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ビートニク・ラヴ/あの恋を忘れない。

「かわいい女になって土曜の朝に死にたいの」と言い残して涙のアヴェニューで死んだ女とのごく短い恋の話    『涙のアベニュー』を聴きながら涙が枯れるまで泣いた夜のこと
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 2008年の春の盛り。とびきりの恋はひっそりと幕を開け、奇跡の愛は少し揺らいだ。秋の初め、とびきりの恋は儚くも幕を閉じ、奇跡の愛は温かくすこし哀しかった。この話はエリーと私と虹子の恋と愛の物語である。この物語に費やされた時間は半年にも満たないし、清純でも一途でも純潔でも健気でもない。「二十歳の原点+二十歳の墓標+二十歳のエチュード」風味の純粋やら純情やら純真やらがわずかにあるのみである。しかし、『失われた時を求めて』よりはるかに長く細く険しい道のりを歩いた記録であり、『ロミオとジュリエット』以上に赤むけ純粋無垢なみっつの魂の記憶だ。
「いまどき年甲斐もない馬鹿げた恋だ」と笑いたい者は笑うがいい。いつかアゴが外れてろくに飯も食えなくなるはずだ。安倍晴明を黄泉の国から呼び戻して共同戦線を張り、呪詛しまくってやるさ。「偽りの愛」といった類いの手垢にまみれた言葉に貸す耳などない。手垢退屈どもの三半器官にはサザエが生えて、そのうち蟹みそみたいな耳あかとしょんぼりした郵便局の定額貯金付き退屈人生がはじまるだろうさ。いや、絶対にそうなる。天河神社と那智の滝に願掛けしてやるぜ。「笑う戦争」に参加をゆるされなかった笑う者たち、手垢まみれの退屈どもが金輪際足を踏み入れることのできないゴキゲンな世界でエリーと私の恋はまちがいなく始まり、芽吹き、咲き誇り、実り、時は冷徹に流れ、季節は容赦なくうつろい、終わりを告げた。そのいっぽうで、エリーと私を三人のうちでいちばん若い虹子はやさしくあたたかく静かに見守った。虹子の眼差しはいつも涼しげでやわらかだった。それは時の流れ、季節のうつろいを通じてかわらなかった。エリーと私にとって虹子の存在はまぎれもない救いだった。奇跡とも思われた。ときとして虹子はエリーと私の揺りかごであり、「揺りかごを揺らす手」でさえあった。そして、エリーは死に、私は生き残り、虹子の元に戻った。
 
 エリーと私に残された「時間」は短く、道は細いうえに険しく、敵は手ごわかった。エリーと私の「恋の道行き」は障害と困難と妨害ばかりであったが、それでも、われわれはわれわれの恋に真剣白刃取りもいいところだった。
 われわれは誰はばかることなきミドル・エイジだったが、同時に、ベット・ミドラーの『Boogie Woogie Bugle Boy』をアドリブ付きで歌うことのできるビートのきいた思想的ミドラーであった。世界を引っ掻き回すための最終兵器、「思想マドラー」さえ装備していた。後方支援の指揮官はチョビ髭レット・バトラーであるからして、風が吹いても桶屋が儲かってもあとは三十六計逃げるが猿蟹合戦状態である。風とともに去ったりなどしない。立ち止まり、風に吹かれていなければならなかったのだ、エリーと私は。なにかしらの「答え」が風の中にあるとエリーと私は信じていたからだ。答えを求め、思想あるかぎり、齢を重ね、老いることはいささかも恐れるに足りない。おそらくは死さえもどうということのない過程のひとつにすぎなくなる。しかも、われわれはそろいもそろってファンキー&ファニー&ロケンロール&シェキナベベーであった。つまり、エリーと私は無敵、怖いものなしというわけだ。嵐を呼ぶふたりぼっちの軍隊    友人どもはエリーと私のコンビをそう呼んだ。 
 エリーと私の共通のアイドルは吉田美奈子とベット・ミドラーとクリフォード・ブラウンとボブ・ディランとジャニス・ジョプリンとジミ・ヘンドリックスとジョニ・ミッチェルとジャクソン・ブラウンとサザン・オールスターズと三島由紀夫と吉本隆明と西田幾多郎と鈴木大拙と空海とジャック・ケルアックとアレン・ギンズバーグとアラン・シリトーとアーネスト・ミラー・ヘミングウェイとフランシス・スコット・フィッツジェラルド&ゼルダ・フィッツジェラルドのローリング・フラッパー夫妻とリチャード・ブローティガンとJ.D. サリンジャーとレイモンド・チャンドラーとフィリップ・マーロウとマイク・ハマーとレット・バトラーと車寅次郎とヘルマン・ヘッセとグレタ・ガルボとイングリット・バーグマンとリックの酔いどれ酒場の亭主&ピアノ弾きのサムと酔いどれ天使のトーマス・アラン・ウェイツとマーティン・ルーサー・キングである。

