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ボッテガ・ヴェネタの女#2

 
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「あなたはこの2年半で体重が7キロも増えた。虫歯は2本。浮気は7回。警察沙汰は4回よ」
「上出来の2年半、まさに『素晴らしき哉、人生!』、『It's a Wonderful Life!』じゃないか! 文句のつけようのない日々だ」
「はあ? 勘弁してよ。わたしがこの2年半のあいだに何度首を吊ろうとしたかわかってるの?」
「首吊りはよろしくないね。まったくよろしくない。死ぬなら薬物がいい。速効必殺の薬物が。そうだな。青酸系のものがいい。死体は美しくなけりゃね。スベテハ美シク清算カリニケリ」
「あなたねえ、本気でぶん殴るわよ」
「回復不能なのを百万発くらい頼むよ。人生は生きるに値しないと思えるくらいのを」
「もう!」
「もう? 牛? 偶蹄目?」
「これっぽっちもおもしろくないわよ。さあ、今度はあなたの番よ」
「オーケイ。これだけは最初に言わせていただきたい。きみのテーブル・マナーは最低だ。そのことについては何度も警告してきたけど、きみはいっこうに改めなかった。ナイフを何度も前後させてはいけないって言ってるのにきみはまるで歯磨きでもしているみたいにゴシゴシゴシゴシだ。そのたびに一気に食欲が失せたよ」
「あら。食欲が失せたですって? あなたが? まさかね。冗談よね?」
「いや、冗談ではない。きみにはもう二度と冗談も気の利いたジョークも寸鉄釘を刺す警句もエスプリとウィットに富んだ譬え話もしないと決めているんだ」
「斉須政雄さんのお店でプイィフィッセを2本空けて、ムール貝をバケツ一杯平らげたあとに赤ピーマンのムースをふた皿、オマールのテリーヌは三皿、エイひれと春キャベツの蒸し煮シェリー酢バターソースをやっぱりふた皿、最後はクー・ド・ブフ・プレゼ、牛の尻尾の赤ワイン煮込みをぺろっと食べたのはどこのどなただったかしらね。デセールのことまでは言わないでおくわ。武士の情けよ」
「ああ、それは僕じゃない。僕に化けた冬眠を忘れた熊の奴だ。大方、冬眠前にたっぷり栄養を蓄えておきたかったんだろうね。昔から、冬眠前の冬眠を忘れた熊にはちょくちょく化けられているんだ。とにかく、きみのテーブル・マナーはひどいもんだ。きみはまさか、泥棒かささぎ世界一のアンチ・ヴァーグナー足立荒川下町連合軍食堂、『ラ・ピエトラ・デル・パラゴーネ』の夜のことを忘れたわけじゃあるまいね? 満月の斥力とクロワッサンの花王CIぶりとブカティーニ・ディ・シチリアーノ・シシリエンヌの間に横たわる相互作用とジャーマン・シェパードの忠節とロベール・カサドシュの弾くモーツァルトのピアノ協奏曲42番の凡庸と純粋理性の二律背反と”無謬完全なるアルデンテ”の困難を思いながらブガッティ・プレヌリュンヌ・ブカティーニ氏が精魂込めてBUCATINI TYPE57を茹でているとき、きみはなにをした? チェネレントラ・ルネサンス様式の装飾で埋めつくされた『ラ・ピエトラ・デル・パラゴーネ』では、常に、いついかなるときにもヴェルディ・ミドリカワ・マコ作『ジャン=ピエール・ウィミーユとピエール・ヴェイロンのためのル・グルマン24のソネット』が黒死館門外不出弦楽四重奏団によって奏でられているというのにきみはなにを言った?」
「その件だけは堪忍してよ。あの夜、わたしは本当にどうかしてたのよ。でもね、黒死館門外不出弦楽四重奏団が演奏する『ジャン=ピエール・ウィミーユとピエール・ヴェイロンのためのル・グルマン24のソネット』のミニマムでファジーなノイズはよほどの健啖家でなければ食欲を失うわよ。『ラ・ピエトラ・デル・パラゴーネ』は食を拒否するリストランテでもあるから十分に整合性はあるんでしょうけど、それをあなたはなに? わたしに向かって”この世界はパスタを茹でる人間とそれを食べる人間でできあがっているんだ。きみが茹で、僕が食す。ある意味、僕らは両性具有者なんだ”って。あのあと、わたしはお月さまの前で2000トンの涙を流したのよ」
「まあ、その件に関しちゃね、料理の三角形教団の執拗で強引で素っ頓狂で闇討ち辻斬り的で突拍子もない布教活動の成果として、いまやありとあらゆる世界において食と生と性は分かちがたく結びついていることが関係しているんだけども、きみに言っても到底理解はできないだろうからやめておくよ」
「なによ。この際だから言いなさいよ」
「仕方ないなあ。それじゃあ言うよ。『ラ・ピエトラ・デル・パラゴーネ』はだね、料理の三角形教団の動きを分断するための試金石の役を担っているんだ。食と生と性の解放を訴えるヰタ・セクスアリス・グルマンディー集団、『ラ・テテ・デュヌ・コクレ・エ・クー・ド・ブフ(鶏の頭と牛のしっぽ)』の本部でもある。あのとき、僕らの斜め向かい、42番テーブルでは苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべる悪魔の美食家、マエストロ・ロッシーニが僕たちの動向を窺っていたことにきみはまったく気づかなかった。僕がいくら目配せをしてもね。目にゴミでも入ったの?って。僕は心底がっかりしたよ。哀れなもののけ白鳥カウンターテナーが『ヨイトマケの歌』の絶唱とともにジブリ・ジビエ色に焼き上がった直後、マエストロ・ロッシーニは厨房のブガッティ・プレヌリュンヌ・ブカティーニ氏に向かってこれみよがしに言ったのだって、きみの耳には聞こえなかったんだろうな」
「ロッシーニはなんて言ったのよ」
「茹でて食す。一人二役。これぞ真の両性具有」
 
