カテゴリ:あなたと夜と音楽と( 21 )

思い出の『Moonlight Serenade』と1958年式アトランティック・バード号の夜間飛行後の引退

 
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恋におちたのは2008年の夏の終わりだった。相手は私のゼミナールに所属していた教え子だ。6年ぶりの再会だった。学生時代はジーンズにTシャツというラフでざっかけないありふれた女子学生にすぎなかった彼女は、見ちがえるほど美しく、可憐で清楚で気品にあふれ、しかも華のある成熟したおとなの女性に変貌していた。いくぶんかの哀しみと愁いを含んだ表情も彼女の魅力をさらに引き立てているように感じられた。

私と彼女を引き寄せたものがなんだったのかはわからない。ただ、これだけは言える。私たちは魔法でもかけられたようにたちまちのうちに恋におち、笑い、泣き、たまに言い争い、そのたびに仲直りし、そして、砂時計が時を刻むように鋭く深く確実にいくつかの季節をともに生きたのだと。

あるパーティーの帰り道。グレン・ミラー楽団の演奏する『Moonlight Serenade』が流れるクルマの中で、親子ほども年齢の離れた若い恋の相手は私の肩に頭をもたせかけたまま何度も溜息をついた。重ねた手の白い指先が小刻みにふるえているのがわかった。心の軋む音さえ聴こえた。そして言った。

「思い出せない。この曲の名前がどうしても思い出せないの。だれもが知っているはずのスタンダード・ナンバーなのに」
「『Moonlight Serenade』。グレン・ミラー楽団だよ」
「今夜くらい月のきれいな夜、『Moonlight Serenade』を聴きながら夜間飛行できたら素敵ね」
「いつかやるさ。きみが本物のおとなのレディになったときにね」
「ずいぶんと先の話だわ。あなたはおじいちゃんになっちゃうし」

彼女は首をすくめ、脚をバタバタさせ、おどけた仕草をみせた。私は曲をリピート・セットした。夜の帳の降りた街を見おろす公園の駐車場にクルマを停め、私たちは繰りかえし『Moonlight Serenade』を聴き、みつめあい、手をにぎりあい、ときどき口づけを交わし、夜の静寂に包まれた街と14番目の月を交互に眺めた。

「どうしよう。こんなに恋しちゃって」
「だいじょうぶ。いつかさめるから。そして終わる」
「いじわる」
「先のない恋という覚悟をしておくのはおとなの男のたしなみさ。それに、飛行に乱気流はつきものだ。それどころか墜落だってありうる。操縦のむずかしいきみのような相手では特にね」
「でもいまだけは ── 」
「そう。いまだけはありったけ恋すればいい」
「そうね」
「初めて会ったときにわれわれの恋の終わらせ方について決めたのはおぼえてるね? 泣かない。怒らない。異議申し立てしない。そして、たがいに二度と電話もメールもしない。すべてなかったことにする。きみはそれに同意した。この恋から答えはなにひとつみつからないってことも含めてね。かけらさえも」
「ええ。覚悟はできています。それにしても、やっぱりあなたって本当にいじわるだわ」
「いまにはじまったことじゃない」

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彼女の言うとおり、私はいくぶんかいじわるだったかもしれない。彼女の大きな瞳に大粒の涙が光る。私は涙をぬぐうかわりに彼女の右瞼に唇を寄せた。彼女が愛しくてならなかった。このままだれも知らぬ土地へ連れ去ってしまいたいくらいに。

「おねがい。いつかわたしをダンスに誘って。この曲で。それと夜間飛行にも」
「いつかじゃない。いまだ」

私たちはクルマを降り、月あかりを浴びながら『Moonlight Serenade』にあわせて踊った。まるで夜間飛行をしているような気分だった。公園の片隅の自動販売機が喝采するように目映く輝いていた。

軽やかなステップ、可憐なターン、清楚なスウェイの仕草、そして、気品にあふれたスクエア。私の無骨なリードにもかかわらず、彼女のダンスは完璧だった。私たちの恋のゆくえ、恋のライン・オブ・ダンスは不安定きわまりもなかったが。恋の夜間飛行はいつ乱気流に巻き込まれ、墜落してもおかしくなかったのだが。

「時間が止まってくれたらいいのに。これが夢ならさめなければいいのに」

『Moonlight Serenade』の演奏が終わりにさしかかろうとしたとき、彼女は私の胸に顔をうずめ、涙声でつぶやいた。私は彼女の顔を人差し指で上に向かせ、そっと口づけをし、つよく抱きしめ、言った。

「お嬢さん、それは無理な願いごとというもんだ。今夜の満天のお星様たちだって聞き届けてくれやしない。わかるね?」
「わかりました。先生」

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その後、私たちの恋物語は予想外の展開をみせて終演したが、『Moonlight Serenade』を聴くたびに彼女のことを思い出す。彼女の着ていたシルク・デシン地の黒いパーティー・ドレスの衣ずれの音はいまも耳に残る。彼女がまとうフレグランス、『夜間飛行』の森の中をさまよっているような密やかで凛と背筋の伸びた香りも。そして、かすかに心の軋む音。機体のあちこちに厄介な問題を抱えた1958年式アトランティック・バード号にいよいよ引退の潮時がきたのだ。「老兵は死なず。ただ静かに消え去るのみ」と操縦席にも記してある。


今夜、銀河系宇宙の片隅で。
 
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by enzo_morinari | 2014-07-10 22:37 | あなたと夜と音楽と | Trackback

大学通りを経て象牙海岸へ。涙のワンサイデッド・ラヴが終りを告げたあとは涙のステップを。

 
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星と導きと夜との狭間にある大学通りを経て象牙海岸へ。そして、『シャンペンと地動説』によって終りを告げた涙のワンサイデッド・ラヴのあとは涙のステップを。


忘れもしない。1979年の夏だ。ガール・フレンドは3歳年上で、幼稚舎から大学までストレートに慶応だった。正真正銘のお嬢様だった。ファッションや音楽、言語感覚を初めとして、およそ生きていくうえで必要なセンスがとても良かった。人生の日々の景色が絶景になることは約束されたも同然であるように思われた。勉強ができるのは当然だが、頭の質がすごく良かった。クール・ビューティの典型だった。アイドルがグレース・ケリーというのは出来すぎだったが。

彼女の自宅は神宮前2丁目にあった。一般的な一戸建て住宅5個分くらいありそうな豪邸だった。彼女の父親は不動産業を中心に飲食店や娯楽施設、サウナなどを手広く経営していた。すべて一代で築き上げたそうだ。ある経済誌に取り上げられたこともある業界の風雲児だった。

ガール・フレンドの家には何度か行ったが常に居心地が悪かった。ガール・フレンドの父親とは一度も会ったことがない。「どうせ、ほかの女のところよ」とガール・フレンドはこともなげに言った。なるほど。よくある話しだ。

