カテゴリ:Credo Quia Absurdum( 4 )

不条理ゆえに吾信ず#4 紅蓮に染まった源氏の旗印を掲げた血みどろの武将

 
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木村藤子には心底驚かされた。前後の背景事情経緯は省くけれども、木村藤子は虹子を一目見るなり、突然、「あら。鉄砲水では大変なことだったわね」と言い放った。虹子は目を見開いて口あんぐり。吾輩は鳥肌が立った。

鉄砲水。それは虹子の実家が鉄砲水に遭い、命からがら生き延びた出来事だった。40年近くも昔、虹子が中学1年のときのことだ。そのときの鉄砲水で虹子の実家のある集落では多くの人が死んだ。そのとき助かったのは、「白蛇様」を篤く信仰していた虹子の爺様が鉄砲水襲来の直前に「二階さ、上がれ」と言って一族の者全員を避難させたからだった。

爺様の言は別として、木村藤子がなぜ虹子の「災難」を言い当てえたのかについてはいくつかの解釈を得ているけれども、まだ完全ではない。超能力だの心霊現象だのというなまくらな言葉でくくることに意味も意義もないが、対象者の心性、心的現象あるいは意識と同期同調あるいは解読し読み取る能力を持つ者はたしかにいる。

木村藤子と会うのは虹子も吾輩も初めてであったし、木村藤子を吾輩たちに紹介した人物は吾輩の取引先の人物であった。木村藤子も紹介者も虹子の出自、出身地、経歴を知るすべはないし、そのことは吾輩についても同様だった。

別れ際、それまでいかにも不自然に吾輩について言及しなかった木村藤子が言った。「あなたの背後に紅蓮に染まった源氏の旗印を掲げた血みどろの武将がいる」と。言葉を失い、総毛立った。吾輩の家紋は御所車(源氏車)だ。

紅蓮に染まった源氏の旗印を掲げた血みどろの武将。遥かに遠い昔、まったくおなじことをまだテレビや雑誌などのメディアに登場するずっと以前の無名時代の宜保愛子に京浜急行の仲木戸駅近くの雑居ビルの一室で言われたことがあざやかによみがえった。吾輩がいつも世界を他者をぶった切りたくて仕方ないのはこの「紅蓮に染まった源氏の旗印を掲げた血みどろの武将」の影響ででもあるか。

不条理ゆえに吾信ず。

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by enzo_morinari | 2013-10-11 06:26 | Credo Quia Absurdum | Trackback

不条理ゆえに吾信ず#3「不条理なトライアングル」をめぐるいくつかの問題

 
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 不思議というよりも驚異驚愕驚嘆、驚くべきことが起こった。1970年11月25日の明け方に見た夢の映像と完全に一致する映像作品を発見したのだ。まずは下記を御覧いただきたい。

 不条理なトライアングル / アラカワ・ヒロシの重なる記憶

 忘れもしない。1970年11月25日。この日は三島由紀夫ほか楯の会の構成員が自衛隊市ヶ谷駐屯地で「東京事変」を起こした日だ。三島の「三」。三角。トライアングル。東京事変勃発の直前、靖国神社の拝殿へとつづく石畳ですれちがった三島由紀夫から噴き出していた青白い炎の「青」    。この事態、事象を「偶然の一致」で片づけてよいのか? そこにはなにかしらの「意志のちから」が働いているのではないのか?

 1970年11月25日、自衛隊市ヶ谷駐屯地総監室。三島由紀夫(平岡公威)、森田必勝ほか「楯の会」構成員による「東京事変」勃発。テラスから「檄」を飛ばす三島由紀夫をだらけきった姿で見上げる自衛官。飛び交う怒号と下衆な野次。

