カテゴリ:シェークスピア・キッチン( 1 )

シェークスピア・キッチン#1 Think of Nothing Things

 
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夏の気配を探る日々を生きる者にとって、「明日」は追悼するためにこそある。E.M.M.


夏の気配がある。もうすぐ、また会うこともない夏がやってくる。夏は一番すてきな季節だ。きらめき輝く飛沫をあげながら波打つ夕立のプール。午後のテラス席のオーパス・ワン(25$/1glass)。「時が止まればいい」と肩でつぶやく女の子。登校日。打ち捨てられたサン・オイルのちいさな黄色いボトル。強い南風が吹きつける七里ガ浜駐車場レフト・サイド。ひとけない美術館。奇跡的に静寂をたもつ日比谷公園と墓標のような帝国ホテル。「無防備な欲望」にさらされた容赦なき六本木通り。あいかわらず家内制手工業的な昭和通り。朝も昼も夜もさびしそうな東京タワー。

夏にはさよならばかりをしてきた。「夏を終わらせなくては」と夏のあいだじゅう考えていた。「夏が終わらなければいいのに」と願いながら。この夏もきっとおなじだ。そして、この夏もまた、「二度と取り戻すことのできない夏」になる。

夏に別れを告げる日々だった。本当の夏に本当の別れを告げるために夏の気配を探る日々。我々はかつてそのような日々を「夏休み」と呼び、逝く夏を惜しんだ。小さな陽焼けの跡さえ幸福の痕跡のように思って。二度と取りもどすことのできないディラックの海の茜色に染まった渚の夕暮れをこの手に取りもどせると信じて。追憶の夏の海辺に一人たたずみながら。

何者にも「明日」を保証することはできない。「明日」は追悼するためにこそあるからだ。同様に、何者にも夏を生きることはできない。夏は追悼し、追憶すべきものだからだ。本当の夏に本当の別れを告げるために夏の気配を探る日々を生きる者に「明日」はない。「明日」がその輝かしさにふさわしいだけの追悼を受けたときに初めてわれわれは本当の夏に本当の別れを告げることができる。

「マクドナルド」を正しく発音できない者であってもチーズバーガーにありつくことはできる。ひと夏の長く自由な休暇で飼いならされた日常を革命することも可能だ。

着る服、履く靴、持つ鞄(おおむねリモワかドイターがよろしい)へのこだわりは旅した数と比例する。そして、旅のあまたのツールは完結する。もちろん、ラゲージの中身は重くなるし、「旅の重さ」は厄介事をしばしば含んで肩にこたえる。だが、旅を通じてわれわれはゆっくりとだが確実に成熟する。もちろん、なにがしかの喪失があるのは覚悟しなければならない。

友よ。シェークスピア・キッチンで、深く、さらにはいい旅を。

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Think of Nothing Things
中学3年、1973年の秋の初め。私は偶然知り合った大学生からある夏に彼が経験した彼自身の物語を聴いた。大学生と私は神宮外苑の青山通りから12本目の銀杏の樹の下のベンチに並んで座り、ときどき銀杏の樹を眺め、通りすぎる車の数を数え、まだ夏の気配の残る東京の空を見上げた。そのあいだ、大学生は彼自身の物語を私に聴かせ、私は大学生の物語に耳を傾けた。映画一本分の静かで不思議な時間が大学生と私に流れた。

大学生の話は1970年8月8日に始まり、18日後の8月26日に終わる物語だった。大学生は21歳で、彼は卒業単位を取ることがほぼ絶望的な状況に置かれていた。彼の郷里は海と山に挟まれた人口7万ほどのちいさな街で、東京の大学に通う彼が夏休みに帰省してもなにひとつすることがない退屈な日々が大学生を待ち受けていた。毎晩8時ちょうどに帰宅する父親の靴を磨き、靴磨きが終わるとジェイという名前の中国人のバーテンダーがいるバーに行ってビールを飲む。それが夏休みの大学生の日課だった。

「ジェイズ・バーはとにかく居心地がいいんだ」と大学生はうれしそうに言った。「ジェイズ・バーに行くとかならず友達の鼠と顔を合わせた。僕と鼠はひと夏をかけて、なにかに取り憑かれたように25メートル・プール1杯分のビールを飲んだ。ジェイズ・バーの床一面に南京豆の殻をまき散らしながらね。ジェイズ・バーにあった伝説のピンボール・マシン、スリー・フリッパーのスペースシップには世界中のコインをかき集めても足りないほどカネをつぎ込んだよ。まったく 。まったくばかばかしいにもほどがある」

そこで大学生は私にウィンクした。「もちろん、25メートル・プール1杯分のビールと床一面にまき散らされた南京豆の殻とスリー・フリッパーのスペースシップでなにかしらの答えがみつかるわけはなかった。当然のことだ。でもね、そうとでもしなければやりすごせないほど退屈で長い夏だったんだ。そして、ある晩、僕は彼女をみつけた」

彼女はジェイズ・バーの洗面所で気を失って倒れていた。したたか酔っぱらっているようだった。大学生は彼女を自分の車に乗せ、彼女の部屋まで送り届けた。部屋に着いても彼女は気を失ったままだった。