ある日、待ち合わせ場所の表参道の交差点交番前にガール・フレンドは息をきらしてやってきた。待ち合わせ時刻を15分も過ぎていた。帰る寸前だった。たった15分で? そうだ。私はこどものころから時間にきびしいのだ。待ち合わせの5分前を過ぎて相手が現れなかったら帰るのが私の流儀である。世界には平等も公平も存在しないが、「時間」だけは古今東西を問わずにだれでもに平等公平に用意されている。

「ねえねえ。聴いて聴いて。竹内まりやがさあ ── 」
「なんだよ、いきなり。竹内まりやだあ? 知るか! それってうめえのか?」
「うまいうまい。トップスのカレーとチョコレート・ケーキくらいうまい」
「そ、そうなのか。じゃ、喰ってみる」

そして、私はガール・フレンドから『UNIVERSITY STREET』のLPレコードを借り、聴き、竹内まりやの虜になった。彼女の言うとおり、トップスのカレーとチョコレート・ケーキ5年分くらいうまかった。

青山のブルックス・ブラザース本店で芥子色のシャツを買った。9月でもないのに『SEPTEMBER』を口ずさんだ。「SEPTEMBER」の発音に関してはいいなと思った。真似して発音したらLLのアメリカ人教師に褒められた。伊勢佐木町のヘンリー・アフリカでピーチパイを食べた。ただ甘いだけで不思議でもなんでもなかった。

『UNIVERSITY STREET』は『涙のワンサイデッド・ラヴ』が特に良かった。せつないというのはこういうことでもあるのだと知った。そして、ああ、女の子というのはこんな風にものごとを感じ、受け止め、考えているのかと驚くと同時に感心もし、女の子にもう少しやさしく接しようと思った。思っただけで実際にはこれっぽちもやさしくはしなかったけども。

『UNIVERSITY STREET』は実にいいアルバムだった。ジャズ・ミュージックと古典楽曲とわずかばかりの上質なポップスと上滑りなしA ( ) Cなしのロックのほかはほとんど聴かなかった私にはすごく新鮮だった。ただ、竹内まりやのスカした英語の発音については今にいたるもむかっ腹が立つ。それ、舌を巻きすぎだから。舌先を上顎にくっつけすぎてるから。言いたいことは山ほどあるがもはやどうでもいいことだ。

山下達郎とのことやら吉田美奈子の心情やらソニー・ミュージックの三浦との混みいった顛末やらについても言いたいことは山ほどあるけれども、すべては時間の波間を漂う流れ木のように、あるいは岸辺で踏む足跡のつかない涙のステップのように跡形もなく消えた。それでいい。それでよかったんだ。

いまでは、当時の泥沼での肉弾戦のごときゴタゴタを知る者はいない。当事者ですらおぼえてはいないだろう。あるいは忘れたふりをしているかだ。そのことについてだれも文句は言えないし、だれも文句を言われる筋合いはない。すべてはなかったも同然だ。

時間は大抵の場合残酷だが、ある種の人々にとってはやさしくもある。救いでさえあることだってある。そんな風にして色々なことが過ぎていき、色々なことがなにごともなかったように終わっていけばいい。もはや現役ではないんだしな。ただし、「え? とっくに終わったことじゃなかったの?」と嘯く無神経な輩には口には出さないが猛烈な憤怒と憎悪と強蔑をおぼえていることをそこはかとなく表明しておくことにする。無神経/鈍感な輩には、この憤怒と憎悪と強蔑の強さと深さの意味は473040000000000000秒かかってもわかるまいが。(この世界には都合よく THE END も FIN も用意されちゃいねえんだよ! 人は皆、志半ば、途中で死ぬんだ! おぼえとけ!)

さて、ガール・フレンドとの最後のやりとりだ。

「あなたのことは大好きだけど結婚はできないの」
「わかってるよ」
「え?」
「おれが日本人だからだろ?」
「 ── 知ってたの?」
「うん」
「ごめんね」
「おまえがあやまる理由なんかこれっぽっちもないよ」
「でも ── 」
「デモもストライキもない。おれたちは現代版のロミオとジュリエットだと思えばいいだけのことだ。どうってことはない。いまどき、どこにでも転がっているような話だ」

この一件以来、私は正真正銘の金持ちも成り上がりの金持ちもきらいだ。「おまえたちが富を所有する分、おれの分け前が減るじゃねえか!」というのが私の言い分である。至極まっとうで的を射ていて正鵠のど真ん中をぶち抜いていて健全で生産的でスピリチュアル・ユニティな考え方だ。

そんなふうにしてきょうまで生きてきた。生きてきたことであった。ときに、だれにも気づかれないように涙のステップを踏んで。悔し涙やら嬉し涙やら悲し涙やら嘘涙やら強がり涙やらを2000トンくらい流して。おかげで、涙はいくら流してもいつか乾き、やがて涸れることを学んだ。

人はなにごとからでも学ぶことはできるし、強い意志を持ちつづけるかぎりにおいてあらゆる厄介事や艱難、難関と対峙することができる。この際、厄介事を克服し、難関を突破したかどうかはそれほど重要な意味を持たない。それは二次的な問題にすぎない。涙はいくら流してもいつか乾き、やがて涸れることを学んだおかげで大抵の嘘泣きには騙されなくなった。そればかりか、彼あるいは彼女が嘘泣きをするに至った背景と事情を思いやり、「無駄だからやめろ」と諭すことさえできるようになった。

年に100回も200回も小僧の神様が愛した世界の果ての岬の温泉を日帰りする逆さクラゲ好きのポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウ地方議員センセイはあまりにも嘘泣きがへたすぎる。あんな嘘泣きでは田舎町の議会事務局の腑抜けた木っ端役人すら騙せない。

いまではトップスのチョコレート・ケーキもカレーも食べない。彼女もそうだといい。そうあってほしい。本当の気持ちを伝えても過ぎ去った季節や時間を取り戻せやしないことはわかってはいるが、彼女の住む街と私の住む街では冬はどちらが先に来るのかは毎年気になる。彼女と最後に会ったときに着ていたオーバー・コートと彼女が誕生日にプレゼントしてくれたレジメンタル・タイはワードローブの奥深くで眠ったままだ。もはや目覚めることもあるまい。

その後、彼女からは一度だけ青いエアメールが届いた。雨で文字が滲んでいた。滲んでいたのは雨のせいだけではない。なんてマイ・フーリッシュハートな人生。もはや涙の涸れ果ててしまった私のかわりにだれか泣いてくれ。

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大学通りを経て象牙海岸へ。涙のワンサイデッド・ラヴが終りを告げたあとは涙のステップを。 (1979 - 1982)
 
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by enzo_morinari | 2014-07-09 11:53 | あなたと夜と音楽と | Trackback

