カテゴリ:東京の午睡( 11 )

谷中びとの時間/ある若い友人との「再会」

c0109850_344975.jpg

 五月。三社祭の頃だった。浅草寺観音堂裏の洋食屋、『グリル グランド』で昼飯を食べた。パン・コキーユがこの店の名物にして一番人気である。芸者遊びにうつつを抜かしていた時代、いまはなき「治乃家」の離れの座敷でよく出前した。当時、売り出し中だった胡徳やまいこや千晶や香名恵の芸者衆とともになつかしい。

c0109850_423116.jpg

「パン・コキーユ」は食パン半斤の中身をくりぬき、できた空間に絶品のベシャメル・ソースにからまったマカロニや海老やその他もろもろの具をしこたま詰め込んである。そして、焼く。外はカリッカリのサックサクで、中はとろ~りである。ここにもまごうことなき「幸福」のカタチがある。パン・コキーユとともにプレーン・オムレツをケチャップ抜きでオーダーし、岩塩のみで喰う。なんと通な吾輩であることか。当然のごとくビールをグビる。さらにグビる。尿酸値上昇覚悟で毒喰らわばとグビる。痛みをともなった幸福はさらに加速する。幸福は痛みをともなっているくらいがちょうどよろしい。「ハッピー♪」と言うな。「ラッキー!」とも言うんじゃない。「ランチ♪」ではなく「昼めし」もしくは「昼餐」と言え。「カフェ」ではなく「喫茶室」のほうが品がある。「ドライケーキのウエストでございます。」だ。

c0109850_3594858.jpg

『グリル グランド』で「幸福」を痛いほど味わった吾輩は哲の馬の王、チネリ・スペシャル・コルサで谷中を目指す。半年ぶりだった。半年前に谷中を訪れたときは虹子と一緒だった。その日は単独行である。谷中    そこは時間が止まった街だ。広大な墓地とたくさんの寺で谷中の街はできあがっている。墓と仏に挟まれて申し訳なさそうにひっそりと人々の暮らしが営まれている。実際、谷中の住人の表情はどこか遠慮がちだ。タフでパワフルでエネルギッシュな浅草っ子と対局にあるのが谷中びとである。世捨てびとのようでもある。谷中の路地を行き当たりばったりに走り回っているうちに、いつしか、自分の中から「時間」の感覚が消え失せていることに気づく。それはとても奇妙な感覚だった。悪くない。吾輩はこの街の路地から路地へいつまでもいつまでも漂い流れてゆきたかった。吾輩はあのときたしかに「谷中びと」になっていたのだといまにして思う。

c0109850_3552399.jpg

 谷中の路地を完全制覇してから上野桜木町もついでにやっつけ、東京芸術大学に向かう。ある若い友人が奏楽堂で演奏するのをみるためだ。彼女は絶対音感の持ち主で、吾輩の知るかぎり、「音」に関しては圧倒的な天才であった。
 彼女の演目はリストの『ペトラルカのソネット 47番』、同じく『ダンテを読んで~ソナタ風幻想曲~』だった。彼女のピアノ演奏を聴くのは二年ぶりだったが、天才は二年の歳月を経て普通の秀才へと変貌していた。技巧そのものは格段に進歩していたが、それだけのことにすぎなかった。ひらめきや情念といった要素がなくなり、クレゾールで消毒されたように衛生的で味気ない演奏だったのだ。
 演奏を終え、彼女が客席に顔を向けたとき、吾輩は思わず目をそむけてしまった。彼女の表情からは生気が消え失せ、眼のまわりには痛々しいほどに大きくて濃い隈ができていた。憔悴しきった老婆のような姿が舞台の真ん中に立ちつくし、焦点の定まらぬ眼差しをこちらに向けている。二年の間に彼女にいったいなにがあったのか。吾輩には知る由もないが、きっと「よくないこと」が彼女に起こったのだろう。ひとはだれもなにかしら問題をかかえて生きつづけているということだ。一瞬、彼女と眼が合い、吾輩はゆっくりと二度うなずいてから席を立った。奏楽堂を出て、芸大生の行き交うキャンパスの真ん中に呆けたように立ちつくした。そして、眼を閉じ、耳を澄ました。東京は春の盛りの陽を浴びてしんとしていた。胸の奥に幸福でもハッピーでもラッキーでもないかすかな痛みがあった。「元気で。ずっと元気で」と若い友人に向けてつぶやいた。彼女に届いていればいい。痛みのともなわないリムスキー=コルサコフ『シェヘラザード』第3楽章アダージェット「若い王子と若い王女」のようにおだやかな幸福がいつも彼女とともにあればいい。

