カテゴリ:夏への階梯( 7 )

さよなら、夏の日 ── たったひとりの勝者とたくさんの敗者

 
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逝く夏の陽を浴びて燃えたつ花たちよ その束の間に消えゆくものと知りながら E-M-M

明日になればもうここに僕らはいない めぐるすべてのもの 急ぎ足で変わっていくけれど
さよなら夏の日 いつまでも忘れないよ 雨に濡れながら僕らはおとなになっていくよ
TATTOO-Y


夏の一日を荒川土手に遊ぶ。自転車にまたがるのは2週間ぶりだ。はじめは全身がこわばったようで、思うように操縦できなかった。ペダリングもぎこちない。それでも、平井大橋を渡るころにはいつもの7割くらいの調子が戻っていた。

いっきに荒川土手につづく坂道を駆けあがる。目の前に河川敷の広大な緑にあふれた光景が広がる。夏の青い空と緑と川面を渡ってくる風。全身がはじけてしまいそうなほどに気分が高揚する。

しばらく土手のてっぺんに座って風に吹かれていた。夏草の青い匂いがする。メロン水の匂いがする。甘酸っぱい匂いがする。スイカの匂いやトマトの匂いや麦の匂いや電気ブランの匂いさえする。笑い声や怒鳴り声やカッキーンという音やサワサワサワーという音やブーンという音やひゅるるるぅという音が聴こえてくる。風は実に様々な匂いや音を運んでくるものだ。

思うぞんぶん風に吹かれてから、土手の草むらを河川敷に向かって一直線に駆けおりる。わが愛馬はいたってゴキゲンである。荒川の上流へ向けて哲の馬を走らせていると、サッカーのグランドや野球のグランドがいくつも見えてきた。しかも、そのすべてのグランドはゲームの真っ最中だった。

そのうち、いちばん白熱している少年サッカーの試合を見物することにした。文字通りの意味で「高みの見物」を決め込んだ。自分はいずれのチームにもなにひとつしがらみはないのだし、どちらが勝っても負けてもいっさい関わりがない。初めはそう思っていた。ところが、試合に出場しているこどもたちの家族とおぼしき人々の会話を聞いているうちに、俄然、ゲームにのめり込んでしまった。なんでも、そのゲームはなんとか地区(よく聞き取れなかった)の決勝戦で、勝てば本選(これもなんの「本選」なのかはわからずじまいだった)への出場権を獲得できるらしい。

「雨の日、風の日、雪の日。一日も休まないで練習してきたんだものねー。勝たせてあげたいわよねー」

スポーツとは生まれてこのかた御縁のなさそうな体型をしたジャンボなママさんが言った。このママさんは応援団長でもあるらしく、試合の最中、ものすごい大音量で檄を飛ばしまくっていた。

ゲームはあきらかにジャンボ・ママさんチームの劣勢だった。相手チームの個人技を中心にすえた洗練された試合運びに対して、ジャンボ・ママさんチームのプレイは野性味はあったが、それは所詮、百姓一揆的なサッカーにすぎないように思われた。

ゴールキーパーのファイン・セーヴの連続でジャンボ・ママさんチームは辛うじて失点をまぬかれ、前半が終わった。ゴールキーパーの少年はよほどつらかったのか、ベンチに戻ってくるなりコーチに抱きつき、大声で泣きじゃくった。私はこの時点でジャンボ・ママさんチームの勝利はないことを確信していた。だが、しかし ── 。

後半に入ってもジャンボ・ママさんチームの劣勢はかわらなかった。百姓一揆的蹴球V.S.ソフィスティケーテッド・フットボール。憎らしいほどに相手チームは巧く、速く、強かった。だが、なぜかゴールを割ることができない。気まぐれな勝利の女神はちょっとだけいたずらをしたかったのかもしれない。そして、奇跡は起こった。

ファイン・セーヴを連発していたゴールキーパーが渾身の力を込めてボールを蹴る。ボールは真っ青な空に向かって永遠に上昇をつづけてゆくかと思われるような勢いでぐんぐん伸びてゆく。

ボールがひとくれの雲にまぎれて消えたかと思ったその直後、ディフェンスとゴールキーパーの中間地点にボールは落下してゆく。そこに味方のフォワードが怒濤のごとく走り込んでいた。彼は一瞬、ゴールキーパーのほうに目をやり、そして落ちてきたボールをダイレクトで蹴った。蹴ったというよりも触れたと言ったほうが事態を正確にあらわしている。

前進守備のゴールキーパーの頭上をゆるやかな弧を描きながら、ボールはゴールに吸い込まれていった。

歓声。怒号。落胆。いろいろなものが一瞬に吹き出した。タイム・アップまで5分を切っていた。このとき、だれもがジャンボ・ママさんチームの勝利を確信したはずである。だが、しかし ── 。