サーフ天国、スキー天国、AOR天国

 
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20代前半、松任谷由実の『サーフ天国、スキー天国』で、先頃帰らぬ人となった須藤薫が歌う「SURF & SNOW」というバック・コーラス部分を聴くたび、オフショアに吹かれて波乗りをしたくなり、エッジに息を吹きかけて磨いてスキーをしたくなったものだ。実際に『サーフ天国、スキー天国』を聴いて思い立ち、稲村ケ崎や七里ガ浜や千葉や伊豆へ波乗りをしに行き、苗場や白馬や蓼科や志賀高原や天元台へスキーをしに行った。

波がないときは息の根を止める寸前、猛烈極悪の唸りをあげるクーラーをMAXにきかせたポンコツのカルマンギヤの中で音楽を聴いた。ジャズと古典楽曲が中心だったが、当時流行りのAORやフュージョンも聴いた。

ビル・ラバウンティ、ロビー・デューク、ポール・デイヴィス、マイケル・フランクス、ジョーイ・マキナニー、クリストファー・クロス、グレッグ・ギドリー、アール・クルー、ボビー・コールドウェル、ランディ・ヴァンウォーマー、10CC、エア・サプライ等々。

NIAGALA TRIANGLE一味のうち、山下達郎と大瀧詠一もよく聴いた。いまでは笑い話だが、当時はウェスト・コーストの上げ底たっぷりなイラストが描かれた大瀧詠一のアルバム・ジャケットを「王様のアイデア」あたりで仕込んだミント系、パステル系のチープきわまりもないプラスチック・フレームに入れて飾っていた。イラストは鈴木英人だったと記憶する。

部屋にはほかにデコイやパーム・ツリーのフェイクものがあった。だれにでも過去の恥、傷というのはあるものだ。そして、その恥と傷からなにごとかを学ぶのだ。

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松任谷由実と吉田美奈子は定番中の定番だった。二人のほかに種々雑多雑食な取り合わせの音楽を聴きながら、本を読むか考えごとをするか小説の構想を練るか勉強するかしていた。雪がないときや雨が降ってべた雪のときはロッジの脇にポンコツ・カルマンギヤを停めて音楽を聴いた。寝袋にくるまって。ロッヂで寝ないのかって? ロッヂは寝るところじゃない。クリスマスを待つところだ。

思えば、ターコイズ・ブルーの1955年式フォルクスワーゲン・カルマンギヤ/type14は吾輩の書斎であり、リスニング・ルームであり、リヴィングであり、寝床でもあったわけだな。清貧極まりもない居住空間だったことよ、我が友カルマンギヤは。最後は深夜の本牧D埠頭で脇腹から側壁に激突して大破し、ずいぶんとかわいそうなことをしてしまった。いつか手向けに行かなくては。

サーフボードはピュア・ブラックの地にピュア・ホワイトの稲妻が入ったライトニング・ボルトのワンメイクの特注品だったが、スキー板はSALOMONやらELANやらATOMICやらをゲレンデ、雪質によって使いわけていた。SALOMONもELANもATOMICもロゴがイカしていたからという理由だけで選んだにすぎなかったわけではあるが。

スキーブーツにはかなり贅沢をした。SALOMONがシェルとインナー別体成形の画期的なモデルを出して業界をあっと言わせた時代だ。どのスキー・ショップに行ってもSALOMONは別格扱いでプレゼンテーションされていた。もちろん、いい値段だった。大卒の初任給ひと月分が吹っ飛んでしまうようなフラッグシップ・モデルもあった。あの局面で我慢できたならば、吾輩の人生ももっと別の様相を呈していたかもしれないが、もちろん、そうはならなかった。

SALOMONのフラッグシップ・モデル。フェラーリ・レッドの。買ってしまった。パラレル・クリスチャニア、ウェーデルンに毛の生えたような技術力しかない者がFISのW杯に出場するアスリートが使うレベルのギアとは恐れ入った話だが、なにごとも大事なのはスタイル、かたちだ。手に入れてからしばらくは抱いているか触っているかつねに視界の中に置いた。

シーズンオフにはサーフボードをリペアしたり、スキー板のエッジを研いだり、根岸競馬場近くにあるレストランとは名ばかりの、高いくせにくそまずい「ソーダ水の中を貨物船が通り、ナプキンにインクがにじむこと」で名高い『ドルフィン』の2階席のトイレに「ユーミンのうそつき!」と落書きしたり、港の見える丘公園の一番高い欅の樹に登って港を出入りする貨物船の数を数えたり、その形状や塗装、デザイン全般について大声で論評した。

ヤヴァ系? そうだ。吾輩は天下御免のヤヴァ系だ。耶馬渓には3度行ったことがある。真梨邑ケイには短期間だが局地的局所的に世話になった。花形敬は鼻は高えが頬に疵のある伝説の愚連隊野郎だ。

TDKかMAXELLの120分のメタル・テープにチャンプルでお気に入りの曲を録音してMY FAVORITE SONGS BOOK TAPE、「お気に入り楽曲集」を何本もつくった。1曲3分から5分として30曲前後録音できた。iPodを中心とする携帯型のディジタル音楽視聴機器が主流である現代からすればお笑いぐさだが、「120分テープ」には永遠の夏休みを閉じ込めることさえ可能な時代がかつてあったということだ。

ただ曲を録音れるのではなくて、最初に立てたコンセプト、構想に基づいて曲順を決め、各曲名の1文字目をつなげると季節やシーンに合った意味のある単語、フレーズ、パラグラフになるように選曲した。超短編小説にしたこともある。

吾輩のこのMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEは仲間内でかなり評判がよくて、リクエストがけっこうあった。季節やシーンだけでなく、相手の好みや趣味やセンスも考慮に入れてMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEをつくった。全部で300本くらいはつくったと思う。

録音のときはドルビーのノイズ・リダクション・システムが重宝した。1枚のアルバムからは1曲のみというしばりをかけていたので手間はかかる。しかも、まだCDなどこの世に存在しない時代だ。録音レベルの自動調整機能など夢のまた夢だ。長岡鉄男だって生きていて、元気でピンピンしていて、やれスワンだ、マスだ、やれカレント電源だ、やれ鉛インゴットだと各オーディオ誌でゴマ塩頭で御宣下あそばされていたオーディオ新石器時代だ。

テープデッキ側でアルバムごとにいちいち録音レベルをセットしなおさなければならない。フルオーケストラとアクースティック・ギターのソロとではダイナミック・レンジに雲泥の差があるからだ。録音のときとは別に録音レベルを知るために曲をかけなければならないのも時間がかかる理由だった。

120分のMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEをつくるのに5時間はかかった。全体のおおまかな構成と曲順は決めてあるが、実際に聴いていると方針変更が生じてくる。アドリブと言えば言えないこともない。ある意味では観客なし舞台なしの即興演奏をやっているような気分だった。

他者の耳はごまかせても自分の耳をごまかすことはできない。心といっしょだ。一関ベイシーの菅原昭二は「おれは店のオーディオ・システムとレコードで演奏をしているんだ」と言っていたが、それと同じだ。その当時の吾輩にとってはMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEをつくるのは新しい作品をつくるのとおなじ意味を持っていたからだ。