ブログランキング・にほんブログ村へ
 
[PR]
by enzo_morinari | 2012-11-24 04:00 | 東京の午睡 | Trackback

ニザン、バラ色の人生、うしろ姿のしぐれてゆくか

c0109850_14475570.jpg

 2012年秋。ニザンはしたたかに酔っぱらい、足元もおぼつかない風情でローソンの前にたたずんでいた。ニザンがついにやってきたのだ。
「酒ある?」
 ニザンは酒臭い息で言った。「あるよ」と吾輩がぶっきら棒に答えるとニザンはこっぴどく叱られたミニチュア・セントバーナードの仔犬みたいな眼をした。
「御機嫌がお悪いんですか? 怒っていらっしゃるんですか?」
「馬鹿野郎! いきなり丁寧語になってんじゃねえよ! ニュートラルに戻せよ。おまえはニュートラルしか似合わないんだよ! さもないとオールナイトでエボナイト棒百叩きかましのあと、しょんぼりとアンモナイトに付け合わせちまうぞ!」
 吾輩が怒鳴るとニザンの顔に100W電球のような明りがともり、ミニチュア・セントバーナードの仔犬の寝顔みたいに魅力的な笑顔をみせた。
 我々の乗ったエレベーターは音もなく上昇をつづけ、最上階の42階に着くまでのあいだ、吾輩とニザンは息をひそめ、ときおり嘘くさい咳払いをほぼ同時にし、無言だった。吾輩とニザンが会うのは今日が初めてであり、会ってからまだ数分しか経っていないのだから無理もない。しかし、お互いの声だけはわかっていて、とはいえ、吾輩を吾輩としてニザンをニザンとして知ってから2週間ほどにすぎない。はやい話が我々は初対面でおまけに出会ってまだ間もない「友人」(吾輩とニザンの関係性に「友情」などという厄介な要素が介在しえているならばの話だが)の新米同士ということになる。出会いなどという鬱陶しい事態から遠ざかって何年にもなる吾輩がニザンと会うことにしたのはひとえにニザンの「声」に魅かれたからである。
 エレベーターのドアがかすかなコンプレッサー音を発して開き、吾輩とニザンはなにかの儀式に向かうかのごとくにまっすぐ伸びた大理石の通路を進んだ。吾輩とニザンの足音はポリリズムのようにも、レゲエのようにも、またマーラの交響曲第5番第4楽章『アダージェット』のようにも聴こえ、響いた。いくつものセキュリティ・システムをクリアして吾輩の「隠れ家」にたどりつき、さらに指紋認証を経てすべてのロックが解除された。分厚い鋼鉄製の扉を押すと聞きなれた重量感のある音がした。ニザンがごくりと音をさせて唾を飲み込んだのがわかった。
「緊張するな。ここはおそらく、世界で2番目に安全で快適な場所だ」
 吾輩が言うとニザンは静かにうなずいた。何台ものコンピュータや時々刻々リアルタイムで変動する株価、ニュース、監視映像などが映るマルチ・ディスプレイや新旧取り混ざった放送機材、10万枚にも及ぶCD、ビニルのLPレコード、16トラックのオープンリール・テープに占領された部屋に入り、吾輩とニザンはせわしなくたばこを吸い、ヘネシーのVSOPを3本と焼酎大五郎2.5ℓを1本あけ、エディット・ピアフの『La Vie en Rose』を繰り返し聴きながら、「最初で最後の別れを告げあう夜」を主たるテーマに西田幾多郎とThe Birthdayの『stupid』『鯱』とミシェル・フコとモーリス・ブランショと村上春樹と大江健三郎と坂口安吾と夏目漱石と杉山登志と秋山晶と松岡正剛と鎌田東二と戸田ツトムとゲーデルとエッシャーとバッハと後醍醐天皇とチバユウスケと全米自由人権協会とラーゲと怒りの葡萄と『アデン・アラビア』とJ.P. サルトルとティファニーとバカラのオールド・ファッションド・グラスとオールド・ファッション・ラブソングとケンブリッジ大学のコーヒーポットと第三象限と浮動小数点とその他(アウトサイダー、スカトロジー、レジデンシー、オロナミンC、神経内科、盛者必滅、脱構築、ポスト・モダーン、散逸構造、利己的遺伝子、フラクタル、アデニン、チミン、シトシン、グアニン、ガジン、乾燥重量1グラムのDNA、複雑系、六根清浄、The End of The World、What a Wonderful World)について、つまりはどうでもいいクソの役にも立たないことどもについて語り合い、怒鳴りあい、結局、答えはなにも出ず、夜はさらにふけていき、われわれの「最初で最後の別れを告げあう夜」は終りを告げた。

 朝、ニザンを蹴り起こし、ベランダでコーヒーを飲んだ。コーヒーは見事なほどメルドーにクソまずく、いつもどおり、東京の空は糞だった。ニザンはZIPPOの蓋を「シャキーンッ!」といい音をさせて跳ね上げ、KOOL MILDに火をつけた。「すかしてんじゃねえよ」と吾輩が言うと、立てつづけに5回、「シャキーン!」をやった。「ばかやろう。虹子が起きてくるじゃねえかよ! あいかわらず素っ頓狂な野郎だな。おめえがそんなにシャキーン、シャキーンやるから、いやな借金のことを思いだしちまったじゃねえか! このスットコドッコイ!」
 ニザンは満足げにたばこの煙りを吐き出し、さらにもう1回、「シャキーン!」をやった。
「このZIPPOには10年分の思い出が詰まってるんだ。それは   
 言いかけたニザンを制して吾輩は言った。
「わかってるよ。みなまで言うな」
 吾輩とニザンは海賊の宝物箱の前に二人ならんで虹子が支度してくれた朝餉を食べた。ニザンがうまいうまいを連発するのがうるさくて縄文式土器で後頭部をぶっ叩いてやりたくなった。
 ブロッコリの炒め物はうまかったな、ニザンよ。おまえの食事の作法は合格だ。酒の飲み方はまだまだ修行が足りぬ。「プライム紀尾井町店の大五郎」で脳みそを洗って出直してこい。
 ポン茶を飲みながら「最初で最後の別れを告げあう朝」を主たるテーマに、また朝方までやったのと同じようなヨタ話を昼すぎまでし、「四谷の伯父さんのところへ行く」というおまえを引き止めもせず、手土産にテイク・イット・イージー天丼用の揚げ玉をふた袋とCrosby, Stills & NashのつまらないCD、ポンチョ・サンチェスのファンキーなCD、その他のCDを数枚と『草枕』『PRESS EYE』、森鳴燕蔵の著作(『アルマジロと宇宙と僕と』『世紀末ホテルの夜』『ギャツビーの女』『さようなら、ウィングチップ・シューズ』『ランボーは水色の自転車に乗って』『ゴクドーを待ちながら』『ヘミングウェイ・ゲーム』『ディートリッヒ・スピン』『わが心のベイサイド』『レジメンタル・タイの思い出』『水曜の午後の動物園』『東京の午睡』『おたずね者、清川ロイド・ジュニア』『アノニマス・ガーデン』)をスターバックスのしわくちゃの袋に入れてくれてやった。ありがとうございますを連発しやがったので、「礼は一度言えばよい。無駄なことはするな。ぶん殴るぞ」と吾輩が言うと、また「ありがとうございます!」と「!」付きで言いやがったので今度は本当にぶん殴りそうになった。
 別れ際、去りがたい風情をかますニザンが目を真っ赤にして言った。
「かならず会いに行く。きっと行く。パリに」
「来なくてよろしい」
「来なくてよろしくてもきっと行きます」
「断然来なくてよろしいがチケットは吾輩が取って送ってやる。アゴアシ含めた滞在費のことも心配しなくてよろしい」
「ありがとうございます!」
「礼には及ばぬ。ファースト・クラスに乗ったことはあるのか?」
「まさか! あるわけないでしょ」
「往復ファーストにしてやろう。ただし、パリが気に入っても吾輩のところに居座るなよな」
「それについてはなんとも言えません」
「ふん。まあ、あれだ。いい仕事をしろ。いい仕事をして本物の一流になれ。わかったな?」
「はい!」
「吾輩は本物の一流としか付き合わない。おぼえておけ」
「肝に銘じます!」
「”!”をつけるなと何度も言ってるだろうが!」
「自分だってつけてんじゃん」
 昼下がりの麹町大通りで二人して大笑いし、別れを惜しんだ。「じゃ、行く。次はパリで」とニザンは言い、吾輩にくるりと背を向けた。

