カテゴリ:沈黙ノート( 51 )

忘れじの言の葉 ── グリムの書き置き

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ドナルド・トランプなる品性下劣、品格皆無、知性教養低劣、守銭奴、銭ゲバ、クワセモノフンパンモノマガイモノイカモノインチキマヤカシペテン師の登場によって「物語」はいよいよつまらぬものとなった。したたか極まりもないネオコン一味が可愛く懐かしくさえ思える時代になるということだ。

トランプはキングか? それともジョーカーか? そのいずれでもない。ハイカードすなわちブタだ。ヅラをかぶったブタ。まちがっても空は飛ぶまい。飛ばないブタはただのブタだ。ヨーロッパでも似たり寄ったりのこととなる。つまり、ロスチャイルドとロックフェラーと金融資本と石油メジャーと軍産複合体と既得権益の上にあぐらをかいてふんぞりかえっている守旧派の傀儡、操り人形にすぎぬということだ。

保護主義だあ? 「偉大なアメリカ」だと? これまでの数百年、何億何十億の無辜の民を虐げ、さんざっぱら搾取しつづけておきながらなにをほざきやがるか。虐待と略奪と殺戮の限りを尽くされ、大地を血に染めたネイティヴ・アメリカンは3億人だぞ! 労働者の味方? 雇用の飛躍的な創出? 笑わせやがる。なに喰わぬツラで金融資本/ウォール街の代弁者と山師の親玉を財務長官/商務長官に起用しておいてなにを抜かすか。今後、格差はさらに拡大し、大衆/労働者は目を覆うばかりの惨状に見舞われる。トランプ・タワーの近くを通るときには大きくて頑丈な蝙蝠傘が必要だ。トランプ・タワーから飛び降りるマネー・ゲーマーが土砂降りの雨のように降ってくるからである。

そもそも、ドナルド・トランプ並びにその取り巻きどもが目の色を変え、取り憑かれつづけている「ゼニカネ/通貨/貨幣」など欲深邪まな人間が作り出した幻想にすぎぬ。実体のあるモノと交換できる便利さと置き場所に困らないことのほかにメリットはない。ナサニエル・メイヤー・ロスチャイルド(初代ロスチャイルド男爵)の言とされる「私に一国の通貨の発行権と管理権を与えよ。さすれば、誰が法律を作ろうとかまわぬ。(Let me issue and control a nation's money and I care not who writes the laws.)」の意味を我々はよくよく考えねばなるまい。

出口も一筋の光も見えず、いつ果てるとも知れぬ第3次世界大戦はとっくの昔に始まっているというのに。問題はこの愚か者たわけ者がアメリカ合衆国における核兵器使用の最終決定権者であり、24時間、その傍らには核兵器発射ボタンがあることである。この銭ゲバ、守銭奴はゼニになるならなんでもやる。こんな愚劣漢卑劣漢に世界の運命を握らせるなどもってのほか、言語道断である。ドナルド・トランプ並びにその取り巻きども、提灯持ちどもに『運命の書』を書かせてはならない。「大衆迎合」がもたらすのは常に独裁、ヒトラー的なるものであることを忘れてはならない。

さて、そこだ。世界の物語は大団円などなく、なしくずしにつまらなくなるが、いい歌が2016年に世に出た。『忘れじの言の葉』。『グリムノーツ』というRPGの主題歌だ。作詞砂守岳央/作曲松岡美弥子(未来古代楽団)。歌唱は沖縄出身の高校生、安次嶺希和子。

幼さ稚さを残しながらも、魂を鷲づかみにされるがごとき透明感あふれる凛烈清洌にして強靭な歌声。濃密なフォークロアとインディオの民俗をうかがわせる旋律。幾千、幾万、幾億の旋律。記号あるいは象徴、ないしは神話。大地とともに生き、呼吸し、大地が死ぬときともに死に、息の根を止めた名もなき赤剥け無垢の人々の息づかいさえ聴きとれる。世界の物語は猿芝居、三文芝居に成り果て、成り下がったが、刻まれし情念は幾千億の英雄物語を紡ぐ。

『グリムノーツ』配信元の SQUARE ENIX/スクウェア・エニックスの紹介文。いわく、「童話の世界を旅する」。

役割を与えられた主役と、空っぽの脚本をもった脇役が紡ぐRPG

僕らは生まれたときに一冊の本を与えられる。僕らの世界、生きる意味、運命。それらすべてが記された『運命の書』。

全智の存在であるストーリーテラーが記述した『運命の書』に従い、僕たちは生まれてから死ぬまで『運命の書』に記された役を演じつづける。それがこの世界の人々の生き方。

── だからさ、教えて欲しいんだ。空白のページしかない『運命の書』を与えられてしまった人間は、いったいどんな運命を演じて生きていけばいいんだ?


忘れじの言の葉

言の葉を紡いで微睡んだ泡沫
旅人迷い込む お伽の深い霧
さしのべた掌 そっと触れる予感
受け止めてこぼれた光の一滴

面影虚ろって微笑んだ幻
想いの果てる場所 まだ遥か遠くて

求め探して彷徨って やがて詠われて
幾千、幾万、幾億の旋律となる
いつか失い奪われて消える運命でも
それは忘れられることなき物語


指先を絡めて触れる誰かの夢
刻まれた思いのこだまだけが響く
言の葉を紡いで微睡んだ泡沫
旅人の名前を伽噺という


求め探して彷徨って やがて道となり
幾千、幾万、幾億の英雄はゆく
いつか失い奪われて消える運命でも
それは忘れられることなくここに在る
求め探して彷徨って やがて詠われて
幾千、幾万、幾億の旋律となる

いつか失い奪われて消える運命でも
それは忘れられることなき物語

 

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by enzo_morinari | 2017-01-03 05:39 | 沈黙ノート | Trackback

マヌエル・ポンセの『エストレリータ/小さな星』を聴いて、もう1度だけ人生に恋をしよう。

 
マヌエル・ポンセの『エストレリータ/小さな星』を聴いて、もう1度だけ人生に恋をしよう。

そうだ。もう1度だけ人生に恋をしよう。もう1度だけ。まだ遅くはない。まだ間に合う。


Estrellita de lejano cielo,
que sabes mi penar,
que miras mi sufrir.

Baja y dime
si me quiere un poco,
porque es que ya no puedo sin su amor vivir.

