カテゴリ:コトリのうた( 1 )

コトリのうた #1

とてもたいせつで正しいこと
きょうは木曜日。コトリの水泳教室の日だ。コトリはバスの窓から夏の陽射しにさらされた街に見入っている。コトリは5歳。彼女の背もまっすぐな髪もどんどん伸びている。どんどんまぶしくなっていく。秋がやってきて、冬を越して、春の盛りの頃には、真新しいランドセルを背負ったコトリはもっと大きくなっていて、髪も伸びていて、さらにまぶしく輝いているのだろう。

「こんどのプールは木曜日がいい」とコトリが言ったのはおとといのことだ。

「どうして?」とわたし。コトリの頬がほんの少し染まる。コトリがみせる初めての表情だった。
「おにいちゃんに会えるから」とコトリは答えた。
「おにいちゃん?」
「うん」
「どこのおにいちゃん?」
「わかんない」
「わかんない」
「うん。おにいちゃんはいろんなことをわたしに教えてくれるの」
「どんな?」
「長さはセンチで、重さはグラムで、男の子はボーイで、女の子はガールで、たまごはエッグで、色はエッチで、愛はカゲロウで、恋はミズイロで、かわいそうというのはホレたってことで、おかねはテンカノマワリモノで、世界はラヴ・アンド・ピースだって。ねえ、ママ、あってる?」
「あってるわよ。そのおにいちゃんはコトリにとてもたいせつで正しいことを教えてくれたのよ」
「たいせつで正しいこと」
「コトリはおにいちゃんが好きなのね?」
「うん。大好き」
「そう。ステキね」
「ステキ。ステキと好きは似てるね」
「似てるね」
「ママには好きでステキなひとはいないの?」
「うーん」
「ママにはむずかしい問題なのね?」
「うん。むずかしい。むずかしくてスリリング」
「エリコさん。こんどコトリが質問するまでにちゃんと勉強しておきなさい」
「はい」

バスが川沿いの街のプールに着いたとき、コトリは「いろんなことを教えてくれる大好きなおにいちゃん」の姿を求めて身を乗り出した。コトリの視線がぴたりと止まったその先に小学校2年生くらいの男の子が立っていた。コトリに気づいた男の子は弾けるような笑顔をみせた。この夏に見た笑顔のなかで2番目にまぶしい笑顔だった。もちろん、一番まぶしかったのは男の子を見るときのコトリの笑顔だ。「二重らせん。歴史は繰り返す」とわたしはつぶやく。駆け出すコトリの向こう側、夏の終わりの木曜日の午後のプールからまぶしい歓声が聴こえてきた。

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好物と美学と森の緑のスパゲティ
コトリは食が細い。それはわたしからの贈り物。わたしからコトリへの贈り物はほかにもたくさんあるけれど、食の細さがコトリに伝わったことには少しだけ胸が痛む。コトリはふだん、ごはんはおちゃわん一杯の半分くらいしか食べない。でも、イクラのときはごはんをおかわりする。コトリはイクラが大好きなのだ。(「ママより好きかも♪」とコトリがモアイ像の置物にこっそり耳打ちしたことをわたしは忘れない。忘れませんとも!)FOO:D magazine の特売で買ったマスコを食卓に並べたらコトリは見向きもしないことがあった。「コトリちゃん。どうして食べないの? イクラだよ」とわたしが言っても,ふくれっ面をしてそっぽを向いている。

「ママ! うそはドロボーのはじまりよ! これはイクラではありません。粒の大きさがちがいます! こどもにだってわかります! とーぜん、コトリにはバレバレです!」
「ママがまちがってましたorz」