「その女の子は左手の小指がなかった。どうして彼女が小指を失ったのかは最後までわからずじまいだった。たぶん、女の子は自分で噛み切ったのだと思う。根拠はないけど、それが彼女にふさわしいように思える。なにかしら混みいった事情があったんだろう。でも、それは僕が首を突っ込むような問題じゃなかった。僕にクリアできるハードルではなかったろうしね」

ジェイズ・バーの洗面所で気を失っていた女の子を発見した翌日、大学生はレコード・ショップで彼女と再会する。彼女はそのレコード・ショップで働いていたのだ。マイルス・デイヴィスの『ギャル・イン・キャリコ』が入ったLPレコードとグレン・グールドの弾く『ピアノ・コンチェルト第3番/ベートーベン』を大学生は買った。「グールドの『ゴルトベルク変奏曲/J.S.バッハ』もいっしょに買ったかもしれない。1955年録音のをね」と大学生はつけ加えた。

レコード・ショップでの再会以後、大学生と小指のない女の子は少しずつ親しくなっていった。ジェイズ・バーでいっしょにビールを飲んだり、小指のない女の子の部屋で食事をした。それでも二人が一線をこえることはなかった。小指のない女の子の奥深くに他者をある地点より内側にはけっして立ち入らせない強固な防衛線が存在することに大学生は気づいていたからだ。

旅に出ると言って行方をくらましていた小指のない女の子は1週間ほどで姿を現した。大学生と小指のない女の子は夕暮れの港をゆっくり時間をかけて散歩する。小指のない女の子は大学生に打ち明ける。旅をしていたというのはうそで、本当は妊娠中絶の手術を受けたのだと。相手の男のことは名前はおろか顔さえおぼえていないということも。その夜、大学生は小指のない女の子の部屋で彼女をそっと抱き、寝かしつける。

「それだけが僕が彼女にしてあげられることだったんだ」

そう言ったきり大学生は黙りこみ、うつむいた。彼が泣いているのがわかった。私もいっしょに泣いた。それだけが私が彼にしてあげられることだったからだ。

大学生と小指のない女の子と鼠。かれらは行き場のない孤立感を抱いているように思われた。そして、かれらはかれら自身がかかえる孤立感が手のほどこしようのない種類のものであることをよくわかっていたのだと思う。かれらはとらえどころのない喪失と諦めを胸の奥に秘めて、ひと夏をかけ、なにかに取り憑かれたように25メートル・プール1杯分のビールを飲み、ジェイズ・バーの床一面に南京豆の殻をまき散らし、スリー・フリッパーのスペースシップに世界中のコインをかき集めても足りないほどの小銭をつぎ込んでいたんだろう。

「ほんとうの意味で人が人を理解することなんかできやしない。おなじように、自己を安上がりに救済することもできない」と大学生は吐き出すように言って深々とため息をついた。そのため息は計算しつくされた残響音みたいだった。私は大学生が回復不能なほど打ちひしがれているのだなと思った。かなしみなどひとかけらも入り込む余地がないほどに。そして、かれらの夏は静かに終わりを告げる。大学生はチャイナのCの座席に座って東京に戻る。

「もうすべては終わったことなんだ」と大学生は言った。彼の眼は驚くほどの静けさにみたされていた。「もうなにも考えないことにしようと思う。ただ静かに風に身をまかせていようと思う」と大学生は言った。
「それがいいよ。そのほうがいくらか救いがある。25メートル・プール1杯分のね」と私は言った。
「25メートル・プール1杯分の救い」と大学生は言い、すこし笑った。

夕闇が大学生と私に迫りつつあった。「またいつかどこかで」と二人同時に言った。そのとき、青山通りから不思議なにおいのする風が吹いてきた。銀杏の樹々がいっせいに笑いだしたほかは特別なことはなにも起こらなかった。

大学生と私は握手をし、とても気持ちのよい笑顔をかわした。絵画館の方向に歩いてゆく大学生の後姿を見送りながら、私は小さなため息をひとつだけついた。大学生の背中が神宮の森の親しげな闇の中に消えるのを見届けてから、私は青山通りに向けて歩きはじめた。また風が吹いてきたが、こんどは不思議なにおいはせず、銀杏たちも笑わなかった。40年前の出来事だ。チャイナのC。なにも考えないための座席はたぶんまだ空いているはずだ。

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大学生はその6年後、ある文学賞の新人賞をとり、さらにその8年後、ビートルズの歌をタイトルにした小説でベストセラー作家の仲間入りをした。ビールと南京豆とジュークボックスが好きだった大学生はいまやノーベル文学賞の有力候補だ。大学生の名は村上春樹。EDが目下のところの一番の悩みらしい。

それにしても、シェークスピア・キッチンでは不思議なことばかり起こる。それもこれも、「宇宙を支配する巨大な意志の力」の仕業だ。きょうはマックのフリー・フライドポテトでも食べながら『風の歌』を聴いて、海を眺めて、風に吹かれよう。そして、最後は2000トンの雨に打たれよう。Think of Nothing Things. 考えたってなにも始まりはしない。

2000トンの雨(Unknown Version) - 山下達郎


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by enzo_morinari | 2013-03-13 05:06 | シェークスピア・キッチン | Trackback