¡Tu eres estrella mi faro de amor!
mi faro de amor
Bien sabes que pronto he de morir
he de morir.

Baja y dime
si me quiere un poco,
porque es que ya no puedo sin su amor vivir.


わたしの苦しみを知っている
遠い空に光る小さな星
もし彼がわたしを少しでも愛しているなら
降りてきて彼の思いを教えて
わたしは彼がいなくては生きていけないから

小さな星よ あなたはわたしの愛の灯台
あなたはわたしが死にそうだってわかるでしょう?
小さな星よ おねがい
もし彼がわたしを少しでも愛しているなら
降りてきて彼の思いを教えて
彼の愛なしには生きていけないから
 


『エストレリータ(Estrellita)/小さな星』
メキシコの作曲家マヌエル・マリア・ポンセ作詞・作曲の歌曲。1912年作。「Estrellita」はスペイン語で「小さな星」の意。本来は歌曲だが、今日ではピアノ、ヴァイオリン、サキソフォン、ギターなどによる器楽曲として演奏されることが多い。20世紀屈指の名ヴァイオリニストの一人、ヤッシャ・ハイフェッツ(Jascha Heifetz/1901-1987)による編曲と演奏で世界に知られるようになった。

マヌエル・マリア・ポンセ(Manuel Maria Ponce/1882-1948)
近代フランス音楽の影響を受け、メキシコ民族主義に根ざした作風を確立。アンドレス・セゴビアと親交が深く、『ギター・ソナタ第3番』『南国のソナチネ』などのギター作品を数多く残している。

代表作
『エストレリータ』(歌曲)
『ギター・ソナタ 第3番』
『ロマンティックなソナタ』
『真昼のソナチネ』
『南国の協奏曲』(ギター協奏曲)


エストレリータ(Estrellita)/小さな星
 
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by enzo_morinari | 2015-11-17 12:25 | 沈黙ノート | Trackback

「世界の終り」の始まりを生きる者よ

 
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阪神大震災前日の夕暮れ、バスで伊丹空港に向かっていた。神戸・南京街の「老祥記」で買った100個の豚まんをかき抱きながら。夕焼けがそれまでに見たこともないような紅蓮に燃えていた。

「よくないことが起こる。途方もない災厄が」ととなりの虹子に言った。虹子は「ですね」とだけ言って、吾輩の腕を強い力でつかんだ。

翌朝、空襲を受けたような神戸の街をテレビ受像機の画面にみた吾輩は、すぐさまロードレーサーのメンテナンスを開始した。「災厄の現場」に哲の馬で行くためだ。輪行袋に分解した哲の馬2号のCinelli Special Corsaを詰め、虹子の作ってくれた握りめしをORTLIEBのメッセンジャー・バッグに放りこんで吾輩は出発した。電車で行けるところまで行く。あとはひたすら漕ぐ。

なんのために? 語り継ぐためだ。語り継ぐためには「現場」にわが身を置き、自分の眼で見て、自分の耳で聴いて、自分の鼻で嗅いで、自分の大脳辺縁系で考え、自分の心で感じなければならない。直に。手づかみで。それが吾輩がやるべきことであり、できることだった。ジバランさとなおのオーディオ装置が気がかりだった。

神戸は惨憺たる有様だった。つい数日前に虹子と歩いた町並みは見るも無残な姿に変わり果てていた。それまでに世界のあちこちの戦場を見てきていたが、神戸はまぎれもなく戦場だった。ベイルートやコソボの破壊とかわりがなかった。

「世界の終りだ」と思った。「だが、だいじょうぶ。世界はまた始まる」と自分に言い聞かせた。そうだ。世界は何度でも終り、何度でも始まるのだ。炊き出しを手伝い、メッセンジャー・ボーイをやった。神戸に滞在した29日間、ずっと焼け焦げたにおいがしていた。ジバランさとなおと連絡を取ることはできなかった。無事を祈った。ジバランさとなおと彼の所有するKRELLたちの無事を。

2番目の「世界の終り」は2ヶ月後にやってきた。オウム真理教による地下鉄サリン事件だ。このときは虹子が神谷町の駅であやうく巻き込まれるところだった。電車2本ちがいで虹子は難を免れた。事件が起こる前、代々木の駅前で麻原彰晃のお面をかぶった者どもの姿を見たときには底知れない不気味さを感じたものだ。

そして16年後、3番目の「世界の終り」が起こった。3.11。東日本大震災。2011年3月11日14時46分18.1秒(JST)。そのとき、吾輩は虹子と「ミヤネ屋」を見ていた。宮根誠司のたわけが報道センターの実況に割り込んでわけのわからぬことをほざいていた。すぐにチャンネルをNHKにかえた。

自宅にあるテレビ受像機のすべての電源を入れ、地上波、BS、CS、それぞれちがうチャンネルに合わせた。ラジオもAM、FM、短波の全局にチューニングした。普段は沈着冷静、クールなNHKの横尾泰輔の声は震え、うわずっていた。日テレの豊田順子は混乱の中、意外にも沈着冷静だった。ラジオではパーソナリティの大竹まことが「報道のプロ」のようなパフォーマンスを聴かせていた。元TBSアナウンサーの小島慶子が予想以上の能力をみせた。

「こんなときにもテレ東はアニメかな」と虹子に言うと、「冗談を言ってる場合ですか!」と叱られた。福島の震度がテロップに流れたときは「やばいことになるな」と思った。

原発がやばい。振り払いようのない焦燥感が全身に起こった。広瀬隆の「予言」が現実になると。吾輩と虹子はテレビ受像機に釘づけだった。あれほどテレビを見たのは「浅間山荘事件」以来だった。

地震の被害につづいて津波が襲来する様子がリアル・タイムで流れはじめたときには背筋が凍りついた。名取市の仙台平野が押し寄せる津波に飲みこまれるとき、「白っぽい半透明の物の怪」のたぐいが画面を左から右へものすごい速度で横切った。直後、道端の小さな祠が消し飛んだ。「土地の神が名取の地を見捨てたんだ」と思った。地震学者の東大・都司嘉宣の狼狽ぶりが事態の深刻さを物語っていた。吾輩は「現場」に行くかどうか考えはじめていた。虹子はすぐに気づいた。

「行くんですね」
「迷ってる」
「迷ってらっしゃるなら行ってしまったほうがいいです」
「うん。だけど脚力に自信がない。吾輩ももう爺さんだ」
「まあ。お気の弱いことを。おめずらしい」

