カテゴリ:千のメルドー( 9 )

千のメルドー/No Monster, No Monsanto

 
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メルドー物件0011 モンサント


われわれは「食物食糧の大量生産/低コストが孕む危険」について深く考えなおさなければならない。E-M-M


モンサント社。アメリカ合衆国ミズーリ州に本社のある多国籍企業。バイオ化学メーカー。農薬・化学の世界最大手。ベトナム戦争時、米軍に「枯葉剤」を売り込んだ七つの大罪企業である。

悪魔に魂を売り渡したモンサントは現在、ラウンドアップなる自社製の除草剤(猛毒農薬)と遺伝子操作済みの種子をセットにした「遺伝子商売」でひと儲けを当て込み企んで世界中に悪魔の触手を伸ばし、地獄の網を張りめぐらせている。まさに「悪魔のマッチポンプ・ビジネス」だ。近年は、水を「未来の中核ビジネス」と位置づけて、生物にとって必要不可欠な水をいかにコントロールするかに専念しはじめた。モンサント社のウォーター・ビジネスは1996年を境にバイオテクノロジー企業を次々と買収することでさらに加速、新しい展開を見せ、W・R・グレイス社の子会社アグラシータスを1億5000万ドルで買収したのを皮切りに、世界のバイオ関連企業を次々と傘下に収めている。食糧と水を一民間企業が手中に収めたときに起こる事態は容易に想像できる。おぞましい悲劇と惨劇が。次に再び十字架にかけられるのは全人類およびその子孫である。

モンサントはすでに住友化学と共同出資子会社も設立済みである。「悪魔の計画」は準備万端、確実に進行、実現しつつある。それに手を貸しているのが財界のトップ、経団連会長の米倉弘昌(住友化学会長)の強欲業突く張り爺さんだ。モンサントとはベトナム戦争の頃から御懇ろの腐れ縁。

モンサントの食糧テロリズム、悪業については、『Silent Spring(沈黙の春)』 (Rachel Carson/レイチェル・カーソン)、『Fast Food Nation: The Dark Side of the All-American Meal(ファストフードが世界を食いつくす)』(Eric Schlosser/エリック・シュロッサー)、『食糧テロリズム ── 多国籍企業はいかにして第三世界を飢えさせているか』(ヴァンダナ・シヴァ)、『Le Monde selon Monsanto(The World According to Monsanto/モンサントの不自然な食べもの)』(マリー=モニク・ロバン監督)が大いに参考になる。
 
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by enzo_morinari | 2013-11-18 15:43 | 千のメルドー | Trackback

千のメルドー#8「特定秘密保護法」にみる霞が関文学の現在#1

 
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メルドー物件0010 霞が関の三下奴/木っ端役人の手になる霞が関文学『特定秘密保護法』


子曰く。民はこれに由らしむべし。これを知らしむべからず。泰伯/『論語』

亡霊が復活し、彷徨い、世界を覆いつくそうとしている。「特定秘密保護法」という名の治安維持法の亡霊が。E-M-M


子曰く。民はこれに由らしむべし。これを知らしむべからず。(子曰、民可使由之、不可使知之。)
「由る」は「頼る」の意。国家を治める際の為政者の基本理念/基本姿勢/心構えを説いた文言だ。現代文にすれば以下のごときものとなる。

孔子は言った。「人々を頼らせることは容易だろう。しかしながら、理解してもらうのはむずかしい。」

「民はこれに由らしむべし。これを知らしむべからず。」は長きにわたって権力者の都合のいいように曲解されてきた。すなわち、

孔子は言った。「愚かな民は(為政者に)頼らせるべきで、わざわざ知らせるべきではない。(いたずらに混乱を招くだけである。)」

このような解釈は、長いあいだ、為政者/権力者による秘密保持/秘密保護/情報統制の根拠とされてきた。その連続が政治の歴史であるとも言いうる。これは「べし」を恣意的に「命令」または「当然」の意味に解釈した結果だ。本来、「べし」は「可能」あるいは「推測」の意味である。

為政者/権力者たちは以後も情報統制しつづけ、国民を欺きつづけようとするだろう。「真の為政者/権力者=官僚」であることを巧妙狡猾に隠蔽したまま。

「特定秘密保護法」の原案は「知る権利」を明記することを見送った。このことはなにを意味するか?
言葉が変化していくのはどんな時代でも世の習いだ。しかし、誤った解釈が定着するのは変化ではない。愚劣愚鈍である。しかしながら、繰り返し誤った用法を聞かされつづけるとこちらの理解が変なのかと不安にすらなってくる。

過日のNHKの政治討論会。野党の政治家から、「与党のやりかたは、由らしむべし。知らしむべからず」であり、それが「政治不信のもとになっている」という発言があった。

野党議員の発言した「由らしむべし。知らしむべからず」は孔子の『論語』中にある泰伯の言葉である。野党の発言者はこの言葉を「為政者は国民に無批判に頼らせればいいのであって、本当のことは知らせてはいけない」というように解釈している。

つまりは「強きには文句を言わず、黙って従え」という意味に理解しており、そうした与党の政治姿勢が国民の政治不信の原因を作っていると言いたかったのだろう。こうした解釈は、上位下達がいかに人々を虐げるかという批判をあらわす言葉として使われている。

専制君主、暴君の言葉ならまだしも、孔子の言葉だとわかれば、少しは「ちょっと待てよ」とこの言葉の真意を考え直してみてもよさそうなものだが、どっこいそうはならない。思い込みがそうさせているのか、一人歩きを始めた「由らしむべし。知らしむべからず」の語は本来の意味を無視して突っ走っていく。

「由らしむべし。知らしむべからず」の語は確かに為政者が国家/国民を治めるときの心構えについて語ったものではあるが、国民に目隠しして、「黙って俺について来い」と命令しているのではない。

この語の意味は、「為政者は国民から信頼されて導いていかなければならない。しかし、国民に正しい教えを完全に理解させるのはとても難しい」というところにこそある。だからむしろ、「国民に頼られることは容易だが理解してもらうことはとても難しい」という意味だと解釈すべきだ。「文句を言わずに俺についてくればいいのだ」というような専制君主のごとき解釈をするのはあきらかな誤用である。

