カテゴリ:分け入っても分け入っても本の山( 1 )

わたくしの読書遍歴#1

 
c0109850_15305956.jpg


 黎明期 ── サルからヒトへ
 偶然半分、自分の意志半分で5歳の秋にC.ディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』を読む。中野好夫の翻訳だった。おそろしく長い話なのだが一週間かそこらで読み終えたのではないかと思う。読んでいるさなか、二度ばかり大泣きした記憶がある。そのあと、立てつづけにディケンズものを読んだ。『オリバー・ツイスト』『二都物語』『大いなる遺産』『クリスマス・カロル』などである。ディケンズのあとはいわゆる「古典」「名作」といわれるものを手当たり次第、片っ端からやっつけている。メルヴィル『白鯨』、シュリーマン『古代への情熱』、ファーブル『昆虫記』、ルナール『にんじん』、ヘミングウェイ『武器よ、さらば』、トルストイ『戦争と平和』、スウィフト『ガリバー旅行記』、キャロル『不思議の国のアリス』、デュマ『モンテ・クリスト伯爵(巌窟王)』、ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』、ユゴー『レ・ミゼラブル』等々。

c0109850_15311928.jpg

 この過程でヴィクトール・ユゴーには強く魅かれ、「フランス革命」すら知らぬくせに全作品を読んだ。ただし、この「読書戦」は長期化した。はなはだしい消耗戦であった。
 ヴィクトール・ユゴーとの「戦い」を終えた私はヘンリー・D・ソローの『森の生活 ── ウォールデン湖のほとり』にたどり着いた。いまでも『森の生活』はJICC出版(現在の宝島社)の新訳版を無作為にページを開いて読む。JICC出版のものは表紙のルソーっぽい絵がいい感じで入手したのであった。中に「遠く離れた土地から親類に手紙を書くような文章」という一節があって、それを自分でも実践した。自分はいま冥王星にいるのだと思い込み、日に何通も母親と、月に一度か二度、申し訳ていどに顔を見せる生物学上の父親宛に手紙を書いた。

c0109850_15314260.jpg

 ほかの同年代のこどもたちが塗り絵や缶蹴りや泥棒巡査(どろじゅん)や手ベースやメンコやベーゴマをやっているあいだに、私は岩波の夏目漱石全集を読み終え、小学校に入学する頃にはマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』を読み始める。時間が成熟してゆくという考え方には強く魅かれた。ジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』『フィネガンズ・ウェイク』は『失われた時を求めて』のあとに読んだ。手元の読書ノートによると当時の私は「意識の流れ」というものの曖昧さにかなり腹を立てていたようだ。腹が立って母親と犬猿の仲の隣家の板塀に火をつけたと当時の日記に書いてある。ごきげんきわまりないガキだったことよのう(と、ひとり詠嘆。やれやれ)。私の「マドレーヌ現象(註1参照)」はこの頃育まれたものであると考えられる。
「山路を登りながら、こう考えた。/智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい」という演歌の節回しのごとき書き出しではじまる『草枕』は、その後も繰り返し読み、いまでは、ページの最初から最後まで一字一句たがえずに諳んじることができる。

(註1)
 私の脳内で起こっている一連のことどもについてバカの壁の壁守でもある養老院孟司博士はこれを「マドレーヌ現象」と命名し、おおよそ次のように定義づけている。

 いわゆる「マドレーヌ現象」について
 発語または記述の際、ある「言語」「事態」「事象」「音声」「匂い」「味覚」「感触」等を契機端緒として、連関の有無を問わずに言語、発想が連続継起していく表現行動の一形態。その際、記述、発想、発語の飛躍、跳躍、跳梁は、当該現象が長引くのに比例してさらに跳躍量を増すことが認められる。大脳辺縁系の下部にわずかに認められる ”未知の組織 ”が他の組織を刺激し、言うところの ”マドレーヌ現象 ”を誘発させていると思料される。また、”マドレーヌ現象 ”時、2種類の独立した脳波を検知した。ひとつはレム睡眠時の波形を示し、いまひとつはあたかも”読書している”ときのような波形を示した。これらについてはさらなる観察、分析が必要である。誤解をおそれずに言うならば、当該”現象”はまぎれもない”病”である。”過剰”という名の病、”病としての過剰”である。

