昼めしはウィンダムヒル・ハンバーガー

 
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「イマ、ココハ、戦場ダ。」と意志の中心にメタルを持つ男は言った。


かつて、「ハンバーガー・ヒル」と呼ばれる丘があった。最悪の戦争の最中、ハンバーガー・ヒルで男たちは最善をつくした。

遠い昔、まだいくぶんか若く、「死ぬには手頃な日」と「いい死に場所」を探していた時代。1年間だけ戦場カメラマンをやった。

孤立無援のフリーランス。戦地、前線に単独で乗り込みシャッターを切る。カメラは中古で手に入れた Nikon F4E と Leica M3。Leica M3は沢田教一の影響だった。

ギャランティなどどうでもよかった。カネがなくなれば帰還する。運がなければ死ぬ。「死ぬには手頃な日」に「いい死に場所」がみつかれば死ぬ。それだけのことだった。主にレジオン・エトランジェールの第13外人准旅団に同行した。レジオン・エトランジェールの司令官につてがあったからだ。

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兵士と戦場と戦場を記録するカメラマンに強い関心があった。そして、「死」にも。戦地に行くことを告げたとき、出会って以来、ただの一度も私の言動に異議を唱えたことのないわが人生の同行者である虹子が血相を変えて反対した。

「あなたが死んじゃったらわたしはどうすればいいんですか!」
「 ── おまえも死ね」
「 ── わかりました」
「ありがとう」
「あのう ── 」
「うん」
「わたしもいっしょに行きたいです」
「それはだめだ。戦場は男の仕事場である」

1ヶ月後、私はトルコ航空アブダビ行きのボーイング747に乗った。およそ1年後、命運はつきず、「死ぬには手頃な日」はなく、「いい死に場所」はみつからなかった。カネだけがなくなった。気持ちいいくらいの一文無し、すってんてんのすっからかんだった。

最後はモロッコのカサブランカでモロッコ人の酒場のおやじに10000フラン借りて飛行機代にした。そのモロッコ人の酒場のおやじとはいまでもつきあいがある。

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高校を卒業するまでは横浜が生活の本拠地であり、周辺には本牧、根岸台、磯子の杉田、金沢区の富岡などに米国軍属の居住エリアがあった。「フェンスの向こう側のアメリカ」だ。

国道16号線をアメリカン・スクールの黄色いスクール・バスが走る風景はあざやかにおぼえている。アメリカン・スクールの奴らとバスの窓越しに罵りあうのは日常茶飯事だった。

住んでいた家の向かいには海兵隊の下士官の家族が住む大きなハウスがあった。同級生の中には何人もハーフがいた。「あいのこ(混血児)」という言葉はごく普通に使われていた。

のちに意味を知る「オンリー」「パンパン」などという言葉も小学校の低学年のときには耳でおぼえていた。近所の主婦どもが声をひそめて「○○さんはオンリーだから」とか「パンパンふぜいが」と話す風景はどこでも見かけた。「オンリー」とは米国軍人専門に売春をする女性のことである。「パンパン」は言うまでもないだろうが「パンスケ」だ。

横浜にかぎらず、神奈川県内には厚木基地や米軍の関連施設がいくつもあった。逗子の池子の弾薬庫にはフェンスをくぐって忍びこみ遊んだことがある。米国海軍軍港のある横須賀が近かったのでベトナム戦争で負傷した兵士をよくみかけた。手や脚を失った元兵士たちは一様に焦点の定まらない眼をしていた。

ヨーハイ(Yokohama American High-school)に通うともだちの年上の兄弟が何人もベトナムで戦死した。ベトナム戦争で戦死した兵士専門の死体洗いのアルバイトをしたこともある。戦死者の死体はすさまじい。バラバラ。木っ端微塵。どろどろ。ぐちゃぐちゃ。