言葉や文字の組み合わせ方、表意文字と表音文字の意外な組み合わせによる効果、指示と表出、リズム、ひっくり返し、落ち、意識と想像力の跳躍、シニフィアン/シニフィエの関係の明瞭化、文字や言葉のヒエラルキーの構造分析、名詞の力の新発見と再発見と再確認などについてのいいトレーニングにもなった。このトレーニングによって、少なくともさびれた観光地の廃業寸前の土産物屋で埃をかぶっている絵葉書のような言語表現をしないスキルを獲得できたのだといまにして思う。

MY FAVORITE SONGS BOOK TAPEづくりと「はみだしYouとPia」への投稿は吾輩の言語表現修行の場、発想着想の跳躍のための修練場だった。いかにシャープに的確に明瞭明晰に意外性をもって表現するかに腐心する「されど我が日々」である。

吾輩のMY FAVORITE SONGS BOOK TAPEはいつしか「M'S TAPE」「Mのテープ」と呼ばれるようになっていた。「M資金」みたいでカッチョよかった。

MY FAVORITE SONGS BOOK TAPEをつくるためにジャズや古典楽曲やポップスやAORやインストゥルメンタルなど、自分の手持ちの音源の中からメロディーや歌声や楽器の音やミュージシャンやテープの送り手の顔を思い浮かべながらの作業はとても楽しかった。

朝から作業を開始して、気づけばあたりが闇に沈んでいるというようなこともしばしばだった。おかげで、ともだちとガールフレンドを何人か失った。当然だ。作業に入ったら吾輩はろくに返事もせず、彼あるいは彼女もしくは彼らのことはほったらかしなんだから。しかし、こればかりは致し方ない。なにかに集中したら最後、吾輩は外部外界を一切合切遮断してしまうからだ。これはこどもの頃からずっと変わらない。いまもおなじだ。

吾輩のそのような姿は他者からは虫の居所が悪く、すごく怒っていて、無視しているように映るんだろう。しかし、虫の居所が悪いのでもなく、怒っているのでもなく、無視しているのでもない。集中しているときの吾輩には他者も外部も存在しないのだ。存在しないものに気を使うことはできない。そう考えるとひどいな。PASSINGでもBASHINGでもなく、NOTHINGなんだから。相手からしたらたまったもんじゃない。死ぬまで吾輩のことを憎みつづけるだろう。まあ、すべては終わったことだ。

去る者がいて、理解を示す者がいた。多くの友だちと出会い、少しの友だちが残った。それでいい。それが人生という一筋縄ではいかないゲームのコンテンツであり、サブスタンスであり、マターであり、コンテクストであり、パースペクティヴだ。

自分の人生、日々を俯瞰的にクールに眺めながらすごすのが性に合うならそうすればいいし、吾輩のように正面突破、MY WAY, MY OWN STYLEでやりすごすのもまたひとつのゲームの進め方だ。他人がとやかく口をはさむべきことではない。

アルプスを迂回するルートも存在するし、マドレーヌ峠やラルプ・デュエズ峠に果敢にアタックするアルプス越えのルートだって存在する。両者のあいだにはなにひとつ善悪、価値の高低差などない。あるのは与えられた時間/残された時間の問題と燃費の問題と流儀、掟、スタイルのちがいとマルコ・パンターニ伝説に心を動かされるか否かのちがいだけである。坂口安吾だって言っている。人間を救う便利な近道はない。

そのような日々を送るうちにいくつもの季節がすぎてゆき、酒の味をおぼえ、酒の飲み方を学び、酒の苦さを知り、数えきれないほどの音楽と映画と書物とテクストと喰いものとガラクタのような快楽群と宝石のごとき愉悦と笑いと涙と不思議な出来事がいつも吾輩といっしょだった。

いい青春? さあね。吾輩にはわからない。もっと楽しくてハッピーで和気藹々で建設的で生産的で知的でお上品でリッチでセンスのいい青春はいくらでもあったろう。だが、少なくともそれらは吾輩のスタイル、吾輩の流儀、吾輩の掟に則ったものではない。

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サーフ天国、スキー天国、そして、AOR天国。ビル・ラバウンティの『Livin' It Up』はすごくイカしてたな。デヴィッド・サンボーンのアルト・サックスもクールでソウルフルだった。ドラムスはスティーブ・ガッドだし、パティ・オースチンもバック・メンバーにいた。ほかにも超のつく豪華なスタジオ・ミュージシャンがビル・ラバウンティの脇を固めていた。『Slow Fade』『Dream on』『It used to be me』『This Night Won't Last Forever』なんかもグッときた。

Livin' It Up - Bill LaBounty (1982)

さらに忘れられないのがロビー・デューク。ロビー・デュプリーではなく、ロビー・デューク。惜しいことに、本当に惜しいことに2007年のクリスマスの翌日に死んでしまった。

クリスマス・イヴのライヴの最中にステージ上で心臓麻痺を起こし、二日後に息を引き取った。51歳と20日。今夜はロビー・デュークの曲で一番好きだった『Rested in Your Love』と『Promised Land』を交互に繰り返し聴きながら夜の果ての旅をやりすごすことにしよう。魂に届き、心にしみ、約束の地へとつづくメロディと声だ。ひな祭りの朝に逝った須藤薫にも届けばいい。


「約束の地」へは涙のステップを踏みながら、少しだけゆっくりと歩みを進めることとする。急ぐ旅でもない。

Rested in Your Love → Promised Land

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MY OWN EPITAPH FOR ROBY BIG-BOY
Roby Ward Duke (Dec 6, 1956 - Dec 26, 2007)
Please Rest and Release Your Heart in Peace Roby Big-Boy, You've Crossed The River Into The Promised Land and You'll Never Have a Broken Heart Again, Never. And I Pray for Your Sister in GOD.
 