しばし、思案し、結論を出した。

「今回は行かない。テレビとネットで情報収集する」

この判断は正しかったと思う。阪神大震災やオウム事件のときはインターネットがまだ日本には普及していなかったが、16年の歳月を経てインターネットを通じて「現場」の生の姿に近いものに触れることができるようになったからだ。

そしてついに、4番目の「世界の終り」がやってきた。福島原発事故。現在、自民党に政権交代して「フクシマ」のことは巧妙狡猾に隠蔽され、なきものにされつつあるがとんでもないことだ。大津波とともに「福島原発事故」は子々孫々までも語り継がねばならない。それが「世界の終り」の始まりを生きる者たちの責務である。そして ──

世界なんか跡形もなく消えてしまえばいい。
世界なんか跡形もなく消えてしまえばいい。
世界なんか跡形もなく消えてしまえばいい。


吾輩は3回口に出した。そして、3回テキスト・エディタに書いてみた。そうだ。世界なんか跡形もなく消えてしまえばいいんだと吾輩は思った。それはいつも吾輩が考えていることだ。

世界なんか跡形もなく消えてしまえばいいけれども、そのいっぽうで、世界は『THE END OF THE WORLD』や『収穫の月』やCSN&Yや『レオン』や『グラン・ブリュ』やジャクソン・ブラウンやプライム紀尾井町店の大五郎(2リットル)298円や『海を見ていた午後』やシーズンオフの心や心の中のギャラリーや雪だよりや青いエアメイルや新しい恋人と来てほしくない男心や同じく女心やサングラスで隠して見せない涙やゴミアクタマサヒコや右翼や左翼や福島瑞穂・辻本清美・田嶋陽子一味のけたたましい唐変木どもや『カサブランカ』や「正義」や「公序良俗の原則」や「罪刑法定主義」や吉田美奈子や『星の海』や『My Love』や「例の赤いTシャツ」やチャーリー・パーカーや沙羅双樹の花や『風の谷のナウシカ』や「年越しそばに命をかける女」やその息子のムラオサ君やライ麦畑風味のライムライトなラムネ売りのライムマンや星を継ぐ者やマイルス・ディヴィスやジョン・コルトレーンやニガブロ・ニザンやさえちゃんやうれし涙やくやし涙や怒りやいかりや長介や憎しみや憎しみの肉屋や喜びや喜び組のよろめきや悲しみや「きのう、悲別で」や『時間よとまれ』や「クリスマス・イヴにコンビニで再会した古い恋人」や「ブルーでちっちゃなクリスマス」や【センス・エリート100箇条】や「パスタをひたすら茹でつづける者」やウソやカワウソやカモノハシやビーバーや『人間の証明』やウジ虫どもや渡辺香津美や『薔薇の名前』や「暴行傷害焼き定食」やインチキやニセモノやクワセモノやマガイモノやマヤカシや『ホテル・カリフォルニア』やシーバース・リーガル17年やMacallan Private Eye 35th Anniversaryや『紅の豚』や『もののけ姫』や『風の谷のナウシカ』や呪われたアルマジロや冬眠を忘れた熊や苦悩するビーバー・カモノハシや黄金の羊や黄金の魚や黄金のカエルや虹のコヨーテや哲の犬や世紀末動物園やワラビー・モーリやスキャット猫やカワウソ・ニザンやプリマス・バラクーダやココペリキリギリスのボーイ・リョージや蓮根と長ネギのトーキョー・プライスに詳しいマーちゃんや30歳にしてメタボ・ギアな元演説青年のスミジル・スミスや猫にこんばんはなEI BOYやクリュッグのラ・グラン・キュヴェや「漂えど沈まず」や「悠々として急げ」や盛者必衰の理や猿の漫才師サルーやそのお天使ちゃんやかれらの小せがれ小娘どもや暗躍海星や数の子天井カズコや芸者ガールや25メートル・プール一杯分のビールや『風の歌を聴け』や2ちゃんねるや姑息低能愚劣下衆外道どもの巣窟「シンデレラの屋根裏部屋」や『La Vie en Rose』や祇園精舎の鐘の音や『雨を見たかい?』やベッシー・スミスや『奇妙な果実』やボブ・マーリー&ウェイラーズや『河内のオッサンの歌』や『WHAT A WONDERFUL WORLD』や諸行無常の響きや「幻師のゲンゲンムシ maki+saegusa」やプラント・プラネタリアンの葉っぱちゃんや「物の怪感度」が人並み外れて高い木蓮R指定やトゥルッロ・ソヴラーノの機織り部屋へとつづく階段で物思いに耽る「ひとつの屋根にはひとつの部屋」が口ぐせの黒海に恋する地中海の感傷ウーマンや「9年目のあるがままそのまま」に寝てばかりいるPIECES OF HAPPINESS PATO BOYにその小さな胸をキュンキュンさせる「世田谷おしゃれ食堂」のオーナー・キュイジニエ・エクリヴァンや「小さなコビトの大きな世界」や本好き料理好きささみ好き行列好きのヒメキリンの坊やや光と闇の幽玄の闘争に立ち会うZINや国大出で美人で木っ端役人で世界を2パーセントくらいつまらなくしているさっちゃんに番号非通知ワン切りの集中放火を浴びせるべく有志を募っている風変わりなバランス感覚でタブーもサンクチュアリもなんのそのな A-BALANCER や日本文学全集レプリカの背表紙に頬ずりするエストリル・ガールや世界で一番小さな庭で繰り広げられる「いのちの物語」のダイナミズムに心ふるわせるレイザ姫や葡萄酒を飲み過ぎたせいでオーバー・ドーズし、夫をとうとう専業主「婦」にしてしまった地下鉄のジュジュのバサラカ冒険によってハラハラドキドキの抑圧デイズを生きるアーキテクチャー・ウーマンや自身の闇とのタイマン勝負に勝利すべく「てにをは」「句読点」の文章修行に精を出すビーチサイドのセイレーンや東京フェルメール・ガール代表の chisato Memories や「文字」を拡大表示するのと「!」を乱発するのが「お下品」であることに気づきはじめた七転八倒しつつも七転八起する神々の黄昏おやじやねじまき鳥看護婦の松坂世代や虹子やポーちゃんやメリケン帰りのバカ娘やを乗せて、明日もまた壮大にドタバタ満載に、喜怒哀楽、起承転結、ありとあらゆることどもものどもを乗せて走りつづけ、ジェットコースターしつづけ、メリーゴーラウンドしつづけ、何度でも終わり、何度でも始まらなければならない。そうだ。それがわれわれが生きている「世界」なんだ。