混乱の中で、相手チームの選手たちは冷静だった。個人技と正確なパスまわしで敵の陣営深く入り込み、セオリーどおりにゴール前で待ち受けるセンターフォワードに正確無比なセンタリングを上げる。豹のような面差しのセンターフォワードはあたりまえのようにジャンプし、頭ふたつ分抜きんでた状態で頭をひと振りした。ボールは一瞬止まったかのように見えて、物凄いスピードでゴールキーパーの真横を抜け、ゴールネットに突き刺さった。

悲鳴。落胆。怒声。残り時間2分。

「PK戦に持ち込めー!」

ジャンボ・ママさんが叫んだ直後だった。ついに、あるいはやっと勝利の女神が微笑んだ。それまで冷静なゲーム・メイキングでチームを動かしてきた相手のミッドフィールダーがセンターラインを越えたあたりで全身をバネのようにしならせてボールを蹴った。

ボールは弧を描くことすらせずに一直線にジャンボ・ママさんチームのゴールに吸い込まれていった。ゴールキーパーは最後の最後にきて、身動きひとつできなかった。ゴールインと同時にホイッスルは鳴り、ゲームは終わりを告げた。

全身でよろこびをあらわす勝者。
泣きじゃくり、うずくまる敗者。
たったひとりの勝者とたくさんの敗者。

そのことを思って、私はどうしてもその場を立ち去ることができなかった。荒川を渡ってきた風が目の前で向きを変え、勝者も敗者もいない静かなグランドを吹き抜けていく。またひとつ、夏の終わりが近づいたように思えた。すべては2000トンの雨が洗い流してしまうとも知らずに。

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さよなら夏の日 - 山下達郎
さよなら夏の日 - MrSiokaze (Classical Guitar Solo)
 
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by enzo_morinari | 2014-06-26 16:54 | 夏への階梯 | Trackback

夏への階梯#6 昼の12時19分03秒になると停まるバセロン・コンスタンチンのクロノグラフがかかえる厄介事

 
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手に入れてまだ1年も経っていないバセロン・コンスタンチンのクロノグラフが春頃から昼の「12時19分03秒」を指すと決まって動きを停めるようになった。メンテナンスに出したが、馴染みのキャビノチェはしきりに首を傾げながら言った。

「原因がわかりません。すべて分解して、発条もバトンも歯車も雁木車も滑車も一個一個チェックして、必要な部分には??の木で磨きをかけて、丁寧に細心の注意を払って注油しても症状は改善されません。こんなケースは40年の時計師人生でも初めてです。今後、どのように手をつくしても原因を突き止めることはできないというのが私の結論です。よろしければ動作確認済みの同じモデルと交換するようにコンシュマー担当に進言いたしますが」

私はキャビノチェの申し出を丁寧に断った。昼と夜の両方で「12時19分03秒」に停まるというなら現象の原因を突き止められる可能性はわずかながらも残されているが、昼だけというのがいかにも不審である。それはキャビノチェも同意見だった。不審は必ず暴かれ、白日の下にさらされなければならない。

昼の12時19分03秒。思い当たる出来事はある。あれは1985年9月1日、日曜日の真っ昼間、12時19分03秒のことだ。友人の一人でもあったプロサーファーのヨシノ・コージが七里ガ浜駐車場レフト・サイドで何者かに刺殺されたのだ。

その日は「七里ガ浜チャレンジ・カップ」という波乗りのコンペティションが行われていて、七里ガ浜駐車場は波乗り野郎どもとサーファーもどきどもと陸サーファーどもと彼らのステディを自認する脳味噌のしわの少なそうな女どもでごった返していた。

夏休み後初めての休日とあって一般客も大勢七里ガ浜駐車場に来ていた。ヨシノ・コージはそんな衆人環視同然の状況の中で殺された。おそらく、犯人は息を殺してヨシノ・コージの背後に忍び寄り、ヨシノ・コージを刺し殺したのだ。ひと刺しで。ヨシノ・コージのやわらかで健康そのものの肝臓を。素人の仕事ではなかった。捜査官たちの見立てもおなじだった。

ヨシノ・コージは「和製ジェリー・ロペス」と称され、サーフィン情報誌のみならず、多くのメディアが取り上げるほどの人気ぶりだった。哀愁を帯びた面差しはその出生にまつわる困難ともあいまって多くの女どもの心をとらえていた。