このごろは「政府は信用できないから情報を公開せよ」というのが当たり前の状況になっていて、孔子の時代に為政者が国民に真実を知らせるにはどうしたいいかと悩んだのとはまったくちがう時代になっている。

「由らしむべし。知らしむべからず」を多くの人が誤用するのはメディアの浅薄な解釈、安易な考え、そして無批判に権力は悪であり、権力に対抗することこそが正義だと思い込んで報道する思い上がりに起因している。それとも今の現実政治が誤用のベクトルとなり、絶対多数という隠れ蓑の陰で本当に国民から真実を隠そうとしているのか。そして、誤用が現実のものとなったか。

東京五輪開催決定以降、福島原発事故は問題が「汚染水」にのみ矮小化され、土壌汚染の状況、除染により発生した汚染物質の保管方法やメルトダウン/メルトスルー/メルトアウトした福島第1原発の1~4号機の事故収束に向けた作業の進捗状況等について、政府/東電からの情報発信はなく、大手メディアもまともに報じていない。

まことにげにも薄ら寒くなる「原発事故隠蔽大政翼賛体制」である。東電破綻処理、巧妙狡猾な総括原価方式と地域独占によって支えられた諸悪の根源である電気事業の改革など夢のまた夢だ。

「特定秘密保護法」が成立すれば、「テロの危険対策と防御」という「美名」によって原発に関するすべての情報が遮断され、福島原発に関する情報についてはなにも知らされないばかりか、これを探る動きさえも合法的に排除されることとなるのは今から目に見えている。

「霞が関文学」の最新作は木っ端役人/霞が関の三下奴が、戦後、支配の金科玉条のひとつであった「治安維持法」消滅を経て、スパイ防止法以来、何十年もかけて虎視眈々、待ちに待った機会を逃すこともなく「特定秘密保護法」として結実する。そのことの重大さ、深刻を知ってか知らずか、きょうも能天気な極楽とんぼどもはあれやらこれやらそれやらに御執心、御満悦という次第。恐れ入る。

霞が関の三下奴/木っ端役人の下衆外道どもの頭にあるのは「省益」と「官益」だけである。しかし、「特定秘密保護法」を可決成立させる政治屋どもはみずからの首を絞めることにつながっていることに気づかない。なぜ気づかないか? 馬鹿だからである。愚かだからである。脳みそのしわがないからである。勉強していないからである。ものを考えていないからである。

オガクズかオカラかが詰まったような脳みそでなにごとかを考えることなどできはしない。そして、木っ端役人/官僚の三下奴どもに寝首をかかれ、尻を叩かれかかれ、いいようにヤラレまくるのだ。

尻に浅いも深いもない。尻は尻だ。しかし、落とし噺やらお能やら歌舞伎やら狂言やらの「古典芸能」を三昧して御満悦に浸っているような腑抜けは狂言回しの猿以下、自分の撒いたタネの始末もつけられず、自分の小汚い尻も拭けぬ三下奴、瘋癲、ドサンピン(ど三一)である。虫酸が走り、反吐が出る。

通好み? あんたが通ならおれはワンだ。樽犬だ。樽犬タルティーヌ様だ。お天道様が陰るから樽犬様の前に立つな。目障りだ。

*「特定秘密保護法」が可決成立されるまで、知らしむべくひっそりこそこそとつづく。
 
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by enzo_morinari | 2013-10-20 08:37 | 千のメルドー | Trackback

千のメルドー#7 ひとはそれぞれの悲劇を生き、それぞれの死を死ぬ。

 
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 アメリカ合衆国ニューヨーク市在住の恥知らず能天気な小便臭い日本人小娘があるブログにおいて鼻持ちならない雑文を書き散らしている。普段なら鼻じらみ虫酸走りのテクストとあさましい見識、見るに耐えぬ生ゴミぶりから、ちら見黙殺、歯牙にもかけぬ有象無象のたぐいとして永遠にさようならの対象であるが、たまたま目にとまったブログのタイトルがいけなかった。曰く、「恩師・欽ちゃんも号泣! 風見しんご長女えみるちゃん告別式」「本当に悲しい出来事ですね。先日もモ娘の吉澤さんの弟さんが亡くなった事故もありました」
 下衆外道の萩本の欽公が恩師だあ!?「本当に悲しい出来事」だと!? いきなり虫酸が走った。1行読むごとに虫酸はいやましてゆく。こうなってはもうとまらない。徹底的に、完膚なきまでに踏みつぶしたくなってくる。もちろん、吾輩のテクストをその小娘が読むはずはないし、読んだとしても、とうてい読解できるとは思わないので、なにを書こうが吾輩次第、自由勝手、放埒のし放題である。

 恥知らず能天気小娘の決定的な誤謬はそれぞれの「死」、それぞれの「悲劇」をみずからに銃口を向けることをせず、ましてや思想的に吟味することもなく、同一化、一般化してしまったところにある。
 ひとはそれぞれの「悲劇」を生き、それぞれの「死」とまみえ、死ぬことを、恥知らず能天気小娘はまったく理解せず、理解しようともしないことが、この段階で露呈している。
 恥知らず能天気小娘の過去のテクストを読めば、おなじ誤謬を犯しつづけてきているのがすぐにわかるが、そのような彼女がテクストを記述するという行為に及ぶにいたったメンタリティを解き明かしたいという助平根性がわくが、それはまた別の機会にゆずることとする。

