カテゴリ:苦悩するビーバー・カモノハシ( 1 )

Alone Again/苦悩するビーバー・カモノハシ#1 進化と死と再生と。

 
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ベップー・ガジン
『progress』2013-05-02 20:17
今日一日考えていたこと。
このブログを読み、コメ欄で対話して思ったのだが、この十数年であんたはずいぶん先に進んだ。思想も言語表現も、確実に先鋭化してきている。 翻ってオレは、やっぱり日常にかまけて停滞していた。 まあ、昔から器の違いは感じていたが、ずいぶん差がついちまったなあ、とゆー感じ。ちっとな、ジェラシーを感じるよ、ちっとな。

ニナガワのモデルはあくまでオレが知ってた90年代のあんたでしかなく、あんたの急成長をかんがみると、オレはニナガワを小さく括りすぎてるような気がしてきた。まあ、最前も書いたが、オレが書くあんたは、オレの解釈の網の目を通したあんたでしかないわけだが。

また、あんたが言うとおり、3.11以降、従来の観念や言葉の多くが有効性を失う状況下、オレが書いているのは今という時代には無効な言葉じゃないかという気もしていた。

あんたが喝破したとおり、アダチ/ニナガワは原父殺しの共犯者=兄弟たちというドスト的な構造の裡にある。まあ、二人とfatherless&motherlessのwild childであるという意味では、オイディプスの罠には嵌っていないのだが、それでも古い構造から逃れているわけではない。3,11以降、顕在化してきた構造ないしは無構造の前で、それはなにがしかの意味を持ちうるのだろうか? しばし、考えてみる。

「青い花」。必読。あんた、あーゆーの書きなよ。


 ビーバー・カモノハシ
『進化と死と再生と。』2013-05-02 22:31
「進化」というよりも「付加」あるいは「編集」なんだがな。PCのCPUならびにHD、電網を吾輩の大脳辺縁系ならびに大脳新皮質の外縁化とするちょっとしたコツ、スキルを身につけたということだ。記憶/保存と読み出し/ペーストをPCに受け持たせることで飛躍的に「創造」「想像」に吾輩の大脳辺縁系ならびに大脳新皮質を使える割合が増えた。しかし、当然に失ったものもある。圧倒的にPCの前にいる時間が増えて生身、リアルの世界、人間にコミットメントすることが激減した。

はっきり言ってしまうが、いまや吾輩は生身の人間、世界にほとんど興味がない。「ネット中毒」だの「ネット依存」だのという権威の上に胡座をかいた立場からの物言いには憐れみさえおぼえている。そうじゃない。「ネット中毒」「ネット依存」という紋切り型に当てはまる者どももいるだろうが、それらとはあきらかに異なる「新人類」「新種」が生まれたというのが吾輩の考えだ。そして、(われわれが「リアルの世界」に生きているあいだは間に合わないだろうが)やがてその新人類、新種が世界を動かすようになる。そのときには、「生」「生命」の概念さえまったくちがうものになっているだろう。

今年の初め、3年間酷使した外付HDが息の根を止めた。ぶっ叩こうが怒鳴り飛ばそうがうんともすんとも言わない。完全なる沈黙。茫然と、しかしいくぶんか陶然と、沈黙を守りつづける外付HDをみていた。3年のあいだに集積された文書ファイル、動画ファイル、音楽ファイル、画像ファイルのすべては消えたが(蒙った損害はおそらく数百万円にのぼるだろう)、なぜか心は穏やかだった。バックアップ? それってうめえのか? かたちあるものはいつか壊れるのだ。何者もその摂理に抗うことはできない。

外付HDが息の根を止めたのは精緻精妙なる摂理、「縁」のなせる業である。あるいは、「宇宙を支配する巨大な意志の力」の。逆らってはならない。そして、吾輩は息の根を止めた外付HDを前に夢想した。人類が初めて大地に指先で文字を記した瞬間に思いを馳せた。そのとき、彼の心はふるえていただろうか。それとも千々に乱れていたのだろうか。彼の指先は大地の鼓動を感じとったろうか。吾輩はそれらのことを思い、いつだったか、ガジンがアカンソステガの子孫がおぼつかない足取りで海から這い出て、原始太陽の眩しさに目を細め、そののち、みずから地上にその一歩を刻した瞬間に涙したように吾輩も涙した。

原始の土塊がこびりついた指は幾星霜を経て、グーテンベルグに宿り、木版に辿り着く。さらには文選に行き会い、職人技の組版に出合う。やがて、電算写植、製版、DTPを経て、ついに文字は0と1で出来上がったデジタルの海へと溶け入った。

早晩、文字は印刷され、大量消費され、与えられるものではなく、ただそこに置かれ、引っ張りだされ、奪い取られるようになるだろう。文字言語が無制限無制約に集積されたもの。それは人類の知の大伽藍でもあって、かのアレクサンドリア図書館をさえ軽々と飲み込むスケールを持つ。このことは文字言語にとどまらない。音声も音楽も映像も、すべてが人類史上最大にして最速の知の大伽藍に集積集約される。ひとはいつか、その知の大伽藍を「神」あるいは「極楽浄土」と呼ぶようになるかもしれない。

身体は本来の意味を失い、精神は0と1に変換されて、デジタルの海を自由自在に泳ぎまわる世界。このとき、ついに「永遠の生命」は実現する。聴こえる妙なる調べはデオキシリボヌクレイック・アシッド・ミュージックの旗手、ジャン・ミシェル・ミゴーの『死と再生』だろう。

時代に追いついたのは2006年の秋だ。ガジンと最後のメールのやりとりをしてから7年後だな。そして、時代を追い越したのは2011年の3月14日だ。いまは時代が吾輩に追いついてくるのを待っているが、追いつくことなどできまい。時代の何倍もの速度で吾輩は疾走しているからな。ひとかけらの「かなしみ」も躊躇もなく。このちっぽけで腐った世界も時代も、せいぜい、地団駄踏みながら吾輩の血煙を上げる背中でも眺めているがいいさ。

さて、次の休みの日(あればいいが)、amazon.comで最新最速最大容量の外付HDを買うことにしよう。ついでにiPOD 6-2000GTRも。
 
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by enzo_morinari | 2013-05-02 23:37 | 苦悩するビーバー・カモノハシ | Trackback