ヨシノ・コージは米軍海兵隊の中尉と日本人娼婦を両親に持つ美容師の母親と稲川会横須賀一家の2次団体の総長である父親とのあいだに生まれた。私と同い年だった。

有名人気プロサーファーの死とあって、事件は捜査本部事件となった。すぐさま、「七里ガ浜駐車場におけるプロサーファー刺殺事件捜査本部」が鎌倉駅前の鎌倉警察署に設けられた。

コンペティション当日。優勝候補筆頭であるヨシノ・コージのフリースタイル部門ファスト・セットの出番は最後だった。それまでべた凪だった海面がにわかに盛り上がり、風はオフショアに変わった。30フィートはありそうな美しい波が沖からものすごいスピードで迫ってくる。七里ガ浜駐車場にいるだれもが驚き、わが目を疑っている。当然だ。30フィート・オーバーの波などそうそうお目にかかれるものではない。それも日本で。湘南で。七里ガ浜で。しかも、日本最高峰の競技会で。

ヨシノ・コージは独特のグーフィー・スタイルで大波を完全にコントロールしていた。そして、トップからボトムに向かって一気に滑り降りた。さらに、華麗にボトム・ターンし、再びトップへと駆け上がる。それを何度も繰り返した。波涛をはるかに超えて宙空で宙返りする離れ業はヨシノ・コージのもっとも得意とするものだ。セカンド・セットを待たずに、勝者がヨシノ・コージであることは誰の目にもあきらかだった。冷酷非情な殺人者一人を除いて。「七里ガ浜チャレンジ・カップ」は即時、中止され、無期限延期となった。

結局、ヨシノ・コージ殺人事件は重要参考人が何人か浮上したのみで迷宮入り、公訴時効が成立した。公訴時効は成立したが、私の時効の針は停まったままだ。1985年9月1日日曜日の午後12時19分03秒で。

針は動きはじめた。犯人、殺人者はわかった。殺人者の背後にいる者たちも。のうのうと生き延びていることも判明した。鬼の庭の公判維持に必要な証拠は出そろい、万全の体制で公訴提起。判決は7月26日に下す。

冒頭陳述も証人訊問も情状酌量減刑もない。あるのは判決と刑の執行のみだ。弁護人も傍聴人もいない。いるのは鬼の庭の被告人席に立つ殺人者とその背後にいて胸くその悪くなる笑いを浮かべつづけてきた下衆外道どもと、そして、大審問官でありプロスキューターである私のみ。判決即刑の執行。上訴不可。判決書に添付される署名入りの執行命令書は入手済みである。署名したのは私だ。

七里ガ浜駐車場レフト・サイドで2000トンの雨に打たれるまであと60日と2時間42分

残っていた「12時19分03秒」の問題はそのときすべて解決される。「Q. E. D./Quod Erat Faciendum」の宣言はもうすぐだ。

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by enzo_morinari | 2013-05-27 22:34 | 夏への階梯 | Trackback

夏への階梯#5 『2000トンの雨』に濡れても

 
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King of Sax. ジェイク・コンセプションが好きだった。もうずっと昔のことだ。音色やインプロヴィゼーション・スタイルも好きだったが、なんと言っても「ジェイク・コンセプション Jake Concepcion」という名前に魅かれた。概念。理解。考え。構想。着想。案。意図。計画。思いつくこと。妊娠。受精。受胎。そして、胎児。コンセプション CONCEPTIONには色々な意味がある。

ジェイク・コンセプションの『Jake Concepcion Plays Standards Misty』を初めて聴いたのは鎌倉七里ガ浜の『珊瑚礁』の山店だった。そのころ、海店はまだ営業しておらず、オーナーのアロハ髭でぶおやじことファンキー牛乳屋も生きていた。

アロハ髭でぶおやじはなにくれとなくよくしてくれた。ただで飲み食いさせてくれるのは無論のこと、そのほかにも20代前半の若造小僧っ子には解決困難な問題についていくつもの道筋を指し示してくれた。

アロハ髭でぶおやじが死んでもう何年にもなるが、アロハ髭でぶおやじが死んで以降の湘南、とりわけて七里ガ浜からは「志」あるいは「真の意味の明るさと陽気さ」が失われた。湘南も七里ガ浜ももはや私のための湘南、私のための七里ガ浜ではない。田舎者どもがオサレなランチやら豪華豪勢ステキステキなディナーやらを喰い、駄菓子を頬張りながらほっつき歩く観光地になってしまった。

まあ、それでいい。アロハ髭でぶおやじのいない湘南にも七里ガ浜にも未練などこれっぽっちもない。このままくだらぬ観光地としてせいぜいゼニ儲けに精を出すがいい。湘南、七里ガ浜のなにがどうなろうと、いまや私の知ったことではない。背を向け、顔を背けるだけのことだ。

