カテゴリ:Carpe Diem/一日の花を摘め( 5 )

パリ北駅発、現象。バラ色の人生。

 
c0109850_3185536.jpg


パリ北駅4番線ホームにおける知覚の現象学的手法

遠い異国から来た若者はすでに列車の中だ。遠い異国から来た若者は生涯最高にして最悪の旅に出ようとしている。


遡ること数時間前。わが要塞、わが知の胎内。わが知覚の現象学的手法が誕生する場。

朝、いつものように眠られぬ夜をやりすごし、ベッドから抜け出すと遠い異国から来た若者が居間の中央に正座し、神妙な面持ちで吾輩を待っていた。

「おはよう。どうした? こわい顔して」
「お暇乞いを申し上げにまいりました」
「死ぬのか?」
「死にゃしません」
「なんだ。つまらない」
「わたしが死ぬとおもしろいですか!」
「うん」
「ひどい!」
「うん。吾輩がひどいのは有名だ」
「鬼ですね!」
「うれしいことを言ってくれるじゃねえか。あと1、2週間いろよ。アゴアシは面倒みるから」
「もうなにがなんだかわけがわかりません!」
「またまたうれしいな。わけがわかることくらい面白くないことはないからな」
「しばらく放浪することにしました」
「ほう。そりゃまたなんで?」
「あなたの、いえ、先生の背中すら見えない自分が情けないからです」
「なるほど。いい心がけだ」
「ありがとうございます。あの夜、ラ・セーヌを行ったり来たりしているとき、ほんの少し見えかけたんですけど…。すぐに見えなくなっちゃいました」
「ほうほう。ほんの少し見えかけた吾輩の背中はどんなだった?」
「血煙が上がってました」

吾輩は言いかけた言葉を飲み込んだ。血煙か。なつかしい言葉だ。思えば吾輩自身が血煙を上げている人物を探し求める人生を生きてきたのだった。

小学生のときに靖国神社ですれちがった三島由紀夫は青白い炎のような血煙を上げていた。その数日後、三島由紀夫は自裁した。小林秀雄も埴谷雄高も吉本隆明も江藤淳も高橋和己も大江健三郎も五木寛之も吉行淳之介先生も松本治一郎も高山登久郎もビートたけしも中上健次も阿部薫も鴨志田穣も田中角栄もマレーネ・ディートリッヒもベニー・グッドマンもマイルス・デイヴィスもジョン・コルトレーンもエリック・ドルフィーもアルバート・アイラーもローランド・カークもミシェル・ペトルチアーニもウラジミール・アシュケナージもムスティスラフ・ロストロポーヴィチもスティーヴ・ジョブズも高倉健も鶴田浩二も市川崑も長谷川和彦も森田芳光もやしきたかじんも泉谷しげるも忌野清志郎も桑田佳祐も渡辺香津美も吉田美奈子もベルナール・ロワゾーもアイルトン・セナもミケーレ・アルボレートも古今亭志ん朝も野村秋介先生も、そして開高先生も血煙を上げていた。それぞれ色や形や強さはちがったが血煙を上げていた。自分も血煙を上げる人間になりたいと思った。

村上春樹? 血煙ではないが暖かそうな暖炉の炎のようなものはある。たまに暖を取るのにはちょうどいいだろう。村上龍? 血煙も炎も出ていない。マッチの軸ほどもだ。あとはひと山いくらだろう。

「たばこを切らしちまった。建物を出て左の並びにタバー屋があるから買ってきてくれないか?」
「銘柄はなにがよろしいんでしょうか?」
「ピースのアロマ・ロワイアル」
「それはさすがに売っていないんじゃないでしょうか」
「そういうもんか。ではジタンとゴロワーズを1カートンずつ。ほれ、おカネ」
「いえ、それはわたしが。置き土産がわりです」
「すまんね」
「とんでもございません」

遠い異国から来た若者は風のように駆け出した。虹子を呼ぶ。

「はい?」
「いまキャッシュの手持ちは全部でいくらある?」
「ちょっと待ってくださいね」

虹子戻る。

「おねいちゃんたちからもかき集めてきてくれ」
「はいはーい」
全部で2万ユーロちょっと。
「いまユーロはいくらだ?」
「円でですか? それともドルで?」
「両方」

