カテゴリ:暗躍海星の逆襲( 2 )

海に落ちる滝が見える季節はずれの二人きりのビア・ガーデン

 
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「またヒトデか」と思った。「男は黙ってサッポロ・ビール。脚線美の誘惑仕込みだけど打ち水にレインボウ」な時代をともに戦った戦友のヒトデではあったが、「彼のパパは東へ行けと言った」とヒトデが言った途端にわれわれの友情は終わりを告げた。そのことについて東八郎風に記す。

「鳴ってなんぼなんですよ、世界は」とヒトデが言ったとき、吾輩は痛風発作の予兆を嗅ぎ取り、コルヒチンに手を伸ばした。コルヒチンの奴めがちょっと不機嫌な顔をした。ヒトデは天井から滴り落ちる数の子をル・サングロロンしていた。まったく、明け方のヒトデには困ったものである。
「それはさておき、横尾忠則がぶっこくわけですよ。世界がすべて宝塚になっちゃえばいいって」とヒトデがぶっこくのを吾輩は65刹那だけ聴いた。つまり、1指パッチン分。つまり、世界はワンクリックで水平に並列。そして、傷は傷だし、痛みは痛みだし、距離は距離だし、巨泉は死ねばいいのに。森繁はとっくに死んだと思う日々が長いあいだつづいて、やっと森繁は死んだ。森光子も死んだ。物事は順番であるという天然自然のしきたりがやっと元にもどったのだ。ヒトデはまだ喋っている。

「この冬のあいだ中、ずっと考えていたんです。ヤマハの製品みたいにいつでもどこでもヤマハな存在になりたいって。でも、それは絶対に自分には無理なんだってことにようやく気がつきました。気がついたとき、数の子天井は消滅してました」

 そう言ったきり、ヒトデはもう二度と口をひらこうとしなかった。二人きりのビア・ガーデンに100年ぶりに春風が吹いた。それは表面上は清々しく心地よかったが、とてもどてっ腹にこたえる風だった。海が420メートルほど盛り上がり、しばらくあたりを睥睨してから巨大な海岸瀑になった。ナショジオニストの立場から言うならば、「海に落ちる滝」は滝の形状分類上からは「海岸瀑」と言って、稀少ではある。ピエール・エルメの苺大福くらい稀少である。是非一度、苺1a号パフェを食しながら滝垢離したいものだ。しかし、もうあらゆることがどうでもよかった。

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「東へ行きなさい」とヒトデのパパが言った。
「東というのはどこですか?」と吾輩はたずねた。
「西にたずねなさい」とヒトデのパパは答えた。
「西というのはだれですか?」
「南のライフ・セーバー、ヨーコが詳しい」
「南のライフ・セーバーのヨーコさんにはいつ会えますか?」
「北杜夫はまったく退屈だ」
「同感ですけど、ヒトデくんのお父さんはめちゃくちゃですね」
「そうとも。だからこうしてきみと二人きり、海に落ちる滝が見えるシーズン・オフの幻の羽澤ガーデンにいるんじゃないか」
「ええ、まあ」
「しかし、ここは恵比寿のサッポロ・ビール園と縁もゆかりもないのに、なぜサン・ミゲルのビールしか置いていないんだ?」
「たぶん、イマ/ココがマニラのスモーキー・マウンテンもしくはワン・クリックで垂直に直列なハンバーガー・ヒルだからですよ」
「なるほどね」

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 ヒトデ。彼は今頃どうしているんだろう? ヒトデ。クールでスマートでプリティだったヒトデは。趣味は特撮だった。人生、天井、酒。好きすぐるけど、距離感。保谷市と日本光学の目黒工場にやたら詳しかった。海岸瀑が悪意と憎悪の塊のような轟音を立てて人々を飲み込んでいる。黙って生あたたかいビールを飲むが不味い。とても不味い。不味いものを「ズマイ」と言うのはヒトデの口ぐせだ。
 さらに黙って生あたたかいビールを飲むがズマイ。スマップの歌のようにズマイ。ズマくないズワイガニが食べたい。桜の花びらが紙吹雪のように降っている。ずっと降りつづいている。あたりに桜の樹なんか1本もないのに。変な春だ。

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by enzo_morinari | 2013-04-06 11:16 | 暗躍海星の逆襲 | Trackback

暗躍海星の逆襲

 
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 暗躍海星の妻のカズノコは突然、狂ったように舌を差し入れてきた。アップルのシネマディスプレイからキングギドラの右から3番目のやつのような動きで現れたカズノコの舌はうす桃色で、表面にぶつぶつした突起物がびっしりと生えていた。私はブルックナーの交響曲第2番第3楽章に心を奪われていて、彼女のねっとりつぶつぶした舌が差し入れられたことに気づくのにしばらくかかった。