バラバラ、木っ端微塵の死体の一部を寄せ集めるのはパズルを組み合わせるようなものだった。かなり精と根のいる作業だった。大江健三郎の『死者の奢り』を読んだときの感想は「甘っちょろいぜ」だ。

戦場においては死は問答無用で襲いかかってくるし、圧倒的にすべてをなぎたおし、なしくずしにする。サルトルの言うとおりだ。問答無用でなしくずし。戦場においては死とともに「差別」もまた日常だ。戦場では銃後よりもむしろ差別は先鋭化する。一番危険なエリアに送りこまれるのはまず黒人であり、カラードだ。それが現実である。

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死体洗いの話に戻る。慣れてくると(慣れ? そうだ。慣れるのだ。慣れなけりゃめしが喉を通らない)当然に手際がよくなり、処理スピードは速くなる。

1体につき2万円もらえた。1日に7〜8体やった。組み合わせがうまくいかず、白人の胴体に黒人の腕と脚、頭はアジア系のものをつけたこともあった。手の指が全部で13本などという勘定が合わない「完成品」もあった。しかし、だれも笑わない。なにごとにも関心を示さない。殺伐といえばあれくらい殺伐とした風景にはお目にかかったことがない。

ある意味では戦場よりも腹にこたえる風景だった。いや、風景ですらない。なにもない。会話がない。挨拶もない。表情もない。感情もない。あるのは細切れ、挽肉状態の無惨な死体と薬品の匂いと作業の音だけだ。天井近くの窓から射す光の束の角度が時間の経過を知らせていた。

「実存の風景」だった。これまでに「実存主義文学」と呼ばれるたぐいのものはほとんど読んだが、安部公房と大江健三郎、アルベール・カミュ、J.P. サルトルらの作品のいくつかをのぞけば腹にこたえるほどの「実存」を感じたことはなかった。あのときの「実存の風景」にくらべれば「甘っちょろい」ということだ。繰り返すが、実に奇妙で殺伐としていて腹にこたえる風景だった。

一体できあがるたびに検査官のチェックを受けるのだが、検査官の中尉は表情ひとつかえずに「O.K. No problem」と素っ気なく言ってチェック・シートに無造作にサインをした。そんなわけで、こどものころから兵士と戦場と死は身近にあった。

戦場カメラマンをした1年間にえたものなどなにもない。絶望やら人間不信やらが深まっただけだ。わりが合わない。命をかけたところで報酬はたかがしれている。いまの御時世、わりのいい仕事はほかにいくらでもあるだろう。まあ、すすめない。すすめられるような仕事ではない。

渡辺陽一? ありゃ、ただのカメラおたくだろう。やばい場所で会ったことはない。会ったことがあるのは石川文洋さん、広河隆一さん、年下では鴨志田穣と宮島茂樹くらいのものだ。

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さて、本題だ。この夏の初め。7月4日の昼前、雨上がりの街を歩いていた。これといったあてがあったわけではない。風の向くまま気の向くままにただ歩く。

日本橋浜町界隈、新大橋通り。2本裏手の路地にさしかかったとき、電柱に色褪せたポスターが張られているのを発見した。早足に近づき、内容を確認する。いたるところが傷んでいる。長い年月にわたって風雨やら陽射しやらにさらされたことがわかる。眼を凝らさなければ中身を読み取れない。ポスターに近づいたり、遠ざかったりすること数度。やっとわかった。

ハンバーガー・ヒル ── 1969年のベトナム、ラオス国境で実際に行われた戦闘を描いた映画である。兵士の死体がハンバーガーの挽肉状態で転がっている激戦地、戦闘の舞台となった小高い丘を生き残った者たちは恐怖と絶望をこめて「ハンバーガー・ヒル」と呼んだ。

四半世紀も前にみた映画の断片がよみがえる。当時は『プラトーン』を筆頭に、『フルメタル・ジャケット』『グッドモーニング・ベトナム』『友よ、風に抱かれて』『カジュアリティーズ』『7月4日に生まれて』など、ベトナム戦争を主題とした映画が多く製作されていたような印象がある。