虹子ネットで調べる。

「吾輩の書斎に青いヒポポタマスの置物があるのは知ってるか?」
「はい」
「やつをここへ。それとフランク・ミューラーも」
「あなたあれは ──」
「いいからここへ」

「若者!」
「はい!」
「荒野を目指せ」
「古い…」
「いいから最後まで黙って聴いてろ。必ず泣かしてやるから」
「泣きません! もう涙は枯れ果てました。泣きすぎて」
「重要なのはカタルシスだ」
「肝に銘じます」
「けっこうけっこう。では、つづける。どこまでいったっけ?」
「五木寛之のパクリのところまで」
「ああ、うん。青年が荒野を目指すところまでだな。よしよし。で、だ」
「はい」
「苦しみつつなおも働け。安住を求めるな。この世は巡礼である」
「はい」
「そして、漂っても沈むな。悠々として急げ。わかるな?」

若造をみる。案の定泣いていやがる。

「な? やっぱり泣かせただろう?」
「ずるいや!」
「ずるかろうがずるくなかろうが泣かせるのが吾輩の仕事だ」
「どんな仕事だよ」
「こんな仕事だ。泣かせ屋。ひとは吾輩のことを泣かせ屋一代と呼ぶ」
「またわけがわからなくなってきた…」
「けっこうけっこう」

発車時刻が迫っていた。遠い異国から来た若者も落ち着きがない。虹子が「あなた、これ」と言ってラデュレの袋をよこす。打ち合わせ通りだ。

「若者」
「はい」
「虹子ちゃん特製のお弁当とラデュレのマカロン・パリジャンだ。食べなさい」
「ありがとうございます!」
「それとこれを記念にあげよう」

フランク・ミュラーのカサブランカを渡す。

「先生! こんな高価なものをいただくわけには ──」
「吾輩はフランク・ミュラーは好みではないんでね。吾輩の愛する時計はパテック・フィリップとブレゲとバセロン・コンスタンタンのみっつのみ! ほかの有象無象は吾輩にとってはひと山いくらのケイチャン売りのゴミ時計とおなじだ」
「では遠慮なくいただきます!」
「うん。けっこうけっこう。腕時計なら置き場所には困るまい。いざというときに売れば旅費と当面のめし代くらいにはなるはずだ」
「なにからなにまで…」
「泣くなよ。笑とけ笑とけ。ここから先に流す涙はすべてガラス玉と認定する!」
「わかりました!」
「それとな。さっきのラデュレの袋の中にも置き場所に困らないちょいとしたものを入れておいた」
「なんですか! にやにやして! なにが入ってるんですか!」
「ソバージュ・ネコメガエルのエクリを旅のお供にと思ってね」
「ええええええええええ! カエルは苦手だって言ったじゃないっすか!」
「三島由紀夫は蟹が苦手で大きくなったんだ。苦手な蟹を克服せんとする過程で『金閣寺』も『仮面の告白』も、そして『豊饒の海』も生まれたのだ。カエルだって似たようなものだろう」
「蟹は食べますけどカエルは食べません!」
「食用蛙があるがね」
「あ。そうか」
「弁当を食うときにでもたしかめなさい。弁当は誰の眼もないところでこっそり食べるようにな。ちょっとヤバめのブツが入ってるんでな」
「もう! いいかげんにしてください!」
「うへへへへ」

発車を報せるベルがけたたましく鳴る。

「まあ、冗談はさておき、達者でな。漂えど沈まず、悠々として急ぎたまえ」
「はい! ありがとうございます! なんとお礼を ──」
「みなまで言うな。いや、なにも言わなくていい。マットンヤ・ユミーンの歌にもあるだろうが。ヴィトゲンシュタイン先生は”語りつくせぬことについては沈黙せよ”と言っている」
「わかりました」
「いいか、若者。忘れるなよ。”漂えど沈まず、悠々として急げ”だぞ。いいな?」
「はい!」
「スワヒリ語で言ってみろ」
「無理です」
「ではトレーン語とヴォラピュク語とエウスカレで」
「無理です」
「まったく無知者には困ったものだ。ラテン語で言ってみろ」
「えーと、えーと。思い出した! Fluctuat nec mergitur, Festina Lente! だ!」
「でかした! さあ、とっとと行きやがれ! さらば友よ。二度と来るな!」
「何度でも襲撃します。何度でも」