 さて、「死」は「悲しい」などという手垢にまみれたステレオタイプでくくれるほど甘くも、お手軽でも、生やさしくもない。だが、恥知らず能天気小娘はそのことを死んでも理解できまい。有り体にいうならば、「青っ洟垂らした小娘はすっこんでろよ」ということである。さらにいうなら、「能書き/効能書き」は、まともな日本国語を読み書き話せるようになってから、「てにをは」ならびに句読点を使えるようになってからにしな、お嬢ちゃん、ということだ。
 レフ・(ユマニスム)・トルストイは『戦争と平和』か『アンナ・カレーニナ』かの中で、「貧しき者はそれぞれに不幸であり、富める者は一様に幸福である」と書いたが、これに加えるべきは、「愚か者はそれぞれに愚かであり、鈍い者は日曜ごとに鈍くなる」である。恥知らず能天気小娘の珍妙奇天烈な風体から察するに、生まれてこのかた、他者の「死」、他者の「悲劇」を共有共感するような経験はなかっただろう。そのような者が「死」を、「悲劇」を語ることの不毛を、おセレブさん気取りの恥知らず能天気小娘は気づかなければなるまい。手はじめに、目にもあざやかおみごとなお茶髪を黒髪に戻すことからはじめるがよかろう。さらには河岸をニューヨークからヨハネスブルグにかえ、鼻持ちならないことこのうえもないおセレブ・ランチにとっとと別れを告げ、1食80円也の鼻曲がり猫またぎヨハネスブルグ・ランチを3分で完食することを鼻腔を大きくしてすすめたい。これみよがしのニューヨーク・ライフを満喫するおセレブさん気取りの恥知らず能天気小娘の名は徳澤直子。先頃、亭主の婚外性交を主たる要因として離婚したようだが、おまえさんは生娘か? 過去に複数多数の男どもと御懇ろにおよんだ経験を持つのではなかったか?
 
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by enzo_morinari | 2013-10-12 05:00 | 千のメルドー | Trackback

千のメルドー#6 Unable to Control TOKYO OLYMPIC 2020

 
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メルドー物件0008 TOKYO OLYMPIC 2020


日本の航空機事故史上、「Unable to Control(制御不能)」という表現がなされたのは、1952年4月、伊豆大島に墜落した「もく星号墜落事故」と、1985年8月、群馬県御巣鷹の山中に墜落した「JAL123便墜落事故」の2件のみだ。世界の航空機事故でみても、「Unable to Control」が発せられた例はほとんどない。

さて、福島原子力発電所の事故は2年半が経過した現在も、文字通り、「Unable to Control」の状況にある。ところが、日本国内閣総理大臣の安倍晋三は世界が注視する国際オリンピック委員会総会の場で胸を張り、微笑みさえ浮かべて福島原発の事故について「Under Control」と言い、「(放射性物質を含んだ汚染水は)完全にブロックできている」とさえ言い切った。

わが耳を疑った。コントロール下にあるだって? 事故の全体像は無論のこと、メルトダウン/メルトスルー/メルトアウトした燃料棒の状態、格納容器周辺の状況、原子炉建屋内部の現状、ピットを始めとする排水施設等の水回り及び大量の汚染水が流れ込んでいるトレンチの状況はほとんど把握できておらず、さらには、喫緊の課題である汚染水の個別具体的な発生源と漏出経路、その対策法のすべてについて問題解決のための具体的な方策どころか、問題、事態の把握すらできていないにもかかわらずコントロールしているだって?

フクイチだけで数百万トンにも及ぶ放射性物質まみれの瓦礫をどうやってコントロールできるというんだ? これから何十年もかけて研究の途につくことどもが山のようにあるのに? いまだ完成していない「新しい技術」は基礎研究さえ始まっていないんだぞ。存在しないもの/手に入れていないものを根拠に絵空事を宣わる愚かさに気づかないのか?

絵に描いた餅で腹はふくれないし、ペーパームーンは闇夜を照らさない。第一、餅はまだ絵に描かれてもいないし、描くための餅すら決まっていない。餅があるのかどうかもわからない。ペーパームーンは切り抜かれていないばかりか、切り抜くための元々の紙すらみつかっていない。それが福島原発事故をめぐる事態の現状である。

完全にブロックだって? ダダ漏れなのに? 世界中の海に福島原発から漏れた汚染水が拡散しているのに? 福島原発から遥か遠く離れた地域で、日々、福島原発から放出された放射性物質に由来する放射線の線量が途轍もない数値を示しているのに?

一度でいいから線量計ぶら下げて、七生報国のハチマキを巻き、グリコ・マークのランニング・バンザイのなりをして世界中どさ回りしてきやがれ! ボンクラポンコツスカタンボンボンめが! おまえのバンザイ・クリフは世界のありとあらゆる場所だ!

そこで霞が関の木っ端役人どもの巧妙狡猾な「霞が関文学」の愚劣卑劣が脳裏を過る。なるほど、「コントロール下にある」「管理下にある」とは実はなにひとつ内容を伴っていないがゆえに、あとで言質を取られたり、追及を受けてもいくらでも言い逃れの口実が用意できる。なるほど。これぞ「霞が関文学」の面目躍如だ。首相官邸の執務室で木っ端役人に言いくるめられ、丸め込まれる安倍晋三の姿が目に浮かぶようだ。

すなわち、安倍晋三は「コントロール下にある」「管理下にある」とは言ったが、効果のある対策を講じているとか問題解決に向けて具体的な方策を行っているとは一言も言っていないのだ。「国際社会に対して、少なくともうそは言っていない」とでも霞が関の木っ端役人どもは考えたのだろう。下衆外道どもめが。

「コントロール(Control)」の「ロール」は、車輪を意味する「ローラー(Roller)」から派生している。「Control」の語源はラテン語で「~と照らし合わせて」を意味する接頭語の「Contra」に「車輪、巻物」を意味する「Rotulus」がついた「Contrarotulus」だ。すなわち、「巻物と照らし合わせる」というのがコントロールの本来の意味である。

「コントロール(Control)」は中世暗黒時代の商人が帳簿の写しを巻物にして携帯し、いつでもどこでも手元の残金と照らし合わせて会計管理をしていたことに由来する。ここから「巻物に照らし合わせる」という行為が、事態をつねに管理統制しておくことを意味する「Control」の語となった。すなわち、問題解決のための具体的な方策を講じることまでは意味しない。霞が関の木っ端役人どもはそのことを逆手に取ったのだ。