 ニザンよ。おまえを見送り、しばしその背中を見つめ、うしろ姿がしぐれてゆくまで見つめつづけ、ちょっとだけしょんぼりし、声をかけようかと思ったが我慢し、心の中で「さらば、友よ。元気で。ずっと元気で」とつぶやき、それからわが本拠地に帰還し、本棚の森鳴燕蔵の著作の前にそっと置かれた10年ZIPPOをみつけた。火をつけたがおまえの例の「シャキーン!」という音はだせず、たばこは苦く、煙りは目にしみた。目から少しだけしょっぱいものが出た。だがそれはたばこの煙りのせいだ。たぶん。
 ニザンが帰還し、吾輩はいま物静かにどしゃ降りの雨にうたれながらエディット・ピアフの歌う『La Vie en Rose』を聴いている。「編集焼飯婆めが」と吾輩は独りごちる。ついでに「ふん」と鼻を鳴らしてもみる。人生がバラ色だなどとは誰にも歌わせまい。言わせまい。「La Vie en Rose」を歌い、「バラ色の人生♪」と言えるのは吾輩だけだ。「La Vie en Rose」とそっと口に出してみた。「バラ色の人生♪」とも言ってみた。ほんの少しだけ人生が色づいたような気がした。未来とやらに冷徹につづく道が薄紅に匂うかとも思われた。だが、それも長くはつづかず、吾輩の目の前にはいつもどおりの東京の鈍色の空が広がっているだけだった。空はみるみる黒くなり、どしゃ降りの雨。激しい雨。吾輩はずぶ濡れになりながら、「La Vie en Rose、バラ色の人生」とつぶやきつづけていた。


ブログランキング・にほんブログ村へ
 
[PR]
by enzo_morinari | 2012-09-27 14:48 | 東京の午睡 | Trackback

東京の午睡#12 『老人と海』の死、サンチャゴの憤怒

 
c0109850_12482980.jpg

528回目の『老人と海』を読み終えたときだった。Mac mini を起動し、メールをチェックし、何通かの返事を書き、Safariを立ち上げ、Wikipedia でメールの中にあった文言、「Judicium Difficile」を調べ、ベランダ越しに寝ぼけまなこの観音崎灯台に向かって「Ars Longa! Vita Brevis!」と大音声を発して喝を入れたのち、『東京の午睡』を開いた。1通のメッセージが届いていた。

「わたぢのおともたちが自さつしまた。ほりつにおくわしく正ぎかんのとよそうなかただだだとおももい、めせじをおるるらせていただじました」とそのメッセージは始まっていた。誤字と脱字とタイプ・ミスと誤った語法だらけのメッセージだった。しかし、読み進むうちに滂沱のごとく涙があふれてきた。

「管理者にだけ表示を許可する」を選択してポスティングされたそのメッセージにはシニア向けのSNSを舞台に繰り広げられている大がかりな「売春組織」の暗躍が赤裸々に綴られていた。ある老婦人が一度は売春に手を染めたものの良心の呵責に苦しみ、売春組織との関係から身を引こうとする。しかし、売春行為を「バラす」「言いふらす」と脅され、口止め料名目の金銭を要求される事態に至る。そして、ついには自ら命を絶つ悲劇が発生したことをメッセージの主はひらがながほとんどの拙い文章で懸命に伝えようとしていた。

命を絶った老婦人は曾孫までいるという。亡くなった老婦人はおそらくは経済的に余裕がなかったにちがいあるまい。しかし、孫や曾孫に小遣いをやり、おもちゃのひとつも買い与えたい。そして、手っ取りばやく現金がえられるとでも考えて「売春」に走ったのだろう。みずから命を絶ったという老婦人の人生はそれほど陽の当たるものではなかったろう。メッセージの主も格別の高等教育を受けてはいないだろう。いずれもつつましくおだやかに生きてきて、これからも、ただ健康で病気ひとつせず、孫や曾孫たちに囲まれて余生をまっとうすることを願っていたことだろう。涙が枯れたのちは抑えようのない憤怒が腹の底からこみ上げてきた。何者であろうと情念と憤怒の塊となった吾輩をとめることはできない。たとえ、「宇宙を支配する巨大な意志の力」であってもだ。

なぜか、イツァーク・パールマンが独奏する『シンドラーのリストのテーマ』が頭の中に鳴り響きはじめる。憤怒と情念はいやまして募ってくる。今にも噴きこぼれそうな情念と憤怒の塊を抑えつけ、吾輩は早速、くだんのシニア向けSNSにアカウントを作った。アカウントを作った途端にプロフィール上は「女性」とされる人々から山のようなプライベート・メッセージが届く。どのメッセージにも「お会いしたい」「お話がしたい」「食事がしたい」と同じようなことが書いてある。しかし、さすがの吾輩は山のようなメッセージを読みながらある共通点を発見する。「交際」を「交祭」と誤記しているのだ。なるほど。すべてのメッセージはおなじ人物が書き、それぞれのアカウントで送信してきているのだと合点する。念のため、自分のPC上に新たにフォルダを作ってすべて保存。

盛りをとうに過ぎた男やもめと妻を失った男の「性」にまつわる不遇、不全感はじゅうぶんにわかる。つらいだろう。しかし、その不遇と不全感につけ込む輩をゆるすことはできない。弱みにつけ込む輩を下衆外道というのだ。練炭による連続殺人を犯したとして一審で死刑判決を受けた女が獲物である年配のシングル男性を物色し、実際にゲットしていた「狩り場」はシニア向け、パートナー探しのSNSだった。推して知るべしということだ。

殺された被害者たちはとにかく、ただひたすら「ヤリたいから」こそ練炭連続殺人の犯人の女のような折り紙付きのぶっさいくデブに大金を渡したのだ。被害者たちは哀れきわまりないし、その魂が安らかなることを祈るばかりだが、「性」にまつわる諸問題はそれほど根が深く、厄介であるということだろう。世の老人たちのだれもが巨大なカジキマグロとの死闘に勝利し、ライオンの夢をみながら眠るとはかぎらない。

自殺した老婦人は死の直前にメッセージの主にメールで洗いざらい告白した際に売春の情報交換が行われている掲示板の存在も告げていた。掲示板に入るときに必要なパスワードもあわせて教えたといい、パスワードはメッセージの最後に付記されていた。

さっそく掲示板をのぞいてみた。「売春」の日時、待ち合わせ場所、相手の風貌、名前、携帯電話番号等の情報交換が行われているのが確認できた。また、売春の女ボスとおぼしき女は自身のブログにいけしゃあしゃあと、しかも自慢げにひと月おきの海外旅行の顛末を小学生でも書かないようなぶざまで醜悪きわまりもない文章で綴っていた。御丁寧にも画像付きで。知性のかけらもない。

