーシスの過程のひとつであって、何者にも止めることはできない。

Quod Erat Faciendum.

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ウルルにかかる虹の麓から走りくるもの、旅のはじまり
ウルルにかかる虹の麓から七色のコヨーテはやってきた。私を見すえて突っ走ってくるコヨーテの姿は秋の初めの陽の光をうけて輝き、美しかった。
虹とウルルと七色のコヨーテ。
私は胸のふるえを抑えられず、その場にへたりこんだ。気を取りなおし、IMAGE MONSTER 2.0を組み込んだEOS 7Dをかまえて七色のコヨーテに向ける。同時に七色のコヨーテは私に飛びかかり、私をがっしりと抑えつけた。指一本動かせなかった。七色のコヨーテの筋肉の動きのひとつひとつが伝わってきた。私は「ああ、これでやっと死ねる、腐った世界とおさらばできる」とうれしくなった。小躍りしたかった。だが、ことはそう簡単にはいかなかった。
「まだ、当分、死なせるわけにはいかねえよ。おれは虹のコヨーテ。これからおまえと旅をする」
七色のコヨーテが嗄れた声で言った。そして、私の左頬を右前脚で叩き、「しゃんとしろ!」と怒鳴った。怒鳴ったけれども、なにかしらあたたかみとなつかしさのある言葉だった。私はうれしくて泣きだしそうだった。「さあ、出発だ」と七色のコヨーテがうながす。私と七色のコヨーテはならんで歩き出した。奇妙な旅のはじまりだった。

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TONY LAMAその他の完全性
「その姿では旅は難しいんじゃないだろうか?」
私は虹のコヨーテにたずねた。虹のコヨーテは少し目を細め、ウルルにかかる虹を見ていたがやや間を置いてからゆっくりと顔をこちらに向け、言った。
「おまえたち人間がだめなのは物事の本質を見極められないことだ」
虹のコヨーテの言うとおりだ。だが、いまの問題はコヨーテの姿のままではバスにも列車にも乗れないし、食堂にすら入れないということだった。私が思ったとたんに虹のコヨーテが言った。
「そんなことは先刻承知だ」
私が足元に転がっている奇妙なかたちの石ころに目をやった一瞬の隙に虹のコヨーテの姿は精悍な若者に変わっていた。虹のコヨーテの瞳はトスカーナの海のように深いブルーで、見つめられるとどきどきした。虹のコヨーテが穿いているジーンズはラングラーのカウボーイ・カット13MWZだった。腰には5万ドルはしそうな R.W. ラブレスのカスタムメイド・ナイフが光っている。ビッグ・マックのネルシャツにはGERRYのあざやかな赤のダウン・ベストをあわせていた。ビッグ・マックのネルシャツはとがった襟の形状から1970年代初期のものであることがわかる。帽子はステットソン社製の黒のカウボーイ・ハット、Diamante 1000Xだ。ビーバーヘアにチンチラの毛がブレンドされている。カウボーイ・ハットの名品中の名品。TONY LAMAのウエスタンブーツ CY825 CHOCOLATE LIZARD はまぶしいくらいにピカピカで、ウロコの一枚がときどき私にウィンクをしてきた。私もウィンクを返したがみごとに無視された。
「あんたのような愚か者にウィンクされたってだれも喜びゃしない。あきらめな」と虹のコヨーテは手きびしいジャブを放ってきた。だが、やはり虹のコヨーテの言うとおりだった。さらに驚いたことには彼のかたわらには使い込んであちこちニスの剥げたマーティンD28が置かれていた。つまり、虹のコヨーテは完璧だった。一分の隙もないのだ。私は自分が穿いているくたびれ果てたリーヴァイスの501をその場に脱ぎ捨て、火をつけてしまいたかった。

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導きと「そのものたち」と月の羊
「精霊と宇宙を支配する巨大な意志の力の導きがはじまったんだ」
虹のコヨーテがグレープフルーツ・ムーンを見上げながら言った。虹のコヨーテのからだが目映く輝きだす。遠くから地鳴りのような音がゆっくりと近づいてくる。
「くるぞ」
虹のコヨーテが低く唸る。月の光に照らされて私にもやっと「そのものたち」の正体がわかった。「そのものたち」は青白く輝く無数のバッファローの群れだった。群れの先頭にはひときわ強い輝きを放つ羊がいた。禍々しく巨大なツノを持つスコティッシュ・ブラックフェイスだ。邪悪な羊が巨大なツノを振り立て、滑るように虹のコヨーテに近づいてくる。禍々しく巨大なツノは憎悪の塊ともみえる。羊は速度を増しながら目の前に迫る。周囲にいやな臭いが立ちこめる。月の羊はツノを一段と下げて虹のコヨーテの胸のあたりに突き立てる。虹のコヨーテは俊敏な動きで月の羊の攻撃をかわすと喉元に食らいついた。絹の布を引き裂くような鋭い音がして月の羊の喉から鮮血が吹き出した。血はみるみる大地を染め、月の羊は息絶えた。月の羊の死とともにバッファローたちは地響きを立て土煙を巻き上げながら走り去った。あとには深い闇と虹のコヨーテの息づかいだけが残った。

