カテゴリ:ヌーヴォ・リブロ・パラディーゾ( 4 )

スミダの岸辺・「どこ吹くセロリの風」の話

 
スミダの岸辺 ── 継続するエラン・ヴィタールと不用意な明日、あるいは反ルイ・ポワリエの使徒として


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昼下がりのテーブルの上には夜の果ての旅を待つ「架空の匿名時間」が物憂げにたたずんでいる。A.D.ベイジンゲル


「いつ/どこで/なにを/どのように」読むか/読まないかはすぐれて個人的な問題である。他者がとやかくのことを言う領域には属さないというのが吾輩の考えだ。『草枕』の文庫本を渡良瀬川の清流における午睡のための枕がわりにするのも自由だし、iPad/iBookを愛を囁きあいながら食す合鴨鍋乃至は相乗り鍋若しくはスンドゥブの鍋敷きにするのも自由だ。そこにはことの善し悪し、正邪の問題はいっさいない。あるのは自らの「内なる声」と読まれる/読まれないテクストがいかに響き合うかという問題だけだろう。

ウンベルト・エーコ教授の『薔薇の名前』において修行僧たちが向かい合っていたのは「書物」「テクスト」だろうか? 吾輩はそのようには了解しない。彼らが向かい合っていたのは「教会」という名の権威、さらに言うならば「中世」という暗黒、闇であるというのが吾輩の考えだ。ことほど左様に、書物/テクストのたぐいは時代/世界の権力、権威と不可分のものであるととらえたときに初めてその真の意味を読み取ることが可能となる。

このちっぽけでばかでかくて広い世界には読まれることを拒否するテクストすら存在することを踏まえながら吾輩はテクストどもと向きあっている。以下はほんの寓話だ。湿気た鳩サブレのごときファブルであるからして「読むことを拒否」していただきたい。

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本所吾妻橋に小さなレストランがある。手持ち無沙汰の昼下がり、隅田川に面したそのレストランへ出かけてゆく。吾輩はこの際、ある本をかならず持参する。ジュリアン・グラックの『シルトの岸辺』を範として書かれた『スミダの岸辺』だ。作者の名は伏す。書名については手を加えてある。

『スミダの岸辺』は菊判2000頁にもおよぶ大著である。3段組み7ポイント活字であるから、読みづらいことこのうえもない。しかも、読み手に作者と同等の博覧強記を求めてくるので、すこぶる疲れる。神田駿河台の古書店でみつけ、読みはじめたのが2000年の元旦であるから、吾輩はかれこれ13年も『スミダの岸辺』と格闘している計算になるが、焦る理由はこれっぽっちもない。なぜというに、吾輩はそもそも『スミダの岸辺』を読了しようなどとは考えていないからである。おそらくは、吾輩が鬼籍に登録されるまでに読み終えることはあるまい。それでいい。作者にしたところで、読了されることははなから考えていまい。そういったたぐいの書物もあるということである。読まれることを拒否する書物、テクストがあってもいい。

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さて、午前中のうちに、その日片づけるべき仕事、案件が順調に進捗し、ある「目標」が達成されれば、あとは吾輩の自由気まま、放埒自在の時間である。

うたたねを決め込むときもあれば、調べものをするときもあれば、わが来し方行く末に思いを馳せるときもある。今日やるべきことは今日やる。吾輩は明日やればいいことに今日手をつけたり、思い悩んだりしない。明日は明日の風が吹き、明日は明日の風邪をひくのである。実はこの吾輩の生活スタイルは合理的でもあって、世界は変数、常に転変、変わりゆくものであるからして、今日の事情、状況で明日やればいいことをやったところで、明日、事情、状況、事態に変化変更があれば、今日やったことがまったくの骨折り損、無駄足、くたびれ儲けになるからだ。これをして、「おっちょこちょい」というのである。

「明日は明日の風が吹く」という生き方のスタイルは数百年の昔にあたりまえのこととして実践されていた。本来、江戸開府以来、大江戸八百八町に暮らす庶民の生活は、実に「その場限り」「その日限り」の、きわめて場当たり的な基本姿勢がまずあった。そして、江戸・東京は「宵越しのゼニは持たない」というライフ・スタイルが当然のように肩で風を切る都市だったのだ。