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by enzo_morinari | 2013-04-07 06:40 | ボッテガ・ヴェネタの女 | Trackback

ボッテガ・ヴェネタの女#1

 
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「あなた、これを読んで人生について考えなおしなさいよ」
 そう言って彼女はボッテガ・ヴェネタの黒い編み込みトートバッグから『エミリーへの手紙』を取り出した。表紙や小口の傷みぐあいでかなり読みこんでいることがうかがえた。私は何年も前に『エミリーへの手紙』を読んでいたが、そのことは口に出さずに感謝の微笑を添えて受け取った。しかし、少なくとも私の世界においてはボッテガ・ヴェネタの黒い編み込みトートバッグを持つ女には『エミリーへの手紙』はふさわしくない。もちろん、私の「世界観」を彼女に表明することはしなかった。言葉でも表情でも。彼女の気分を害したくなかったからだ。それに『エミリーへの手紙』は父親の娘に対する思いやら愛情やら父親という存在がどこまでおめでたいかを知りたいときに読む本ではあっても、人生について考えなおすための本ではない。人生について考えなおすきっかけになる本ならほかにいくらでもある。たとえばいがらしみきおの『ぼのぼの』や吉田戦車の『伝染るんです。』や坂口安吾の『堕落論』やジョージ・バーナード・ショーの『人と超人』やラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世の『箴言』やオハイオ・ペニテンシャリーことウィリアム・シドニー・ポーターの『賢者の贈り物』『最後の一葉』が。

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 受け取った『エミリーへの手紙』をぱらぱらとめくりはじめたとき、天井からだらしなくぶら下がっている薄汚れた白いBOZEからなぜか黒死館門外不出弦楽四重奏団が演奏するハイドンの『弦楽四重奏曲ホーボーケン番号第41番 ト長調 Vivace Assai』が聴こえてきた。
 ヴィヴァーチェ・アッサイ? とても活発に? いきいきと? 冗談じゃない。指一本動かすのだってしんどい。いきいきどころか死に死にだ。死ね死ね団だ。大日本帝国初代新所沢愚連隊に有り金すべてをカツアゲされたような気分だ。電車賃の果てまでだ。愛の戦士もレインボーマンも明日に架ける橋を渡ってとっくにいなくなっていた。
 ボッテガ・ヴェネタの黒い編み込みトートバッグを持つ『エミリーへの手紙』の女は悪意と憎悪に彩られた眼で私を見すえて言った。
「わたしはイマ/ココが重要で、あなたはイツカ/ドコカを夢みてる。でしょう?」
「まあね。きみの言うとおりだ」
「ということは、わたしたちはもういっしょには歩けないってことよ」
「まったくきみの言うとおりだ」
「明日の朝には出ていってちょうだい。きれいさっぱり」
「うん。そうするよ。実は引っ越しの手配はすでに済んでるんだ」
「あら。手回しのいいこと。ついては」とボッテガ・ヴェネタの黒い編み込みトートバッグを持つ『エミリーへの手紙』の女は言ってサン・ペグリノのボトルからじかに水を飲んだ。「ついては、お互いの問題点をあげつらいあうことにしたいと思うの。この2年半の問題点を」
「お互いの問題点をあげつらいあう? なんのために?」
「馬鹿馬鹿しいにもほどがある2年半になにかしらの意味を見いだしたいからよ」
「なるほど。いいよ。でも、きみの問題点を言いだしたら2年半でも足りないと思う」
「それはこっちの台詞だわ」
 こうして、うんざりするほど無意味で不愉快で悪意と憎悪に満ちた反省会(反省会だって?)は始まった。
 
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by enzo_morinari | 2013-04-05 22:33 | ボッテガ・ヴェネタの女 | Trackback