ブログの内容はどこそこの高級レストランでランチをした、ホテルのスィート・ルームに泊まった、どこそこに旅行に行ったといった類いのことが自慢げに書き連ねてあるだけだ。誤字・脱字だらけ。日本語能力が完全に故障している。だが、本人はまったくそのことには気づいていないようで得々としている御様子だ。おめでたいにもほどがある。

てめえがのうのうと極楽とんぼよろしく遊蕩に耽っているあいだに人が一人死んでいるんだぞ! そのことを知ってか知らずか、極楽とんぼ女はどこ吹く風とばかりにきょうもたらたらと「生活自慢」に精を出している。とにかく虫酸が走り、はらわたが煮えくりかえった。

吾輩は亡くなった老婦人はメッセージの主に「復讐」を託したのであると理解した。「怨みを晴らして」と。掲示板の運営会社に事の仔細をメールし、さらに直接電話で担当者と話し、すべてのデータログを保存するように要請した。予想外にも相手はふたつ返事で了承してくれた。「老婦人の死」が効いたのかもしれない。あるいは彼には大好きなおばあちゃんがいたのかもしれぬ。

「売春」も「買春」も「売春」と「買春」を斡旋することも売春防止法に抵触する犯罪である。インターネット上のSNSを舞台として組織的に行われていれば組織犯罪処罰法が適用される。風営法の適用もある。また、自殺した老婦人に対して口止め料名目で金銭の要求があり、被害者から財物の交付があったなら「恐喝罪」が成立する。

財物の交付がないからと言って事は済まない。「脅迫罪」と「強要罪」がお待ちかねだ。「脅し」の手段は口頭だろうとメールだろうとブログへのメッセージだろうと関係ない。金銭の授受の存在の有無も関係ない。被害者が畏怖するだけで「脅迫罪」の構成要件は充足されるのだ。重罪である。犯情が悪ければ裁判官は初犯でも十分に実刑判決を下すだろう。ましてや、被害者の死という重大な結果を招いていることから勘案して実刑は免れないと思量するのが妥当だ。過去の事案・判例の量刑に照らして「実刑」を選択しずらいのなら、新しい判例をつくればいいだけの話しである。

奇遇にも吾輩には警察庁と警視庁、そして神奈川県警の現役幹部、OBの友人・知人が大勢いる。東京地検と横浜地検には検事正の朋友がいる。東京地検特捜部の案件ではないのが返す返すも惜しいが。いずれも、気心の知れたいわば仲間だ。もはや、吾輩が取るべき方法はただひとつ。弱者を利用し、弱者の骨をしゃぶり、弱者を苦しめ、弱者を死に追いやった下衆外道どもの退治である。退治法はいくらでもある。

あらゆる法令、あらゆる手練手管を駆使する。頑迷なる罪刑法定主義者である吾輩が下衆外道どもを黙って放っておくわけがない。告発状には疎明資料より数段劣るようなレベルではあるが吾輩の手元に現にある資料の添付でじゅうぶんだ。捜査機関はすみやかに立件に向けた内偵に入るだろう。すでに「仲間」宛にメールで事のあらましは送信済みだ。一両日中に正式に告発状を提起する。東京地検に直告するという手もある。

警察、検察の不祥事が頻発してその威信が地に堕ちた昨今、どんな瑣末な事案であれ、威信回復のために彼らは遮二無二に動くはずだ。動かざるをえない。人が一人死んでいるのだ。ささやかな幸福を享受したかっただけの老人のかけがえのない命が失われているのだ。天地人ともにゆるすはずがない。このようにして下衆外道どもに社会にはどうにもならない相手、存在があることを思い知らす。世界にはどう足掻いても太刀打ちできない恐ろしい人間がいるのだということを知らしめる。これは吾輩流の「世直し」である。

いま吾輩のこの文章を読んでいる下衆外道及びその手下ども! おまえたちは一番敵にしてはならない者を敵にしたな。運が悪かったと諦めろ。腹をくくれ。朝早いノックが鳴る日はすぐそこまで迫っている。21日+2日分の自弁代くらいは用意しておけ。高橋屋の弁当はまずいぞ。えびす屋の弁当にするんだぞ。

言っておくが、検事パイも保釈もないからな。せいぜい、震え上がりながら「その日」「その朝」を待つがいい。年貢の納め時だ。冒頭陳述は2時間も3時間もかかる。起訴状の束だけで六法全書より分厚いぞ。犯罪の実行行為者に老婦人を引き合わせ、彼女の個人情報を提供し、そばでへらへらと笑っていたボンクラ下衆外道どもには「共謀共同正犯」の成立に向けたベテラン捜査官のきっつい取り調べがお待ちかねだ。せめて事情聴取の完全録画・完全録音を主張するんだな。そのためにも人権派のいい弁護士を雇うことだ。ツテがないなら紹介してやってもいいが、吾輩が絡むとちょいと高くつくぜ。

おまえたちの選択肢はふたつ。ひとつは震え上がりながら逮捕/強制捜査の日を漫然と待つか、ふたつは潔く自首・首服するかだ。決めるのはおまえたちだ。怒れるサンチャゴはいま、ライオンの夢をみながら眠ることを日課とする吾輩とともにある。


かくして、吾輩の新しい戦いは始まり、東京は本日も「カジキマグロのステーキ、サンチャゴ風」のごとくに天下太平楽である。

ブログランキング・にほんブログ村へ
 
[PR]
by enzo_morinari | 2012-09-25 12:48 | 東京の午睡 | Trackback

東京の午睡#11 放蕩息子の帰還/志ん生に入門かなわず明烏 あざなう縄は芝浜の 母は千代女の傾城屋

 
c0109850_17171134.jpg

生物学上の父親は早稲田の学生の時分、なめくじ長屋に五代目古今亭志ん生を訪ね、入門を乞うた。半日ねばったが入門はかなわなかった。これは生物学上の父親とわたくし、二人の男の人生の一番目の綾である。もし、生物学上の父親が古今亭志ん生に弟子入りを許されていれば、まちがいなくわたくしがこの世に生をうけることはなかった。

徴兵後、梅機関の特務機関員として大陸で悪逆非道のかぎりをつくし、ニューギニアのジョスンダで終戦。C級戦争犯罪人として現地処刑のはずが、運良くなのかどうかとにかくも生きのびて命からがら祖国に帰還した。生きて虜囚の辱めを受けた経験が生物学上の父親の精神構造に暗い影を落としたことは言葉の端々から窺えた。