「これ、いいから聴いてみろ。いま店にかかっているのがそうだ」と言ってアロハ髭でぶおやじはテーブルの上に1枚のLPレコードのジャケットを無造作に放り投げた。ジェイク・コンセプションの『Jake Concepcion Plays Standards Misty』だった。

アロハ髭でぶおやじの音楽センスには一目置いていたので、夢中でライナーノートを読んだ。「Jake Concepcion」という名前が目を引いた。メインが『Misty』というのもよかったし、『Aa Time Goes By』『Over The Rainbow』『Fly Me To The Moon』をはじめとしてスタンダードの名曲が目白押しだった。

その日、アロハ髭でぶおやじは一日中『Jake Concepcion Plays Standards Misty』を繰り返しかけつづけた。私は「午後の最後の芝生」をいかに燃やすか、ハルキンボ・ムラカーミにどうやって回復不能な一撃を喰らわすか、森の漫才師サルーのガラクタ同然の知性教養にいかに鞭をくれてやるかを考えながら、ビーフサラダを食い、海老みそカレーを喰い、ピッチャーサイズのビールを飲みつづけた。

一日中、『珊瑚礁』に居座った。1980年代後半において七里ガ浜『珊瑚礁』でそのような過ごし方をするのはすでにして伝説あるいは神話とも言いうるレベルの尋常ならざる事態であったようにも思える。

どいつもこいつもやに下がり、自分を失い、大事ななにものかを見失い、世界を失い、心を失い、ただなんとなくクリスタルなふやけた日々を生きていた。それは現在に至るもなにひとつ変わっていない。それどころか、輪をかけて悪くなっている。恥知らずと鈍感さが加わり、さらに悪化した。しかも、質が悪いときている。昔なら街に一人か二人しかいなかった阿婆擦れ、性悪女が徒党を組み、大挙し、大手を振り、肩で風を切って歩いている。野郎どもときた日には一様に腑抜けていて、ポンコツボンクラヘッポコスカタンデクノボウ編集者が仕掛けた上げ底たっぷりの「ちょいワル(ちょい不良)」などという三下奴以下の無様さを得意げにさらし、鼻高々、いい気になっている始末だ。ふざけやがって。恥を知れ、恥を。たいがいにしておきやがれてんだ。

もうどうしようもない。湘南、七里ガ浜だけでなく、国中がやに下がり、自分を失い、世界を失い、心を失い、恥を知らず、背筋が寒くなるような鈍感さがあふれ返る事態になってしまった。だが、だれが悪いのでもない。だれのせいでもない。元々、そうなる運命だったのだ。

4年後の1989年、私はきな臭い煙りのたなびくマニラのスモーキー・マウンテンの麓の掘建て小屋のバーでジェイク・コンセプション本人に名前の由来についてたずねた。ジェイク・コンセプションはやさしくて静かな笑みを浮かべながら言った。

「すべては神の思し召しだ。そんなことより、酒を飲もうぜ。そして、もっともっと音楽を聴こうぜ。次はおれのおごりだ」

バーテンダーとしても一流のジェイク・コンセプションは見事な手つきでわれわれのグラスに氷を入れ、メイカーズ・マークを注ぎ、「完璧な3フィンガーのオン・ザ・ロックス」を作った。私とジェイク・コンセプションはしたたかに酔いしれ、おしゃべりをし、音楽を聴いた。激しい雨音のせいで会話が成立しなくなったのを潮に私とジェイク・コンセプションは別れを告げ合った。

バーを出るとスモーキー・マウンテンは激しい雨をうけてドブネズミ色に煙っていた。一筋の煙りさえのぼっていなかった。

「どうする?」

かたわらのジェイク・コンセプションにたずねた。

「濡れて帰ろう。どうせ人生も土砂降りだ」
「そうだね。人生も、そして世界も土砂降りだ。Hard Rainy Night in The Worldだ」
「ディランの『HARD RAIN』は好きじゃないがね」
「おれもさ」

私とジェイク・コンセプションはそれぞれが帰るべきそれぞれの方向に別れて歩きだした。2000トンの雨に濡れてもなにも考えられない自分がいた。なにも考えたくなかった。2000トンの雨はさらに強さを増してスモーキー・マウンテンのジャンクな山肌を削っていた。指のあいだを伝って落ちる雨粒が心を削っているようにも思えた。

いくら待っても、道の向うに聳え立つスモーキー・マウンテンが空に届くことはあるまい。思いを伝え、届ける術はすべて失われた。もはや、取りもどすことも新しく作ることもできない。そのようにして人生の日々はすぎゆき、いつか世界は終りを告げる。2000トンの雨の雨音に耳を澄まし、2000トンの雨の雨粒に打たれ、2000トンの雨に濡れても。やがて2000トンの雨があがり、虹がかかっても。