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月の羊の死、神の幻影
虹のコヨーテは月の羊のツノの一撃をうけ、胸のあたりに深手を負ったようだった。傷口から血が滴っている。虹のコヨーテは身を横たえ、傷口をなめつづける。出血はやみ、傷はみるみる小さくなり、ついには跡形もなく消えた。虹のコヨーテは顔を両前脚のあいだにうずめ、眼をとじた。しばしの休息に入ったようだった。虹のコヨーテのやすらかな寝息を子守唄がわりに私も眠ろうしたが気持ちの昂りはなかなかおさまらない。仰向けに横たわり、夜空を見上げる。ウルルの真上に月がかかっている。かたわらの巨大なハシラサボテンのカルネギア・ギガンテアが月光を受け、かすかに揺れている。やっと、深い眠りがやってきた。

「私もいっしょに連れていってくれませんか。200年のあいだ、ずっとあなたたちを待っていたんです」
私と虹のコヨーテが出発の準備をおえたとき、月の光を浴びて踊っていたカルネギア・ギガンテアが口をひらいた。カルネギア・ギガンテアの右の腕にとまっているサボテンミソサザイがうれしそうに羽根をふるわせている。虹のコヨーテがもどかしそうにカルネギア・ギガンテアを見つめていることに私は気づいていたが、そのとき、私はやっと理解した。虹のコヨーテはカルネギア・ギガンテアを旅に誘っていたのだということを。
「いいよ。はやく支度しな」と虹のコヨーテは満足そうな表情をみせて言った。「ところで、あんたの名は?」
「人間は私を”神のペヨーテ”と呼びます」
カルネギア・ギガンテアが答えると、虹のコヨーテは満足げに足を踏み鳴らした。グレープフルーツ・ムーンは高く遠く静かに私たちを照らしている。

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12人の戦士、ディジュリドゥ、カタ ジュタへ
「カタ ジュタを目指す。途中、アボリジニの戦士と会う。くれぐれも無礼無作法のないようにな。かれらはディネの男たちとならんで、宇宙でもっとも誇り高い人々だから」
虹のコヨーテは噛んで含めるように私と神のペヨーテに言った。私と神のペヨーテは黙ってうなずいた。
ウルルを出発してすぐにアボリジニ戦士の一団に遭遇した。12人のパックのナイフの切っ先のように鋭い24個の眼光がいっせいに我々を射抜いた。虹のコヨーテでさえ唇をふるわせたほどだ。それくらいアボリジニ戦士の眼光は鋭く、威厳に満ちていた。虹のコヨーテが彼らに駆けより、なにごとか話しかけると、彼らの表情からみるみる敵意が消え去り、親和的でおだやかな空気が辺りを満たした。

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「いい旅を。大地のヘソがいつもあなたがたとともにありますように」
別れぎわ、アボリジニ戦士のリーダーは言い、虹のコヨーテにディジュリドゥ、大地の管を手渡した。かわりに虹のコヨーテはマーティンD28を差し出したが、戦士はけっして受け取とろうとしなかった。姿が見えなくなっても、戦士たちがはなむけがわりに奏でるディジュリドゥの唸るような音はいつまでも聴こえていた。赤茶けた大地を通しておおらかで逞しい力が注ぎこまれるように感じられた。大地を踏みしめるたびに力が漲ってきて、このまま冥王星までも走りつづけられるとさえ思う。彼方のカタ ジュタに真っ黒で不思議なかたちをした雲が近づいている。