その後、政治家を志すも私淑していた河野一郎の急死や自身の落選の憂き目を経て放蕩三昧の果てに故郷へ帰還した生物学上の父親は、数年後、再起を果たすべく東京に舞い戻る。サクセス・ストーリーの道を歩みかけるが生来の道楽者気質は変わろうはずもなく、けっきょく、莫大な借財を抱え、失意のうちに再び故郷の室蘭へ帰った。酔うと涙をぽろぽろこぼしながら『北帰行』を歌っていた生物学上の父親の心の震えがいまはわかる。

遠い日、若き古今亭志ん朝の『明烏』の噺を生物学上の父親と二人、上野の鈴本演芸場で聴いた。高座がハネたあと、浅草の神谷バーまでタクシーを飛ばし、電気ブランを競って煽った。そのときも生物学上の父親は涙をぽろぽろこぼしながら『北帰行』を歌った。浪花節のように聴こえた父の『北帰行』。甘く馨しいはずの電気ブランがそのときはなぜかほろ苦かった。それであってもなお、神谷バーにはスローでやさしい時間が流れていた。

清濁併せ呑みつくし、禍福あざなえる縄のごとき人生を生きた男は「本当のこと」をなにひとつ語らぬまま鬼籍に名を連ねた。そして、その遺伝子を受け継いだわたくしは山っけと道楽者気質と酒好き女好き喧嘩好きにさらにターボがかかった人生を生きた。生きてきたことであった。これからも本質は変わるまいと思っていたが、このところ、心境に大きな変化が起こりつつある。初めて味わう気分である。しかも、悪くないどころか、すこぶるいい気分である。これまでまったく興味のなかった「しあわせ」やら「おだやかさ」やら「やすらぎ」やら「かなしみ」やらが宝石のごとくに輝いて見える。この変化についてはいずれ明らかにしたいが、きょうのところはやめておく。傾城屋に帰還する刻限である。

端倪すべからざる平成沈黙狸合戦パオパオ(少年タナカ・ヴァージョン)の対戦者である山城の国の権兵衛狸と、禁酒番のお役目後に養子縁組する予定の水カステラ・マイスターのお二方が落語にまつわることを書いていたのがきっかけでとんだカミング・アウトになってしまった。ついでと言ってはなんだが、こんなところで愛宕山。

高座で眠りこける志ん生に文句を言った野暮天に常連の粋筋がひと言。

「志ん生の噺はいつでも聴けらあ! 高座で寝てる志ん生はそうそうお目にかかれるもんじゃねえや! すっこんでろい! このスットコドッコイ!」

このような大見得を息子の志ん朝の高座で切ってみたいとずっと思っていたが、かなわぬうちに志ん朝は死んでしまった。アイルトン・セナの死とともにF1を見ることもサーキットに足を運ぶこともなくなったように、志ん朝の死以後、高座には行かなくなった。テレビ寄席も見ない。行っても見ても、心躍らないことがわかっているから。あとは大須演芸場で聴いた志ん朝一世一代の『芝浜』をよすがとして、消えゆく古典芸能を野辺送りしたいと思う秋、二日。(老松)

ブログランキング・にほんブログ村へ
 
[PR]
by enzo_morinari | 2012-09-24 17:18 | 東京の午睡 | Trackback

東京の午睡#8「ユリイカ!」と雄叫びをあげたいところだが

 
c0109850_5134.jpg

「ユリイカ!」と雄叫びをあげたいところだが ── 。「ABC予想」の証明の件だ。わからぬ。どうにもならぬ。眠れぬ。「ABC予想」の証明のことが気になって気になって眠れぬ。本当に午睡どころではなくなってきた。

案件、取材、面談、打ち合わせはすべてドタキャン。日を繰り延べられるものは繰り延べ、できないものについてはピンチヒッターの弟子どもを投入してお茶を濁す。慶応の仏文を出たばかりの脚線美の誘惑秘書おねいちゃんが iPad を小脇にはさんでブーブーモーモー子豚ちゃん仔牛ちゃん状態だ。なんだ。えらそうに。ここで一番えらいのは吾輩だ!

「ブーブーモーモーとうるせえな。豚か? 偶蹄目か? おめえの脚線美は確かに蠱惑的だが吾輩には通用しない。世の若造小僧っ子どもとは踏んできた場数がちがうぜ」
「先生、それってセクハラです」
「セクハラだか名馬セクレタリアトだかアイルトン・セナだか巨人の原だか知らねえが、とにかくいまの吾輩に一番大事なのはABC予想が証明されたかどうかなんだ。資本家どものお先棒担ぎどころではない」
「なんですか? エービーシーヨソーって。ABCマートと関係ありですか?」
「おまえねえ、下足の安売り屋といっしょにするんじゃないよ。おまえがわかるように説明するだけで100年かかっちまう。いや、100年どころじゃねえな。最低でも350年かかる。ネットで調べてみな」
「なーんだ。先生もわからないんだ。そうなんだ」
「吾輩にわからぬことなどない!」
「じゃ、おバカなわたしにもわかるように説明して」
「いや、それがだなあ…」

埒があかぬので、早々に東京を引き上げ横須賀の隠れ家へ。

海の近い横須賀は東京とちがって風が涼しく心地いい。陽もいくぶんかやわらいでいる。テラスに長椅子を持ち出し、早速、プリント・アウトした望月新一氏の「ABC予想」の証明に関する論文、『Inter-Universal Teichmüller Theory Ⅳ: Log-Volume Computations and Set-Theoretic Foundations(宇宙際タイヒミュラー理論)』を読みはじめる。昨日から数えれば途中で投げ出したのも含めて4度目の挑戦だ。ときどき、気分転換に走水の海岸と観音崎の灯台を眺める。まだ泳いでるやつがいる。9月には帰らなくちゃいけないんだぞ。潮風にちぎられちゃうぞ。山手のドルフィンから三浦岬が見えるというのは大うそだぞ。

望月論文を読みこなし、読み解くには現代高等数学、わけても「整数論」のいくつもの理論が頭の中に入っていなければならない。基礎の基礎の基礎がまず必要なのだ。望月新一氏が架けた巨大な橋を渡るためにはその橋にさらに橋を架け、架けた橋にさらにまた橋を架け…という七面倒くさいことこのうえもない作業が求められるのだ。土台、それは無理な話である。おまけに望月氏は新しい数学メソッドをコンピュータを駆使して開発したうえで証明を展開しているため、望月氏以外の者が無謬性並びに無矛盾の検証作業に取りかかろうとしても、そもそも共通のエピステーメーがないから暗号を解読するような困難な事態となる。

しかし、さすがの吾輩は望月論文を四苦八苦しつつ読み進みながらあることに気づく。うん? これは日本人の英語じゃねえぞ! 気色の悪い「東大話法」英語とはまったくちがうじゃねえか!