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七里ガ浜駐車場レフト・サイドで2000トンの雨に打たれるまであと60日と8時間42分

やはり、残る問題は「12時19分03秒」だ。

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by enzo_morinari | 2013-05-27 01:30 | 夏への階梯 | Trackback

夏への階梯#4 『2000トンの雨』をめぐる冒険

 
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七里ガ浜駐車場レフト・サイドで2000トンの雨に打たれるまであと179日と6時間4分


1978年のクリスマスに『2000トンの雨』を聴かなければ、強い南風が吹きつける七里ガ浜駐車場レフト・サイドで虹のコヨーテに出会うことはかなわなかったし、ディネの男とともに「炎の中心」に立てなかった。ディジュリドゥを楊枝がわりにしてウルルとカタジュタを飛び越えられず、1日に1ダースの「最後のセブンナップ」を飲みほすのは不可能だった。ボニーとクライドの悲劇の最期、「マシンガン・レイン」を見届ける勇気を持てなかったし、パンタグリュエリヨン草の葉の上で冷たい雨にうたれてふるえる黄金のカエル、ソバージュ・ネコメガエルのエクリの実存の最先端に触れられなかった。「ひとつの椅子とみっつの椅子」に座って、20世紀初頭にマレーヴィチュが 79.5cm × 79.5cm のキャンバスに漆黒の正方形を描いて以来、ずっと世界が孕みつづけている解読不能の「深層」、世界のありとあらゆるところに口をあけている 79.5cm × 79.5cm 的世界を覗きこめなかったし、「彼女のパピエ・コレ」のコレクションのひとつとして加えられなかったし、「Think of Nothing Things」が真実の扉、「デウス・エクス・マーキナー」の扉を開く呪文であると知ることもなかった。そして、なにより、世界の終りとハードボイルド・ワンダーランドで旅をつづけることはできなかった。

それだけではない。風とピンボール・マシンと羊のみっつの悪意と憎悪と憤怒に満ちた襲撃に耐えられなかった。私は耐えた。持ちこたえた。私が耐え、持ちこたえることができたのは『2000トンの雨』が降らせた2000トンの雨のおかげだ。来る日も来る日も『2000トンの雨』が降らせる2000トンの雨に打たれることで私はタフでクールでハードボイルドになれたからだ。以来、『2000トンの雨』は私のテーマソングになった。そして、『2000トンの雨』を聴くたびに2000トンの雨に打たれた。

実に色々な場所で2000トンの雨に打たれた。九龍城砦で2000トンの雨に打たれたときは伽羅の匂いにまみれた阿片の密売人どもをサンプーグワン・フォースで一網打尽にした。モンマルトルのテルトル広場につづく坂道の途中にある小さな葡萄畑で2000トンの雨に打たれたときはジャン・アンテルム・ブリアとの美食合戦に圧勝した。

ヘミングウェイ・ツリーの水やりには絶対に2000トンの雨が必要だし、ディートリッヒ・スピンの回転速度を上げるためには2000トンの雨を3回連続でやらなければならない。私から『2000トンの雨』を取り去ったら、あとに残るのは不思議でも帰らない9月でも象牙海岸に無数にある涙のワンサイデッド・ステップでもない凡庸きわまりもないピーチパイくらいのものだ。

そうだ。これだけは確かに言える。『2000トンの雨』がなければ生き延びることはできなかった。たとえ生き延びることができたとしても、アスファルトにへばりついたリグレーのチューインガムほどの価値もない退屈な日々が待っていたはずだ。まちがってもアマンド・ピンクのハイヒールを朝と昼と夜の3回、毎日毎日産み落とすガラパゴス・ガールと恋に落ちることはかなわなかった。

ガラパゴス・ガールはいまも薄紅匂う玄妙の道にアマンド・ピンクのハイヒールをせっせと産み落としている。奇跡の日々、奇妙な日常。フィアットの御曹司も、世紀のクール・ビューティーの孫、モナコのドラ息子もうらやむ日々と日常だ。

石と氷晶としてのマグリット世界の北門の入口で石をみつめる少女、ノヴァーリス・ガールと話しこんでいるときだった。石をみつめる少女は何者かからの命令を受けたような表情で突然たずねた。