そして、事実。重要なのは事実だ。なまくらな人道主義、嘘くさい正義、中途半端な現実主義、薄っぺらな善意と理想論、よるべなきあさはかなニヒリズム乃至はアナキズム。それらは「事実」の前に沈黙する。上滑りした理想論や人道主義や正義や善意や現実主義やあさはかなニヒリズム乃至はアナキズムでヨタったりスカしたりするまえに、まず、「事実」に耳を傾けよ。 心の耳をすまし、「事実」のひとつひとつの響き、旋律、音色を聴け。

われわれにもし、未来とやらがまだ肯定的なものとして残されているのなら、いまわれわれの前に横たわる途方もない「事実」を拠り所として歩みを進めるくらいの余地は、いくぶんか残されている。道は細く長く曲がりくねって瓦礫に埋め尽くされ、荒れ果ててはいるが、歩けぬこともない。「七つのラッパ」はまだすべては吹き鳴らされていない。

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by enzo_morinari | 2014-08-15 14:47 | 沈黙ノート | Trackback

この洪水ののちに「希望」を語ることは野蛮である。

 
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あのころ、ランゲルハンス島の午後はいまよりずっと静かで、盲目のホピ族の長老に急き立てられて見るまえに跳んだ17歳の私は、風の歌を聴きながら孤独な核時代のピンチランナーとして1973年製のピンボール・マシンによる同時代ゲームに取り憑かれることとなった。

いまや、どす黒い金属の塊のような洪水はありとあらゆる人々の魂に及び、死者たちの奢りは際限もなく私を疲れ果てさせる。鯨が死滅する日よりもはやく「その日」がやってきたのだ。破壊された波止場には燃えつきた海図をたよりに苛酷な船旅をつづけた方舟さくら丸が漂着し、燃えあがる。永遠の呪詛のようなプルトニウム風のウクライナ語によって語られる「新しい千年の物語」にはアトミック・エイジの守護神も新しい人も登場しない。アトミック・エイジの守護神は厳かに宣言する。

この洪水ののちに「希望」を語ることは野蛮である。

どす黒い金属の塊のような洪水がすべてをなぎ倒し、根こそぎにし、飲みこんでゆく。手加減なし。容赦なし。当然だ。自然に意思などないからだ。あるのは冷厳冷徹な物理法則だけである。おぼろげながらも予感していた「その日」の圧倒的な光景をリアル・タイムで目撃しながら、私はしばし奇妙な冷静とそれまでに味わったことのない昂揚のあいだを行ったり来たりした。そして、「沈黙こそがかの地の人々への追悼である」と思いいたった。

沈黙しよう。それがかの地の人々に対する仁義であり、自分の流儀であるように思われた。だが、別の「その日」がやってきた。別の「その日」はハリウッドを殺した億万長者よりはるかに狡猾で、クラウゼヴィッツの暗号文よりも難解だった。膨大な「危険な話」に彩られていた。じっとしていても「言葉」が次から次へと溢れてきた。

啓示か? 福音か? そのいずれでもあり、いずれでもないだろう。答えは語りつづけることのうちにみつかるかもしれない。よしまた、答えなどみつからないとしても、この事態と向き合うことで「新しい生き方、新しい物事の捉え方、新しい解釈の仕方」がおぼろげにでも身につけばいい。生きつづけるというのはそういうことだ。

2011年3月14日、福島第一原子力発電所3号機が水素爆発を起こした直後、携帯電話が鳴った。電話の主のHは北関東エリアで産業廃棄物処理業を手広く営む人物である。Hとはバブル期に共同戦線を張り、いくつかの危うい仕事をいっしょにやった。Hの声は甲高くうわずって、興奮しているのがわかった。Hは大震災による膨大な量の瓦礫を宝の山と言い、原発事故によって発生した放射性廃棄物や放射性廃液などの「核のゴミ」を金のなる木と呼んで、千載一遇の大チャンスがめぐってきたのだと早口でまくしたてた。「これで一発逆転だ」とHは最後に言った。

「樽の旦那。あんたもひと口のるかい? 交渉事にあんたぐらいふさわしい人間はいない」
「やめとくよ。今回は野次馬に徹する。だがな、ひとつだけ忠告しておくぞ」
「なんだ?」
「くれぐれも用心してかかれよ。震災で出た瓦礫はともかく、原発のほうの相手は人を人とも思わない原発マフィアだ。裏街道の有象無象、海千山千どもが血相を変えて大津波のように押し寄せてくる。先刻承知之介だろうけどな。今度の件は動くゼニの桁がちがいすぎる。おまえさんが当て込んでる宝の山、金のなる木をめぐって大勢の人間が命を落とすことになるぜ」
「骨はあんたが拾ってくれ」
「バカ言うな」
「バカはいまにはじまったことじゃねえよ。ぐははは」

電話はそれで切れた。バブル期、地上げ屋の大物を相手に威勢のいい啖呵をきるHの強面だが憎めない顔が浮かんで消えた。

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さて、独立行政法人日本原子力研究開発機構の下部組織である産学連携推進部が「放射性廃棄物処理処分料金表」なるものを公開している。はやい話が「核のゴミ」の処理と処分に関する料金表だ。この料金表では放射性廃棄物の性状や線量率などのちがいによって細かく処理処分の料金が決められている。1トンあたり下は数十万円から上は3億円ちかいものまで。

日本原子力研究開発機構といえば、1995年に発生した高速増殖炉「もんじゅ」のナトリウム漏出火災事故でその「隠ぺい体質」がたびたび批判された原子力村の一翼をになう組織だ。福島原発事故後も「焼け太り」よろしく、いけしゃあしゃあと国から年間数千億円にものぼる補助金を受け取り、官僚や電力会社役員の天下り先として健在である。

役員一覧を見れば「天下り」の実体と、原子力村のいやしい住人どもがいかに巧妙狡猾に税金を食い物にしているかがよくわかる。同機構にかぎらず、原子力がらみで設立された組織はすべて税金をむさぼり喰うためにのみつくられたと考えてよい。「寄付金」「会費」名目で支出されている巨額なカネが原子力村の中を還流するさまは目眩さえおぼえるほどである。