 吾輩はこの日、一報を知るや、ランドセルを教室に放り投げ、市ヶ谷駅まで地下鉄を乗り継ぎ、そこから靖国通りをひた走りに走って市ヶ谷駐屯地前にたどり着いた。途中、赤信号を突破しようとした市ヶ谷本村町の交差点で都バスに轢かれそうになったがぎりぎりで回避し、「ばかやろう!」の定番捨て台詞をくれてやるというおまけつきである。もちろん、「現場」に立ち入ることはできず、外から「三島死ぬな、三島死ぬな」とつぶやきながら、現場の修羅を想像した。「三島死ぬな」と思いつつも、死ぬことはわかっていた。三島が『豊饒の海』を書きはじめた時点でそんなことはわかりきっていた。わからぬほうがおかしい。だが、どうしても、なんとしても、三島由紀夫には死んでほしくなかった。生きて、吾輩の思いを代弁するがごとき「物語」を書いてもらいたかった。

「東京事変」を遡ること1年半。1969年5月13日。文武両道軒・三島由紀夫は東京大学教養学部900番教室で東京大学全学共闘会議、いわゆる全共闘の若造青二才どもと対峙していた。五月祭の呼び物イヴェントに三島由紀夫がやってきたのだった。「近代ゴリラ」と記された三島由紀夫のパロディ立て看板を指差し、苦笑する三島。
 会場入口前の立て看板をみる三島由紀夫の顔には、その日の対論が戦いにはならないことへのあきらめの表情が浮かんでいる。「諸君がひと言、天皇と言ってくれたら、わたしはきみたちと共闘する」と三島由紀夫は誘い水をかけたが、東大全共闘のへっぽこボンクラどもはへらへらと半笑いを浮かべるのが精一杯だった。なかでもとりわけて不愉快なやつが、学生結婚し、子供がいることをひけらかすべく赤ん坊を抱いて参加し、無礼無作法にも「おれ、つまんねえから帰るわ」とほざき、途中で戦線離脱した「学生C」、つまりは現在、うさん臭く鼻持ちならないことこのうえもない前衛劇団を主催してふんぞり返っているゴミアクタマサヒコである。このたぐいの輩の遺伝子が現在の2ちゃんねるあたりに象徴される「下衆外道臆病姑息小児病」を生んだと断言しておく。
 東大全共闘の小僧っこ猿どもが近代ゴリラに必死で「楯突こう」とする姿は滑稽でさえあるが、勝負は近代ゴリラに軍配である。相手は醜の御楯として出立たんとする者だ。志なき小僧っこ猿どもの鈍ら刀など鼻から刃が立つはずもない。

 三島由紀夫 VS 東大全共闘
 エクリチュールの巨人 VS エゴイズムの群れ
 覚悟性 VS 逃走性乃至は放棄性
 近代ゴリラ VS 小猿集団
 憎悪する母性 VS キャラメル・ママ


 この討論をこのようにとらえ、さらに勝ち/負けという単純な二項対立図式で読み解くのも一興で、あきらかに「志」のちがいがディベートの中身に出ている。日本国語とも思えぬ未消化の言葉、「砂漠のような観念語」を吐き出す小僧っこ猿どもと、少なくとも「痛みとしての文化」を含めた、たおやめぶり/ますらおぶりの言葉の森を渉猟してきた者との戦いは戦闘がはじまる前から勝敗はわかりきっている。というよりも、そもそも小僧っこ猿どもは土俵にのぼることすらできていないのだ。たとえそれが「時代錯誤」「勘ちがい」「情死」と下衆外道どもに評されたとしても、三島由紀夫の「行動」はふやけた日本社会に衝撃を与えた。高橋和己をして、「しおからを覆して哭く」と言わしめた「市ヶ谷の自裁」は40年以上を経過したいまも、たとえ市ヶ谷駐屯地が現代建築の粋を凝らした防衛省に変貌を遂げたとしても、その衝撃の意味を失わないし、色あせない。そのことに気づかぬボンクラ、ヘッポコは深く反省せねばなるまい。(と、煽っておく。)

 三島由紀夫は四部作『豊饒の海』を書き終えてのち、楯の会会員とともに市ヶ谷に向かったわけだが、吾輩は直前に靖国神社に詣でる彼らと拝殿へとつづく石畳ですれちがっている。こども心にも圧倒的ななにごとかを嗅ぎとり、特に三島由紀夫本人から蒼白い炎のようなものがゆらゆらと噴き出していたのをおぼえている。そのことを同行の母親に言ってもまともに相手にはされなかった。あのとき、三島から噴き出ていた「蒼白い炎のようなもの」の意味をこそいつの日か解読したいものだ。
 ところで、夏の日盛りを浴びてしんとしていた「豊饒の庭」はいま、どのような時間、どのような記憶をたたえているのだろう。縁があれば飯沼勲君あたりに案内してもらいたいと思う。 

 飯沼勲よ。君はいま、どの滝で水垢離をしているのだ? 幽き群青の虚空に浮かぶ漆黒に彩られし不条理な三角形をみてでもいるのか?