c0109850_1729253.jpg

 真っ昼間 ── 直立歩行を経て旧石器時代へ
 1日1000ページ、月に3万ページを目標に綿密な「ぼくのコトバ戦争 ── 読書5カ年計画」を立てたのは小学校3年生の夏休みだった。おそろしく早熟で小生意気で頑迷で気位の高いガキであったことが日記や読書ノートの断片から読みとれる。この頃はもう読書にどっぷりで完全無欠の読書ジャンキー。セルの一個一個に文字を読むコトへの欲求がはちきれんばかりに染みこんでいた。
 小学校6年の夏に読んだ三島由紀夫の『豊饒の海』の衝撃はすさまじかった。「ああ、三島由紀夫はこれで死んでしまうんだな、もう新しい三島由紀夫の文章を読むことはできなくなるんだな」と思い、悲嘆に暮れた。私の「予想」はみごとに的中した。
『豊饒の海』は世界の文学史上においても特筆されるべき希有の傑作である。四部にわかれた大作で、私は第二部の『奔馬』がいちばん好きだ。『奔馬』の主人公の飯沼勲は一時期、私のヒーローであった。飯沼が右翼の大物に「本懐」を訊ねられて答える場面があるが、しびれるような印象をもった。彼は毅然として大物右翼を見据え、言う。
「太陽の、輝く日輪を拝しながら、輝く海を見下ろしながら、気高い松の木の根方で、自刃することです」
「スープに毛が入っててどーだこーだ、あーじゃねーこーじゃねーという太宰に代表されるちまちまとした日本の私小説の枠を大きく凌駕して、ダイナミックに輪廻転生する生命の不思議、悲劇を描いた名作と呼ぶにふさわしい作品である」と当時の読書ノートには書いてある。まったくふざけた小学生がいたものだ。さしずめ、いまなら、スパゲティ・バジリコが滑った転んだというところだろう。村上さんとこの春樹くん、たいがいにしておきたまえ。

c0109850_1731279.jpg
c0109850_1732228.jpg

 夕暮れ、ドキッ! ── 革命前夜。パルチザンの暗躍/前から

 夕暮れどきはさびしそう♪
 とってもひとりじゃ いられない♪
 こんなさびしい夕暮れどきに♪
 呼び出したりして ごめんごめん♪ 


 そんなような歌があった。古井戸? ニュー・サディスティック・ピンク? まさか井上陽水ではあるまい。だれであろうとよい。いつ/どこで聴いたのかは憶えていないが、とても印象に残っている歌だ。
 中学を卒業する少し前あたりから私の読書傾向に微妙な変化の兆しがあらわれた。昼の光から夕暮れどきの薄闇へ。その変化は高校1年の秋に顕著になるわけだが、○○全集とか名作○○とかいった類にまったく興味がなくなってしまったのだ。マイナーなもの、図書館にないもの、誰も見向きもしないもの、つまりは夕暮れどき、黄昏どき、そのような気配を漂わせたものに興味の対象が移っていったのである。

c0109850_17333752.jpg
c0109850_17341188.jpg
c0109850_17342627.jpg

 知らないもの、不慣れなもの、自身にとって都合の悪いものに出会うと生き物は動揺する。「認知的不協和」だ。夕闇の町はずれをひとりでとぼとぼ歩いているとき、通りの角からいきなりむくむくした変なモノが飛び出してきたら誰だって驚くだろう。私はそういった種類の驚き、「ドキッ!」を味わいたかったのだ。学校が休みの日、神田の古本屋街を一日中、それこそ朝から晩までうろつきだしたのもこの頃である。古本屋のオヤジとはずいぶん馴染みになった。
「あ、いらっしゃい」
「あ、ごぶさた。で、どうです? 景気のほうは」
「いやー、ここんとこ、さっぱりですわ」
「まー、雨の日もあれば晴れの日もありますからねー。雨にも負けず風にも負けずの気構えですよ。気を落とさずに頑張ってくださいな」
「えー、ありがとうございます。せいぜい頑張ります」
「うーん、けっこうけっこう」 
 おまえは町内のご隠居かっつーの! 中学生の洟垂れ小僧のくせに!