現在の福島第一原子力発電所にある放射性廃棄物の処理処分の費用を「料金表」をもとに単純計算してみると、100兆円をゆうに超える驚くべき数字が姿をあらわす。東京電力の損害賠償費用、補償費用をはるかに超える額になる勘定だ。海洋投棄された1万トン超の「低濃度の汚染水」を料金表どおりに処理処分したとすると3兆円である(「低濃度」というのは東京電力が自身に都合よく言っている大ウソで、原子炉やトレンチやピットやタービン建屋に存在する高濃度の汚染水より濃度が低いというにすぎず、実際は国の環境基準値の100倍を超える濃度というしろものである。本来、放射線管理区域内で厳重に保管しておくべきものを意図して垂れ流すなどというべらぼうな話があってたまるか。また、「国の環境基準値」とやらも大いに疑ってかからなければならない)。「汚染水」のほかにも水素爆発で破壊され吹き飛んだ配管、構造材の瓦礫、廃炉にともなって出る原子炉本体の処理処分にかかる費用、放出拡散した放射性物質の除染除去費用は別勘定である。

今後、政と財と官と学とメディアと裏街道のならず者どもは「金のなる木」に眼の色をかえて群がり、すさまじいまでの貪欲さでその利権を貪り、食い散らかすだろう。東北の地を飲み込んだどす黒い金属の塊のような洪水がもたらした以上の「地獄絵図」をわれわれは目にすることになる。「原子力発電」はつくるのも維持するのも、処理処分するのも、すべて利権のタネなのだ。そして、そのツケは総括原価方式というペテンまやかしによって巧妙狡猾に姿を変え、ついには「電気料金」と名を変えて、必ずわれわれにまわされる。

福島第一原子力発電所事故をめぐる「核のゴミ」はならず者どもにとってはまさにヨダレの出る「金のなる木」なのだ。アレバ社のしたたかきわまりもない女社長と大統領のサルコジがおっとり刀で駆けつけたのだって、この「金のなる木」が目当てだと思えば合点がいくというものだ。

保身と責任回避と組織防衛と利権の確保を旨とする小賢しい木っ端役人どもの悪知恵と、あさましい政治屋どものゴリ押しによって法整備され、システム化され、御用学者どもは愚にもつかぬ御託を並べて擁護し、メディアは「安全安心」を連呼して広告料をせしめ、経済的に不遇な自治体が「補助金」「交付金」「寄付金」「奨励金」という名の毒饅頭と引き換えに「不幸」を受け入れて庶民の「暮らしと人生」を人質に取るという構図は遅かれ早かれ完成するだろう。そのようにして、「国策」の名のもとに「核のゴミ」は大手を振って「なきもの」にされるのだ。

地下深く埋められるか、稀釈されて「海面土壌埋設」という名の海洋投棄か。あるいは一家に1トン汚染水か。「天罰」が下ってもこの国はなにも変わりはしなかったというお粗末である。いくぶんかのさびしさを感じながらひろうHの骨がセシウムやらプルトニウムやらストロンチウムやらに汚染されていないことを祈ろうと思う。ついでに「新しい人」の誕生も。
 
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by enzo_morinari | 2014-08-08 15:36 | 沈黙ノート | Trackback

飛ぶ豚はいつかどこかに着陸するが、飛ばない豚はどこにも行けない。喰われるのを待つだけだ。

 
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飛ばない豚はただの豚だ。捨てない人間はただの馬鹿だ。


「コペルニクス的転回」も「コペルニクス的転回の転回」も「絶対矛盾的自己同一」も「身心脱落本来面目現前」も吾輩の係ではない。それってうめえのか? ダシはきいているか? 歯ごたえはどうなんだ? そんなリアリティのないものは「くそまじめな精神」の持ち主様にでもくれてやれ。さもなきゃ、犬畜生にでも喰わすか糞掻きべら一閃、宇宙の果てまでかっ飛ばしちまえ。

おのれを捨てろだあ? おのれを虚しゅうしろだと? 何度でも言う。寝言は寝て言え。のたうちまわりながらほかの何者にもなりかわりえない吾輩自身のリアルをグリップすること。それが吾輩にとって意味を持つ。

物心ついたときからどんどんじゃかすか色んなものを捨ててきた。用がなけりゃ捨てる。当然だ。縁だって捨てた。手加減なし容赦なしで。女房だって娘だって息子だって女だってともだちだって本だってレコードだって捨てまくってきた。大好きな犬さえ捨てたことがある。ヨチヨチ歩きの仔犬を。

赤鬼でも青鬼でもない。捨鬼だ。おかげでいつだって引っ越しは楽チンのチンだった。そうやって数知れぬ別れを繰り返してきた。経験と言えば言えなくもないが、勧めない。ろくなことがないからだ。心だって痛む。鬼の目にも涙だ。

よく捨てることが拾うことに通じるだの、別れて道が開けるだのという生臭坊主が言いそうなことを経験の「け」の字も知らぬような甘ちゃんがぶっこくのを見聞きするが、そのたびに臍が独創茶を沸かす。甘っちょろいのはピントだけにしておけてんだ。

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ここ20数年、身悶え、身も凍るような存在感を持った人物を見かけないのは簡単にお手軽に捨てることが大手を振ってまかり通っているからだろう。まったくもって腹立たしいかぎりだ。

そう簡単に捨てられるなら、別れられるなら、切れるなら、それは元々必要のないものだったんだろう。必要のないものをあれもこれもとぶら下げて得意になっていたんじゃないのか? そういうのを骨折り損のくたびれ儲けてんだ。明瞭簡潔に言うなら愚か者、馬鹿者ということだ。おぼえとけ!

捨てるとき、切るとき、別れるとき。胸のど真ん中あたり、ずっと奥のほうがずんと疼く。痛む。それでいい。なんの不思議もない。別れ別れになるんだからな。以後は一切の関わりがなく、まったく別の道を歩くんだからな。死のうが生きようが、焼いて喰われようが煮て喰われようが知ったこっちゃない。捨てる/切る/別れるとはそういうことだ。

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by enzo_morinari | 2014-07-15 08:34 | 沈黙ノート | Trackback

隠蔽される「世界の起源」と露出する世紀 ── アート・テロリストよ。オルセーを爆破せよ!