早速にネットで望月新一氏の経歴を調べてみた。案の定だ。こいつは日本人じゃねえや。国籍も見た目も日本人にはちがいないが、頭の仕組みと中身、ハート、ソウル、スピリットはアメリカ人だ。なるほど。そういうことか。だから超難問を解くことができたんだ。せいぜいが因数分解を解くのがお似合いの腐ったようなDOS-Vが乗っかったPC98でもってMac OS Xの最新版が搭載されたMac Proのフラッグシップ・モデルをブンブンぶん回して構築された超難解理論を解析しようったって無理な相談というものだ。そのように納得し、さらなる大脳辺縁系並びに大脳新皮質の錬磨にいそしむことを決意した初秋の吾輩であった。


かくして、(横須賀の隠れ家でも)本日も東京はラマヌジャン・タクシーの乗車拒否のごとくに天下太平楽である。


注記:東大話法(安冨歩・東大東洋文化研究所教授による)
その01:自分の信念ではなく、自分の立場に合わせた思考を採用する。
その02:自分の立場に都合のよいように相手の話を解釈する。
その03:都合の悪いことは無視し、都合のよいことにだけ返事する。
その04:都合のよいことがない場合には関係のない話をしてお茶を濁す。
その05:どんなにいい加減で辻褄の合わないことでも自信満々に話す。
その06:自分の問題を隠すために同種の問題を持つ人をこれでもかというくらいに批判する。
その07:その場で自分が立派な人だと思われる言動をする。
その08:傍観者の立場で発言者を分類してレッテルを張り、属性を勝手に設定し、解説する。
その09:「誤解を恐れずに言えば」と言って嘘をつく。
その10: スケープゴートを侮蔑することで読者・聞き手を恫喝し、迎合的な態度を取らせる。
その11:相手の知識が自分より低いとみたら、なりふりかまわず難しそうな概念を持ち出す。
その12:自分の議論を「公平」だと無根拠に断言する。
その13:自分の立場に沿って都合よく話を集める。
その14:羊頭狗肉。
その15:わけのわからない「見せかけの自己批判」によって誠実さを演出する。
その16:わけのわからない理屈を使って相手をケムに巻き、自分の主張を正当化する。
その17:「ああでもない。こうでもない」と理屈を並べて賢いところを見せる。
その18:「ああでもない。こうでもない」と引っ張り、自分に都合のいい地点に話を落とす。
その19:全体のバランスを常に念頭に置いて発言する。(話の中身が「総論」だけなので退屈)
その20:「もし○○であるとしたらお詫びします」と言って謝罪したフリをして切り抜ける。

補遺:ぜんぶ当てはまる……(ションボリルドルフ)

ブログランキング・にほんブログ村へ
 
[PR]
by enzo_morinari | 2012-09-21 19:20 | 東京の午睡 | Trackback

東京の午睡#7 「ABC予想」の証明なるか?!

とんでもないニュースが飛び込んできた。整数論の超難問である「ABC予想」を日本人数学者が証明したというのだ。京都大学の望月新一博士(43歳)。
欧米のメディアはいっせいに「Incredible」と興奮気味に伝えているが、今のところは査読の結果を待つしかない。ネイチャー誌は「査読には長い時間がかかる」とのコメントを出している。吾輩もいまネット上に公開されている当該論文を読み終えたところだが、はっきり言ってチンプンカンプン。なにしろ、解決に350年かかった「フェルマーの最終定理」が「ABC予想」を用いれば一気に証明できてしまうのであるからして、ただごとではない。今週末、へたをすれば来週いっぱいすべての予定をキャンセルすることになるかもしれない。(吾輩は「元禄御畳奉行」か?(自嘲)) それにしても、とんでもない「化け物」が出てきたものだ。午睡どころではなくなった。

かくして、本日も東京はインター=ユニバーサル・タイヒミュラー・セオリーのごとくに天下太平楽である。


ブログランキング・にほんブログ村へ
[PR]
by enzo_morinari | 2012-09-21 03:16 | 東京の午睡 | Trackback

東京の午睡#6 息の根を止めた外付けHDを前にして

c0109850_19543557.jpg


 3年間酷使しつづけた外付けHDが息の根を止めた。ぶっ叩こうが怒鳴り飛ばそうがうんともすんとも言わない。完全なる沈黙。茫然と、しかしいくぶんか陶然と、沈黙を守りつづける外付けHDをみている。3年のあいだに集積された原稿、資料、企画書、報告書、訴状、準備書麺、答弁書、控訴趣意書、講義録等の文書ファイル、iTunes Storeほかで購入した音楽ファイル、折に触れて撮影した画像ファイル、とうてい他者には見せることのできない縄文人系動画ファイルのすべては消えたが(蒙った損害はおそらく数百万円にのぼるだろう)、なぜか心は穏やかだった。バックアップ? それってうめえのか? かたちあるものはいつか壊れるのだ。何者もその摂理に抗うことはできない。外付けHDが息の根を止めたのは精緻精妙なる摂理、「縁」のなせる業である。逆らってはならない。それにすべてはわが大脳辺縁系、大脳新皮質、脳髄に記録されているのだ(と、やや負け惜しみ)。そして、わたくしは息の根を止めた外付けHDを前に夢想する。人類が初めて大地に指先で文字を記した瞬間に思いを馳せる。そのとき、彼の心はふるえていただろうか。それとも千々に乱れていたのだろうか。彼の指先は大地の鼓動を感じとったろうか。
 原始の土塊がこびりついた指は幾星霜を経て木版に辿り着き、グーテンベルクに宿る。さらには文選に行き会い、職人技の組版に出合う。やがて、電算写植、製版、DTPを経て、ついに文字は0と1で出来上がったデジタルの海へと溶け入った。早晩、文字は印刷され、大量消費され、与えられるものではなく、ただそこに置かれ、引っ張りだされ、奪い取られるようになるだろう。文字言語が無制限無制約に集積されたもの。それは人類の知の大伽藍でもあって、かのアレクサンドリア図書館をさえ軽々と飲み込むスケールを持つ。このことは文字言語にとどまらない。音声も音楽も映像も、すべてが人類史上最大にして最速の知の大伽藍に集積集約される。ひとはいつかその知の大伽藍を「神」あるいは「極楽浄土」と呼ぶようになるかもしれない。身体は本来の意味を失い、精神は0と1に変換されて、デジタルの海を自由自在に泳ぎまわる世界。このとき、ついに「永遠の生命」は実現する。
 さて、次の外付けHDはなににするかな。Western Digital か Seagate Technology か? それともTOSHIBA か? いずれにしても、ここは奮発して最新最速最大容量のもにしようと思う。彼につける名前は「アレクサンダーくん」だ。