うそは言っていない、か。だが、真実、本当のことも言っていない。言えないから言わない。言えるはずもない。事態状況の把握ができていないのだから。霞が関の木っ端役人どもがどこまでも破廉恥であることの証しである。

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国民の生命、財産、諸権利に関わる重大事について、「うそは言っていない」で済んでたまるか。「真実、本当のこと」をはっきりとさせた地平から道は拓けるのだ。また、そうでなければならない。

「TOKYO OLYMPIC 2020」が決定して浮かれ騒ぐのもけっこうだが、大概にしておかなければならない。経済効果が150兆円あろうが、東京再開発、再整備、交通網の再構築がなされようと、東北の冬は終わらない。福島の「核の冬」は永遠につづく。

終りなど見えない。終りなどあるはずもない。日本国並びに日本に暮らす者は、さらには世界並びに人類は終りなきあてどなき苦難と悲痛の服喪の旅路についてしまったのである。上っ調子に浮かれ騒ぎ、お祭り騒ぎをしている場合ではない。

上っ調子、お祭り騒ぎはもうたくさんだ。喪はあけていないどころか、始まったばかりである。そして、この喪は千年単位でなすべきものなのだ。「TOKYO OLYMPIC 2020」で浮かれ騒ぐ輩どもは人生の同行者を失って1年も経たぬうちに近所の狒狒爺/狒狒婆と御懇ろに及ぶ下衆外道とおなじようにふしだらであると心得るべし。

3.11もフクシマも過去形になっていない。3.11とフクシマに始まる世界の惨禍/惨劇が進みゆく態を目の当たりにしながら、終わらないことの残酷さを痛切に思い知る。進行する過去はつねに世界と人間を浸食しつづける。

今の段階ではっきり言っておく。これから2020年の夏までのあいだに、大震災によって東北地方が蒙った途方もない被害の復興と福島原発に関わる諸問題は加速度的に隠蔽され、なかったことにされていく。そのためにこそ、オリンピックを日本で開催することがなにがなんでも必要だったのだ。それは至上命題ですらあったろう。そして、ふたつの「棄民」が誕生する。東北とフクシマと。

「将来にわたって(福島原発事故に由来する放射性物質による)健康被害の問題はない」との安倍晋三の発言によって、「健康被害認定」は鈍化するだろう。実体的には「健康被害」の認定はほぼゼロになっていくだろう。認定のハードルを上げ、霞が関語/霞が関文学によって韜晦と難解まみれの法令/条令/政令/諸規則/通達を次々につくり、現場では重箱隅突っつきで門前払い。それが霞が関の木っ端役人、カスミガセキシロアリのやり口である。

人々の眼を東北の復興と福島の原発事故からそらすために。霞が関の木っ端役人ども、政治屋ども、守旧派の海千山千、既得権益に群がる有象無象にナメられ、コケにされていることに気づかないのか?

復興関連予算が公正に迅速に無駄なく、そして、つつがなく執行され、福島原発事故に関わる諸問題解決のための方途がその緒についた段階でオリンピック開催に手を挙げるならまだ話はわかる。そして、東京ではなく東北、もっと言えば福島で開催することにこそ意味も意義もあった。しかし、そうはならなかった。なるはずもなかったが。

人類史に永遠に記憶されるべきヒロシマ、ナガサキの大悲劇は70年足らずの歳月を経ただけで、いまや人々に忘れ去られようとしている。思いだすのは毎夏の「式典」のときくらいだ。ロンゲラップ島、チェルノブイリの惨事すらも同様である。推して知るべし。

「人々の眼を東北の復興と福島の原発事故からそらすためのシナリオ」はすでに出来あがっていて、そのシナリオ実現のための悪事悪辣を霞が関の木っ端役人、政治屋ども、メディア、腐れ電通/外道博報堂らは遮二無二に、そして総がかりで繰り出してくる。

そのことの果てにあるものはなにか? 日本の滅びの刻限が早まるということである。おめでたいにもほどがある「TOKYO OLYMPIC 2020」だ。

過去の罪悪を頰っ被りして落とし噺の蘊蓄講釈を恥も知らぬげなカビの生えたようなぶった言説で自慢たらたらに垂れる糞ったれ、下衆外道、いい齢をぶっこいてチンピラ音楽に血道をあげる能天気、季節の変わり目に枝ものを飾って得意満面な極楽とんぼどもは Under Control どころか、十把一絡げで You're Under Arrest だ!


見よ。骨十字と蝋燭の旗が死の風に翻っている。滅びの船団は音もなく滑るように近づいてくる。

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by enzo_morinari | 2013-09-10 00:47 | 千のメルドー | Trackback

千のメルドー#5 クリックするたび馬鹿になる「イイネ!/拍手/NICE!」ボタン

 
メルドー物件0007 「イイネ!/拍手/NICE!」ボタン

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この「イイネ!」は無意味ねとミーム・ミーン・ムーミン・ムーンが言ったから7月9日はムイミ記念日 E-M-M


一日中「イイネ!」ボタンをクリックしているブロガーがいる。ある日の彼/彼女の1日の「イイネ!」ボタン押下回数は1236回。1分に1回「イイネ!」ボタンをクリックするとして、彼/彼女はその日20時間以上もクリックしつづけていたことになる。「腱鞘炎にならないのか?」とこちらが心配になるほどだ。実際、クリックのしすぎによる腱鞘炎の症例が報告されている。しかし、腱鞘炎で済むなら、ことはそれほど厄介ではない。彼/彼女はすでにしてメンタル・ディスオーダーの領域にあるというのが吾輩の見立てだ。しかも、事態はかなり深刻である。早急に専門医の診断と適切な治療が必要である。

彼/彼女は数百にも及ぶフォロワー/フレンズを抱え、アップされたフォロワー/フレンズたちのすべてのブログに「イイネ!」する。彼/彼女がブログの中身を読んでいないことは明らかである。「風邪っぴき。きょうはブログ更新お休み」「朝から雨。鬱。」「お昼ごはんはチキンラーメンですぅ」というたった1行のブログにまで「イイネ!」している。