列車が動き出す。数十秒後、窓があき、遠い異国から来た若者が吾輩のくれてやったラデュレの袋をかざしてなにか叫んでいる。その眼からはじゃぶじゃぶと音を立てて涙がこぼれている。

さらば、友よ。荒野を目指し、いい旅を。再度言う。漂えど沈まず、悠々として急げ。そして、一日の花を摘め。なにがどうあれ、人生はバラ色だ。


パリ北駅発、現象。バラ色の人生。かくして、人生の日々はつづく。

La Vie en Rose - Edith Piaf
Sous le ciel de Paris - Edith Piaf

c0109850_319304.jpg

 
[PR]
by enzo_morinari | 2017-09-29 23:45 | Carpe Diem/一日の花を摘め | Trackback

君よ、帰らぬ夏を惜しめ。Carpe Diem. その一日の花を摘め。

 
c0109850_1345718.jpg


8月は夏が急ぎ足で通りすぎてゆく。永遠につづくかと思われた夏の終りの足音がかすかに聴こえはじめた。君よ、夏を惜しめ。Carpe Diem. その一日の花を摘め。


『夏の思い出』(江間章子作詞/中田喜直作曲)はすごく好きな歌だ。メロディも歌詞もすこぶるよい。夏の盛りがやってきて入道雲がわき上がった空を見ると『夏の思い出』を口ずさんでいる。

こどもの頃、夏は苦手だった。夏の暑さがだめなのだ。いまでは信じられないことだが、私はどちらかと言えば腺病質のこどもで、同級生が夏の訪れを心待ちにしてはしゃいでいるのを横目で見ながらだれにも気づかれないように溜息ばかりついていた。夏休みが来てもちっともうれしくなかった。

エアコンなどまだ普及していない時代。窓を開け放し、扇風機をつけっぱなしにして部屋にこもり、本を読んだり考えごとをしているうちにいくつもの夏が過ぎていった。

そんな私がひと夏の冒険旅行に出たことがある。小学校5年の夏休みのことだ。

私はその当時、あるよんどころのない事情で母親から離れ、一時的に生物学上の父親のもとで暮らしていた。生物学上の父親はそのころ羽振りがよく、元麻布の有栖川公園の近くに豪邸をかまえ、「闘う家長」として彼の両親、彼の妻の両親、兄弟姉妹、そして子供たちとともに暮らしていた。

居心地は最悪のはずだったが彼らは私を大歓迎し、愛でた。それでも、子供心にも自分が場ちがいなところに転がりこんでいることはわかっていた。私は極力彼らと顔を合わせぬために食事や入浴のとき以外は「図書室」のある地下に逃げこんでいた。「図書室」は内側から鍵がかけられるようになっていたので好都合だった。そしてなにより、蔵書の質と量がすごかった。学校や町の図書館の本はあらかた読んでいたので新しい本に飢えていた。そんな中で小田実の『何でも見てやろう』をみつけ、夢中で読んだ。『何でも見てやろう』を読み進みながら一刻も早く旅に出なければならないと私は思うようになっていた。

私が「冒険旅行」を宣言したとき、生物学上の父親とその家族どものほとんどは猛反対したが、いつも私をからかってばかりいた腹ちがいの兄だけが味方についてくれた。

その当時、腹ちがいの兄は東大の仏文科の学生で、東大全共闘の一員としてきな臭い日々を送っていたように記憶する。顔は青ざめ、頬はこけ、眼だけがギラついていた。長めの前髪がいつも顔にかかっていた。おおかた、『異邦人』のムルソーだか『罪と罰』のラスコリニコフだかを気取っていたのでもあろうが、男っぷりはそこそこのもので、家に連れてくるガールフレンドは美人ばかりだった。