コトリはまぐろの赤身も大好物だ。「トロはべたべたして気持ちわるい。それに切れ味と透明感に欠けます」とコトリが言ったとき、わたしはあやうく椅子からころげ落ちそうになった。コトリは食べものと飲みものと身につけるものと髪型と言葉づかいにすごくこだわりを持っているのだ。彼女のこだわりはいまや美学とさえ言っていいほどゆるぎない。そんなコトリの一番の好物が「森の緑のスパゲティ」だ。「森の緑のスパゲティ」はつまりスパゲティ・バジリコなのだけど、コトリは「スパゲティ・バジリコ」とはけっして言わない。

「ママ、きょうは森の緑のスパゲティにうってつけの日よ」
「そうね。あとでいっしょにバジルを摘もうね」
「そうね。森の緑のスパゲティはディ・チェコでね。前回のマ・マー・スパゲティはいただけません。まったくいただけませんでした!」
「ごめんなさい。本当にごめんなさいです! あの日からスパゲティはディ・チェコ以外は食べませんと神宮外苑の銀杏並木に約束しました」
「ママもやっとものごとの仕組みがわかってきたようね。コトリはすごくうれしい」

そう言って胸を張るコトリのまっすぐな髪からバジルの青々とした香りが立ちのぼってきた。

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朝のコトリとあらかじめ失われた森の緑のカーテン
朝めざめてベッドから出るとコトリはまっすぐわたしの部屋にやってきて、わたしの褥にもぐりこむ。そして、「ママ、おはよう」とハグをする。やわらかくゆったりとして満ち足りたコトリのささやき。わたしはそっとコトリのすべてを確かめるように抱きしめる。そして、コトリの髪に鼻を押しつける。いい匂い。世界で一番わたしを勇気づけ,やすらかにする匂い。わたしの朝の宝石のようなひとときだ。「マッティ、お腹痛いのはなおった?」とコトリはわたしの顔を覗きこみながら言った。

わたしがコトリに感心するところは、彼女の思考の基本軸に時間の流れがあることだ。コトリはけっして物事を点の集合として扱ったりしない。忘れていたことを「ふと思い出したから」と口に出すことはなくて、表面に立ち現れる言葉は、見えない場所で常に流れている伏流水のような思考に裏打ちされているのだ。つまり、コトリは言葉に出さなくても、わたしのことを常に心配し、心を痛めているということ。

「ええ、ママはもう大丈夫よ」
「よかった。それならコトリも大丈夫」

7時15分。「じゃあ、行くね」と彼女は世界で一番親愛と慈しみに満ちた場所から抜けだす。最近のお気に入りであるシアサッカー地の生成りのワンピースに着替え、パステル・ブルーのリボンがついた麦わら帽子をかぶると、コトリはスキップを踏んで出かけていく。目的地は通りを隔てたわたしの両親の家だ。この夏の定番行事。コトリの目的は朝食前に新聞を読むジージーと遊ぶこと。
「ママ、”おとなの鍵” をはずして」

コトリにうながされてドア・チェーンを外す。同級生の中では背の高いコトリだが、それでもドア・チェーンにはまだ手が届かないのだ。ドア・チェーンだけではなくて、コトリは自分の手の届かないものはすべて「おとなの」と形容する。「おとなのスウィッチ」「おとなの時間」「おとなの食べ物」「おとなの扉」という具合に。

窓の外は秋の匂いが混じった空気で満たされている。駆け出すコトリの背中に向かって車に気をつけるよう声をかけ、通りを無事に渡ったことを確かめてから、ドアをそっと閉める。

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おはなしの種、おはなしの芽、おはなしの花、世界で一番好きなひと
物音ひとつしない夜ふけ。「マッティ、おはなしの種を食べてください」と言って、コトリはわたしのベッドにもぐりこんでくる。夜毎の、わたしとコトリの幸福な時間。つかの間の至福のときだ。