 かくして、本日も東京はボスフォラス以東にただひとつの黒死館のごとくに天下太平楽である。


ブログランキング・にほんブログ村へ
[PR]
by enzo_morinari | 2012-09-19 19:36 | 東京の午睡 | Trackback

『イパネマの娘』と思った矢先の出来事だった。

 
c0109850_1333443.jpg

 午睡後、コルコバード星の散歩の途中、WAVEで産婆ノートを買い、アイルトン・セナ・ダ・シルバが眠るアウトドローモ・インテルナツィオナーレ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリのタンブレロ・コーナーにおいしい水を供えにイパネマの娘と思った矢先の出来事だった。

 夕暮れどき、まだ夏の盛りの余韻が残る神宮外苑の銀杏並木を鉄の馬で疾走中にとびきりの『Desafinado』は聴こえてきたのだった。愁いを含んでほのかに甘いアクースティック・ギターの調べに乗って。
 ホブソン・コヘア・ド・アマラル。生粋のカリオカ、リオ・デ・ジャネイロっ子だ。1月の川はたいてい冷たいものだが、ホブソンは明るく暖かくやさしい。シンガーであり、ギタリストであり、パーカッショニスト。在日13年。カタコトの日本語とたどたどしい英語とファンキーなポルトガル語を織りまぜて一所懸命話す姿がキュートだ。
 神宮外苑の銀杏並木でホブソンと初めて会ったとき、彼は間近に迫ったライヴのレッスン中だった。ホブソンはママチャリを脇にとめ、ベンチに座って一心にギターを弾き、歌っていた。私がホブソンの前を通りすぎようとしたとき、彼はスコアから眼を上げ、私にとびきりの笑顔を投げかけてきた。私も手持ちのうちの最高の笑顔をホブソンに投げ返した。
c0109850_13413355.jpg

 神宮第二球場で草野球の試合をしばし観戦し、ピッチャーのションベン・カーブに舌打ちし、バッターの大根切りスウィングに野次を飛ばし、両チーム全員の刺すような視線を一斉に浴び、もと来た道を戻った。ホブソンは前と同じように一心不乱に練習をしていた。私は『青山通りから12本目の銀杏の木の下』に鉄の馬を停め、ホブソンに近づいた。近づくにつれて、『Desafinado』は輪郭がくっきりとしてきた。それは名演と言っていい演奏、歌唱だった。その『Desafinado』は私の知るかぎり、スタン・ゲッツ & ホアン・ジルベルトの名演にも引けをとらないように思われた。『Desafinado』はホブソンの十八番であり、スタン・ゲッツ & ホアン・ジルベルトの演奏を聴いて以来、私のフェイヴァリット・ソングでもあった。調子っぱずれな人生を生きる者にはうってつけの曲だ。
 ボッサ・ノッバにほのかに薫る哀愁は、若く名もなく貧しき青春の日々と深くつながっている。ボッサ・ノッバは安アパートの一室で誕生した。まだ無名だった若かりしホアン・ジルベルトとアントニオ・カルロス・ジョビムが大きな音を出すことのゆるされない部屋で、ほかの住人たちに気づかって撫でるようにギターを弾き、小声でささやくように歌ったとき、ボッサ・ノッバは生まれたのだ。そのことをホブソンに言うと、「どうして知っているんだい?」と大きな眼をさらに大きくして言った。
「アントニオ・カルロス・ジョビム本人から聞いたのさ」
「ええええええっ!? ほんとに?」
「うそ。本で読んだのさ」
「うへぇ! 日本人はほんとに勉強好きなんだなぁ」とホブソンは言って、両手を天に向かって差し上げるような仕草をした。
c0109850_16311257.jpg

 ホブソンはそれから『黒いオルフェ』や『コルコバード』やボッサ・ノッバ風にアレンジした『上を向いて歩こう』を聴かせてくれた。私がお礼にビールをごちそうすると誘うと、ホブソンは「グーッド! グーッド!」を7回も連発した。
 銀杏並木沿いのいい雰囲気のレストラン、「セラン」に行き、通りに面したテラスでビールを飲みながら、日本のことやブラジルのことや音楽のことやサッカーのことやアイルトン・セナ・ダ・シルバのことやエドソン・アランテス・ド・ナシメントのことやナナ・バスコンセロスのことやパット・メセニーのことやホアン・ジルベルトのことやアストラット・ジルベルトのことやアントニオ・カルロス・ジョビムのことを話しているうちに私たちはとてもインティメートな気分になっていった。
「弾いてもだいじょうぶかな?」と眼のまわりをうっすらと染めたホブソンが尋ねた。
「ノー・プロブレムだと思うよ」
 ホブソンはとてもキュートな笑顔を見せ、ケースからギターを出した。内心、私はお店のひとからたしなめられるかなと思ったが、ホブソンの涼しげなギターの音色と哀愁をおびた歌声が秋の気配を漂わせはじめた夕暮れの銀杏並木に流れ出すと、まわりのだれもがしあわせそうな表情になった。曲が終わるたびにあちこちで拍手が起こったほどだ。「あちらのお客さまからです」と言って、若いギャルソンがビールを4杯持ってきた。私とホブソンはごちそうを山分けし、大ゴキゲンで飲み干した。蝉しぐれ、揺れる銀杏の葉陰、ボッサ・ノッバ  この夏の思い出にまたひとつ宝石が増えた気がした。


ブログランキング・にほんブログ村へ
 
[PR]
by enzo_morinari | 2012-09-11 13:42 | 東京の午睡 | Trackback

目的語のない女が「待つこと」に疲れはじめた夏の朝

 
c0109850_14582939.jpg


「わたしだけ、ひとりぼっち」と目的語のない女は言った。わたくしには目的語のない女にかけるべき言葉のひとかけらもなかった。彼女の味わっている孤独と不安と困難を癒すことのできない己が不徳、不甲斐なさにはらわたがよじれた。

1995年冬。17年前から始まったジェットコースター・デイズをともに生きてきた戦友でもある目的語のない女。いつも予告なく姿を消すわたくしと、ただひとり代々木の殺風景な部屋に取り残される目的語のない女。放埓にかまけるわたくしから部屋の鍵を受け取り、南麻布から代々木まで、泣きながら歩いて帰った遠い春の日をおまえは生涯忘れぬだろう。

