「未解決事件」を解読する。FILE 002

 
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「尼崎大量殺人事件」の首魁、卑鬼毒婦角田美代子の「貌」を読む。


逮捕直後の角田美代子の半身画像を見る。すさまじい。まさに鬼である。亡者、餓鬼、畜生、悪鬼、卑鬼。

これまでの人生で、不良、裏街道を生きる者、やくざ者、反社会勢力に属する者、愚連隊、悪党、ならず者、犯罪者等々、修羅、鬼の一群を随分と目撃してきたし、自分自身が修羅の日々を生き、鬼となったが、角田美代子の「貌」にはそれらとは異質のものを感じる。桁外れの「嫌なもの」「救いようのないもの」「卑劣なもの」を。

これだけの御面相、顔相、相貌にはそうそうお目にかかれない。この傲岸不遜、この太々しさの背景にあるもの、奥底に潜むものはいったいなんだ? 後天的な経験、体験でこの顔相、貌ができたとは考えられない。出自、生育環境にまで遡らなければ読み解くことはできないように思える。角田美代子の一族の「血」の問題、その「血」が孕む闇にまで遡らなければ。それほど、角田美代子の「貌」は難解にして怪異である。

今の段階で直感的に言いうることはふたつだ。ひとつはこの「貌」は10人20人の単位どころではない数の命を奪っているということ。ふたつはこの「貌」は持って生まれたものであるということ。角田美代子が孕む闇の奥にたどり着く道は細く暗く険しい。

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被害者と被害者遺族には申し訳ないが、「愛の亡霊」の阿部定にしろ、戦後初の女性死刑囚小林カウにしろ、どこかに「可愛げ」「愛嬌」「愛らしさ」がある。しかし、どう贔屓目に見ても角田美代子には「可愛げ」の「か」の字もない。「愛嬌」「愛らしさ」の「あ」の字もだ。

吾輩の知るかぎりにおいて、角田美代子の「貌」のすさまじさに匹敵するのは、質はちがうが「連合赤軍事件」の永田洋子の「貌」くらいである。おなじ尼崎の「児童虐待死事件」の犯人や「秋田連続児童殺害事件」の犯人も凄まじい御面相だったが、角田美代子に比べればかわいいものだ。

釈迦は心の中、生命の状態を地獄界、餓鬼界、畜生界、修羅界、人界、天界、声聞界、円覚界、菩薩界、仏界の十界に分け、それぞれにまた地獄、餓鬼、畜生、修羅、人、天、声聞、円覚、菩薩、仏の十界が具わっていると説いた。「十界互具」である。このうちの地獄、餓鬼、畜生を特に「三悪道」あるいは「三悪趣」と呼んで最悪道、最下劣とした。さらには、『法華経』の中で「如是相」と言った。人相、面相、顔相、容貌に生命、心の状態は端的歴然と現れるということだ。角田美代子の「顔」がどれかは自ずとわかるだろう。

日頃から、鏡をよく見て自分の「顔」「貌」がどうかを確認しておくことは必要である。ろくでもない輩はろくでもない貌をしているし、まともな者はまともな顔をしているものだ。善相か悪相か。日頃から、自分の顔だけではなく他人の顔もよく見ることを習慣とするのは「人間、人物を見極める眼」を涵養する。

顔も貌も自分の生きざまでつくるものだが、いったいどう生きれば角田美代子のような御面相、容貌になれるのか。そのリアリティがまったくつかめない。見当がつかない。まちがいなく下衆外道の生きざまをさらした結果がこのような「貌」をもたらしたのであり、判明しているだけで8家族を崩壊離散させ、家屋敷財産を根こそぎ奪い取り、8人の死者と3人の行方不明者失踪者を生む凄惨きわまりもない事件に至ったのだと言えるが、リアリティに欠ける。それほど想像を絶するということである。

被害の規模から言うならば、角田美代子らが引き起こした凶悪事件はまぎれもない災害である。災害をもたらす自然に悪意はないが、角田美代子一味は醜悪きわまりない悪意の巨塊そのものである。

この一連の事件のほかにも、角田美代子らは「山を踏んでいる」と考えるのが妥当だろう。まさに、鬼畜悪鬼の所業だ。だが実は、日本自体がここ数十年のあいだに、「百鬼夜行の国」に堕してしまったのではないかと思えなくもない。「尼崎大量殺人事件」の首魁である角田美代子らはその象徴にすぎないということだ。そう思って街中で見かける「善良そうな人々」の顔をよくよく見れば、その顔の裏側、奥深くに「角田美代子的なるもの」の貌が見え隠れするのを如何ともしがたいのだ。恐ろしいことである。

角田美代子は拘留中に留置場で自ら首をくくって果てたが、直前にはクロノスの大鎌を振り上げる死神の貌をその眼に焼きつけ、震え戦いたにちがいあるまい。死を選択しなかったとしても、法の庭においてまちがいなく極刑、すなわち死刑判決が下されたはずだ。反省悔悟の情、更生の可能性を忖度勘案する必要は微塵もないし、百万歩譲っても死刑以外の刑を選択しえない事案である。

埋もれている被害、未発覚の事件も含め、捜査関係者の地道な捜査による「尼崎大量殺人事件」の全容解明を待ちたいが、期待はできまい。37件にも及ぶ被害の訴え、犯行の端緒を疑いうる機会があったにもかかわらず、なんらの手も打てなかった兵庫、高知、香川、岡山、滋賀、京都の各県府警、捜査機関の面目は丸つぶれである。警察は顔に泥を塗られたままでいいのか?
 
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by enzo_morinari | 2013-06-10 03:23 | 「未解決事件」を解読する。 | Trackback
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