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淡水魚の死

 

遠い土地でのたうちまわり、もがき苦しみ、格闘し、世界と人間を憎悪し、呪い、カミソリのように生きていた淡水魚が死んだのは2010年の秋の盛りだった。21歳。♀。

「おっちゃん、図書館で物思いに耽ってる村上春樹みたいらしいな」と淡水魚はSkypeでメッセージを送ってきた。それが淡水魚とのはじまりだった。2008年の春の終わりのことだ。

「なんだそりゃ?」
「とにかくな、うちは図書館で物思いに耽ってる村上春樹が好きなんや」
「吾輩は図書館なんぞには金輪際行かないし、物思いに耽ったりもしない。スパゲティ・バジリコくらい不誠実な食いものはないと思ってるしね」
「おっちゃん、頭いいな」
「まあね」
「好きや」
「ギャラは高くつくぜ」
「命で払う」
「吾輩とかかわると挽肉になっちまうかもしれないぜ」
「メンチカツは大好きや」

淡水魚はそう言ってゲラゲラとゲラダヒヒのように笑った。笑っていたがスーパーサイヤ人色に染めた髪の毛の前髪のあいだからのぞく眼にはひとかけらの笑いもなかった。それどころか、淡水魚の眼は-273.15で凍りついた若鮎のような悲しみで満たされていた。後にも先にもあれほど悲しい眼にはお目にかかったことがない。こちらの魂が凍りついてしまうような眼だった。

いまにして思えば、淡水魚は長いあいだ強烈に「救い」を求めていながら、この世界に「救い」などありはしないことを知りつくしていたのだと思う。

「とにかくだ。いつでも話し相手にはなってやる。そのかわり、真剣に笑い、真剣に泣き、真剣に怒り、真剣に悩み、真剣に悲しみ、真剣に苦しむことが条件だ。吾輩は上っ面、おべんちゃら、おためごかし、お愛想、きれいごとは算数とリトマス試験紙とデコスケと木っ端役人とおなじくらいきらいなもんでね」
「アイアイサー!」
「吾輩のメガネにかなういい子になれたら弟子にしてやってもいい。東京で一番うまいメンチカツだって好きなだけ喰わしてやる」
「ほんまか!?」
「本間雅晴や!」
「だれやそれ?」
「吾輩のひいじいさん」
「知るか!」

正確にそれから2年半後の2010年11月11日、淡水魚は御堂筋線の線路にダイヴしてみずからミンチになった。まったく。そう、まったくなんてこった。

淡水魚はよく「泥にまみれた少女の亡骸にそそぐ一滴の水になりたい」と言っていた。カミソリのように鋭利な言葉の礫と心、魂、性根に突き刺さる真言、本物とニセモノ、美しいものと醜いものを見抜く心眼を持っていた。淡水魚が死んで世界からは鋭利さと本物と美しいものがそれぞれ7パーセントほど失われた。 淡水魚が死んでから4ヶ月後に大地が激しく揺れ、洪水が世界を飲みこみ、放射性物質が世界を覆った。淡水魚の憤怒と憎悪のように思えた。

 

by enzo_morinari | 2018-02-18 05:14 | 沈黙ノート | Trackback | Comments(0)
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