彼/彼女はページを開き、一目散に「イイネ!」ボタンに向かう。「イイネ!」ボタンまっしぐら。猫に鰹節、マタタビどころではない勢いだ。肝心のブログは読まない。彼/彼女にとって、ブログの内容など二の次三の次だ。彼/彼女が他者のブログを開くのはブログを読み、画像を見るためではないから当然である。彼/彼女が他者のブログを開くのは「イイネ!」ボタンを押すためなのだ。彼/彼女はひたすら「イイネ!」ボタンをクリックしまくる。クリックしつづける。

彼/彼女はなんのために「イイネ!」ボタンをクリックしつづけるのか? いったい、彼/彼女はなにをしているのか? なにをしたいのか? なにを求めているのか? 答えは「なにもなし」だ。彼/彼女はなにもしておらず、なにかをしたいのでもなく、なにも求めていない。そこには実体の消え失せた亡霊の影が仄見えるだけである。

彼/彼女は虚しくならないのか? ならない。すでにして、彼/彼女は魂、心を失っているからだ。そんな彼/彼女が行き着く先は火を見るよりも明らかである。「引き裂かれた自己」の段階はとうに過ぎて、いま彼/彼女がいるのは「酷寒のミル・プラトー」を目前にした荒涼とした廃墟前広場である。

他者を騙し、欺くことはできても、唯一、自己だけは欺けない。自分にうそはつけない。しかし、自分にさえうそをついている者もいる。自分にさえうそをついている者を待ち構えているのは破壊された自己という最終地点である。そうなってはもはや修復不能だ。手の施しようがない。凍りつくような悲劇が彼/彼女を襲う。

いっぽう、彼/彼女のアップしたブログには数百単位で「イイネ!/拍手/NICE!」がつく。「イイネ!/拍手/NICE!」しているのはいずれも彼/彼女が「イイネ!/拍手/NICE!」したフォロワー/フレンズたちである。

肝心の彼/彼女のブログの内容はといえば、端的に言って「空っぽ」である。「空っぽ」のブログで彼/彼女はいったいなにを発信しようとしているのか? 彼/彼女に発信したいことなどなにひとつないというのが吾輩の見立てである。彼/彼女はただなにものか、なにごとかと繋がっている自分を確認したいだけである。彼/彼女が焦がれるように求めつづける「繋がり」に、彼/彼女は「繋がり」の強度、「繋がり」の質の高低を期待しない。「ただ繋がっていればいい」というのが彼/彼女の心性である。

空っぽのブログにつくコメントが空っぽなのは当然である。空っぽな上にきれいごとおべんちゃらおためごかしおべっかの際限なき連続。歯の浮くようなコメントのオンパレード。しかし、当の本人たちはいかにも満足げである。なぜというに、彼らの唯一のメルクマールである「親和欲求」が満たされるからだ。

彼/彼女の「親和欲求」はきわめて刹那的であり、グロテスクでさえある。継続的に「親和的なもの」を望みながら、彼らは実際に「関係」「関わり」を継続させようとはしない。なぜなら、彼/彼女らが他者と結んでいる関係性もまた空っぽだからである。何者にも真空を維持継続させることはできない。

彼/彼女が持ち出すのは「普通」「常識」「一般」「当たり前」に属するものばかりである。彼/彼女自身のオリジナル、独自、独創を提示することはまずない。それらを提示することはある種のタブー、禁忌に属するものででもあるかのようだ。

彼/彼女はなにごとかを表明するが、自己あるいは自己の内面を表明することは決してしない。上っ面ばかりである。どこででも通用する当たり障りのないこと。

インドラの矢が放たれるときでも、モーゼが十戒を授けられたシナイ山山頂でも、そののち1枚目の石板を叩き割ったときでも、ノアの方舟が漂着したアララト山でも、鳩がオリーブの小枝をくわえて戻ったその瞬間でも、カノッサの屈辱が行われている寒風吹きすさぶ城門前でも、ポツダム宣言受諾の踊り場でも、ICBM大陸間弾道ミサイルのボタンが押される瞬間でも、最後の審判が下されるときであってさえ通用するような言説。すなわち、空っぽの言説だ。

実体を失った空虚なるクオリアの精神だけが彷徨っている。彼/彼女をして向かわせているインターネットとは彼らにとっていかなる意味合いを持つのか? 彼/彼女の本当のメルクマールはどこにあるのか? いずれの「答え」も0と1でできあがったデジタルの海に漂っている。
 
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by enzo_morinari | 2013-07-09 09:27 | 千のメルドー | Trackback

千のメルドー#4 下衆外道の正体見たり文藝春秋

 
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 メルドー物件0006 文藝春秋

 下衆外道はいついかなるときにも下衆外道である。その巣窟は紀尾井町と新宿矢来町と文京区音羽と港区海岸にあり。 E-M-M


 週刊文春、安藤美姫選手の出産賛否を問うアンケートで謝罪 毎日新聞 2013年7月5日
 週刊文春は5日、フィギュアスケートの安藤美姫選手(25)の出産について賛否を問うアンケートを読者に行ったところ、抗議が殺到したことから、同誌のウェブサイトに謝罪文を掲載し、アンケートを取りやめた。アンケートは同誌のメールマガジンの読者向けに5日から開始。テレビ番組で女児の出産を明らかにした安藤選手について「出産を支持しますか?」「子育てしながら五輪を目指すことに賛成ですか?」との設問に対する回答を求めた。この設問について、内容がふさわしくないとの抗議が多数寄せられた。同誌は5日、サイトに新谷学編集長名で「出産そのものを否定したり、働きながら子育てをすることを批判しているような印象をあたえてしまいました」との謝罪文を掲載し、アンケートを中止した。


 新谷学経歴とコンメンタール(逐条解釈/畜生解釈)
 1989年3月 早稲田大学 政治経済学部 政治学科卒業。←また早稲田圃のセーケーか。気位、鼻っ柱だけはいっちょまえだがひと睨みでションボリ。撤収撤退。逃げ足と裏切りはお手の物という輩しか知らない。

 2012年4月 週刊文春編集長に就任。←鼻高々らしいが鼻は御手洗団子のごとき物件である。だれも鼻にも引っかけまい。とっとと2年前のギャラ払いやがれってのよ!

