オーロックスの夜#1

 
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遠い遠い大昔。私は人間の一生で一番美しいはずの二十歳を目前にしてずいぶんと生き急いでいた。生き急いでいると実に色々なものが見えてくる。普段は見えないものまで見える。

歯並びの悪いほうの村上春樹が実は小室直樹の中学時代の隠し子で、二人そろって歯列矯正の一環としてイルザ・ランドをストーキングしていたり、東京タワーと横浜マリンタワーがすごく仲が悪くて、大黒埠頭でオーディエンスに気づかれないように夜ごと脛を蹴飛ばしあっていたり、スパム・メールの黒幕はライオン・エステート不動産のまわし者で、ジョン・ベルーシの復権のためにドクター・ペッパーを1日に12本一気飲みしていたり、生きた化石のゴンベッサがところかまわず泳ぎまわっていたり、北京原人やらネアンデルタール人やらアウストラロピテクス・アナメンシスやらムンゴマンやらアイスマンやらが徘徊していたり、ケナガマンモスとコロンビアマンモスが牙を突き合わせ、それをインペリアルマンモスが高見の見物を決め込みながらムカシマンモスの尻を撫でているのまで見えた。オーロックスのヘック・キャトルと出会ったのはそんな夜だった。

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ヘック・キャトルの口ぐせは「こんちくしょうめ!」だ。ヘックはなにかというと「こんちくしょうめ!」と怒鳴る。ヘック・キャトルの怒鳴り声の威力、破壊力は凄まじいもので、近くでトナカイの夫婦を製造販売していたリサ・ラーソンが心臓麻痺を起こしかけた。そのときはWWF(世界自然保護基金)から焼鳥類似学者のマックス・ジャック・ニコルソン、WWFにロゴ・ロコモコ・ロコモーションを提案した怪鳥類学者のピーター・フォーク&ナイフ・スコット、虚業家のビクター・ニッパー・ストーローハット、アマチュア無線学者のガイ・アノニマス・フォークス・ガイア・ヤクショ・モンターニュフォート、オランジナ柑橘系日配ベルンハルト公らを原告としてアフリカの小国の国家予算なみの損害賠償請求訴訟を提起された(裁判は私の超絶弁論によって実質勝訴ともいいうる「即決和解」に持ち込んで事なきをえた)。

また、イーストリバーを航行する20万トン級の貨物船を怒鳴りつけて沈没させたこともあるし、ミライカデナとミライイワクニとミライヘノコから飛来したV-22墜落型オスプレイを「こんちくしょうめ!」のひと言で操縦不能状態にしたことだってある。それも一度や二度ではない。三度だ。

ヘックは「こんちくしょうめ!」のあと1時間ほどしゃっくりが止まらなくなる。しゃっくりは「ヒック」のときもあれば、当然、「ヘック」のときもある。ヘックしゃっくりのときは自分でしゃっくりをしたくせに「だれだ! 気安く俺様の名前を呼ぶやつは!」と怒りだす始末だ。

「ヘック!」「だれだ! 気安く俺様の名前を呼ぶやつは!」
「おまえだよ」(私)
「ヘック!」「だれだ! 気安く俺様の名前を呼ぶやつは!」
「おまえだよ」(私)
「ヘック!」「だれだ! 気安く俺様の名前を呼ぶやつは!」
「おまえだよ」(私)

こんなようなことが1時間もつづく私の身にもなっていただきたいものだ。ただし、悪いことばかりではない。「ヨックしゃっくり」と「モックしゃっくり」がいい塩梅で出たときはそこそこおいしい思いができる。トーキョー・シティのミナミアオヤマからヨックモック製品の詰め合わせがFedEXのカーゴ満載で届くのだ。そのときはハドソンリバー・パークとイーストリバー・パークとイーストリバー・ステート・パークのホームレスたち全員を集めて騒々しいにもほどがあるお茶の会が始まる。

お茶の会の最後には体が大きくて力の強そうなホームレスが選抜され、失われたアークの上にヘック・キャトルを乗せてワシントン大行進する。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアもおっとり刀で駆けつける。宇宙を支配する巨大な意志の力からはお祝いがわりに『新・十戒』と『獣戒』が授けられもする。

問題は行進の途中でイーストリバーが真っぷたつに裂けてしまうことだ。まあ、向こう岸に渡るのに便利といえば便利ではあるのだが。翌日のニューヨーク・タイムズの一面はその記事で埋まる。

自分たちのせいでホワイト・ハウスで国家安全保障会議が招集されるのはあまり気分のいいものではない。当時の大統領はボンクラ・ジミー・カーターだったからいいようなものの、もしあのときのアメリカ合衆国大統領がジョージ・ウォーカー・モンチッチー・ブッシュだったらまちがいなく巡航ミサイルを100発くらい撃ち込まれていたと思う。それを思うと私はつくづくついていたのだなと胸を撫で下ろす。