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by enzo_morinari | 2014-07-08 01:27 | あなたと夜と音楽と | Trackback

It's Easy to Remember, But So Hard to Forget

 
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思いだすのは簡単だけど、忘れるのはとてもむずかしい。L-H

"It's Easy to Remember (And So Hard to Forget)" 1935
作詞: Lorenz Hart/ロレンツ・ハート
作曲: Richard Rodgers/リチャード・ロジャース


Your sweet expression, the smile you gave me
The way you looked when we met
It's easy to remember, but so hard to forget

君が見せてくれたやさしい微笑み
出会ったときの君の眼差し
思いだすのは簡単だけど、忘れるのはとてもむずかしい。


I hear you whisper, "I'll always love you"
I know it's over and yet
It's easy to remember, but so hard to forget

君の声が耳元で囁いてる。
「いつまでも愛している」と。
わかってる。もう終わったことなんだ。
思いだすのは簡単だけど、忘れるのはとてもむずかしい。


So I must dream to have your hand caress me
Fingers press me tight
I'd rather dream than have the lonely feeling
Stealing through the night

だから僕はいつも夢に見てるんだ。
僕を抱く君の手、僕に触れる指を。
一晩中さびしさにさいなまれるよりも、
夢見ているほうがまだマシだろう。


Each little moment is clear before me
And though it brings me regret
It's easy to remember, and so hard to forget

どんな小さな思い出もあざやかによみがえる。
そのたびに胸が締めつけられる。
わかってる。でも、思い出してしまう。
思いだすのは簡単だけど、忘れるのはとてもむずかしい。


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It's Easy to Remember, And So Hard to Forget (Lorenz Hart / Richard Rodgers)
Stacey Kent/ステイシー・ケント
John Coltrane/ジョン・コルトレーン
Keith Jarrett/キース・ジャレット
Frank SInatra/フランク・シナトラ
Bing Crosby/ビング・クロスビー
Billie Holiday/ビリー・ホリデイ
George Shearing/ジョージ・シアリング
Sarah Vaughan/サラ・ヴォーン
 
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by enzo_morinari | 2014-04-16 06:25 | あなたと夜と音楽と | Trackback

ピアソラとジョビンとヴィニシウスのマリア・クレウーザをめぐる密談と密約#1

 
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Je t'embrassais tu m'embrassais je m'embrassais
Tu t'embrassais sans bien savoir qui nous étions
P-É


きのうの昼過ぎのことだ。1970年、ブエノスアイレスのナイトクラブ『ラ・フーサ』でマリア・クレウーザが歌うアントニオ・カルロス・ジョビンとヴィニシウス・ヂ・モライスの『Eu sei que vo te amar/あなたを愛してしまいそう』があまりにも心地よくエリュアールなので、トッキーニョのギターラめがけて高カロリー低栄養のスパムメールを送りつけてやった。

夕方には朝陽に向かって匂いたつように輝いていた山桜花がしがない名刺屋に身をやつしたのを見届けてから、死んだ言葉にまみれた詩がない死せる詩人どもの集まりにつばを吐きかけた。

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8ボールの先のコーナー・ポケットの淵にたたずむマイルス・デイヴィスはモントルー・ジャズ・フェスティバル帰りのアストル・ピアソラを口説きながらゲイリー・バートンに無響のヴァイブレーション・パンチを喰らわし、大空の彼方に向けて悪態をついている。
「Tango Nuevo! 新しい単語! 新しい丹後! ウラァ! タンゴ・ヌエボ!」とアストル・ピアソラがうるさいので天橋立まで蹴り飛ばした。坂東ネオン店の三津五郎おやじも一緒にだ。

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そんなわけで、「ピアソラとジョビンとヴィニシウスのマリア・クレウーザをめぐる密談と密約」の謎解きが一向に捗らない。「ボサノヴァの不朽の名作」「ボサノヴァ史上に燦然と輝く名盤」と言われる『La Fusa - Vinícius de Moraes Grabado en Buenos Aires con Maria Creuza y Toquinho』がブエノスアイレスのナイトクラブ『ラ・フーサ』でのライヴというのはアメリカマッカチも真っ青の大ウソであって、実際はスタジオでレコーディングされた音源に『ラ・フーサ』でのライヴ時の観客の拍手や笑い声や放屁や放尿や射精や放埒や放蕩や歓声やメルトダウンやメルトスルーやメルトアウトをMOXミックスダウンした"疑似ライヴ"盤である。「総括原価方式」に言いたいことは耳成山ほどもあるけれども、一先ず根方に死体の埋まった桜の樹から散り落ちた花びらを納豆にトッピングして朝めしを喰おうと思う。

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Eu Sei Que Vo Te Amar - Vinicius de Moraes, Maria Creuza & Toquinho
 
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by enzo_morinari | 2014-04-09 06:35 | あなたと夜と音楽と | Trackback

『シンドラーのリスト』を奏でる少女

 
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蝋燭のあかりは細く小さくていい。E-M-M


1994年の早春。横浜山手・根岸台の洋館。ひどい寒さと強い風の日だった。
場ちがいな集まりに来てしまったことに後悔しはじめていた。ワインなどではなく、強い酒が飲みたかった。安く強い酒を。一人で。他者の嘘くさい笑い声など聴きたくもなかった。腑抜けて引きつったようなお愛想笑いに唾を吐きかけたかった。もちろん、世界にも。一人になりたかった。

宴の終わり近く。私のうんざりした気分を打ち消すように一人の少女が思い詰めた面持ちでホールの中央に進み出た。少女は古く時代がかったフリルのついた赤いドレスを着ていた。年の頃、10歳前後。少女から大人へのとば口に震えながら立ちつくしているように思われた。

少女はあちこちニスの剥げた古色蒼然としたヴァイオリンを抱えていた。かき抱いていた。大切なものを何者にも触れさせまいとする強固な意志の力が感じられた。私は少女の瞳の中に深い絶望と怒りと憎悪を読み取った。ペグの天使の彫刻が怒りの形相をしているかにみえた。

少女は自分の祖母が長い癌との闘病の果てに数日前に死んだことを話しはじめた。そして、ホロコーストについて言及し、死んだ祖母がユダヤ系ポーランド人であり、自分はユダヤ系フランス人の母と日本の外交官とのあいだに生まれたのだとも。

愚にもつかぬ談笑の種々がぴたりと止んだ。軽佻浮薄な宴の場は一気に静まり返り、凍りついた。その場にいる者のすべての視線が少女に注がれた。固唾を飲み込む音があちこちから聴こえてきた。

S.スピルバーグの『シンドラーのリスト』が興行的に大成功を収め、アカデミー賞をほぼ総なめにして間もない時期でもあって、少女の切々たる話は宴の場を深い沈黙の館へと変えた。

「お願いです。どうか、わたしたちの悲しみと苦しみを忘れないで。聴いてください」

少女は話の最後に引き絞るように言ってからメントニエラに小さくて華奢なあごをのせ、眼を閉じ、弓を祈りを捧げるように持ち上げた。そして、『シンドラーのリスト』を奏ではじめた。少女がヴァイオリンを弾く姿は強く深い痛みをともなう祈りの姿ででもあるように思われた。

少女のリコッシェ・サルタートとポルタメントのかけ方は独特で、ところどころにハイフェッツの憤怒のごとき鋭いイディオムを思わせるものがあった。フラウタートで奏でる音には目を見張る柔らかさと悲しみとがあった。フラジョレットは思わず引き込まれるほどに澄んだ音だった。グレゴリオ聖歌の「怒りの日」の旋律の一部が引用されたときにはわが耳を疑った。

フロッシュが何本も切れて生き物のように揺れ、舞った。先端のスクリューでなにかしらのど真ん中、土手っ腹を貫かれているような気分だった。あとで、少女のヴァイオリンの師匠筋にエリック・フリードマンがいると知り、なるほどと納得した。