「粋」「鯔背」といった美意識は軽やかで執着のない暮らしの基本原理があってはじめて成り立つ。いっぽう、野暮は野夫、あるいは吉原遊郭に遊んだこともないような田舎者、あるいは薮の中からでてきたような洗練されない者、さらには雅楽で使われる楽器、鉦の音のでない管、すなわち、音無しの構えでつまらない者を意味する。いずれの説にしたがおうと、野に暮らして田畑に執着し、家屋敷財産に執着し、ついでに過去にまで執着するようなあさましさ・さもしさをあらわしているように思える。

有り体に言ってしまうならば、この国は言わずもがな、世界は野暮天だらけであるということだ。この国の野暮天どものさらにたちが悪いのはいけしゃあしゃあと善人ぶるところにこそある。ほかのポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウどもの節穴の眼は誤摩化せても、吾輩の慧眼を欺くことはできない。すべてはお見通しということだ。ちなみに、八王子の谷保天神社由来の説があるが、これは野暮天が捏造した眉唾ものであろう。

吾輩はやはり軽やかなのがよい。明日吹く風のことをきょう心配したところで、明日の風向きを変えられるわけもない。同様に、明日ひく風邪について、きょう気を揉んだところでどうにもなりはしない。そうだ。明日は明日の風が吹く。明日は明日の風邪をひく。吾輩は吾輩の道をゆく。そのような「軽み」満載の生きかたをしたいものである。かくして、世界は明日は明日のどこ吹くセロリの風のごとくに天下太平楽である。

本日の『スミダの岸辺』との格闘の記録。2行。

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by enzo_morinari | 2013-02-05 15:16 | ヌーヴォ・リブロ・パラディーゾ | Trackback

想像力と、数百円。

 
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こまっしゃくれたブンガク青年かぶれだった頃、懐にいつも文庫本を忍ばせていた。それは坂口安吾の『堕落論』であったり、アルベール・カミュの『異邦人』であったり、大江健三郎の『セブンティーン』であったり、村上春樹の『風の歌を聴け』であったりした。それらのたった数百円で手に入れることのできた文庫本は、当時の私をあたかも必殺無類の名刀を持っているような気分にしてくれた。

「こいつさえあれば世界のすべてをチャラにできる」

そんな青臭くも危うい気持ちにさせてくれたのがGパンの尻のポケットに突っ込まれたり、丸められたり、鍋の下に敷かれたりしてボロボロになった文庫本である。文庫本は当時の私の戦友であったと言っても過言ではない。

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「文庫」という言葉に出会うといまでも当時の自分を思い出す。カネがなかった。いつも腹をすかしていた。誰彼かまわず喧嘩をふっかけていた。「青春の彷徨」などと言えば聞こえはいいが、ただ貧しくやみくもな苛立ちの中で生き急いでいたにすぎない。だが、それでもホンモノのなにごとか、手応えのある生きざまのようなものを手探りで求めていたことに変わりはない。そのような自分が愛しく思える。そして、そんな私のかたわらにいつも文庫本があった。

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当時愛読した(「愛持した」と言ったほうが正しい)文庫本を書架の奥から引っぱり出してはパラパラとページをめくることがある。どれにも傍線や書き込みが脈絡もなく乱暴にされている。故意に引きちぎられたページさえある。薄よごれ、カビ臭く黄ばんだちっぽけな文庫本が言葉にならない当時の思いを甦らせる。心がザラついているときなどそれを懐に忍ばせてみる。途端に世界をチャラにできるような気分になってくる。文庫本はいまも私のドスなのだ。
 
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by enzo_morinari | 2012-09-19 14:25 | ヌーヴォ・リブロ・パラディーゾ | Trackback

有栖川の森でアレキサンドリアの幻影をみる。

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 わがアザブ・デイズの拠点から歩いて5分足らずのところに有栖川宮記念公園はある。公園内、東側高台の一角を占めるのが東京都立中央図書館だ。目黒区立目黒区民センター図書館とともにわたくしのお気に入りの図書館である。ビートニク・ガールと同道することもあれば、わたくし単独で調べ物、書き物、居眠り、油打ち、沈思、黙考することもある。シークレット・ガールとの逢引きの場所としても重宝している。また、ビートニク・ガールと仲たがいしたときに逃げ込むのはもっぱら中央図書館である。敵もさるもので、ビートニク・ガールがわたくしを探索するとき、まず足を運ぶのも中央図書館だ。その際には丁々発止の隠れんぼ、追いかけっこ、逃走劇、追跡劇が行われる。はた迷惑もいいところではある。