 不条理ゆえに吾信ず。
 
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by enzo_morinari | 2013-05-01 02:19 | Credo Quia Absurdum | Trackback

不条理ゆえに吾信ず#2

 
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鴎外の『雁』には不忍池を泳ぐ雁に石礫を投げつけたところが、みごとに命中して雁が死んでしまうという不条理劇のワンシーンのような場面がある。この雁をめぐるエピソードは『雁』を象徴するものだ。吾輩にはこの話と寸分たがわぬ経験がある。吾輩は尻の青みのとれぬ野心だけは満々の法学の徒であった。異なるのは不忍池ではなく三四郎池であるという点。

その日、吾輩は團藤重光に「人格的責任論」をめぐる種々の問題で愚にもつかぬイチャモンをつけ、ホトケさまのごとき團藤翁をほとほと困り果てさせ、意気揚々と三四郎池へとやってきたのだった。同行者のNは二歳年上の風采の上がらぬ地方出身者、典型的な田舎者だった。吾輩は年上のNをなんのかのと連れ回し、顎でこき使っていた。真夜中に吾輩の下宿まで呼び出すことさえあった。酒と酒の肴を調達させて。にもかかわらず、Nはいつも二つ返事で吾輩の不条理傍若無人きわまりない要求を飲み、吾輩の元に喜び勇んでやってきた。

「おい、N。あそこの雁に石ころを投げて殺せよ」
「そ、そんなあ。無理ですよ。当たるわけないですって」
「おまえはそれは蓋然性の問題を言っているのか? それとも、ただ単におまえの臆病小心の立ち現れか?」
「その両方です。Dさんもよく御存知のように折衷説がぼくの基本的な立ち位置ですからね」
「ふん。小癪なやつだ。とにかくだ。石を投げろよ」

吾輩が言うとNは渋々足元の石礫をひとつ拾い、しばし雁の動きをうかがってから、見るも無残なフォームで石礫を投げた。Nの投擲フォームはヤンキー・スタジアムのマウンドに初めて立った緊張から左右のバランスを失い、緊張のあまり全身の筋肉という筋肉が強張って、おまけにスタンドとベンチからの痛烈な野次によって舞い上がったMLBルーキーである軟体動物のたぐいのようだった。ところが ──。

石礫はゆるやかな弧を描きながら一羽の雁に向かって吸い込まれるように飛んでいき、頭部のど真ん中に命中したのだ。夢をみているような気分だった。見れば、Nは全身をわなわなと震わせている。だっさい鼠色のナイロンのズボンの裾からは湯気を帯びた液体が滴っている。Nは小便を漏らしたのだ。

「うぎゃあ!」とNは叫び、その場にへたりこんだ。「うぎゃほほぎゃふふふふ」とさらに叫ぶ。
「ばかやろう! しっかりしろ!」

吾輩はそれしか言えなかった。吾輩もかなり動揺していたのだ。そして、ここからが『雁』よりもおもしろくなる。柄にもない動揺から復帰したあと、吾輩はすっかり気をよくしてNとともに無縁坂をくだり、不忍池に向かった。歩いても10分とかからない。目と鼻の先と言ってもいい。図らずも不忍池には雁の群れがいた。吾輩はNにもう一度石礫を投げるように言った。Nは渋々同意し、石ころを探した。手ごろな石は中々見つからず、Nは中之島のお社のあたりまで石ころを拾いに行った。Nが拾ってきたのはひと抱えもある黒御影石だった。