決して巧みではないし、全体として技巧は稚拙きわまりもなかったが、魂に届く音だった。揺さぶられた。いまでも『シンドラーのリスト』をみた冬の夜には少女のことが頭をよぎる。ギロチンの刃先のような鋭利で凄味の利いたヴァイオリンの音とともに。そして、少女と『シンドラーのリスト』の赤い服の女の子とが重なる。20年も昔のことだ。

20年の歳月を経て、彼女も今では母親となっているだろう。この冬、彼女は赤い衣装を身にまとった氷の上の少女、ユリア・リプニツカヤの『シンドラーのリスト』の舞いを、キャンドル・スピンをどのような思いでみていたか。こどもたちに『母が教えてくれた歌』を聴かせているだろうか。彼女の心に薄闇の中の細く小さな蝋燭の炎はともっているだろうか。そうあればいい。人間はひとつの命さえ救うことはできないが、どうか、そうあってほしい。

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Theme from Schindler's List
Itzhak Perlman (Violin)
Luka Sulic (2CELLOS)
Simina Croitoru (Violin) - Angelys Symphonic Wind Orchestra
 
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by enzo_morinari | 2014-02-26 07:05 | あなたと夜と音楽と | Trackback

美しいものを見たければ眼をつぶれ/最後の『I Remember Clifford』

 
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 1985年夏の終りの七里ケ浜駐車場レフトサイドにおける『I Remember Clifford』とおとなになった友人の話だ。友人の名は森の漫才師サルー。


 8月15日が過ぎ、夏の終りが近づくにつれて森の漫才師サルーの口数は1時間ごとに減りはじめ、なににも興味を示さなくなっていた。8月の第三週にはさらに口数は激減したうえに、ものをほとんど食べなくなった。森の漫才師サルーはみるみる痩せ衰えていった。そんな状態の森の漫才師サルーが突然口を開いた。
「クリフォード・ブラウンが吹いている『I Remember Clifford』を聴きたい」と森の漫才師サルーは言った。
「不可能だ。『I Remember Clifford』はクリフォード・ブラウンが交通事故で25歳で死んだあと、ベニー・ゴルソンがその死を悼んで作った曲だ」
「不可能でも聴きたい。そうでなきゃ、今年の夏に別れを告げることはできない」
「クリフォード・ブラウンが吹いている『I Remember Clifford』を聴くことができたら、きれいさっぱり夏に別れを告げるんだな?」
「まちがいなく」
「本当だな?」
「海とつがった太陽に誓います」
「じゃあ、聴かせてやろう」

 私はTDKの120分テープにすべてちがった演奏で『I Remember Clifford』だけを録音した。ディジー・ガレスピー、J.R.モンテローズ、フレディ・ハバード、スタン・ゲッツ、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ、バド・パウエル、ヘレン・メリル、テテ・モントリュー、ユセフ・ラティーフ、ソニー・ロリンズ、ミルト・ジャクソン、オスカー・ピーターソン、ダイナ・ワシントン、ケニー・ドーハム、レイ・チャールズ、マンハッタン・トランスファー、サラ・ヴォーン、キース・ジャレット、アート・ファーマー、アルトゥーロ・サンドヴァル、ロイ・ハーグローヴ、ブルー・ミッチェル、日野皓正、高中正義。そして、最後にリー・モーガン。
 森の漫才師サルーはクリフォード・ブラウンは『I Can't Get Started』しか聴いたことがなく、『I Remember Clifford』は高中正義の薄っぺらなやつしか知らない。ジャズ・ミュージックに関する知識と経験はゼロと言っていい。ブルーノートとプレスティッジとリバーサイドのちがいすらわからない森の漫才師サルー。赤児の手をひねるようなものだった。

 1985年8月31日の夕暮れ。強い南風が吹きつける七里ケ浜駐車場レフト・サイド。
「次で最後だ。クリフォード・ブラウンの『I Remember Clifford』だ」
 若き天才、19歳のリー・モーガンが25歳で死んだクリフォード・ブラウンを悼むように『I Remember Clifford』を吹きはじめた。森の漫才師サルーは眼を閉じ、うつむき、じっとラジカセから聴こえるリー・モーガンのトランペットの音に聴き入っていた。森の漫才師サルーが耳をそばだてているのがわかった。
『I Remember Clifford』は悲しみをたたえ、消え入るように終わった。このレコーディングのとき、リー・モーガンは泣きながら『I Remember Clifford』を吹いたことが「伝説」として残っている。数ある『I Remember Clifford』の中でも飛び抜けた名演奏だ。