 
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そのころ、「世界の起源」はまだ京急700形電車の品川行き42輌編成の快速特急に揺られることで、かろうじて安定を保っているかにみえた。伊勢丹アスホールで行われる「ミレー、コロー、クールベ展/バルビゾン派の巨匠たち」を告知するステルス・ステンシル・ステッカーが京急700形電車のあちこちに貼られ、バンクシーはギンズバーグ・ケルアック・バロウズの揺りかごの中でビートニクな寝息を立てていた。

さらには、石礫を隠し持つサンダル履きのデヴィッドがチャタレー夫人のスパンキング・ラヴァーとしてゴリアテに戦いを挑んだのちの「猥せつ裁判」の証言台で「アカデミック・アート? それってうめえのか?」と雄叫びを上げ、その様子を別アングルから盗み見ていたジャン・オーギュスト・ドミニクはラ・グラン・オダリスクの豊満な脹ら脛を愛撫しつつも奴隷解放運動にうつつを抜かすクンニヨーシ・ウタガーワの謀殺計画を玄人専用クロッキーに描いていた。

よもや、40年後に『世界の起源』の前で正真正銘の「世界の起源」を露出し、オルセー美術館を震撼慄然騒然とさせるパフォーマンス・テロリストが出現しようとはだれも想像できない牧歌的な時代だった。主犯であるところのバルビゾン学校の悪童、ギュスターヴ・クールベでさえ。

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パフォーマンス・テロリストの前に立ちはだかる取りすました道徳律と価値観の甲冑を外装した黒ずくめの学芸員も、ゆうべはパフォーマンス・テロリストよりもっとふしだらであられもない姿態を曝けだしていたことだろう。今夜はさらに過激に扇情的に痴情痴態に拍車がかかるはずだ。淫蕩と淫靡と淫逸と淫怠は権威を偽装する。

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いまや、世界は「露出する世紀」のただ中にある。あらゆる事態/事象/現象は露わとなる。Facebookで。Twitterで。SNSで。YouTubeで。ニコ動で。FC2動画で。ピンからキリまで。糞味噌いっしょくたに。賢者から愚者までもろともに。アノニマス/サインの別なく。センス/ノンセンス取り混ぜて。際限なく。途方なく。のべつ幕なしに。

リアリズムと赤裸なエロチシズムは取りすました道徳律と価値観を根こそぎ木っ端微塵にする。意識しようとしまいと、そして、望むと望まざるとにかかわらず、われわれは例外なく窃視者/視姦者であり、つねに共犯関係にある。


アート・テロリストどもよ。世界中のミュゼを爆破せよ!


Performance Terrorist Does Impromptu Reenactment of "L’Origine du monde/The Origin of the World" Yes, THAT Painting.
 
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by enzo_morinari | 2014-06-21 15:19 | 沈黙ノート | Trackback

「携帯電話税」をめぐるデクノボウ三世議員中山泰秀と悪辣官僚と腐れ電通の裏取引きと密約

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by enzo_morinari | 2014-06-20 15:40 | 沈黙ノート

「携帯電話税」をブチあげるデクノボウ三世議員中山泰秀の電通時代の悪業

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by enzo_morinari | 2014-06-19 18:18 | 沈黙ノート

みえない世界がみえる女とダマされる人々

 
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おスピちゃん、ヒール・ピープル、エネルギー・マン、パワー・マンと呼ぶ一群の者たちがいる。彼らは例外なく「ダマされる人々」である。彼らはことあるごとに、そして、あらゆる局面場面で「スピリチュアル」と言い、「ヒーリング」「癒し」と言い、「エネルギー」と言い、「パワー」と言う。彼らは一様に物事、事象、現象、事態に対して無批判/無自覚/非論理的/非実証的である。

ダマされる人々は大抵の場合、「目に見えるもの」を信用しない。「目に見えるもの」を卑下してでもいるかのようだ。彼らが重きを置き、価値を認めるのは「目に見えるものの奥にあるもの」である。

彼らはどのようにして「目に見えるものの奥にあるもの」にたどり着こうとしているのかと言えば、彼らが言うところの「直感」に頼ってである。そして、彼らをダマしている者が見るのは銀行の預金通帳だけだ。


逗子の海の小さな入江に面した古いレストランのテラス席で昼めしを食べているときのことだ。

みえない世界がみえるのよ。 ── とても良心的で誠実で手抜きのいっさいない「良妻のスープ」を食べ終え、アボカドとトマトとバジルのパンサラダに取りかかったとき、隣りのテーブルからヒステリックにうわずった女の声が聴こえてきた。フォークを静かに置き、気取られないように注意深く声のしたほうを見た。

声の主は40代半ばの女だった。テーブルにはその女のほかに5人の女たちがいた。年代はばらばら。高校を卒業して間もないと思われるような少女。どう贔屓目に見ても70歳を過ぎているような老婦人。髪を無造作にひっつめた30歳くらいの女。いかにも生活疲れしていることが見てとれる50代半ばの太り気味の女。貪欲なカマキリのような眼をした20代後半の女。

波の音が邪魔をして、ときどき、彼女たちの声をところどころ掻き消したが、それでも会話の内容は十分に理解できる。

ドリーン・バーチュ 、ゲリー・ボーネル、バシャール、ヒーリング、ヒーラー、オーラソーマ、ゲアリー・クレイグ、エモーショナル・フリーダム・テクニック、オリバー・バークマン、フランシーン・シャピロ、眼球運動による脱感作および再処理法、あなたは特別、あなただけに、アセンション、次元上昇、5次元の地球、ライトボディ、半霊化した肉体、弥勒の世、菜食、縄文に帰る、前世、過去生、プレアデス、シリウス、オリオン、ポールシフト、フォトンベルト、波動、聖地、パワースポット、瞑想、チャネリング、天之御中主神、天照大神、天使、精霊、女神、光と闇、波動、13の月、マヤ暦、クリスタル、チャクラ、イルミナティ、オーラ、UFO、結界、ソウルメイト、ソウルグループ、シャスタ山、和の舞、EFT、EMDR

これらの言葉が次から次へとみえない世界がみえる女の口から澱みなく出る。不意に、「みえない世界がみえる女はじきになにかを売りつけるぞ」と思った。

みえない世界がみえる女が彼女たちのリーダーであることはすぐにわかった。ほかの女たちは神の言葉を待つような表情で女に視線を集中させていたからだ。みえない世界がみえる女以外の者はひと言も口をきかなかった。