「2000トンの雨というのはなんですか? それはどれくらいの量なんですか?」

実に的確で容赦がなくて手加減のない質問だった。私は石をみつめる少女に気づかれないように唾を飲み込み、虹のコヨーテの尻尾を3度踏み、黄金のカエルの脇腹にある白く浮き出た疣状の筋をそっと撫で、冬眠を忘れた熊に一本背負いとジャーマン・スープレックスを立てつづけにくらわせ、苦悩するビーバー・カモノハシにバービー・カモシダジョー人形を抱かせ、呪われたアルマジロのうす桃色の甲羅を3回ノックした。そして答えた。

「2000トンの雨というのはね、自分の才能に見切りをつけたときに流す想像もつかないほど大量の涙の総量のことだ。ノアの方舟はその涙の海を航海した。そのときに記された航海日誌は航海7日目の朝、オリーヴの枝とともにきらめく涙の海に流されたと言われている。航海日誌の別名は『COBALT HOUR』。1975年6月20日、芝浦の東、通称EMIポイントで年老いたカジキ漁師によって偶然発見された」

私の答えを聞いた石をみつめる少女はヒマラヤ矢車菊のような深いブルーの輝きを放ちはじめた。そして、まばゆい笑顔をみせると天空へ翔けのぼっていった。2006年の秋のことだ。以来、石をみつめる少女の行方は杳として知れないが、きっとどこかでヒマラヤ矢車菊のような深いブルーの輝きを放ちながら道ゆく人々に「的確で容赦がなくて手加減のない質問」を投げつけていることだろう。

ときどきは石をみつめる少女も2000トンの雨に打たれているかもしれない。2000トンの雨に打たれてさらにブルーの色合いを深めているかもしれない。「いつか銀河系宇宙一のブルーサファイアになる」という石をみつめる少女の夢がかなっているなら、これ以上よろこばしいことはない。そうであればいい。この腐った世界にひとつくらい美しいものがあってもいいはずだ。

山下達郎の顔面状況はどうしようもないけれども、いっさいの救済案を台無しにしてしまうけれども、2000トンの雨を降らせたという一点において、彼は私の人生に一筋の光明を垣間見せた。『2000トンの雨』のおかげで細々とだが私の人生の日々には一筋の光がいつも射していた。

人生は緩慢で気色悪く、頻繁に脱輪し、あちこちに落とし穴が息をひそめていて、おまけに報酬はたかがしれている。それでも、そうであっても、いつか2000トンの雨がすべてを洗い流す。残る問題は「12時19分03秒」だ。

2000トンの雨 (2003 New Vocal Remix) - 山下達郎


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by enzo_morinari | 2013-03-14 12:19 | 夏への階梯 | Trackback

夏への階梯#3 いつかの遠い日の夏

 
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夏の陽をあびて潮風に息吹く花たちよ。つかの間の熱に消えゆく恋と知りながら。


「時が止まればいい」とつぶやく女の子の瞳からこぼれる涙のゆくえを見届けたかった。
2013年夏最後の十里木高原週末の初日。空調なしでも涼しい十里木高原を離れて下界へ降りることにはいささかの決断と覚悟と思いきりがいる。

富士サファリパークを過ぎ、須山の集落を過ぎ、東名高速裾野インターチェンジにさしかかる頃には夏の暑さが音を立てて襲ってくる。三島や沼津は放蕩の灼熱、放埓の熱帯である。だが、このまま十里木にいると心が折れてしまうような気がして、思いきって昼前に十里木を出た。カーナビゲーションのスウィッチを切り、幹線道路を外れて田舎道を走る。カーナビゲーションにいっさい頼らないドライブがあっていい。

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名もなき小川のせせらぎやその小川で夏の日盛りを浴びながらすばしこく泳ぎまわる魚たちや村の鎮守様や夏祭りのお囃子や摂氏15度を下回る冷気に満たされた駒門風穴や熱風に揺れる稲穂や数ヵ月後には秋の訪れと深まりとともに豊穣をたたえる里山にまみえながら、伊豆半島の付け根を目指す。

県道17号線は予想通り、去りゆく夏を惜しむ人々によってものすごい渋滞に見舞われていたが、少しせつなく、気持ちのよい時間がずっと流れつづけた。

淡島の手前の内浦の海で遊んだ。内浦の海は時間が止まり、内浦漁港前の突堤で釣竿を垂れる人々のまわりの時間も止まり、ゆるやかに上下動を繰り返す釣竿の先端だけがかろうじて時の移ろいを知らせている。

内浦の海に別れを告げ、17号線をさらに北上して下田方面に向かう。それまで青かった西の空が色づきだし、海辺の街が夕暮れの気配に包まれはじめた頃、幅20メートルほどの小さな海岸が目に飛び込んできた。脇に車を停め、その海岸に下りた。海に沈みゆく夏の終わりの太陽に魅入られていると、この夏をとびきりの夏にしてくれたとびきりの笑顔を持つ女の子が言った。