そんな兄は私の冒険旅行をめぐる「家族会議」のあいだ中、私のすぐ横にいて、ずっと私の背中に手を置き、さすってくれた。そして、「負けるな」「やっつけてやれ」と小声で私を励ました。

やると決めた以上、だれが反対しようが決行するという私の気質はこの頃にはすでにでき上がっていて、綿密な旅程表と装備品リストと「旅の目的」をもとに私が反論すると、もはや異を唱えられる者はいなかった。大のおとなどもを説き伏せたときのうれしさ。そして、兄の満足げな表情はいまも忘れることができない。出発の朝、兄は私の手にそっと数枚の1万円札を握らせた。「がんばれ」とひと言だけ言って。

c0109850_122428100.jpg

私の「冒険旅行」はひと夏をかけて北海道を一周するというものだった。フェリーで苫小牧に上陸し、あとはユース・ホステルを泊まり継ぐ。旅はもちろん面白かったし、たのしかった。多くの発見やたくさんの人々との出会いがあった。新冠のユース・ホステルでは仲良くなった高校生のグループやヘルパーのひとたちと競走馬の牧場までハイキングに行った。馬たちは茶目っ気たっぷりで、柵のそばまで行くと鼻息を猛烈に荒くしながら近寄ってきた。

別れの夜、判官館の浜辺に出て焚火を囲んでいろんな話をし、歌をうたった。『今日の日はさようなら』をみんなで歌ったときには涙が止まらなかった。襟裳のユース・ホステルではオートバイで日本全国を旅している大学生と仲良くなった。オートバイの後部座席に乗せてもらい、次のユース・ホステルまで送ってもらった。あのときの大学生がいまもオートバイで日本中を駆け巡っていたらうれしい。

土砂降りの雨の中でバスを待っているとき、長距離トラックが急停車し、「乗ってきな」と言ってリーゼントのあんちゃんがドアを開けた。私は少し迷ったが、彼の顔色がすごくよかったので助手席に飛び乗った。私が札幌で降りるまでカーステレオからはエルビス・プレスリーの曲がずっと流れていた。

それらはなにがしかのかたちで、私の現在の財産になっている。しかし、あの遠い日の夏のいちばんの思い出は、「論理」によっておとなたちを説き伏せたという経験だった。

北の国の夏は駆け足で過ぎてゆく。とりつく島もないほどに速く。秋の気配を感じた朝、私のひと夏の冒険旅行は終りを告げた。多くのときめきと幾分かのかなしみをともなって私の夏は過ぎていった。「帰らぬ夏」と思った。「帰らぬ夏を惜しめ」とも。

夏。それはまぎれもなく「経験」の季節だ。経験の数だけ、ひとはなにごとかを獲得し、同時に、同じ数だけなにごとかを喪失する。ひとはそれを成熟と呼ぶ。

c0109850_12223439.jpg



夏の旅 - 松岡直也
9月の風 - 松岡直也
 
[PR]
by enzo_morinari | 2013-08-04 12:24 | Carpe Diem/一日の花を摘め | Trackback

ミモザが咲く頃を過ぎても

 
c0109850_14331393.jpg

 

 そう。あれは2008年の5月の第2金曜日だった。六本木ヒルズのけやき坂がミモザの花で埋めつくされたのだ。ミモザの香りは麻布十番商店街、元麻布と南麻布界隈、そして広尾にまで及んだ。

 ミモザのちょっと引っ込み思案な香りはときどき人の心をやさしくする。けやき坂がミモザで埋めつくされたあの日もそうだった。けやき坂を歩く人は皆一様に足をとめ、一面のミモザに見とれ、そして一輪だけミモザを持ち帰った。どの顔にもやさしさが色づいていた。さりげないやさしさが。

「あなたは階段の坂の下のカフェでカプチーノなんてありきたりでバカみたいって思うでしょうけど、やっぱり傾く午後の陽射しは気持ちよくて、相手と半分こしたはずのケーキはわたしの方が多く食べちゃって、やっぱりこんなのバカみたいって思うけど、そう思うことがバカみたいでバカみたいなのはわたしだとようやく観念してみたりするのよ。わかる?」
「わからないよ」
「わかってよ」
「わかったことにするよ」
「ちゃんとわかってよ」
「ちゃんとわかったことにするよ」
「なんだか真夏の夜の夢みたいね。垂直に積み重ねられたはずの過去がワンクリックですべて水平に並列だなんて」