『プラトーン』と『グッドモーニング・ベトナム』はいまでもみることがあるが、『ハンバーガー・ヒル』や『フルメタル・ジャケット』はあまりにも生々しく、身につまされるのでみることはない。誰のどこの部位ともわからぬ肉片、引き裂かれた皮膚、焼け焦げた毛髪、飛び散った内臓は現実でも映像・映画でももう御免だ。

夏の盛りの陽が射してきたころ、さしかかったオープン・カフェからはウィンダムヒルの平和静謐安穏な音楽が流れていた。ハンバーガーでもかじりながら午後の予定を立てることにした。

テーブルにつくと同時に天井からぶら下がったBOZEのスピーカーからジョージ・ウィンストンの弾く『Fragrant Fields』が聴こえはじめた。

芳しい大地? 香りたつ地上? やめてくれ。冗談じゃない。そんなものはこの世界にはない。まやかしだ。うそっぱちだ。ペテンにもほどがある。この世界は『Killing Fields』だらけだ。殺戮の大地が世界を覆っているんだ。

ジョージ・ウィンストンの耳心地のいいきれいなピアノの旋律が無性に腹立たしかった。どうかしてる。きょうのおれはどうかしてるんだと自分に言い聞かせようとしたが無駄だった。

味も素っ気もないパサパサしたバンズとただ柔らかく歯ごたえ食感のかけらもない脂っこいだけの挽肉のパティと酸っぱいだけのピクルスでできあがったハンバーガーをかじりながら、いまのところこの国に生きていれば挽肉にされる心配はたぶんないだろうなと思った。いい国、いい時代ということでもあるのか? さあね。私にはわからない。

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ある戦友への惜別の辞(2007年3月)

さらば、戦友よ。酒神とともに逝け/ここはお国を何百里離れて遠きアジアンの酔いどれ月に照らされて

またひとり、戦友が逝った。鴨志田穣。戦場写真家。酒豪。熱血漢。好漢。いい男だった。いくつか年下だったが、学ぶところの多い男だった。気合いの入った眼をしていた。私と面とむかって視線をそらさぬ数少ないやつだった。その「眼」で戦場を撃ち抜き、修羅場を駆け抜けた。鴨志田の眼と声がよみがえり、響く。

底なしの酒豪だった。酒の飲み方を知る男だった。悲しい酒も楽しい酒も苦しい酒も怒りの酒も飲める男だった。いつか、冬の夜、湯豆腐などつつきつつ、二人きりで静かな酒を飲みたいと思っていた。だが、もうそれはかなわぬ。またひとつ、夢が消えた。

『火垂るの墓』の節子の話をはじめると声は大きくなり、オクターブは上がり、唾を飛ばしまくり、そして、いくらでも涙を流した。宝石のような涙を流す男だった。昨今、どいつもこいつも流す涙はガラス玉ばかりだが、鴨志田の流す涙はダイヤモンドだった。本物だった。

「酒はまだ飲み足りないが、いまは死に場所をさがしている」

はっとしておまえを見たが、おまえはもう新しい盃になみなみと酒を注いでいた。

鴨志田よ、おれはやっぱり、おまえと酒を離縁させるべきだったのではないかと悔やむこともなくはないが、それは気の迷いにすぎないと思うことにした。これからは思うぞんぶん飲め。泣け。そして、「視えない自由」を「視えない銃」で撃ちまくれ。もはや、おまえを縛りつけるなにものも、なにごとも、ありはしない。

いつの日か開高健を乗り越えようと誓った横浜のバー「クラーク」の夜。そして、マラッカ海峡に轟々と沈みゆく巨大な太陽を眺めながら飲んだ生温く糞まずいバドワイザーの味を忘れはしないぞ、鴨志田よ。ますますいい奴は死んだ奴ばかりになっていきやがるなあ、鴨よ。