「時が止まればいい」

僕の肩でつぶやく女の子の瞳からこぼれ落ちる涙のゆくえを見届けたかったが、太陽はみるみる力を失い、涙は見えなくなった。それでも、いつかの夏の日の夕暮れ、彼女の涙のゆくえを見届け、ぬぐう者が現れるだろう。目をうつすと、大瀬崎の山の連なりの上に秋の気配をわずかに漂わせる月が出ていた。

さよなら、夏の日。明日になれば僕らはもうここにはいない。そして、涼しくなつかしくせつない十里木の夏ともしばしの別れである。またいつか ── 。

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さよなら夏の日 - 山下達郎
 
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by enzo_morinari | 2013-03-12 08:32 | 夏への階梯 | Trackback

夏への階梯#2 2000トンの雨に打たれても

 
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七里ヶ浜駐車場レフト・サイドで2000トンの雨に打たれるまであと194日と22時間4分


曖昧で、名前すらつけることのできない空を見上げながら雨の気配を探る日々。かつて、われわれはそのような日々を「夏休み」と呼んだ。夏のはじまりにふさわしい純真と清冽と茫洋とあらかじめ失われた彼女の指先と彼女の「人生との和解」を見つけだすためにこそ私の夏はあった。

遠い日の冬の夜明け前。

「あなたが帰ってくるとわたしの夏は始まるの」と彼女は言った。乳白色の手の中にティー・カップを包みこんだまま。「人生はやっぱりにがいより甘いほうがいい。冷たいよりあたたかいほうが。冷めた紅茶なんか見るのもいやよ」

彼女の背中、右の第五肋骨のちょうど下にある大きな傷痕にふさわしいだけの言葉がみつからない。

「わたしの手に包まれたとたん、あたたかくて甘いはずのミルク・ティーはみるみる熱を失ってにがくなっていくの」

彼女の手に包まれているティー・カップからはひとかけらの湯気も立ちのぼっていない。ひとかけらも。

「こんなふうにしてわたしの中からは日々、熱が奪われてゆくのよ。そして、最後にはわたしのすべての細胞は動きを止めて、マイナス273.15℃になっちゃう」
「だから僕は年に一度帰ってくるんだ。いくつもの悲しみをくぐりぬけて冷えきったきみを暖めるためにね」
「でも、そのあとは? その先は?」
「また来年」
「ふん」

鼻を鳴らしたあと、彼女は唇を尖らす。そして、両手を目の前にひろげて指をみつめる。

「それにしても10本の指、じょうずに切り落とせたものだわね。ずっと昔からそうだったみたいに第一関節から先がない。完璧といえばこれくらい完璧なのはロートレアモンの『マルドロールの歌』とフェルメールの『青いターバンの少女』とバッハの『フーガの技法』くらい。いまでもわたしの10本の指先、ちゃんとしまってある?」
「もちろんだよ」
「いつかは返してよね。わたしの指」
「返すさ。返すだけじゃなくて、元どおりにくっつけてやるよ」

私が言うと彼女はミルク・ティーをひと口だけすすった。

「やっぱり人生もミルク・ティーも冷たくてにがいよりあたたかくて甘いほうがいい」
「冷めたらまた火にかけて温めればいいし、にがいなら砂糖を足せばいい」
「もう!」
「偶蹄目?」
「ちがう! ちがう! ちがーう! ちーがーいーまーすー! まったくあなたって人はなんにもわかってない。初めて会った頃と少しも変わってない。成長なし、進化なし。いいこと? 苦渋と絶望はちがうものなのよ。苦渋は熱を生むこともあるけど、絶望は8月の太陽からも熱を奪い去るだけ。おぼえておいて」
「まちがいなくおぼえとくよ。次の夏までにはね。浪子不動に誓って」

私は確かに浪子不動に誓いを立てた。しかし、彼女は夏が来る前に自ら死を選んでしまった。彼女がこの世界から消えて数えきれないほどの季節が過ぎていった。彼女の死とともに世界は徐々に色も匂いも熱も失っていき、いまはなにも色がない。匂いもない。熱もない。私の前にはなにもない茫漠とした世界がただ広がっているだけだ。

夏が来て、雨の気配を探る日々が始まるたびに彼女のことを思い出す。そして、8月31日には七里ヶ浜駐車場レフト・サイドで2000トンの雨に打たれる。彼女が残した10本の指と一緒に。2000トンの雨に打たれてもなにも感じない自分が今年もそこにいるはずだ。
 
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by enzo_morinari | 2013-02-18 12:18 | 夏への階梯 | Trackback