 けやき坂を埋めつくすミモザのことはあっという間にネットを通じて世界中に広まった。BBCとNBCとFOXとCNNとCBSの取材班もやってきた。ブラッド・ピットとアンジェリーナ・ジョリーもお忍びでやってきた。ブラッド・ビットはのちにミモザをモチーフにしたデザイン画『MIMOSA in KEYAKIZAKA』をチャリティーに出品し、『MIMOSA in KEYAKIZAKA』は7万ドルで落札された。ブラッド・ビットは全額「ミモザの家」に寄付した。

 ミモザの可憐でちょっと引っ込み思案な花が咲く季節になるとあの日のことを思いだす。そして、絶望のパスタにミモザの可憐でちょっと引っ込み思案な花のひと枝を添える。ワインはブルゴーニュの安い白を2本飲む。絶望のパスタとミモザと安物のブルゴーニュの白ワインがトリオを組む日を私は「ミモザの日」と勝手に呼んでいるが、そのことを知るのは弟子のポルコロッソだけだ。

 いったい、だれがけやき坂をミモザの花で埋めつくしたのか? それは5年を経たいまもわかっていない。私はことの真相を知っているが明かすわけにはいかない。ミモザが咲く頃を過ぎても。盛りを過ぎたひとつの恋が生まれたことも。ミモザの花言葉は「豊かな感受性」「感じやすい心」、そして「真実の愛」だ。けやき坂を埋めたミモザの謎を解く鍵のいくつかはこの中に隠れている。さりげなく、そして、やさしく。
 
[PR]
by enzo_morinari | 2013-05-10 14:34 | Carpe Diem/一日の花を摘め | Trackback

メメント・モリ! 死を思え。「死」もまた「生」の一部なのだ。

 
c0109850_0515514.jpg

懇意にしていただいているSさんの奥さまが亡くなった。三年におよぶ癌との闘いを経て。葬儀は玉川上水を見下ろすマンションの一室でひっそりと行われた。近しい人だけが集まり、亡くなった奥さまを偲んだ。それは葬儀というよりも「お別れ会」といったような慈しみにあふれた集まりだった。ひとかけらの宗教色もなく、透明感にみちていた。

亡骸の枕元には奥さまが好きだったというかすみ草がひと抱え飾られ、タンノイのスピーカーからはボロディン・カルテット演奏の『アンダンテ・カンターヴィレ』とカラヤン指揮ベルリン・フィルのG. マーラ交響曲五番第四楽章『アダージェット』が小さな音量で繰り返し流れつづけた。かすみ草の白さがひどく目にしみた。

最後の別れのときである。Sさんは奥さまに何度も何度も頬ずりし、顔を抱きかかえて言った。

「ありがとうございました」

顔を上げたSさんは実に晴々とした表情をしていた。和やかと言ってもよい雰囲気が一変した。いっせいに嗚咽が漏れはじめたのだ。私もこみあげるものがあったが我慢した。Sさんの奥さまへの「ありがとうございました」という言葉と晴れやかな表情の意味を知りたかったからだ。

火葬場から帰ってからのことである。

「悲しくて悲しくて、心が散り散りになってしまうはずなのに、心の中はとても穏やかなんだ。思わず笑みがこみあげてきちゃうんだよ」

Sさんはひと気のうせた居間にぽつんと座り、そう言った。奥さまの御遺影はかなしいくらいにやさしくやわらかな笑顔だった。涙がこみあげてくる。

Sさんの奥さまは三度目の癌再発の宣告を受けてのち、病院での治療をいっさい受けなかった。「尊厳のある死」を迎えることをみずから選び取ったのだ。

遠い日、エリザベス・キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間』を読んだときのことを思いだす。「尊厳死」とはなにか。「尊厳死」を安楽死をも含めた広義の意味にとることもできるし、法律の枠内でなされる医療行為のみが尊厳死であるということも可能だ。また、「尊厳死」は「Quality of Life をともなった死」でなければならないとも言われる。