「ヒトデの仲間の世界をひらきたいんです」

 私がカズノコの舌のねっとりとした感触を味わっているとき、暗躍海星が言った。妻の舌を盗まれているにもかかわらず、暗躍海星はそのことをちっとも気にかけていないようだった。「ヒトデ族は気がいい」というヒトデナシ博士の言葉は本当だった。
「君の問題は」と言い、私はいったん言葉をとめた。カズノコの舌にこびりついていたテイク・イット・イージー天丼の食べかすが喉にひっかかったのだ。「君の問題は、妻の舌を盗まれながら、というより、妻が舌をほかの男の口に差し入れながら、平気でいられる無神経さだよ。しいては、その無神経さがヒトデ族の世界を狭くしているんだ」
 私はそのように言ってから、さらに時間をかけてカズノコの舌を味わった。すこしだけ、味の素の味がした。頭の中で「お箸の国のひとだもの」とミタヨシコの声が聞こえた。

「ヒトデの思い出について話してくれたら、あと1時間カズノコの舌を自由にしていいです」
 ややうわずった声で暗躍海星が言った。悪い条件ではない。ヒトデに関する思い出など他愛ないものばかりだし、他者に知られたところで痛くも痒くもない。主導権が私にあることにかわりはないのだ。
「いいでしょう。私のヒトデについてのとっておきの思い出をお話ししてさしあげましょう」
 私はにやけそうな自分を戒め、自分の「ヒトデの思い出」を話しはじめた。

 あれは私が海の近くのちいさな街に住んでいた頃のことだ。私は小学校の3年生だった。永遠とも思われた夏休みが残り数日になった昼下がり、私は海岸のはずれの磯でヤドカリや石蟹を捕獲していた。
 予想以上の大漁に気をよくした私は、おとなどもから近づかないように忠告を受けていた五郎兵衛岩に足を踏み入れてしまった。ふだん、めったにひとの寄りつかない五郎兵衛岩は獲物の宝庫だったのだ。
 ほかの場所なら一日がかりでやっとこさっとことれる量の獲物が小一時間でとれた。私はさらに調子に乗った。五郎兵衛岩の切っ先にまで私は侵入し、「それ」をみつけたのだ。「それ」はターコイズ・ブルーをした六芒星型の巨大なヒトデだった。ひとつの腕の長さはゆうに1メートルはあった。網の先でつついても、巨大ヒトデは緩慢な動きをするだけだった。危険がないことを確信した私は、自信たっぷりに巨大ヒトデに近づき、手で叩いたり、足蹴にしたり、唾を吐きかけたり、罵声を浴びせたりした。しかし、私がいくら攻撃しても巨大ヒトデは無抵抗だった。あいかわらず緩慢な動きをみせるだけだった。しかし、「そのとき」はついにやってきた。
 
「このロクデナシ!」と罵りの言葉を私が投げかけると同時にターコイズ・ブルーの巨大ヒトデは2本の腕で立ち上がり、裏側に隠れていた補食口を大きく開き、獰猛な牙をむいたのだ。私は食われると思った。もうだめだと観念した。すると、大きな波が寄せて巨大ヒトデにぶつかり、巨大ヒトデは足元をすくわれて、もんどりうってその場に倒れたのだ。私はすぐそばの小岩のひとつをひっつかみ、巨大ヒトデに殴りかかった。そして、何度も何度も打ちすえた。巨大ヒトデはすぐにぐったりとし、やがてぴくりとも動かなくなった。

「まいったか! ばかやろう! ばかやろう! ばかやろう!」

 私は狂ったように勝利の雄叫びをあげた。また大きな波がやってきて、巨大ヒトデを海の中へと連れ去った。私は生まれてはじめて自分の手で生き物のいのちを奪った興奮で身動きひとつできなかった。正気にもどったとき、海は血の色に染まっていた。

「と、まあ、これが私のヒトデにまつわる思い出です」
 私が言うと暗躍海星は深々と息をつき、とても悲しそうな眼をしてから、私をおだやかな表情でみつめ、言った。 
 
「モリナリさん。実はね。私があのときの巨大ヒトデなんですよ」
 
 音が消え、カズノコの舌も消え、暗躍海星も消え、すべてが消え失せた。東京の空は音もなく澄んで、青かった。ちょうど、あの夏の巨大ヒトデのターコイズ・ブルーのように。

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by enzo_morinari | 2013-04-05 12:49 | 暗躍海星の逆襲 | Trackback