 2012年6月23日付[花田紀凱の週刊誌ウォッチング]367において、「スクープをしても昔ほど売れ行きに反映しないんですよ」と愚痴る。←女々しさ、未練タラタラも早稲田圃セーケーの特質である。

 2012年7月9日付け中国新聞のインタビューで「スクープは私たちの最大の武器です」「原点にあるのは人間への興味。皆がすごいともてはやす人は本当にそんなにすごいのか? と深く掘り下げるのが週刊誌の役割」とスクープを重視する姿勢を表明。←イエローペーパーに毛の生えたような『週刊文春』ごときのチンケな編集屋がなにを抜かしやがるかよ。臍が茶を沸かしすぎてタンニン中毒になっちまうってのよ!

 2013年7月5日、『週刊文春』公式サイト上で「「緊急アンケート! 安藤美姫選手の出産を支持しますか?」と題したアンケートを実施し、これに対して多数の抗議が寄せられ、当日中にアンケートは閉鎖。編集長新谷学名義でアンケートに関して不快な思いを抱かれた方への謝罪文が掲載された。しかし、謝罪する相手がちがうとの意見も多い。←下衆外道の正体見たり文藝春秋ここに極まる。馬脚をあらわすとはこのことだ。だれがだれとセックス/快楽追求運動/生殖行為をし、あるいはせず、出産しようがしまいが、大きなお世話である。当事者以外の何者も口出し手出し中出しはできない。セックス/快楽追求運動/生殖行為も出産もすぐれて個人的な体験だからだ。他者の生殖器周辺のあれこれをいじるヒマがあるなら霞が関の木っ端役人ども、カスミガセキシロアリめらの悪逆非道ぶりをスクープしやがれ!

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by enzo_morinari | 2013-07-06 11:17 | 千のメルドー | Trackback

千のメルドー#3 Modus Operandi

 
AUのAndroid 2.3でアクセスしているアリン・スエツングースカに告ぐ。

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表層上っ面の知識教養にすぎぬものを小賢しさぷんぷんの「言いまわし」を賢しらに使うことによって相手を煙に巻き、取り入り、誑しこむ邪道邪悪なるワニ語の使い手にしてイエロー・ジャーナリスト、オリジナルを飛び越えてクライアント、顧客をぶんどる極意保持者のアリン・スエツングースカ


よくぞみつけたと褒めてやりたいところだが、大方、「アリン・スエツングースカ」でキーワード検索して探り当てたんだろう。ずっと以前から気づいちゃいたがな。自分のことがそんなに気になるか? おまえさんのネットワーク上におけるポジションは「あの人は今」よりずっと過疎状態だ。心配には及ばない。

吉田美奈子がおまえさんについて触れたのは遠い遠い2006年のことだ。渡辺香津美をインタビューしたのも2006年だな。2007年以降はさっぱりさっぱりサッパの大群ときたもんだ。それとも沼の鯉に恋い焦がれるイリエワニか? 還暦を目前にユーストでチャラチャラと御託能書き媚び諂いを並べたてて楽しいか?

「言葉は音楽に嫉妬する」だって? 笑わせるな。物は言いようにも保土ヶ谷の宿ってものがあるだろう。耳ざわりはわずかながらいいが「向う受け」を狙っているのが見え見えだ。60ヅラ下げようという男のやることではなかろう。もっとも、「向う受け狙い」は今に始まったことじゃないがな。おまえさんの「取り入り誑しこみ手口」の重要なタームだからな。

言語/言葉と音声/音楽はまったく別の領域、体系に属するものだ。これらを統合するのが「真言」だ。内なる「真言」を文字言語で表出表現すれば言語/言葉となるし、音/音階/旋律で表出表現すれば音声/音楽となる。こんなことは表現論のイロハの「イ」だろう。そのような言語/言葉と音声/音楽について、「嫉妬」もへちまもあるもんかよ。一知半解ここにきわまれりだ。一知半解どころか零知零解だろうがな。

おまえさんがこれ見よがし、ここぞとばかりに持ち出す吉本隆明の『心的現象論』『言語にとって美とはなにか』を本当にまともに読んいるのか? 吾輩の見立てでは目次に目を通しただけであるというところだがな。おまえさんはそんなレベルだ。

ポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウどもの節穴の目は誤摩化せても、吾輩の炯々たる慧眼を欺くことはできない。このあたりでも、おまえさんのまやかし、ゴマカシ、ナマクラ、インチキ、付け刃が露わになるというこった。おまえの「知の領域」に関する言説のすべてはA( )Cのためのものにすぎない。あるいは、他者に取り入り、相手を誑しこむためのな。そういう輩、類いを下衆外道てんだ。おぼえとけ。

音楽に嫉妬しているのは音痴なおまえさんの劣等感の補填、すり替えにすぎない。勘ちがいするんじゃない。新宿歌舞伎町のスナックで聴かされた『夏のクラクション』はひどいもんだったぜ。「夏のハクション?」と思うくらいによ。呵々。

まあ、どっちにしても2007年以降は廃刊廃刊の連続でとんだ災難だったな。もはや、大好きな「業界人ヅラ」もできなくなって、さぞやさびしい毎日なんだろうが、悪業のツケがまわってきたと諦めるしかない。「年貢の納め時」が来たってこったな。

おまえさんのA( )Cのリクエストを一笑に付した横浜野毛『ちぐさ』の吉田衛が大きらいな大いなるボンクラ中間派、ワーデル・グレイをBGMにフキコだかサセコだかアレアレモーモー偶蹄目だかフヌケコだか脳味噌の皺の足りないポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウ女だかの耳元で歯の浮くような蘊蓄、空虚きわまりもないたわ言を垂れ流す日々がお待ちかねという寸法だ。別れた元女房のワニのイラストでもデコスケに貼って、六根清浄罪業消滅死国四十八ヶ所お遍路がわりに高円寺純情商店街を365日休みなく朝から晩まで練り歩くのも一興だぜ。

橇は倉庫にさて置いて。潮来歌姫のよしみで憤怒の河、憎悪の谷、憤激の山を数えきれぬほど越えた果てにえた「最終解答」の前菜がわりの御挨拶だ。

どのツラ下げてきた?