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 5階建て。蔵書152万冊。開架式。清潔で、しかも明るい。階ごとに「社会科学」「人文科学」「自然科学」の各分野が分類されており、目当ての資料が見つけやすくなっている。1階中央にはコンピュータ・スペースがある。持ち込んだノートブック・パソコンを無線LANを使ってインターネット接続することも可能だ。「グループ閲覧室」では図書館の資料を使ったグループでの学習・調査研究活動ができる。コンピュータを使った資料の検索システムもある。また、複写サービスの充実ぶりは都内の図書館随一である。5階の「東京室」と名づけられた部屋には行政資料のほか、東京に関する図書、新聞雑誌が網羅されていて、ここは「東京学」の格好の修練場となる。おなじフロアに食堂と喫煙ルームがある。食堂は安価でそこそこうまい。おすすめは日替わり定食である。600円で腹いっぱいになる。おなじく5階の「特別文庫室」には江戸時代から明治にかけての和書、漢籍が網羅されている。ほかに、諸橋文庫、井上文庫、河田文庫、加賀文庫など、個人文庫の充実は特筆に価する。また、4階にある「闘病記文庫」は見ものだ。さまざまな病いと闘った市井の人々の命の記録にふれることができる。たいへんにいい企画である。視聴覚資料も充実している。ただし、利用時間は13時から17時と短いのが難点である。なお、中央図書館は個人への館外貸出しを行っていない。
 不満がないわけではない。文学作品(小説・詩集)、児童資料の所蔵が少ないことである。「図書館案内」にはこれらを蔵書していない旨が明示してあるが、どこのぼんくら木っ端役人が決めたことなのか理解に苦しむこと甚だしい。

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 言葉の森の渉猟に飽きたら、いったん館外に出て公園内を散歩するもよし、木陰でくつろぐもよし、南部坂を下って広尾の街散策とシャレこむもよし、リニューアル・オープンしたナショナル麻布スーパーマーケットをひやかすもよしである。少し足を伸ばして仙台坂側に下ってゆけば麻布十番があるし、隣接する東京ローン・テニス・クラブの脇を抜けてあえて路地に迷い込み、元麻布界隈の時間の止まった町並みをたのしむという手もある。西町インターナショナル・スクール周辺の異国風味もなかなかのものだし、暗闇坂を下ればそこはもう麻布十番だ。
 中央図書館と有栖川宮記念公園。アレキサンドリアにあったといわれる世界最大の図書館の幻影を帝国の名残りうちにみるという風狂も悪くはない。


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by enzo_morinari | 2012-09-19 03:38 | ヌーヴォ・リブロ・パラディーゾ | Trackback

『ぴあシネ』がたった一人の軍隊の友だった。

 
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遠い昔にみた映画は楽園の記憶をよみがえらせる。F-F

すべての書物/テクストの類いを処分しようと思いたった。いままで陰に陽に私を支え、励まし、叱咤し、導いてきた彼らに別れを告げるのだ。今後、私の手元を離れた書物/テクストがいったいどのような運命をたどるのか。それを夢想することで残された日々をやりすごせると思うと、いまから胸がときめく。

まだ青二才の洟たれ小僧だった私の、「通説、有力説、糞くらえ!」といったやみくもさによる生意気ざかりの書き込みが随所になされた團藤重光先生の御著作と本郷のなじみの古書店で再会を果たすというような劇的な展開があるかもしれない。

また、著者署名入りの『豊饒の海』初版本全四巻が神田駿河台にある古本屋の名物偏屈おやじに毎朝毎晩、無造作にハタキをかけられる可能性もなくはない。

さらに、開高健先生の『世界はグラスの淵をまわる』がパリ・バスチーユ地区の安食堂で鍋敷きにかわり果てるならば開高大人もさぞや本望であろうとにんまりし、武蔵野の面影をわずかに残す井の頭公園のベンチの下でさびしげにうずくまっている『堕落論』を想像すると熱いものが込みあげてもきた。だが、すべての物事には出会いと別離が等しく用意されている。その条理に逆らうことはできない。逆らえば手痛いしっぺ返しを食うことにもなりかねないのだ。