ひとかけらのやさしさもねぎらいもなく出てゆくわたくしを見送ったあとの、寒いほどの孤独な夜。窓際のオーディオから流れる松任谷由美やゴンチチやモーツァルトをおまえはどんな気持ちで聴いていたんだ? 不条理、理不尽に待たされつづけた品川駅前、代々木の地下のバーをおまえはおぼえているか? にがいだけのジム・ビームのソーダ割りをおまえは飲み干せたのか?「バーボン、バーボン」とおどけるおまえの目にたまっていた涙のゆくえを見届けることもなく、ふりかえることもなく、足早に去った。

「けっこうありますよ」と言ってひろげた手の平には360円。金目のものをすべて売り飛ばし、「かたちになりました」と言って、わたくしに数枚の1万円札を差し出すおまえの顔のなんと晴れ晴れとしていたことか。目黒の雑居ビルの3階。敷く布団もかける布団もない晩秋の夜。泡の時代の名残りのブルックス・ブラザース、ゴールデン・フリースのくそ重いオーバー・コートに二人くるまって眠った。フローリングの床がすごく痛かったな。寒かったけれども、暖かかったな、

目的語のない女よ。冬の夜、厚顔無恥にも訪ねてきた馬鹿女に遠慮して、サンダルばきで出ていったおまえの後姿を忘れることはあるまい。

目的語のない女よ。つらく、困難にみちて、不安と孤独にまみれてはいても、すべては宝石で、現在の日々もいつか必ず宝石になる。夏の朝の成層圏にはいつもいい風が吹く。

かくして、本日も東京は目的語のない女の流す2000tの涙のごとくに天下太平楽である。

ブログランキング・にほんブログ村へ
[PR]
by enzo_morinari | 2012-08-27 15:00 | 東京の午睡 | Trackback

東京の午睡#2 転がる石のように

 
c0109850_730277.jpg

いまさらながらではあるが、ボブ・ディランはいい。ついきのうのことだが、ディランのアメリカの田舎町におけるライヴ音源、『The Rolling Thunder Revue』をじっくりと聴いてみて、その志やよしとせざるをえなかった。手垢にまみれた言い方だが、ボブ・ディランはすごい男だ。この男のガッツ、この男の反骨、この男の哀しみは腹にくる。本物だ。『風に吹かれて』、『激しい雨』、『Knockin' On Heaven's Door』、『ミスター・タンバリンマン』、そして、『転がる石のように』。いずれの楽曲も自分自身をかき立てたいとき、魂に弾丸をこめたいときに聴いてきた。そのときどきで聴こえ方がちがった。静かに目立たぬように闘志を燃え上がらせたいときはまるでグスタフ・マーラの交響曲第5番第4楽章「アダージェット」のようにも聴こえるし、あからさまな、これみよがしの「蛮勇」をたかめたいときにはワグナーの『ワルキューレの騎行』とも聴こえた。

ボブ・ディランはかつて「新しさ」ばかりを盲目的・無自覚に追いつづける人びとに警鐘を鳴らした。

「現代文化をすべて忘れ去って、キーツの詩やメルヴィルの『白鯨』を読み、音楽はウディ・ガスリー、ロバート・ジョンソンを聴くべきだ。現代人はいまだに19世紀すら消化できていないのだ」

この警鐘はもちろんいまも有効である。ディランの鳴らす鐘の音が聴こえない者はよく耳の穴をかっぽじるがよかろう。

ボブ・ディランにかかわることで印象深いのは、ボブ・ゲルドフが提唱した「バンド・エイド・ムーヴメント」に触発され、自分たちも負けてはいられないとばかりに厚顔無恥にもそっくりそのままパクり、「アフリカの貧しい人びとを救おう」という大仰・御大層な旗印のもと、豪華ご立派な顔ぶれをこれでもかというくらいに呼び集めて行われた「We Are The World」の収録現場におけるボブ・ディランの表情だ。アメリカ合衆国の五木ひろしこと、コモドアーズのライオネル・リッチーやショタ公マイケル・ジャクソンや自己啓発セミナーの伝道師ことブルース・スプリングスティーンや三流三下おちゃこちゃ小娘シーラ・Eらが上っ調子に「薄っぺらな善意」をふりまく中、ディランだけはその場のすべてに対して戸惑い、異和を感じ、首を傾げ、距離を保っているようにわたくしには見えた。

あのときのステージで、はにかみ、いやがるディランを無理矢理、正面中央にひっぱりだした大うつけ者、たわけ者どもは、いまごろ、ふかふかのベッドで惰眠を貪り、脂肪たっぷりのファックな豪華ディナーに舌鼓を打ちながら、「今夜のお相手」の耳元に歯の浮くような戯言を囁いているんだろう。ことほどさように世界はうそっぱちと愚鈍と放蕩とに満ちあふれている。考えただけで虫酸が走る。疲れる。

ボブ・ディランの戸惑い、異和は「We Are The World」「われわれは世界そのものだ」をカルト宗教のイヴェント、馬鹿騒ぎ、お祭り騒ぎにすぎないと苦々しく思っていたわたくし自身の戸惑いでもあった。そういえば、当時、さんざっぱら「We Are The World」はすごい、すばらしいを連呼し、アフリカの飢えた子供たちのためにできることをなにかしようと吹聴しまくっていた軽佻浮薄なやつが、数年後、後輩の女房を寝取り、その後輩を自殺にまで追い込むという出来事があった。「もって瞑すべし」である。その軽佻浮薄男はいま、ベテラン消防士として汲々としてつつましやかに暮らしていると風の便りに聞いた。いつか「We Are The World」のDVDでも贈ってやろうと思う。

それまでにボブ・ディランはいやというほど聴いてきたし、感銘もし、好きな表現者の上位にいたが、「We Are The World」のときのボブ・ディランの「表情」を見たときにはじめて、わたくしは「この男は本物だ」と確信した。転がる石のように生きたい。いや、ありたい。いつも、つねに、ココではないドコカへ、コチラではないアチラへ、イマではないイツカへ、転がりつづけたい。転がりついた先が草木一本、土塊ひとつない荒野のただ中だったとしても、2000tの激しい雨となにがしかの答えを孕んだ風を待てばいい。もしかしたら、そこが天国のドアのすぐ近くでないともかぎらない。


かくして、本日も東京は転がる石のように天下太平楽である。

c0109850_7291535.jpg


ブログランキング・にほんブログ村へ
 
[PR]
by enzo_morinari | 2012-01-02 07:15 | 東京の午睡 | Trackback