猿に毛の生えたような男に殺されるのなんて冗談じゃない。真っ平御免だ。アメリカシロヒトリとミツユビナマケモノをサラダボウル一杯食わされるほうがまだましというものである。

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ヘック・キャトルと出会って3日目のことだ。晩秋の弱々しい陽がすっかり落ちた火灯し頃。私はハドソン・リバー・パークのベンチを寝ぐらがわりにして、14th ストリートのどんつく、グリニッジ・ヴィレッジの外れにある閉店セール中のポーン・ショップで15ドルで買ったSONYのオンボロのラジカセで『ワシントン広場の夜はふけて』と『Autumn in New York』と『ニューヨーク炭坑の悲劇』を繰り返し聴きながら眠られぬ夜をビバークしていた。

音楽がよほど心地よかったのか、ヘック・キャトルは私の枕元で大鼾をかいて眠ってしまった。42回目のMJQの『Autumn in New York』が始まったとき、ヘック・キャトルは突然起き上がり、ハドソン川に向かって宣言した。

「俺が無理でも俺のこどもたち、こどもたちが無理なら俺の孫たちの中からアメリカ合衆国大統領を出す!」

宣言後、ヘック・キャトルはまた大鼾をかいて眠りについた。のちに、この日、1978年11月26日は『偶蹄目覚醒記念日』として永遠に記憶されることとなるのだが、私もヘック・キャトル本人もそんなことになるとは知らず、ただ物騒で寒くて心細くて空腹なだけのニューヨークの晩秋を震えながらやりすごした。どのような栄光にも人知れず牛知れないつらい過去があるのである。

『ハドソン川の奇跡』と『9.11ニューヨークの悲劇』が起こるのはまだ20年以上も先の話だし、その頃の私は東西冷戦はいつか世界の破滅につながり、ベルリンの壁はさらに高さと憎悪と悲しみと苦悩を増すと考えていた。ところが今日までに世界は大きく動いた。

東西冷戦の終結。ベルリンの壁崩壊。そして、ソビエト社会主義連邦共和国の瓦解。インターネットの普及によって人類の「知」の意味とありようは根本から変わった。まったく予想もしない動き方、チェンジぶりだった。そして、『奇妙な果実』の誕生から70年余。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア死して40年。「奇妙な果実」の子孫がついにアメリカ合衆国大統領となった。「Yes, We Can Change!」というとても魅力的でチープな広告文案とともに。

当然のことだが、副大統領にはわれらがヘック・キャトルの孫、ヘック・キャトル・ジュニアジュニアが就任した。彼のおかげで世界の牛肉価格は安値安定を維持している。オバマのあとには第45代アメリカ合衆国大統領ヘック・キャトル・ジュニアジュニアが誕生することが確実な情勢である。なにしろ、ヘック・キャトル・ジュニアジュニアには強力なロースト・ビーフ集団(ロビイスト)を擁する「全米牛肉協会」が後ろ盾としてついているのだ。

大統領選のスローガンもすでに決まっている。「Cow Words To Become Water Note!」だ。なにを隠そう、この私が考案したものである。バラク・フセイン・オバマの「Yes, We Can Change!」より有権者への訴求力は強いと思う。キャンペーンのスローガンとしてはまちがいなく傑作の部類に入る。ACC賞くらいは楽にゲットできるだろう。そして、第45代アメリカ合衆国大統領ヘック・キャトル・ジュニアジュニア誕生の暁には私がアメリカ合衆国大統領首席補佐官として表舞台に躍り出るという寸法である。

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さて、「死ぬまでに経験しておくべきいくつかのこと」について手短かに申し上げる。まあ、取って付けたようなものだ。本題をすっかり忘れてしまっていた。申し訳ない。

死ぬまでに経験しておくべきいくつかのこと。その筆頭は秋のニューヨークである。春でも夏でも冬でもなく、秋のニューヨーク。春のパリと夏のニースと冬のペテルブルグとともに死ぬまでに一度は経験しておくべきだ。もちろん、MJQかジョニー・ホッジスかスタン・ゲッツかタル・ファーロウかソニー・スティットがプレイする『Autumn in New York』を何度も何度も聴いて口ずさめるようになってから。運がよければヘック・キャトルの子孫たちとも友だちになれる。

では、アメリカ合衆国大統領選挙勝利の祝賀会でお目にかかろう。祝賀会当日のメイン・ディッシュはすでに決めてある。「A5クラスの白館牛による牛鍋」だ。
 
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by enzo_morinari | 2013-11-26 23:07 | オーロックスの夜 | Trackback
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