「はい。あーんして。マッティ」

コトリは細く透き通った指先で「おはなしの種」を注意深くつまみ、わたしの口元に寄せる。

「ゆっくり静かに、穏やかな気持ちで飲み込むのよ、マッティ」
「ええ。わかってるわよ。コッティ。ゆっくり静かに、穏やかな気持ちで、ね」

おはなしの種を飲み込むと頭のてっぺんのあたりがムズムズしはじめる。そして、「ポロン」と微かに音がする。世界の中心からゆらゆらと昇ってきた小さな泡粒がもうひとつの世界の中心にたどりつき、弾ける。

「マッティ。おはなしの芽が出たね」
「そうね。今夜も出たね」
「今夜はどれくらいお水をあげたらいい?」
「たっぷりと、気が済むまで」
「それでは今夜は2000トンあげることにします」
わたしは急にコトリが愛おしくてたまらなくなる。抱き寄せ、抱きしめる。強く。とても強く。
「痛いわよ、マッティ。それにコトリはいまたいせつな作業中です」
コトリは2000トンの水やりをすませ、おはなしの芽に見入っている。わたしは iTunes に「水」をキーワードにして作ったスマートプレイ・リストを呼び出す。いつものこと。リストの1曲目は B. エヴァンス & J. ホールの『ダーン・ザット・ドリーム』

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足だけはいる川 「水と光の中にあなたをみつけました」
夏休みの終わりの朝。清潔で健やかな午前8時の光を受けてきらめく水の中にコトリはいる。一心に水をみつめ、戯れ、動きまわり、そして喜びを全身であらわすコトリ。清冽な湧き水が緩やかな流れをつくり、絶え間なくコトリの足元を洗う。水と光に包まれたコトリは北の森の妖精のようだ。コトリが水の中を動くたびに水しぶきがあがり、飛沫のひとつひとつに光が反射する。

「気持ちいいね、ママ」
「すごく気持ちいいね」
「コトリはいっぱい幸せです」
「ママもよ」
「ママはコトリが幸せだと幸せなんだね」
「そうよ。コトリちゃんが幸せだとママはすごく幸せ」
「コトリはママが幸せだと、すごくすごくすごく幸せ」

あたたかなものがこみあげてくる。

「それではママにコトリから質問です」と言ってコトリはわたしの真正面に立ち、居ずまいをただした。背筋はぴんと伸び、わたしをみすえる表情はおとなそのもの。いくつもの水の滴が頬を伝い、きらきらと光っている。公園の中心に広がる森の一番奥まった場所、神の小さな依代がある方向から吹いてきた清明の風がコトリの真っすぐな髪を揺らす。神々の清らの息吹がコトリをまるごと包み込んでいるようにも感じる。

「エリコさんはコトリが悲しかったり、さびしかったらどんな気持ちになりますか?」

言葉に詰まってしまうわたし。しかし、コトリは気にする様子も見せず、また清流のただ中を走りまわりはじめる。心が泡立ちかけたけれど、幸せなコトリを見ているうち、またすぐに心は浮き立ってきた。

ゆうべ帰宅が遅くなったわたしに、全身をこわばらせながらコトリは言った。

「コトリはママがどこにいるのかわからなくなっちゃったよ」
「ごめんね。コトリちゃん」
「いいよ。ママはコトリを忘れたけど、コトリはママを忘れなかったし、コトリはママをみつけたんだし、いまはママはたしかにコトリの目の前にいるんだから」

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「泣いたのね?」
「うん」
「いっぱい?」
「いっぱい」
「すごくいっぱい?」
「すごくすごくいっぱい」
「悲しくてさびしかったのね?」
「うん。ポケモンのゲームをママに隠されたときの999倍くらい。もうコトリは二度とママには会えないのかと思いましたよ」

わたしは小さなコトリがさらに小さく、かよわく儚く思えて、このままどこか遠く、二度と手の届かないところへ行ってしまうような気がして、腕を伸ばし、抱き寄せ、そして力のかぎりに抱きしめた。