「エンゾ。あなたはあたしにそっくりね」
「エリー。おまえはおれにそっくりだな」
 それがわれわれが初めて交わした肉声による会話である。2008年4月4日、18時30分ちょうど。東急東横線渋谷駅改札口でのことだ。
「エンゾ。あなたはいまこの瞬間からビート・エンゾよ」
「エリー。おまえは生まれた時からビート・エリーだ」
「あたしとチームを組みたい?」
「もちろん。チーム名はビートニクスにしよう」
「異議なしだわね」
 エリーと私は固い握手を交わし、抱き合って互いの肉付きと骨格を確認し、それから手をつないで改札を無札突破し、制止する駅員の怒鳴り声などものともせずに閉じかけたドアをこじあけ、先頭車両まで全力疾走した。そして、前景を見渡せる位置のガラスにふたり並んでへばりついた。運転士が犯したちょっとした運転ミスをわれわれは見逃さず、そのたびにガラスを叩いて不満を表明した。一度など、エリーと私の「不満表明」が激しすぎて自由が丘と祐天寺の中間地点で急停車したほどだ。それくらいわれわれの抗議の意思と行動は強固だった。バービー・ボーイズの杏子の鍛えに鍛えた6ブロック腹筋も真っ青である。
 終点に着くといままで最後尾だった車両まで全力疾走した。それを合計8回繰り返した。運転士と車掌をのぞけば、2008年4月4日の東急東横線における移動距離のチャンピオンはまちがいなくエリーと私である。東急東横線渋谷改札口から始まるこれら一連の行動をわれわれはのちに、「造反有理ゲーム」と名づけ、雲ひとつないピーカン・デーにしばしば実行に移し、顔のない臆病姑息小児病に罹患した大衆から大ひんしゅくを買いまくり、売り飛ばし、大安売りし、要注意人物指定された。渋谷警察署の生活安全課に2度、碑文谷警察署の暴力団対策室に3度、警視庁公安部内事課の極左暴力集団担当のへっぽこ宮川野鰻警部補に1度、それぞれ説教と説諭と懇願を受けた。おおいにけっこうなことであった。

 その夜、エリーと私は横浜の港を見下ろす高台にある「ロスト・ジェネレーション&ジュラシック・パーク・ホテル」という風変わりな名前の古びたホテルで、「ふたりぼっちの軍隊」たるビートニクスの「結成式」を敢行した。エリーも私も全身に痛みを感じていたが栄光には常にいくぶんかの痛みが伴うことをわれわれは知る者でもあった。エリーは小柄で華奢で平和的で博愛主義者でビートきかしたシマリスみたいにすばしこく、私は巨漢で頑丈で好戦的で帝国主義者で吉野家の肉盛りを貪り食うマウンテン・ゴリラみたいに傲岸不遜傍若無人だった。正反対だが似ていた。顔かたち、性質は異なっていても、ザ・ピーナツより似たツインズだった。とはいえ、さすがにこまどり姉妹には負けると思う。リリーズが相手となると、『好きよキャプテン』を口ずさみながら物静かに退場するしかない。ビートニクス結成初日段階におけるわれわれの合い言葉は、「遊びをせんとや生まれけむ」「いつか、フランシス・スコット・フィッツジェラルド&ゼルダ・フィッツジェラルド夫妻を超えよう!」「セックス!」のみっつであった。