夏への階梯#1 2000トンの雨が降れば

 
七里ガ浜駐車場レフト・サイドで2000トンの雨に打たれるまであと204日と14時間4分

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第2京浜をゆく。多摩川を越え、川崎を過ぎ、ルート16に乗り換え、ひたすら漕ぐ。 横浜のサウス・エリアをかすめ、横須賀へ。そして、三浦半島へ。三崎港では地魚に舌鼓を打つ。三浦半島のビーチ・サイドをトレースし、葉山、逗子の海岸線を左手に見ながら、海の輝きと潮の匂いに身をまかせる。極上のオフショア・タイムが、ただ過ぎてゆく。

オーケイ。すべては順調だ。もうすぐ夏に追いつける。あとひと漕ぎ。いや、ふた漕ぎ。トンネルの手前、勾配がややきつくなるところでフロント・ギアはアウターからインナーへ。トンネルに入ったら再びフロント・ギアはアウターへ。ジェット・コースター気分で駆け抜けよう。前方に光が溢れはじめたら、さらに加速しよう。

トンネルを抜け、S字カーブをクリアすれば、そこは鎌倉、材木座海岸だ。右に連なるレスト・ハウス。波しぶきに煙る小動岬。遠くで揺れる江ノ島の島影。胸の鼓動はさらに高まる。潮の香りが強くなる。

滑川の三叉路から由比ヶ浜のゆるやかな左カーヴにさしかかればさらに精神は疾走する。やがて、腰越のキュートな入江が見えてくる。稲村ヶ崎をすぎるときには古えの益荒男どもに思いを馳せ、伝説の水曜日の大波にウィンクだ。「僕らの夏」の出発地、七里ガ浜駐車場レフト・サイドで風に吹かれる前に向かいのセブンーイレブンでよく冷えたビールを調達する。プル・リングを引き上げ、湘南の海に1年ぶりの挨拶をする。

「やあ。ひさしぶり」

それから、iPodのヴォリュームを少しだけ上げる。出発のときからずっとリピートで聴いていた山下達郎の『2000トンの雨』。1985年夏のテーマ・ソングだ。山下達郎の顔面状況はどうしようもないけれども、いっさいの救済案を台無しにしてしまうけれども、僕らの1985年夏の日々に「2000トンの雨」を降らせたという一点において、彼は1985年夏の日々に一筋の光を垣間見せた。

人生は緩慢で気色悪く、頻繁に脱輪し、あちこちに落とし穴が息をひそめていて、おまけに報酬はたかがしれている。それでも、そうであっても、いつか2000トンの雨がすべてを洗い流す。かくして、2013年の僕らの夏、湘南のすてきな一日が始まる。

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「8月31日で夏休みは終わるんだよ。終わりがあるから楽しいんじゃん?」とビートニク・ガールは言った。そう言ったすぐあとにビートニク・ガールの子鹿のような瞳からこぼれ落ちた涙のゆくえを見届けぬまま、僕は1985年8月31日の七里ガ浜駐車場に背を向けた。あれから28年が経つ。

われわれの恋が終わったのは、ボタンをかけちがえたからじゃない。風の中に答えがなかったからでもない。もちろん、25メートル・プール1杯分のビールを飲みほせなかったからでもない。秋の気配を感じて、傷つけたり傷つけられたりすることに耐えられなくなったからだ。

すべての物事には始まりがあって終わりがあることはとうの昔に知っていたが、1985年の夏休みだけは終わってほしくなかった。しかし、僕はどうしても1985年の夏休みを終わらせなければならなかったんだ。そうしなければ、次の扉を押すことはかなわなかった。

扉は開いた。扉の向こう側には数えきれないほどのボタンがあり、いろんな匂いのする風が吹き、世界中の酒場が僕を待っていた。僕は注意深く、可能なかぎりのボタンをかけ、風のゆくえを見届け、そして、浴びるほど、そうだ、浴びるほど酒を飲んだ。だが、結局、1985年の夏休みは終わっていなかった。いや、これは正確ではない。1985年の夏休みは終わっていたが、僕がそのことを認めたくなかっただけなのだということにやっと気づいた。僕にしては上出来じゃないか。

28年を経て、この夏、1985年の夏休みはようやく終わりを告げる。7月26日、七里ガ浜駐車場で。強い南風が吹きつけるレフト・サイドで。晴れたらいい。ビールがよく冷えていたらいい。アール・クルーの『Long Ago and Far Away』が聴こえたらいい。そして、最後には2000トンの雨が降ったらいい。夏に本当のさよならを言う日のために。

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by enzo_morinari | 2013-01-22 19:30 | 夏への階梯 | Trackback