 夕暮れ、ドキッ! ── 革命前夜。パルチザンの暗躍/後から
 寄席に足繁く通いだしたのもこの頃である。末広や鈴本、浅草演芸ホールには放課後、制服のまま週に一度は行った。初めて古今亭志ん朝を生で見たときは、そのテンポのよさ、艶、色気、見姿の美しさに興奮した。父親である志ん生さんの名跡を継ぐのはいったいいつになるのだろうと気をもんでいるうちに志ん朝師匠は逝ってしまった。痛恨きわまりもない。
 それはさておき、やはり、落語は古典にかぎる。生物学上の父親をたぶらかしてビニルのLPレコードで出ていた落語全集を全巻買わせたこともあった。父親自身が志ん生に入門を乞うたほどの落語好きだったのでめずらしく満面の笑顔をみせたことをおぼえている。
 熊さん八っつぁんのどたばた滑稽や薮入りのしんみり人情噺や品川心中の色と欲のどろどろ艶ものに笑い転げたり、涙をぬぐったり、地団駄踏んだりしながら、私はロートレアモンの『マルドロールの歌』や小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』、アンブローズ・ビアス『悪魔の事典』『死の診断』、オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』、E.T.A.ホフマンの『悪魔の美酒』、サドやマゾッホ、稲垣足穂(ボイジャーが『タルホ・フューチャリカ』を電子本で出したときは喝采を贈った)、坂口安吾といったマイナー系を好んで読んでいた。それらの「世界」は孤高の少数派であり、深く豊かだった。宝石のごとくに輝いていた。
 この頃、体系的な読書、ひとくくりの読書のようなかたちで取り組んだのは「神話系」のものであった。ギリシャ神話、古事記、ケルト神話などだ。プルタルコスの『英雄伝』は胸を高鳴らせながら読んだ。このギリシャ、ローマの英雄をめぐる伝記は中学時代の読書でいちばんいい思い出になった。今でも『英雄伝』はときどき書棚の奥から引っぱり出して読み返すが、読み出すと止まらなくなる。ものすごい分量のテクストにもかかわらずにだ。
 マイナーな乱読時代。今から思うとこの頃の私は「自分のためのカウンター・カルチャー」を探し求めていたのではないかという気がする。既存とは異質なもの、体制から逸脱したもの、大衆に迎合せず、孤高を貫いているもの。そういったものに惹かれていたように思う。ただトラディショナルなものへの畏敬、憧れも反面では強くて、けっきょく、トラッドとアバンギャルド、コンサーバティブとラジカル、メージャーとマイナーのあいだで激しい振幅を繰り返した。そして、徐々にマイナーでラジカルでアバンギャルドなほうへと移行していったのであった。
 中学の卒業文集には「昼の光に夜の闇の深さがわかってたまるものか」というタイトルで過激な学校批判、日本の教育システム全般に対するいちゃもんをつける内容の文章を書き、要注意人物として、以後、高校3年間、厳重な監視、囲い込み、疎外を受けるきっかけとなった。私は「お尋ね者」になったような興奮をおぼえた。


 夜の闇の果て ── 革命初期段階。下部構造の仕組み/もっと奥まで
 高校1年の夏の終りにセリーヌの『夜の果ての旅』を読んだ。『夜の果ての旅』を読む前の私と読んだあとの私とではまったくの別人であるような気がする。文字通りの意味で私はこの読書体験を境におとなになったように思う。それまでは、早熟、頭でっかちのガキにすぎなかった私が、いい意味でも悪い意味でも、おとなの仲間入りをすることになるきっかけが、『夜の果ての旅』だった。
 その夏、私は初めて「労働」と交換に金銭を受け取るという経験をする。仕事の内容は海図の下書きである。これが当時としては破格のバイト代をもたらしてくれるものだった。ちょっとしたコツをつかみさえすれば誰にでもできる仕事だが、たいていの者は「ちょっとしたコツ」をおぼえる前にやめていった。
 夏休みの半ば、残っていたのは私と慶応の女子大生だけだった。彼女はなかなかのクール・ビューティーで、けっこう頭もよかった。バイト先の社長が地方出張で事務所を留守にした日、私は彼女と事務所の仕事机の上でセックスをした。私の初体験である。快感は想像していたほどではなかった。つまり、マスターベションによってえる絶頂感との差異を見いだせなかったということだ。
 セックスが終わったあと女が最初になにを言うのかが私の最大の関心事だった。男と女が快楽を求めてセックスをし、そのために殺人を犯したり、嘘をついたり、家庭を崩壊させたり、財産を失ったりすることを知ったときから、私は行為のあとの女の「言葉」に強い関心を持ちつづけた。私はいずれ自分も誰かとセックスをし、そのあとに女が発する言葉に耳を傾けるときの自分の姿や心の動きを小学生の頃からずっと想像していた。私は相手の女は「ありがとう」とか「気持ちよかった」とか言うのだろうと予想していた。私は彼女がなにを言うのか神の啓示を待つような気分でじっと息を潜めて待った。どれくらいの沈黙があっただろう。ついに彼女は口を開いた。
「君のペニス、すごくくさいね」
 そう彼女は言った。何年かのち、彼女は幼児誘拐殺人事件の犯人として逮捕された。彼女が私に残したのが『夜の果ての旅』だった。

(エロスの涙をぬぐう内村鑑三のごとくに、この項つづく)
 
[PR]
by enzo_morinari | 2013-09-08 06:56 | 分け入っても分け入っても本の山 | Trackback