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「感動した。とても感動しました」
「そうか。よかった。で、夏にさよならできたのか?」
「できました」
「では、珊瑚礁でお祝いしよう。今年の夏、ずっとそうしていたように3杯のピッチャーサイズのビールとビーフサラダで。われわれの夏が終わったことをアロハ髭デブおやじにも報告しよう」
「いいですね。ところで、エンゾさん。ぼくたちは今年の夏で潔く死ぬべきだったのではないでしょうか?」
 今年の夏で潔く死ぬべきだっただって? 森の漫才師サルーの顔を見ると真剣そのものだった。森の漫才師サルーはそういった類いの冗談や軽口を言うタイプの人間ではない。私が上っ面、上っ調子を憎んでいることだってよく知っている。
「なぜそんな風に思う?」
「この夏でもうなにもかもが空っぽになって、心がぴくりとも動かなくなってしまったからです。なにを食べても味がしない。(珊瑚礁のビーフサラダを食べてもですよ!)朝陽に照らされて輝く波頭を見ても美しいと感じない。いい波をつかまえて完璧なボトムターンを決めてもときめかない。どんな音楽を聴いても感動しない。楽しくない。セックスをしても気持ちよくない。射精はしますけどね」
「つまり ──」
「はい」
「おまえはおとなになったんだ」
「おとなに? わたしがですか?」
「そうだ」
「信じられない」
「信じられなくてもおれにはわかる。おまえは立派におとなへの通過儀礼を済ませたんだ。このおれが保証する」
「おとなになったらなにかいいことがあるんでしょうか?」
「ない。なにひとつ。いやなことばかりだ。嘘っぱちとごまかしときれいごととクソにまみれた日々。それがこれからの人生である」
「死んだほうがましだ」
「死んだほうがましだが、生きつづけなけりゃならない。おとなになるというのはそういうことだ」
「ひどい話だな。わたしには到底耐えられそうにありません。そんなのは」
「じゃ、死ぬか? あと30年もすれば、0が何十個も並んだ財産を独り占めできるんだぞ」
「うーん。困ったな」
「おとなになったお祝いに、おまえにひとついいことを教えてやろう」
「なんでしょうか?」
「おまえは美しいものが好きか?」
「はい」
「いいか? ここから先はすごく大事なことだからよく聴け。そして、死ぬまで忘れるな。いいな?」
「はい。かならずそうします」
「おまえにはまだわからないだろうけども、われわれが生きているこの世界はとっくの昔に腐っている。死んでいるんだ。死んで腐っているうえに、クソまみれときている」
「吐きたくなってきました」
「吐け。吐けるだけ吐いちまえ。これからは人前で吐くことすらできなくなる。正確には、吐くのも喰うのもクソをするのも小便をするのも、いちいち周囲の顔色を気にしながらだ。おまえの大好きなおまんこをするのもな」
「ぐえっ」
「でだ。美しいものが好きなおまえは目を瞑り、耳を塞ぎつづけるんだ。わかったか?」
「目を瞑り、耳を塞ぎつづける」
「そうだ。美しいものを見て、美しい音を聴きたければそうするしかない。ほかに方法はない。さもなければ、垢むけで美しい魂の持主であるおまえは1秒たりとも生きていられない」
「やっぱり、死んだほうがましだ」
「死んだほうがましでも、生きつづけるんだ。そうすれば、運がよければおまえはいつの日か本当に美しい世界にたどり着ける。あるいはおまえ自身の手で美しい世界を作りだすことができる。いいな? わかったな?」
「わかりました。エンゾさんの言うとおりにします。目を瞑り、耳を塞ぐ。ところで、エンゾさん。あの最後の『I Remember Clifford』はクリフォード・ブラウンではなくて、演奏していたのはリー・モーガンですよね?」
 私は一瞬だけ言葉に詰まった。
「いいや。あれはまちがいなくクリフォード・ブラウンの『I Remember Clifford』だ」
「そうですか。『Lee Morgan Vol.3』の3曲目の『I Remember Clifford』にそっくりでしたよ」
「どうかしてる。おまえの耳は本当にどうかしてる。耳がおかしいだけではなくて、おまえは脳味噌と魂までおかしい。きっと、この夏、脳みその皺の足りない女どもから変な病気を伝染されたんだ」
「すみません。以後、気をつけます」
「いや。以後はない。おまえがおとなになった以上な」
 私は1985年の夏が中盤にさしかかった頃から考えていたことを森の漫才師サルーに告げた。
「おまえとはきょうでお別れだ」
「えっ!?」
「健闘を祈る。次に会えるのは28年後の2013年8月31日土曜日。ここ、七里ケ浜駐車場レフトサイドでだ」
 呆然とし、青ざめている森の漫才師サルーの胸ぐらに『I Remember Clifford』ばかりが入ったカセットテープを押しつけ、とりつく島も与えずに踵を返した。それが森の漫才師サルーに会った最後だ。以来、『I Remember Clifford』を聴くこともない。
 その後、森の漫才師サルーがどのような人生を生きたのかはわからない。街を遠く離れ、風の便りも来ないようにして生きてきた。明日、28年前の約束通り、森の漫才師サルーが七里ケ浜駐車場レフトサイドにいればいいが。七里ケ浜駐車場レフトサイドに強い南風が吹きつけていればいいが。森の漫才師サルーの人生の日々がいい風向きであればいいが。財産の0の数をさらに増やして、私に分け前をくれたらなおいいが。


 ブラウニーの魂よ、永遠なれ

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【I Remember Clifford】
 Lee Morgan
 Freddie Hubbard
 Dizzy Gillespie
 Roy Hargrove
 Arturo Sandoval
 Benny Golson
 J.R. Monterose
 日野皓正
 Bob Acri
 Ron Carter
 Katsuhiro Tsuchiya
 Keith Jarret Trio
 Milt Jackson
 
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by enzo_morinari | 2013-08-30 15:27 | あなたと夜と音楽と | Trackback

あるギター弾きの死と再生

 
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 またひとり、死んでいた。Michael Hedges/マイケル・ヘッジス。ギタリスト。超絶技巧のスーパー・ギタリスト。1997年12月2日。交通事故死。享年43歳。 
 再度、言う。またひとり死んでいた。20年も前に死んでいた者さえいる。死んでいたのは、いずれもある時期の吾輩のアイドルたちである。消えてなくなればいい奴が大手をふって生きのび、生きていなければならない者が死ぬ。ふざけた世界だ。なぜ彼らの死に気づかなかったのか? 答えは簡単だ。彼らがこの世界とオサラバしたとき、吾輩は彼らのかかわっていた「世界」と断絶した「世界」に生きていたからである。それは吾輩の「音楽を聴かない時代」でもあった。そのような時期が20年つづいた。

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 1981年、マイケル・ヘッジスは、ウィンダムヒル・レーベルの総帥、ウィリアム・アッカーマンが満を持して世に送りだした『Breakfast in The Field』で衝撃的なデビューを飾った。名手にして古強者のアッカーマンをして「マジック!」と言わしめるほどのド胆を抜く超絶技巧の持ち主であった。デビューしてほどなく、マイケル・ヘッジスは、いわゆる「ニュー・アクースティック」の旗手として、その動向が注目された。それにこたえるかたちでギターの可能性、新境地を切りひらくような作品を発表していった。

『Breakfast in The Field』はオーディオ装置のバランスをチェックするリファレンス・ソースのうちの1枚だった。とにかく録音がよかった。アクースティックの響きを損なうことなく、たっぷりと厚みのある音が記録されていた。1曲目『Layover』の1音がスピーカーから聴こえてきたときの衝撃はいまでもはっきりとおぼえている。
 ギターの常識をはるかに超える奏法。弾く、爪弾くだけではない。打つ。叩く。小手先、指先のみならず、全身を駆使してギターという「存在」と対峙する姿がありありと聴こえ、視えた。
 マイケル・ヘッジスの演奏にはギターという弦楽器がアルプスを越え、イラン高原を越え、太古のメソポタミアにたどり着くグレート・ジャーニー、「大いなる弦の物語」が語られているように思えた。
 吾輩は驚き、動揺し、うろたえて、部屋の中をあちこち動きまわり、しまいには頭を抱えこんだ。

 なんだこの音は! なんだこいつは!

 吾輩はまた彼らの生きていた世界に帰還した。そして、彼らの生きていた証しをCDプレイヤーで再生する。iTunesで再生する。彼らはとっくに死んだが、いま、こうして何度でも再生する。いい奴は死んだ奴だが、彼らは死の世界から何度でもよみがえり、生きつづける。彼らをよみがえらせるのは、われわれなのだ。

 アルテックA7シアターがうなりをあげ、鳴り響く。鳴り渡る。

 マイケル・ヘッジスよ、吾輩は帰ってきたぞ。

 Michael Hedges - Aerial Boundaries

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by enzo_morinari | 2013-04-04 20:43 | あなたと夜と音楽と | Trackback

ロストロポーヴィチの春、夜明けの口笛吹きの狂気

 
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夜明けの口笛吹きの狂気はいつ原始の母に癒されるのか?