 エリーは『恋のフーガ』を鼻歌で歌い、私はマイルス・ディヴィスの『ソルト・ピーナツ』を口笛で吹いて夕暮れの仙台坂をほぼ毎日、昇り降りした。つないだエリーの手はとても小さくて、陶器みたいにひんやりとしていた。手の甲は静脈が4本青く浮き出ていた。そんなエリーの手が急に愛おしくなり、力を込めるとエリーはムキになって握り返してきた。私を睨みつけてエリーは言ったものだ。
「少しは手加減してよ、近代ゴリラ!」
 私のエリーへの返答は決っていた。
「吾輩は相手が稚児であろうと女人であろうと泣くココナツ娘であろうと地頭であろうと小倉智昭であろうと細木数子であろうと手加減も容赦もしない。なぜなら吾輩は天下御免のいじめっ子だからだ。おぼえとけ!」
 私がそのように言ったときのエリーの幼な子のような笑顔を私は生涯にわたって忘れないと思う。いや、忘れたくない。
「かわいい女になりたい。かわいい女にならなくっちゃ」
 それがエリーの口癖だった。「アルデンテの真実一路論争のときのおまえさんは銀河系宇宙一生意気で憎たらしくて絞め殺したくなるけど、それをのぞけば東京23区内で一番かわいいよ」
「ほんとに?」
「おれが言うんだからまちがいない。いままで秘密にしてたけど、おれ、実は東京恋するカレン・プリティ推進委員会の副委員長なんだ。近々トーキョー・プリティ証明書を発行してやってもいい」
「はあ? うそつき!」
「うそじゃねえよ」
「じゃ、委員長の名前を言ってみ」
 エリーは鬼の首でも取ったみたいに得意満面で言った。
「せんだみつお」
「あなたねえ、これからは ”まんみつ” って呼ぶからね! ばかっ!」
 エリーは盛大にむくれ、鼻の穴をふくらませた。エリーは小鼻がすごく発達していて、小鼻だけ見ていると自動的に北島三郎の顔面どアップが頭に浮かんでしまう。全自動洗濯機なみの手順だ。
「ちょっと! あなた、また北島三郎の顔面どアップを思いだしてるんでしょっ!」
「あったりー! おまえさんの自己認識にブレはまだないようだ。うまく使えばまだ10年はいけるな。メラノーマの野郎だってぶっ飛ばせるぜ」
 私は韓国大使館の前でエリーを抱き寄せ、両手で頬を挟んだ。皮膚の薄いすべすべの肌は静脈が青く透けて見えた。
「でもさ。かわいいのはほんとだ。心の底からそう思ってるよ」
 私が言うとエリーは眼を瞬かせ、涙を浮かべ、私の胸に顔をうずめて「うそつき。うそつき。うそつき」と繰り返した。27回まではカウントしたがそこまでだった。まったくリフレイン好きのエリーには困ったものだ。隙をみてヘッドフォンを装着させ、ボブ・ディランの『激しい雨』を大音量で聴かせてやろうと企んでいたが実現しないうちにエリーは死んでしまった。企みを実現できなかったのはかえすがえすも残念でならない。エリーの細い肩越しに警備の若い警察官が顔を赤らめ、うつむいているのが見えた。

 2008年の春の盛りの昼下がり。広尾のナショナル・マーケットでヴーヴ・クリコのイエロー・ラヴェルとサンチェス・ロメロ・カルバハルのイベリコ豚の生ハムとキャマンベール・カルバドスとワイン・グラスを買い、エリーと私は有栖川公園の西の斜面で花見をした。前日の強風で桜はほとんど散りかかっていたが、地面に散り落ちている桜の花びらを愛でるだけでエリーと私にはじゅうぶんだった。「ニコル・バルブ・ポンサルダンにサリュー!」と叫んで私とエリーはグラスを合わせ、乾杯した。
 メラノーマと診断された翌朝、エリーはヴーヴ・クリコのコルク栓コレクターのように上機嫌だった。「かわいい女になって土曜の朝に死にたいの」とエリーは言った。「土曜の朝に死ねばお通夜でドンチャン騒ぎしても次の日は日曜日でお休みだから、みんな仕事の心配しなくていいじゃん?」
 エリーは笑いながら言ったが、その眼からは大粒の涙がいくつもこぼれ落ちていた。私が言葉を失っているのに気づいたエリーは尻を私に向け、3回続けておならをした。とてもかわいらしい音だった。涙が堰を切った。
「泣かないでよ。男の子でしょ」
「おまえこそだよ。ガラス玉流しやがって」
「ガラス玉ですって。ふんっ! 減らず口めっ!」
「女の涙はガラス玉、男の涙はダイヤモンドって相場が決まってるんだ」
 エリーと私はサザン・オールスターズの『涙のアヴェニュー』が繰り返し流れるだだっ広い部屋で抱き合ったまま日が暮れるまで声をあげて泣いた。日が暮れてからは声を押し殺して泣いた。一生分の42分の35くらいの涙を流したと思う。もうこの先はなにがあろうとも私が涙を流すことはないだろう。泣きたくても手持ちの涙はもう1滴も残っていない。
 
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by enzo_morinari | 2013-01-12 20:00 | BEATNIC LOVE | Trackback