死を生と切り離して考えるのではなく、「生の延長線上にある出来事」として、そのプロセスも尊重するべきだというのだ。思えば、「死」の捉えかたは実にさまざまな変遷の道をたどってきた。

フィリップ・アリエスは「死の歴史」を次のような5つのモデルであらわした。

1. 飼い馴らされた死
2. 自分自身の死
3. 遠くて近い死
4. 美化された死
5. 死のタブー化


人々が死に慣れ親しむ場は少なくなり、医学的処置の対象としか見られなくなっていった過程をこのモデルはあらわしている。

日常の「ありふれた出来事」にすぎなかった死は、いまやそれについて語ること、その準備教育をすることすらタブー視されている。「人は死に直面しても死を受容せず、それに逆らう義務がある」また、「まわりの人々は1秒でも長く生き続けさせるのが義務である」という了解ができあがっているかにみえる。

私はこれに強い異和を感じる。「尊厳死」とは死ぬまでの生を尊厳をもって生きたことの締めくくり、総仕上げであるべきだ。しかし、「死にかた」のみが尊厳をもっていればよいという考えはいまだ根強い。

痛みをやわらげるための医療技術はめざましい進歩をとげ、末期患者の95パーセントは痛みから解放されたと言われる。しかし、その一方で、精神的苦痛を理由に安楽死を望む多くの末期患者たちがいる。

エリザベス・キューブラー・ロスは「安楽死についてどう思うか」という問いに対して、「患者が安楽死を望むとしたら、それは周囲のケアが足りないからである」と答えた。(山崎章朗著『僕が医者としてできること』)

われわれは一刻一秒、死に近づいている。いま、この瞬間にも否応なく「死ぬ瞬間」に向けてわれわれは突き進んでいる。生のありようはそれぞれにちがっても死は例外なく平等に訪れる。なんぴともこの事態から逃れることはできない。であればこそ、自分の死にざま、すなわち生きざまは自分で決めなければならないとも言える。「臨終」を生と切り離された「瞬間としての死」ではなく、「生の延長線上にある出来事」としてとらえなおす新しい「生の哲学」の誕生をまちたい。

「間近に迫った自分の死を知っていながら、それでもなお、彼女はおだやかに微笑んでいた。彼女から生きることの喜びの本質を学んだように思う」

Sさんはそう言って、奥さまの収まった真っ白な陶磁器をそっと撫でた。

メメント・モリ。死を思え。臨終はこの現在只今にあり。「死」はいま、この瞬間、ここに、ある。「死」もまた「生」の一部なのだ。
 
[PR]
by enzo_morinari | 2013-04-07 00:52 | Carpe Diem/一日の花を摘め | Trackback

最後の春休みのロッカー室に「桜の栞」を盗みにいく

 
c0109850_18463524.jpg

朝起きるとベランダの隅に20センチほどの桜の花だまりができていた。ゆうべの強い風が散らせたのだ。今が盛りだというのに。「盛る花もあり、散る花もあり」ということでもあるか。根方に死体の埋まった桜から散った花びらでもあるまいが、かすかに狂おしいような眺めだった。

c0109850_18484243.jpg

暗鬱で悪意に満ちた冬が終わり、待ちに待った春。梅が盛りを迎えたあと、桜の蕾がほころびはじめて卒業シーズンが近くなると松任谷由実の『最後の春休み』と『卒業写真』を繰り返し聴いてきた。聴きながら別れの朝を迎える人々のことを思った。

明けてぞ今朝は別れゆく人々。明けてぞ別れゆく朝。かれらはその朝をどのような気持ちで迎え、次の朝からはそれぞれの道を別々に歩まなければならないことの痛みをどのように受け止めるのか。春のそよ風がやさしければやさしいだけ、かぐわしければかぐわしいだけ、かれらが感じる痛みはさらに痛みを増すにちがいない。その「痛み」は吾輩もかつて何度か経験したことがある。

c0109850_1850363.jpg

太宰治のようなヘッポコポンコツボンクラなどは金輪際認めないが、「さよならだけが人生である」というのは本当だ。別れが待ち受けているからこそ今の出会いを愛おしもうという「心映え」が生まれる。