みえない世界がみえるのよ。あなたもでしょう?」

みえない世界がみえる女に同意を求められたのは線の細い、悲しげな眼をした少女だった。

「みえます。はっきりと」

少女は少し間を置いてから、よく通る声で答えた。少女の答えを皮切りに、結局、全員がみえない世界がみえる女になった。「ただの同調圧力じゃないか」と思ったが、彼女たちは真剣だった。

再びアボカドとトマトとバジルのパンサラダに取りかかった。アボカドとパンをフォークに一緒に刺して口に運ぼうとしたとき、リーダーとおぼしきみえない世界がみえる女が濃いブルーのエルメスのバーキンからコバルト・ブルーの箱を取り出し、テーブルの真ん中に置いた。私は、再びフォークをテーブルに置いた。

みえない世界がみえる女1号は神殿で行われる聖なる儀式にでも臨むような芝居がかかった表情と仕草で箱の蓋をあけ、中から淡いピンクのアルシュ・ペーパーの包みを取り出した。そして、ゆっくりと「御神体」でも扱うように注意深く包みを開いた。

中身は水晶のネックレスだった。それもきわめて質の悪い水晶。中国製であることが一目でわかるほどの粗悪品だ。水晶自体の真贋、優劣を判別するのは経験と見識と高度な鑑定眼を必要とするが、台座やチェンの加工、細工の善し悪し、高低についてはそれほど難しいものではない。みえない世界がみえる女1号のネックレスはあきらかに噴飯ものの粗悪劣悪品だ。

みえない世界がみえる女1号はもっともらしい講釈を始めた。やっぱり。予想していたとおりだ。

「これでさらに上の次元に行けるのよ」

みえない世界がみえる女1号は神のお告げのように言った。

「おいくら?」

口火を切ったのは老婦人だった。

「80万円ですよ。ちょっとお高いようだけど、由緒来歴がちがいますからね。そんじょそこらのクリスタルとは」

そんじょそこら? そのひと言でみえない世界がみえる女1号の素性のあらかたが透けて見えた。私こそがみえない世界がみえる者だ。

驚くべきことに、あるいは当然、女たちは我先にと水晶のネックレスを手にし、みえない世界がみえる女1号から手渡された「契約書」に書き込みはじめた。

彼女らに「中国製の粗悪な水晶」「霊感商法」「クーリングオフ」のことを言っても聞く耳を持たないだろう。もはや、手遅れだ。行くところまで行って、つまりは、堕ちるところまで堕ち、家族を失い、信頼を失い、地獄を見てくるがいい。地獄の釜の蓋の色や亡者どもの肌の色をじかに見てくるがいい。自分で選んだ道だ。だれを恨んだところで、すべては筋ちがいというものだ。

一番年下の線の細い、悲しげな眼をした少女は不安そうな眼でちらとこちらを見た。おスピちゃんだ。

おスピちゃんの日常を想像する。

おスピちゃんは石が大好きだ。折り紙付きの意志薄弱で、意志はこどもの頃から電気グルーヴの音楽みたいに激しく脱臼しつづけているが、石が好きなおスピちゃんはきょうも日がな一日、おイシちゃんたちとの仲良しごっこに余念がない。

おスピちゃんのまわりにはおスピちゃんとよく似た人々が群がってくる。彼らが交わす会話は「すごいですね」「いいですね」「素敵ですね」「かわいいですね」以外の言葉はよく聴き取れない。これに、「エネルギー」「スピリチュアル」「パワー」「宇宙」「精神」「波動」「光」「精霊」「天使」「妖精」「前世」「次元」「超越」という単語が混じる。おそらく、ほかにもなにか言っているのだろうが、どんなに耳をそばだてても聴き取ることはできない。きっと、おスピちゃんたちの世界は「すごいですね」「いいですね」「素敵ですね」「かわいいですね」「エネルギー」「スピリチュアル」「パワー」「宇宙」「精神」「波動」「光」「精霊」「天使」「妖精」「前世」「次元」「超越」でできあがっているんだろう。素晴らしいことだ。ヨハネスブルク・キッズもコッチェビ・ボーイもチェルノブイリ・ベイビーもフクシマ・チルドレンもこれで前途洋々である。未来にはなんの心配もいらないし、ひとかけらの不安もない。

おスピちゃんはこの春から「スピリチュアル・ダイバー1級」の資格をえるためにスピリチュアル・ダイビングスクールに通いはじめた。北鎌倉の建長寺前にあるスピリチュアル・ダイビングスクールはおスピちゃんとおなじような精神構造、顔つきをした人々でたいへんな賑わいをみせている。スピリチュアル・ダイビングスクールの校長であり、創設者は「ミイラとりがミイラ殺人事件」で一躍スピリチュアル世界に勇名を轟かせたライフ・スペースの残党である。馨しき嘘臭さぷんぷんの校長、シマヅ・コーイチの口ぐせは「自分を乗り越えろ」だ。

スピリチュアル・ダイビングスクールの生徒は自己啓発セミナーを同時受講しているか、過去に受講経験を持つ者が大半である。素晴らしい。まことに素晴らしいかぎりである。よほど自分の中にダイビングするのが好きなんだろう。だが、一様に彼らには「自己」がない。付和雷同型である。危うい。世界にごまんといる頬笑みを湛えたしたたかなならず者にかかったらイチコロのはずだ。

授業開始を知らせるジョージ・ウィンストンの『Fragrant Fields』が構内に流れ、生徒たちが入学時に100万円で買った校章入りのラピスラズリのネックレスが揺れるジャラジャラという音が響きわたった。「頑張らなくちゃ。なにに頑張るのかはわからないけど、とにかく頑張らなくちゃ」とおスピちゃんは強く思った。

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おスピちゃんの愛読書は、「ナカミチDRAGON記念第42回しぶとい女世界選手権」の覇者、ジョーン・ドゥドーン・マクレーン著『Out on a Limb of Rim of World of Spiritual/The Trouble With Hurry(邦題:精神世界の外縁の端っこの先っぽ/急ぎ仕事と付け刃の災難)』だ。

『Out on a Limb of Rim of World of Spiritual/The Trouble With Hurry』にはいかなることが書いてあるかというとさっぱりである。すっからかんである。Out of Ganchuそのものである。にもかかわらず、おスピちゃんは『Out on a Limb of Rim of World of Spiritual/The Trouble With Hurry』をいつもビューティフルで潜在意識だらけでライトボディでミニマリズムかつニューエイジかつシフトなトートバッグの中に入れて持ち歩いている。そして、おスピちゃんはなにかというと『Out on a Limb of Rim of World of Spiritual/The Trouble With Hurry』をドヤ顔で取り出し、読む。ときに引用する。