さらば、戦友よ。酒神バッカスとともに逝け。そして、ただ静かに眠れ。ただし、おれとおまえの二人分、天上極楽極上の般若湯ととびきりのトム・ヤム・クンの用意を怠るな。おれはきょうはわが人生の同行者に強がりをほざきつつ、グレープフルーツ・ムーンを眺めながら涙の酒を飲む。

わが友、鴨志田穣よ。酔いどれの月で会おう。そして、尽きることなき友情の盃を酌み交わそう。それまで、しばしのお別れだ。

Adieu! Adios! Amigo!


弾(さけ)、込め! 捧げ筒(さかずき)! 撃て(のめ)!

(背景音楽:Mal Waldron『Left Alone』/『Drunk on the Moon』ほかTom Waits)


鴨志田穣の戦友諸氏に告ぐ ── 総員武装解除せよ!
鴨志田穣は逝った。二度と帰れぬ場所へ。視えない自由を撃ちぬくために、視えない銃を担いで出征した。再度、言う。鴨志田は逝った。二度と戻らぬ。出征兵士を送るのに涙はふさわしくない。思うぞんぶん涙を流したのちは泣いてはならぬ。以後の涙は鴨志田の盃に落ち、鴨志田が飲む酒を苦くするだけである。

鴨志田穣はすでにしてじゅうぶんすぎるほどの苦い酒を飲んだ。苦い酒はもういらぬ。諸君の心の痛み、嘆きは、当然のごとく、わたくしの痛み、嘆きである。痛み、嘆きに打ち克つには、飼い馴らすか、無視するかしかない。生きつづけるというのはそういうことだ。

薄っぺらな感傷ではなく、かといって、訳知ったようなニヒリズムでもなく、われわれ鴨志田穣の戦友がせめてもの弔いとしてできることは、ただただ鴨志田穣を心のうちにとどめつづけ、生涯にわたって忘れぬことだけである。

かくして、鴨志田穣をめぐるわれわれの戦いはここにひとまずの終戦を迎える。勝利の美酒も勲章も凱旋も勝鬨すらもない。そのような「困難な戦い」をわれわれは戦ったのだ。このことは誇っていい。

諸君は誇り高き無名戦士、名もなき英雄である。諸君なくば、鴨志田穣は「視えない自由を撃ち抜くための視えない銃」の引金に指をかけることすらかなわなかったろう。

鴨志田穣とともに前線に列し、銃後を守ったのは、まぎれもなく鴨志田穣の戦友たる諸君である。諸君はよく戦った。もう戦わなくていい。「言葉の祖国」へ帰還するときだ。この戦いで諸君が流した涙はひと粒残らず、まごうことなきダイヤモンドであった。そのダイヤモンドのごとき涙は必ず鴨志田穣の盃に注がれる。そして、鴨志田穣は甘露を飲み干すように満足げに喉を鳴らすだろう。

総員武装解除せよ! 涙を拭き、涙をこらえ、それぞれの故郷へと帰還せよ! 散開!


── こちら、シエラ・インディア・ゴルフ・ノヴェンバー・インディア・フォクストロット・エコー! ノヴェンバー・アルファ・パパ・アルファ・リマ・マイク! ノヴェンバー・アルファ・パパ・アルファ・リマ・マイク! ビクター・シエラ・フォクストロット・アルファ・シエラ・タンゴ! キロ・ユニフォーム・ロメオ・オスカー・ノヴェンバー・エコー・キロ・オスカー・ノヴェンバー・オスカー・タンゴ! 援軍! 援軍! 応答せよ! ナパーム! ナパーム! こちら、シエラ・インディア・・・ ── ── ゴル・・ストロ・・・リ・・ ── ──────

 
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by enzo_morinari | 2014-06-03 16:03 | イマ、ココハ、戦場ダ。 | Trackback(1)
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