「心映え」のない人生は味気なく、殺伐とする。そして、この春、世界中の幾千億の春、かけがえのないさまざまな思い出と痛みと心映えをかかえて数えきれぬほど多くの人々が別々の道を歩みはじめるこの季節に聴く曲が1曲加わった。AKB48の『桜の栞』だ。もう3年も前の曲だがつい最近になって知った。

秋元康一味の「やり口」にはさんざっぱらうんざりさせられ、虫酸を走らせてきたが、『桜の栞』はいい。いいものはいい。わるいものはわるい。話は簡単だ。

「一枚の桜の花びら」を栞に見立てて過去の思い出から未来への希望までをヴァリエーションをつけてひとつの「物語」にしたのはみごとだった。

金切り声、カーカーキーキー声ばかりの日本の音楽シーンの中にあって、「乙女たちの合唱」というのも新鮮だ。『桜の栞』を聴いていて、40年近くも昔に母校のロッカー室に忘れ物を取りにいった「最後の春休み」のにおいやら音やらがよみがえりもした。桜の栞。これから先も春がやってくるたびに聴くだろう。

c0109850_18514534.jpg

春がやってくるたび、生まれきた新しい「いのち」の輝きのまぶしさに心ふるえる。吾輩はかれらより先にこのちっぽけな世界からオサラバするはずだが、吾輩のような無頼の徒でも、これから生まれくる「お子」たち、「ひとりぼっち」の新米くんたちが、細々でも、ヤットコサットコでも、オッツカッツでもいいから生きつづけることができ、かなうならば、決して、断じて、まちがっても、「死にたい」などとは思わず、言わず、ときどきは気の合う仲間と大笑いしたり、ドキムネの相手と手を握りあい、みつめあい、慈しみあうことのできる世界であってほしい、ありつづけてほしいと願う。

人間はひとりでは生きてはいけない。人間だけでなく、アフリカ象もキリンも呪われたアルマジロも虹のコヨーテも冬眠を忘れた熊も苦悩するビーバー・カモノハシも黄金の蛙もミツユビナマケモノもサボテンミソサザイもゴイシツバメシジミも、そしてローランド・ゴリラも、ひとりぼっちではあまりにさびしい。ゴリラくんだって言うはずである。「もう、ひとりはコリゴリだ」と。

ひとりでは生きてはいけない。だからこそ、だれかを愛し、だれかに愛されろ。

親が子に教えてやれるのはそれくらいのことだ。あとは勝手に自由におおらかに、育つように育てばいい。へたな手出し、口出しは無用である。すこしだけ先を歩き、その姿をさりげなく見せてやり、ときどきふりかえり、小声で、しかも簡潔端的に声をかけ、「いつもそばにいるよ」と語りかけ、見守っているだけでいい。

なにも足さない。なにも引かない。 ── これが子育て、新しい命と接するときの極意である。

やがて時がたち、生まれたての「ひとりぼっち」の新米くんが喪失と成熟を繰り返しながら、成就する恋と成就しない恋のふたつみっつを経験し、酒の味をおぼえ、酒の飲み方を学び、一人前一丁前になり、御託やら能書きやら「キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!!」やら「逝ってよし」やら「ウザい」やら「氏ね」やらをほざけるようになったとき。それだけではない、この先ずっと、想像すらできないほど遠い未来、世界のありとあらゆる場所に訪れる幾千億の春が芽吹き、匂い満ちあふれ、緑滴ってくれたなら、吾輩にもやっと本当の春がくる。

春、爛漫。
桜花爛漫。


桜の散る頃を見計らってどこぞの高校だか中学に忍び込み、散り落ちた「桜の栞」を盗んでこよう。「花ぬすびと」ならいくぶんかは大目にみてくれるだろう。世界が光り輝き、芽吹き、匂い満ちあふれ、緑滴るのはもうすぐである。

桜の栞 - AKB48

c0109850_1852357.jpg

 
[PR]
by enzo_morinari | 2013-03-28 18:54 | Carpe Diem/一日の花を摘め | Trackback