「コトリちゃん。あしたの朝、お水とお日さまと神さまのいる秘密の場所へ行きましょうね」
「ほんと?!」
「ほんと!!」
「ねえ、ママ。999の次はなあに? まだ公文で習ってないの」
「999の次はね、それはね。たくさんすごくいっぱい」
「コトリはいま、ママがコトリを好きなたくさんすごくいっぱい倍ママが好き」

コトリちゃん。コトリッチ。コッティ。ママは夏休みの終わりのきょう、水と光の中に、真っすぐな髪がさらに伸びて、背もまた少し大きくなって、まぶしく輝くあなたをたしかにみつけましたよ。ありがとう。来年の夏も再来年の夏もそのまた次の年の夏もずっと。

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自転車の乗り方指導実習と天使の階段
きょうは夏休みが終わって初めての日曜日(と思ったら土曜日)。朝からコトリに「自転車の乗り方指導」をした。しかし。しかししかししかし! わたしは「自転車の乗り方指導実習」が大の苦手科目。「教え方が悪い!」「すっごく手抜き!」「ちゃんと見てて!」「なんか変!」「とにかく変!」といつもコトリに叱られる。わたしが自転車の乗り方指導実習が苦手なのはわたしが自転車に乗れないからだ。運動神経はいいほうなのに自転車にはなぜか乗れない。

自転車に乗れない原因を自分なりに分析したことがある。結果、わたしは「複数のことを同時に処理しようとすると頭の中のミンミン蝉が一斉に鳴きだす」ということが判明した。つまり、わたしの脳内CPUは同時並列処理に向いていないということ。サドルに座って、ハンドルを握って、前を見て、耳をすまし、漕いで、ブレーキをかけてという一連の行為を状況の変化に応じて組み合わせながら行うのはわたしにとっては至難の業、神業、神の見えざる手、「おかみさん、時間ですよ」、そして、奇跡に等しいのだ。100万匹のミンミン蝉が一斉に鳴くときのうるささときたら樽犬さんのマドレーヌ・トークを耳元で2時間ぶっつづけで聴かされるのと同じくらい、

五月蝿い!
喧ましい!
鬱陶しい!
K F C の 脂 の い っ ぱ い つ い て る ほ う が 好 き♪

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コトリの「自転車の乗り方指導」を終えて帰ろうとしたとき、コトリが西の空を見上げ、空を指差して言った。

「ママ! コトリはあの階段にのぼるよ。ママもいっしょにきてよ」

コトリが指差す空には天使の階段が目映くやわらかく輝いていた。レンブラント光線はゆっくりと方向をかえ、ついにわたしとコトリに降り注いだ。そして、4人のバンビちゃん天使が舞い降りてきた。コトリはとてもうれしそうにバンビちゃん天使たちに挨拶をした。

「こんにちは。こんにちは。こんにちは。こんにちは」
「こんにちひ」
「こんにちふ」
「こんにちへ」
「こんにちほ」
「あれー。へんなのー」
「あれー。へんみえみりー」
「あれー。へんみまりー」
「あれー。へんみよう」
「あれー。へんみ、へんみ、えーと、えーと、へんしん!」

バンビちゃん天使のうちの1人がゾンビちゃん天使に変身したので、わたしとコトリは鉄板プレート焼肉パーティの準備があるからとうそをついて、ジージーとバーバーの待つおうちへ帰った。後ろから前から、バンビちゃん天使3人とゾンビちゃん天使の抗議の声が聴こえた。抗議の声にはときどき、「ブーフーウー、ブーフーウー」というコブタちゃんの鳴き声が混じっていた。みると、バンビちゃん天使のうちの1人がコブタちゃん天使に変わっていた。無性にヘルシンキが懐かしかった。夏の疲れが出ているのだと思うけれど、わたしは永遠にヘルシンキには行けない気がする。人生や日々の暮らしはそうそうヘルヘッヘンドできないから。人生や日々の暮らしは晴れときどきブーフーウーだから。


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by enzo_morinari | 2012-09-20 19:28 | コトリのうた | Trackback