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砂嵐、石をみつめる少女、長い夜のはじまり、小さな焚火を囲んで
巨大な砂嵐がわれわれの背後に迫っていた。
「厄介なことになったな」
虹のコヨーテが言うと、私と神のペヨーテは顔を見合わせ、手を握りあった。神のペヨーテの棘が刺さって痛かったが我慢した。
「あのブッシュの先の岩かげに避難しよう。このダスト・ボウルは尋常ではない。とてつもない悪意と憎悪を感じる」
虹のコヨーテは言うと、駆け出した。私と神のペヨーテもあとにつづいた。そして、岩かげにうずくまる美しい少女に遭遇した。ブルー・サファイアの化身、石をみつめる少女だった。岩の裂け目に逃げ込むと同時に猛烈な風と砂つぶてが襲ってきた。そして、長い夜がはじまった。
焚火の炎は静かに燃えつづけた。虹のコヨーテ、神のペヨーテ、石をみつめる少女、そして私は小さな焚火を囲み、弱々しい炎をしばらくみつめた。そのときばかりは石をみつめる少女も石をみつめるのをやめ、炎に見入っていた。薪をくべるのは私の役目だ。神のペヨーテが虚空に腕を伸ばす。呪文を唱えながら小刻みに掌を動かすとひと塊のペヨーテを出現させた。そして、それをわれわれに分け与えた。神のペヨーテがペヨーテローの役回りを買ってでた。神のペヨーテはうってつけのペヨーテロー、トリップ・シッターだった。
虹のコヨーテは饒舌だった。マーティンD28を爪弾きながら、さまざまなことを語った。雲ひとつない満天の星空とグレープフルーツ・ムーンと虹のコヨーテの歌と語りとマーティンD28のゴビ砂漠の砂のように乾いた音。それらは絶好のセッティングとなった。
「アボリジニの戦士になにを言ったのですか?」
私はずっと気になっていたことをたずねた。虹のコヨーテはにやりとし、ニール・ヤングの『収穫の月』のメロディをアルペジオで奏でながら言った。
「ウルルで立ち小便をしていた人間どもをたっぷり懲らしめてやった。だが、仕返しに追われている。力を貸してくれ。そう言ったんだ」
「うそを?」
「まあな。ときにはうそも役に立つ。使いどころをあやまらなければの話しだがな」
虹のコヨーテはそう言って、おどけた表情をみせ、ウィンクした。私もウィンクしようとしたが、うまく瞼が動かなかった。トリップがはじまりかけていたのだ。
「わたしはブルー・サファイアの化身なの。世界中のブルー・サファイアはわたしの心の中から生まれるんだよ。いまも、カシミールの山奥で矢車草の花の色をしたブルー・サファイアがひとつ生まれたところよ」
石をみつめる少女が話し終えると焚火の薪の1本が大きな音を立ててはぜた。
「ちっちゃな青い粒がこれから何億年何十億年をかけて立派なブルー・サファイアになってゆくの。すごくすてきでしょう?」
「きみはいつからブルー・サファイアの化身になったんだい?」
『Hotel California』のイントロを爪弾いていた虹のコヨーテが手を止めて尋ねた。
「宇宙創世のときから」
石をみつめる少女の全身が青白く輝きだし、あたり一面が青く染まった。
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by enzo_morinari | 2012-09-27 05:03 | 虹のコヨーテ | Trackback

千年の記憶と縄文杉の孤独

 
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千年の記憶と縄文杉の孤独
空を見上げ、人生は流れる雲のようなものだとわかったとき、左の前歯がするりと抜けた。そして、森の奥からパット・メセニーの『TRAVELS』が聴こえてきた。背負っていた荷物をすべて放りだし、音のするほうへ、光のただ中へ向かって走った。森の奥、光の中心にそのひとはいた。森のひとだった。森のひとも左の前歯が抜け落ちていた。「やあ。ずっと待っていたよ」と森のひとは薪割りの手を休めて言った。森のひとのまわりに飛び散ったミズナラのかけらがかすかに明滅を繰り返している。

「千年生きた樹は土に還るのに千年かかる。なぜだと思う?」

森のひとは暖炉に薪をくべながら言った。

「新しい命を千年かけて育てるため」
「半分正解」
「残りの半分は?」
「千年分の記憶を反芻するためさ。千年かけて朽ち果てながらね。反芻するたびに世界中の樹木たちの痛みは癒される。そして、癒し終えたあと、跡形もなく消える」
「ということは、世界で一番孤独なのは縄文杉だ」

薪が大きな音を立てて爆ぜた。

Travels - Pat Metheny


カリブーはなぜ殺されたか?
厳粛な綱渡りを終えてすぐに死滅する鯨の背に乗って持続する志河を渡る。持続する志河にはカリブーの憤怒の血が流れている。雄々しきツノは無惨にへし折られ、森の息吹と冷気をたっぷりと吸い込んだ毛皮は軽々と剥がされ、鞣され、流通する。冷徹な経済原理はカリブーたちの日々の困難と誇りにはいっさい無頓着である。ガリアの地で英雄を驚嘆させ、讃えられた誇り高き森の王も、いまや追い立てられ、撃ち抜かれ、打ち捨てられる。