吾輩の世界の天井の朝、一日の始まり
昨夜、おそろしくひさしぶりにピンク・フロイドをじっくりと聴いた。正確には高校1年の春に聴いて以来である。夜ふけに聴きはじめ、最後に12回目の『The Great Gig in The Sky』を聴きおえ、コンピュータをシャットダウンしたのが午前5時12分。夜明けちかくだった。

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ベランダに出て、口笛を吹いた。夜明けの口笛吹きだ。口笛を吹き終えて耳を澄ます。鳥のさえずりなど聴こえない。聴きたくもない。眠らぬ者には無用だ。

高校1年生の春休みのときの「狂気」と2013年の春の盛りの夜明けの「狂気」。そのあいだに吾輩の「狂気」はその質と量と深さを大きく変えた。大変貌した。いまは世界のあらゆることどもが腹立たしく、苛立たしく、憎々しい。この楽園のごとき春の朝にあってもだ。

熱いカフェ・オ・レをいれ、シュクレをしこたまぶち込んでガブガブ飲む。2杯。ときに3杯。マフラーをきつく締め、35年もののダッフルコートを着こみ、ポルコロッソを伴って朝の見回りに出る。リュ・カンボンを渡る。そして、オテル・リッツの裏口からヴァンドーム広場へ抜ける。これが吾輩の世界の天井における朝、一日の始まりだ。

世界の天井の下の吾輩のストューディオがあるメゾンの入口の天井と葡萄酒色の扉とどんよりしょんぼりの巴里の空の下、リヴェ・ドゥ・ラ・セーヌ・ア・パリは本日もバトー・ムーシュやら洗濯船やらいんげん豆船やらが「実存実存」とけたたましく汽笛霧笛を鳴らしまくりながら行き来するのを文句ひとつ言わずに流れつづけるのだが、それが実は夢だということはないのであるか? 夢のまた夢だということは。

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朝はJ.S. バッハ『無伴奏チェロ組曲 第1番 プレリュードとサラバンド』を繰り返し聴く。演奏はムスティスラフ・レオポリドヴィチ・ロストロポーヴィチ。ジャンルも時代も楽器も問わずにもっとも好きな演奏家の一人だ。ベルリンの壁崩壊のときに彼がベルリンの暗鬱で鈍色をした空の下、壁の前でただ一人チェロを弾く姿を生涯忘れない。

威厳と慈愛と孤高。
類まれなる単独者。


激しく心をふるわさずにはおかない光景だった。パブロ・カザルスとどちらを取るかと言われると困るが、ミッシャ・マイスキー、ヨー・ヨーマが相手なら、一も二もなく、ロストロポーヴィチを取る。格がちがう。志がちがう。ロストロポーヴィチの前では、ミッシャ・マイスキー、ヨー・ヨーマなど、まだ青二才の小僧っこにすぎない。

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圧倒的な技巧。奥深く秘められた熱情と反骨。ほのかに香り立つ気品と風格。揺るぐことのない技量と豊かな音量に裏打ちれたスケールの大きな表現性。なにもかもが圧倒的だった。

ロストロポーヴィチのチェロを聴いていると母親に抱かれているような心ふるえる錯覚にしばしば陥った。原始の母の腕懐の中で眠る至福。そのまま死んでしまいたいとさえ思う。しかし、セロ弾きのムーシャの暢気眼鏡の奥で光る眼にはひとかけらの笑いもない。その眼には深く重い悲しみが宿っている。

いったいいつになったらセロ弾きのムーシャは心の底から笑い、ロストロポーヴィチの春は訪れるのか? そして、夜明けの口笛吹きの狂気はいつ原始の母に癒されるのか? ムスティスラフ・レオポリドヴィチ・ロストロポーヴィチの暢気眼鏡の奥で光るものの意味が解明されることはあるのか?

ムスティスラフ・レオポリドヴィチ・ロストロポーヴィチが逝って六度目の春がやってくる。

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 Pink Floyd - The Great Gig in The Sky
 Mstislav Leopol'dovich Rostropovich - J.S. Bach: 6 Cello Suites
 
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by enzo_morinari | 2013-04-04 11:40 | あなたと夜と音楽と | Trackback

トム・ウェイツの百年の孤独な夜

 
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 これより明日の夜明けまで、月で酔いどれながらときに梅の薫りをさぐり、ときに桜の蕾に声をかけ、ときに春のおぼろのグレープフルーツ・ムーンを愛で、ひたすらトム・ウェイツを聴く。ずっと聴く。とことん聴く。長丁場だ。どんな順番で聴くかな。ここはやっぱり、『Grapefruit Moon』からか。『Drunk on the Moon』『Tom Traubert's Blues』『Ol' 55』とつづけて、最後は『Closing Time』で。『Closing Time』がかかるころには夜も明けて、酔いも最高潮で、酔いどれの誇りは跡形もなく消え失せているだろう。グレープフルーツ・ムーンに向けて、酔いどれの月へ向けて漕ぎだすにはうってつけだ。
 酒は山崎 SHERRY WOOD 1986百年の孤独野うさぎの走りを確保した。酒の肴はチーズのひと塊と炙った烏賊でもあればじゅうぶんだ。

 友よ。今宵、酔いどれの誇り高きグレープフルーツ・ムーンで会おう。
 
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 ここのところ、1980年代のAORや初期中期のマットンヤー・ユミーンや山下達郎やHIP HOPやパット・メセニーやゴンチチや加古隆をヘビー・ローテーションで聴いていて、トム・ウェイツにはとんとごぶさたであった。

 現在、吾輩がiTunesで聴取可能な手持ちのトム・ウェイツの音源は206曲、約12時間分。朝までかけて聴くことを決定。12時間におよぶ聴取によって、いくぶんかの事態の変更を余儀なくされるため、キャンセルできる仕事、些事雑事はことごとくキャンセルした。どうせ引退同然、隠遁生活のようなものであるからして大勢に影響はない。影響があったところで吾輩の知ったことではない。吾輩は誰憚ることなき自由放埒軒の主人でもあるからだ。文句は言わせぬ。楯はつかせぬ。文句を言う奴、楯つく輩は容赦なく踏みつぶす。踏みつぶしたあとにはぺんぺん草くらいは生えるであろうから風狂なことこのうえもない。
 さて、『Closing Time』の『Grapefruit Moon』からだ。いきなり、名盤の中の名曲名演。名曲名演とくれば、あとは名酒である。といきたところだが、実は昨日から持病が悪化し、酒は御法度状態である。だが、断る! 酒なくてなんの人生であるか! 飲むことに決め、虹子にさとられないように抜き足差し足で酒の保管場所までいき、百年の孤独をすみやかに持ち去る。秋霜烈日なるトム・ウェイツの百年の孤独な夜のはじまりだ。

 Grapefruit Moon - Tom Waits
 Drunk on the Moon - Tom Waits

 
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by enzo_morinari | 2013-03-18 17:58 | あなたと夜と音楽と | Trackback