「おまえ、なんだよ。そりゃ」
「いいのがなくて。でもだいじょうぶです。この石で必ず仕留めてみせます」

Nはすっかり自信をつけたようだった。Nは不忍池の淵に立ち、足元をならし、踏み固めるような動きをみせた。全盛期の江夏豊、21球でダイナマイト・ミサイル・トマホークICBM打線を封じ込めた江夏豊のような腹のすわった風格さえ漂わせていた。Nは大きな黒御影石を軽い身のこなしで拾い、おもむろにふりかぶった。そして、30メートルほど先の雁に向けて(おそらくN本人は)投げた。と思ったが、黒御影石はNから離れず、Nとともに真冬の不忍池の池の中へ堕ちていった。

「これでいい。これでゴドーが永遠にやってこなくてもおれは待ちつづけることができる」

吾輩はそう心の中でつぶやいてから、不忍池を離れ、上野の雑踏の中へと向かった。遠くで助けを求めるNの悲しげで癇癪にさわる声が聴こえた。

蛇足
Nこそは福島の原発事故発生後、原子力反安全・不安院のスポークスマンとして「東大話法」「霞が関文学」によって世間を世界を煙に巻き、ついでに自分にはヅラを巻いた例のヅラメガネである。

N。最強の官僚キャラ。フグスマの原発事故後、会見にのぞむ原子力反安全・不安院の担当者がついついほんとのことを言っちゃったり(「溶けちゃってます。メルト・ダウンです」)、黙秘したり(「…。」「……。」)、不貞腐れちゃったり(「もう3日も寝てないんで、手短に簡潔にやりましょうよ」)という失態によって次々に更迭されたのを受けて、急遽、環太平洋村から呼び寄せられたヅラメガネは、初めのうちこそ苦手な理系問題にへどもどしていたが、時間の経過とともに保身テク、ごまかしテク、言い逃れテク、天下り先確保テク、ヅラテクを次々と繰り出して記者たちを煙に巻き、ついでに自分にはヅラを巻いた。不安院が原発事故現場から撤退したことについて追及を受けると、間髪をいれずに「(権力さえあれば)現場にいなくても規制はできる」との名言を残す。いっぽう、「不安院のあいつはヅラだ」等の風評被害に悩まされ、身も細り、毛も抜ける日々を送ってもいる。ライバルは「とくダネッ!」のオヅラ・トモアキ。愛娘の舞ちゃんはテプコ・アトミック・ワンダーランドの社員。父親と瓜ふたつ。やはり、いつの時代も不幸はそれぞれに不幸である。

2011年3月13日より、連日、原子力反安全・不安院担当としてテプコ・アトミック・ワンダーランドのフクシマ原子力発電所事故についての記者会見にのぞむ。その後、職場ファックがバレバレしてフクシマに飛ばされる。学生時代、だっさい臙脂色のナップザックに有斐閣小六法、我妻榮『担保物権法』『民法基本判例集』、團藤重光『刑法綱要』、平野龍一『刑法概説』、芦部信喜『憲法訴訟の現代的展開』とともに団鬼六やら宇能鴻一郎やらケン月影やら縄やら鞭やら蝋燭やらを忍ばせていたことを知るのは、なにを隠そうこの吾輩だ。

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不条理ゆえに吾信ず。
 
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by enzo_morinari | 2013-04-24 23:18 | Credo Quia Absurdum | Trackback

不条理ゆえに吾信ず#1

 
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セブン-イレブンのレジで髪の毛をキンキラキンに染めた若造が吾輩の商品に関する問いかけに返事をしないばかりか、こちらを見もしないので憤怒、激情が瞬時に沸き上がった。パンツの右ポケットの中の小刀を握りしめ、ポケットの中で鞘を抜いた。抜き身を躍らせた。吾輩の右手に握られているのはモンブランのマイスターシュテュック149だった。キンキラキン坊主はこのとき初めて口を開いた。

「いい万年筆ですねえ。ボクもずっと使ってますよ。ボク、モンブランの大ファンなんです。ふふ。はい、これおでん。」

おでんはペンよりも強し。

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不条理ゆえに吾信ず。
 
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by enzo_morinari | 2013-04-24 15:16 | Credo Quia Absurdum | Trackback