仕事にあぶれてヒマを持て余す日々か? ざまあない。歳月の経過で熱りがさめたとでも勘ちがいしたか? 吾輩の「オンデマンド・ノベル」仕事のおこぼれにあずかろうとでも思ったか? 笑止千万だ。FM東京に向かう道すがらの麹町大通りでみかけたおまえさんの腑抜けたツラと眼がよみがってきやがるぜ。よりにもよってもっとも虫酸が走り、はらわた五臓六腑が煮えくりかえり、薄紅匂う道から大きくはずれた輩の御登場とは、ゴキゲンつづきのバカンスがここにきて台無しだ。

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還暦も近いことだし、せいぜい東京印書館のポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウ女(69%のむなしさと12パーセントの呪詛と1パーセントのスライムで出来あがった槍の慢)のフキコだかサセコだかアレアレモーモー偶蹄目だかフヌケコだかと「ねこまや特製化け猫の餌」くらいは喰えるように気張るこったな。老後のおたのしみは「成田東あぶCC」でゴルフ三昧とシャレこむがいい。

愛人マンションは夢のまた夢だろうが、せいぜい脳膜にメンマをたっぷりつけあわせるこった。ねじめ民芸品店の二代目なら小遣いくらいはめぐんでくれるだろうよ。ポンコツしゃくれの高橋源一郎はオーディオいじりと脳味噌のしわの足りないポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウ女の尻を追うのに忙しくておまえさんが泣きついても鼻も引っかけてはくれんだろう。御愁傷様なこったな。お得意の上っ面A( )Cまやかしを繰り出せば引っかかってくるポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウのいくたりかはみつかるもしれんがな。今はなき六本木テレ朝跡地キリン・ハートランドのポンコツAHAくず野郎を誑しこんだようにな。

さもなくば、残された日々をキンタマポコチンさらして横たわる巨大アカカンガルーの画像を眺めながら「それはそれは彼も悩んださ。」とでもほざきながら余生を全うするこった。無様。

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まあ、あれだ。「咲く花もあり。盛る花もあり。散る花もあり。」という言葉をよくよく噛みしめるんだな。

潮来? 痛風? 塚本邦雄? ヘーシンク? 中華街のチェッカーズ・バー? 寝言は寝て言うんだな。おまえさんごときが塚本邦雄について「巨星」だなんだと抜かせる分際か? 場末の飲み屋のたわ言のような仕事、表現しかしてこなかったおまえが。身のほどをわきまえろ。三下詩人気取ったうえにインテリ風吹かそうと仰々しく並べたてたはいいが、インテリアに堕したおまえさん自慢の『現代詩手帳』ひとそろいはとっとと杉並区立中央図書館に寄贈しちまうこった。

つまり、吾輩がおまえさんに言いたいことは、長いあいだ懐深く忍ばせていた言説はただひとつ、憤怒の河、憎悪の谷、憤激の山を数えきれぬほど越えた果てにえた「最終解答」のメインディッシュだ。

もがき苦しみ、のたうちまわり、むごたらしく死ね。

以後はIPアドレスの「110.134.189.-」を拒否設定するのでコメントはおろか、閲覧もできないようになるからな。ケーブルテレビの海鮮パスタはIP固定だから解約しなけりゃ永遠にさよならだ。清々するぜ。七面倒臭いからAU携帯からの接続は根こそぎアク禁にしてやったぜ。悪気はないが悪意と怒気と憎悪は満載だ。どうしても吾輩のテクストを拝したいというならギャランティをきっちり払ってからということだ。命を差し出す覚悟でな。20年以上も昔の、未払いの「誇りと流儀に関するギャランティ」をな。

*國學院久我山→ 東海大→南青山2丁目伝説/東証1部7267社畜、B型趣味DJの「Mille Miglia」はまともに育ったか? 境界好き境目好きの加山雄三にならせないのか? 表層上っ面の知識教養にすぎぬものを小賢しさぷんぷんの「言いまわし」を賢しらに使うことによって相手を煙に巻き、取り入り、誑しこむ邪道邪悪なるワニ語の継承者としての息子には「通りを挟んだ品書きだらけの中華屋」の品書きワニ語翻訳はやらせたか? おまえさんの『現代の眼』『微笑』『新鮮』をはじめとしたイエロー・ジャーナリスト時代の恥部はちゃんとカミングアウトしたのか? オリジナルを飛び越えてクライアント、顧客をぶんどる極意は伝授済みか?

おまえさんの遺伝子を半分受け継いでいるんだ。知恵はまわるだろう。「悪知恵」「浅知恵」「猿知恵」という知恵は。もっとも、ポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウのフキコだかサセコだかアレアレモーモー偶蹄目だかフヌケコだかの腑抜けふやけたアレも伝わっているとすると大股開きヤリヤリビラビラ人生だろうがな。呵々大笑。

ところで、「最後の最後の虎の子、電車賃さえ注ぎ込んじまうパチンコ台」との腐れ縁は切れたのかね? 老婆言ながら言っておく。おまえさんの言説には「強度」と「志」と「精緻明晰」がない。あるのは胸糞の悪くなる「媚び諂い」と時代遅れカビだらけの「センス自慢」と反吐が出るほどの「阿り」と狡猾な「盗人魂」だけだ。自分でもそのことは薄々感づいていたのではないのか? いまさら、どう足掻こうと間に合わないがな。それと、わけのわからぬ「旧仮名遣い」は恥ずかしいかぎりだぜ。「う」を「ふ」と書き換える意味も価値もありはしない。やるなら、日常会話のレベルでもやってみるがいい。それなら、フロック、ギミック、トリックで少しは面白いかもしれんな。ただし、甲州街道沿いと青梅街道沿い限定だ。

