カテゴリ:間の山( 1 )

間の山#1 マンとセンに捧ぐ。

 
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精神の魔神であるトーマス・マンと神経の悪魔であるトーマス・センに捧ぐ。


間降魔賀市北部の無限台形地の中心を占める斜峰高原にあって、周囲を睥睨するがごとく傲岸不遜きわまりもない風情を醸しながらひと際高く聳える山。ひとはその山を「間の山」と呼び、間者や間の悪い者や間抜け者や間男どもを容赦なく放り込んだ。

人々は彼らを「マモノ」と呼んで激しく忌み嫌った。逢魔が辻を過ぎ、魔の刻を迎える頃になると間の山の麓から糸を引くような声や絹布を引き裂くような鋭く悲しげで、しかも狂気を孕んだ声が聴こえてくる。マモノたちの悲嘆と憎悪と愁訴の声だ。マモノたちからはいっさいの「間」が剥奪され、彼らはひとかけらの「間」もない亜空間に磔にされている。

古来、この種の刑罰は主に「天津神」に関わる悪事を犯した者に対して行われる咎、刑罰であった。『いろは歌』に歌いこめられた「咎なくて死す」という怨念はまさに「マモノ」として追放された者の怨み節である。

「魔」とは元々「間」のことであり、魔物は人と人の間、人の心の隙間に入りこむ物の怪のたぐいであった。人間とは「間のひと」、魔物なのだ。では人間を「間のひと」とみた者はだれか? そして、どこへ行ってしまったのか?

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さて、間の山の麓にはオーベルジュ・ル・リキューという名の埴谷自同律の不快式癲狂院が存在する。収容されているのは主に触法精神障害者である。閉鎖病棟ばかり42棟を擁する巨大な敷地には間の山から伐り出されたユグドラシルの巨木がイシス・ウルドの泉を模した最盛期チェネレントラ・ルネサンス様式の噴水を取り囲むかたちで聳え立っている。この噴水には「オー・ド・ヴィ」という名がついているが、収容されている患者たちは密かに「モリの泉」、すなわち「死の泉」と呼んでおそれている。なんとなれば、「モリの泉」こそはオーベルジュ・ル・リキュー内で秘密裡に行われている秘儀、「ヤーウェ・キノシソス」で生け贄にされ、王水によってどろどろに溶かされた患者の遺体(遺体? 液体のたぐいである)が流される場所だからである。

利休の待庵を模した茶室とみせかけた院長室ではきょうも「ヤーウェ・キノシソス」で生け贄にする者の選定が行われている。理事長、院長、事務長、婦長、警備主任。彼らは間の山からやってきたマモノたちである。そのことを知るのはごく限られた者だけだ。

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参考
いろは歌

色は匂へど 散りぬるを
我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず

いろはにほへ
ちりぬるをわ
よたれそつね
らむうゐのお
やまけふこえ
あさきゆめみ
ゑひもせ
 
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by enzo_morinari | 2013-05-01 17:31 | 間の山 | Trackback