おスピちゃんの言うことを聴いている者たちの表情は一様にうっとり恍惚としてはいるが、実際には彼らはおスピちゃんがなにを言っているのか、なにを言いたいのかまるっきり理解できていない。当然だ。おスピちゃんの言うことには内容、中身がないからだ。内容、中身がないのに「語られていること」を理解することなどだれにもできない。たとえそれが虹のコヨーテや呪われたアルマジロやGRIP GLITZや海を殺した女やメニエール・ダンサーのガジンであってもだ。

かつてジョーン・ドゥドーン・マクレーンは『尾行好きでアレがでかくてビューティフルな弟を持つことについて』と題した一文を雑誌『ニューエイジャー』に寄稿したことがある。それは世界中のスピリチュアリスト、スピリチュアル系、スピ者、好き者、インド屋、あっち系、こっち系、そっち系、どっち系、どっちら系、とっ散らかし系、彼岸系、平行宇宙系、5次元世界系、女神系、お天使ちゃん系、不思議ちゃん系、パワースポット系、波動信奉系、プレアデスシリウスオリオン系、フォトンベルト系、弥勒ちゃん系、パストラル系、ヴィジョンがみえるちゃん系、瞑想系、チャネリング系、ヒーリング系、木花之佐久夜毘売系、大好きな石はクリスタル系、チャクラ系、イルミナティ系、エジプト系、オーラ系、UFO系、光と闇系、タロッター系、13の月系、マヤ暦系、結界系、ソウルメイト系、シャスタ山系、和の舞い系、聖なる性系、アセンション系、光の身体者、千年紀待望者、ウィンダムヒル・マニア、ニューエイジ・ピープルの信奉を集めるガネガネ・ウソッパチマヤカシインチキ・セドナ・ストーン・コレクター、『ニュートン』の熱心熱烈な読者、「真理獲得のためには危険を冒してでも危険な枝の先っぽまで登らなければならない」が口ぐせの者たちを魅了し、虜にした。ふざけた話である。なぜなら、『尾行好きでアレがでかくてビューティフルな弟を持つことについて』はディック・トレイシー・ハイド・ウォーレン・ベイティとの近親相姦について文法上の誤謬と誤記とゴカイとイソメまみれの駄文に過ぎなかったからだ。

その愚劣愚鈍さは勘ちがい気取り屋湘南バカ夫人クラスである。ジョーン・ドゥドーン・マクレーンの当てずっぽう当て推量な「預言」どおり、メルセデス・ベンツのフロント・グリル外縁が神宮外苑銀杏並木の青山通りから12本目の銀杏の樹の下に埋められているとしても、看過できない悪辣さを『尾行好きでアレがでかくてビューティフルな弟を持つことについて』は孕んでいる。

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メルセデス・ベンツはフロント・グリルの新型スリーポインテッド・スター・イルミネーション方式に対する不法行為を理由にジョーン・ドゥドーン・マクレーンに対して損害賠償請求の訴えを起こさなければ長年のメルセデス・ユーザーとして納得できない。この夏にはベントレーのコンチネンタルSPEED GTに乗り換えるのでどうでもいいことにできなくはないが。


そんな胡乱な状況にもかかわらず、おスピちゃんは能天気極楽とんぼ丸出しできょうも『Out on a Limb of Rim of World of Spiritual/The Trouble With Hurry』に夢中、鼻高々である。『Out on a Limb of Rim of World of Spiritual/The Trouble With Hurry』の書き出しはこうだ。

Life is Life.

まいりました。<(_ _)> m(-_-)m orz〜

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by enzo_morinari | 2014-06-16 11:35 | 沈黙ノート | Trackback

ターミーが夜空を見上げて星に願いを託すとき

 
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ターミーが夜空を見上げて星に願いを託すとき、世界中のティーンエイジャーが彼女に恋をした。正確には、頭の先から爪先まで性欲と精液をはち切れんばかりに漲らせた野郎どもが彼女に夢中だった。それは彼女が歯列矯正中でも変わらなかった。かつて/世界のどこかしらでそのような時代があったということだ。このことについては何者もとやかくのことを言うべきではない。

ただし、彼女の向かうところ敵なしの時代は長くはつづかなかった。当然だ。それでいい。失われるものの中でだけ夢は夢みられるものと相場は決まっている。夢みる者が独身男だろうと凄腕の外科医だろうと取り澄ました本フェチだろうと気取ったライフスタイル自慢だろうとおなじである。

そんな「彼女」たちのうちの一人、サンドラ・ディーは数年の絶頂期ののち、絶頂期から10年も経たぬうちにきれいさっぱり忘れ去られ、アルコールとセックスに溺れ、不遇と困窮のうちに世を去った。しかし、だれもサンドラ・ディーを嗤うことはできない。帰らぬ青春を惜しむよすがとして、目にするもの耳にするもの指先に触れるもの、なにもかもが美しくかなしくあてどなく儚げに輝いていた世界/時代/季節の墓標として追悼しつづけるべきだ。そのほうが訳知ったような能書き/御託を並べたてるポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウより数段上等である。


Tammy/Written & Lyrics by Jay Livingston/Ray Evans
Debbie Reynolds [1957]
Sandra Dee [1963]
Brenda Lee [1964]

I hear the cottonwoods whisperin' above,
"Tammy ... Tammy ... Tammy's in love"
The ole hooty-owl hooty-hoos to the dove,
"Tammy ... Tammy ... Tammy's in love".

Does my lover feel what I feel, when he comes near?
My heart beats so joyfully, You'd think that he could hear.

Wish I knew if he knew what I'm dreamin' of
Tammy ... Tammy ... Tammy's in love.

Whippoorwill, whippoorwill, you and I know
Tammy ... Tammy ... can't let him go
The breeze from the bayou keeps murmuring low:
"Tammy ... Tammy ... you love him so".

When the night is warm, Soft and warm,
I long for his charms I'd sing like a violin If I were in his arms.

Wish I knew if he knew what I'm dreaming of
Tammy ... Tammy ... Tammy's in love.

 
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by enzo_morinari | 2014-06-10 19:04 | 沈黙ノート | Trackback