カリブーはなぜ殺されるのか?カリブーは快楽のために殺戮される。聖なる日がやってくるたび、思い知るがいい。赤いのはトナカイの鼻ではなく、人間獣の血塗られた手であることを。

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溶ける魚たちが蝟集する磁場としてのシュルレアリスム、あるいはダダイストの呪詛におののくダリ
いまにも指の間から滑り落ちそうなレモン色の平行四辺形によって切り取られた夕暮れの薄暗がりから貌をのぞかせたアンドレ・ブルトンは、浅葱色をした隠喩の法衣を無惨にも剥ぎ取られ、溶け出したベーコンに接吻を捧げている。彼の唇の右端にはフォークが突き刺さっていて、傷口からは蝙蝠傘色のミシンのミニアチュアが無限に吹き出してくる。フォークの持ち手部分に刻印された「その者の魚」が胸びれを痙攣させると、それまでじっと沈黙していたニンフのひとりは静かに瞼を閉じた。そして、ついに世界は『最後の晩餐』に巧妙に隠蔽された鎮魂歌で満たされる。もちろん、この事態に興味を抱く者などサルヴァドール・ドミンゴ・フェリペ・ハシント・ダリ・ドメネクのほかにいるはずもない。

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さて、ミトコンドリア・サーカス団の花形スターとして一世を風靡したサルヴァドール・ドミンゴ・フェリペ・ハシント・ダリ・ドメネクであったが、いまやヤヌスグリーンの庭師に身をやつしてしまった。マトリックス世界の盟主であるクリステの襞の形状に魅入られ、日々をクレブス・ラビリンス造りに費やしている。これは彼にとってはアポトーシスの過程のひとつであって、何者にも止めることはできない。
 
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by enzo_morinari | 2012-09-22 19:30 | 虹のコヨーテ | Trackback

ディネの男

 
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ディネの男は「水を汲んでくる」とだけ言い残してトパンガ・ムーンに行ったきり、帰ってこない。もう11年になる。彼の1958年型フォード・エドセルはガレージで埃をかぶったままだ。 バッテリーは溶けて跡形もないし、4本のタイヤはすべて空気が抜けてぺしゃんこなうえに乾いてひび割れ、エンジン・ルームは鼠どもの寝倉に変わり果てている。

11年のあいだ、月の美しい夜は月を見上げ、雨の日は雨粒を数え、風の強い日はディネの男の人なつこい笑顔を思いだした。そして、杯を傾けた。何杯も。そうだ。何杯も何杯もだ。そうとでもしなければやりすごせないほど風向きの悪い11年間だった。この11年間に関するかぎり、「風向きもいつかは変わる」というのは大うそだ。これっぽっちも変わってやしない。事態は悪くなるいっぽうのようにさえ思える。強い南風が吹きつける七里ヶ浜駐車場のレフト・サイドに丸一日立ちつくしたこともあるが、答えらしいものはなにひとつみつからなかった。答えは風の中なんかにはないんだ。きっと。

11年。多くの人々が通りすぎ、色々なものが壊れた。妻と飼犬の死。ビートニク・ガールの消滅とマッキントッシュMC275の経年劣化による引退。ベニー・グッドマン『Memories of You』のEP盤はスクラッチ・ノイズしか聴こえなくなった。40年以上も付き合いのある左の前歯は一昨日するりと抜け落ちた。

見上げた月とカウントした雨粒とかさねた杯はいったいどれくらいになるか。3年目の冬で数えるのはやめた。それでも、いつかディネの男と再会できる日がくると信じる。再会を待つ。再会の場所が炎のただ中であったとしても、私はけっして尻込みしない。ディネの男とともに炎の中心に立つ。 ディネの男との再会の日までに、目を背け、置き去りにしていたことどもと向かい合う勇気を取りもどそう。まだ遅くはない。まだ間に合う。まだ旅は終わっていない。まだ旅はつづく。まだ息をすることができる。

わが名は月で酔いどれるカタジュタの男。ホピとチェロキーとナバホの友人が一人ずついる。ディジュリドゥは楊枝がわりだ。トパンガ・ケイヨン・ロードは200mile/hでぶっ飛ばす! セヴンナップを1日に1ダース飲む! ホカヘー! ヤタヘェ! アヒェヒェ!

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by enzo_morinari | 2012-09-21 05:28 | 虹のコヨーテ | Trackback