メインディッシュの二皿目は高度なテーブルマナーが要求される。今から準備万端整えておくようにな。スープの冷めない距離というのはなににつけ大事なことだ。おかわりはできない。ふたつの意味でな。


最後にひと戯れ歌。

このアレがイイネとフキコが言ったから6月1日は湯ぼぼ酒まら記念日

【ホイチョイ流補遺】
ひっそりコソコソと吾輩ブログを読んでいる千葉の松戸の土地持ちの下衆外道の取り入り誑しこみ名人のアルビノ白子女! おまえさんに言いたいこともこれとおなじようなもんだ。腹だけはくくっとけよ。「手加減なし。容赦なし。」という吾輩の手法、Modus Operandi のことはおまえさんもよくわかってるはずだ。吾輩について言うならば、熱りがさめることなんぞないこともな。一人一人確実に。残るはおまえさんも含めて11人だ。当然の如く、逃げ場はない。ヒントはSigue Sigue Sputnik!(シゲシゲ・スプートニク!/行け! 行け! スプートニク号!)だ。

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by enzo_morinari | 2013-06-01 10:00 | 千のメルドー | Trackback

鎌倉駅前の「普通の食堂」で正直定食と常識定食と馬鹿丼を虚食する。

 
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鎌倉駅前「普通の食堂」の正直定食並びに常識定食、馬鹿丼及びライフスタイル自慢、暮らし自慢、センス自慢、仲良しごっこに余念のない鎌倉夫人WDL

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悲劇にあって人を救うのはうわべのやさしさではない。悲劇の本質に見合う深みを持つ言葉だけだ。HE-YO-BRO
正直と常識と愚劣と。このみっつがこれまでに犯してきた罪深さに比べればネロとカリギュラさえ善人だ。E-M-M


「正直」と「常識」と「愚鈍」と「愚劣」をめぐる不愉快きわまりもない風景
自身のことに言及するのに「正直者が馬鹿を見る」とはまちがっても言えまい。少なくとも吾輩が片手間ながらに学習してきた学校教育、社会常識学校においては。だが、そのような恥も知らぬげな「風景」に直面した。

正直者が馬鹿をみる? おまえさんが正直かどうかはともかく、常識云々を持ち出すまでもなく、甚だしい勘ちがい付きの愚か者であることはまちがいない。これは吾輩が保証してやろう。正直の話も常識のことも「まともな日本国語」を使えるようになってからにするがいい。改行だらけのスカスカぶりはおまえさんのおつむの様子、具合を表してでもいるのだろうが、まったくもって気色が悪い。おおかた、おまえさんの人生のありようを象徴してでもいるんだろうが。

当事者ではない第三者が正直な言動によって損害を蒙った者について「正直者が馬鹿を見る」とは言いえても、当事者である本人が自らのことを「正直者」と言い、その正直さによって損害を蒙った(だれかの損はだれかの利益利得でもある)本人が「馬鹿を見る」とはいかにも滑稽な話だ。つまりこのポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウが言いたいのは、「わたしはこんなに正直なのに損ばかりしている。わたし以外のひとが得をしている。ムカつく。わたしだけが得すればいいのに!」ということだ。

驚くべきことにこのポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウに同調するポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウがいる。かれらのメルクマールは「おべんちゃら」と「きれいごと」と「おためごかし」と「仲良しごっこ」と「親和欲求」と「常識」と「普通」である。吾輩にとっては退屈きわまりもないが、当の本人たちにはたのしくてしょうがないらしい。そんなようなポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウどもが山のようにいる。

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常識? それってうめえのか? ダシはきいてるか? 歯ごたえはどうなんだ? 作者はだれだ? だれが作ったんだ? 「常識」とやらを作ったのはいったいどこのどいつだ? いますぐ呼んでこい。首に縄をつけてでもいいから連れてこい。袋叩きにして踏みつぶして足腰立たないようにしてやるから。

吾輩が学び、身につけてきた「常識」はこうだ。少なくとも困憊困窮困難のただ中にある者がいたら知らんぷりしない。見て見ぬふりをしない。意味のない贅沢、奢侈は慎む。暮らし自慢、ライフスタイル自慢、仲良しごっこに日も夜もない輩が「常識」だって? 笑わせやがる。グロテスクなエゴイズムと愚にもつかぬ「親和欲求」と「認知欲求」まみれのポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウどものたわ言にはうんざりだ。おまえたちのたわ言には述語、目的格、叙述が決定的に欠如しているので意図、意味を汲み取ることができない。すべての発語の語尾には「おべんちゃら、きれいごとです」と単語登録しておくがいい。

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Honesty is ill for Thriving. 正直は繁栄にとって都合が悪い。
The Properer Man The Worse Luck. 品性のある者ほど運に見離されている。

少なくとも、「正直」と「常識」と「愚鈍」と「愚劣」をめぐる不愉快きわまりもない風景に登場する者どもには品性のひとかけらさえ見いだすことはできない。品性品格のある者はおべんちゃらもきれいごともおためごかしも決して口にしない。

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by enzo_morinari | 2013-05-11 10:19 | 千のメルドー | Trackback

千のメルドー#1

 
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  アンチ・シナプスの使徒として死を賭して。

 世界は糞だらけだ。世界だけではない。人間も社会も国家も自然も、そして宇宙も。もちろん、アヌースもアナールもルナールもフラゴナールもジャンクメールもフェメールもフェルメールも。言葉、言語の果てまで糞だらけ、糞まみれ。

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 なぜ糞だらけになったのか? 理由、原因はアメリカン・バッファローの糞の山のようにあって特定することはほぼ困難である。しかし、糞のひとつひとつ、糞粒の一粒一粒をあげつらうことで運がよければ核心に迫れる可能性がいくぶんかは残されている。糞の問題で重要なのは色、形状、におい、そしてだれの作品であるかだ。

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by enzo_morinari | 2013-05-01 09:08 | 千のメルドー | Trackback