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分類作業をしていると、『ぴあ シネマクラブ 洋画編』が目に飛込んできた。私に見つけられるのを待ち焦がれていたように感じられた。裏表紙をめくると、奥付には「1987年7月10日第1刷」とある。25年前だ。ぴあがいまの三番町ではなく、麹町2丁目の雑居ビルに本拠地をかまえ、株式上場を目指して元気一杯、急成長ただ中の時期である。「はみだしぴあ」の常連であったことがなつかしく思いだされる。

いかにシャープに簡潔に表現するかに腐心し、採用不採用に一喜一憂したこともいい思い出である。ある意味では「はみだしぴあ」で言語表現の基礎の一部分を学んだと言えなくもない。

ネタさがしのためにいまでは見向きもしない「サブカルチャー系」を意識して取り込もうとしていた。ネタの宝庫ではあったが、結局はそれだけのことであった。そして、その頃、私はよんどころない事情としがらみを山のようにかかえこんでおり、漂泊と暗鬱と困憊と野心の日々が無秩序混沌として入れ替わりながら、いつ終わるともしれずつづいていた。

「ぴあシネ」を読んであたりをつけ、二番館三番館で3本立て4本立てのとっくに旬のすぎた映画を来る日も来る日も見つづけた。そうとでもしなければいられない、実にいやな風向きの日々だった。映画は石ころになりかけていた私の心にいく筋かの光とかすかな潤いを与えてくれた。そしてもちろん、「ひまつぶし」「退屈しのぎ」という宝石のごとき時間も。

1980年代末当時の私にとって、「ぴあシネ 1987年版」はまぎれもなく懐刀だった。あとにも先にも「ぴあシネ」は1987年版しか入手していない。ミシュランよろしく、星の数で映画を評価しているのが簡潔明瞭、潔かった。

「ぴあシネ」はPIA MOOKSシリーズのひとつで、出せばベストセラーになっていた。980円。菊版400ページ余りの「ぴあシネ」は映画に関する情報で埋めつくされていた。クールでいさぎよい編集だった。スープに毛が入ってどうの、庭の木瓜の木がどうの、スパゲティ・バジリコがどうのといった些末、ちまちました記述がないので不安になることはいささかもなかった。それどころか、膨大な映像作品を前に圧倒されながらも、「ぴあシネに載っている映画をぜんぶみてやる!」という闘争心が沸いた。

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情報の豊富さと使いまわしのよさからいって980円というのは破格だった。文庫や新書の5冊分以上の情報量でありながら、価格は2冊分ていどであった。しかも、実際に役立つ書物である。

公園のロハ台(ベンチ)で午睡をとるときには枕がわりにもなった。暇つぶしの読み物ともなったし、みる映画を決めるために事前情報をチェックするアイテムとしても大いに重宝した。そのような次第で、当時の私は片時も「ぴあシネ」を手放すことがなかった。つねに「ぴあシネ」が視界に入っていないと不安になるほどの入れこみようであった。

ガールフレンドとのメイクラヴの最中でもそれはかわらなかった。コトの真っ最中にあまりに私が「ちがう方向」に視線をやるので、ガールフレンドは激こうし、しかし、コトはやめず、結局、それが原因でその恋は終わりを告げた。いろいろな恋の終わり方があることを知ったのも「ぴあシネ」のおかげである。

街中をほっつき歩いていて、二番館三番館の映画館があればすばやく「ぴあシネ」をバッグからひっぱりだした。そして、映画の内容を調べ、気にいれば迷うことなくチケットを買い、映画館に突撃した。そうだ。まさに突撃というにふさわしい。当時の私にとって映画は戦場だった。戦うことで崩壊寸前の自我がなんとか持ちこたえたのだと思える。そして、「ぴあシネ」は映画という名の戦場で闘うための戦闘服であり、マシンガンであり、ナイフであり、高射砲であり、防空網であった。
 
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by enzo_morinari | 2012-09-18 17:16 | ヌーヴォ・リブロ・パラディーゾ | Trackback