吾輩は世紀末人間ドリルである。名はファンドシエクル・マドリガル・マンドラゴラ・マンダラ・マンドリル。世界に風穴をあけるドリルである。轟音。粉砕。ぺんぺん草なし。手加減なし。容赦なし。風通しはいくぶんかよくなるはずだ。鼻息はスコブル荒い。
ありえな〜い? ありえるんです! 信じらんな〜い? 信じるんです! マジ、ムカつくんですけど〜? こちらは100倍ムカついているんです!
本拠地から通りをはさんで徒歩15秒の場所に位置するコンビニエンス・ストアは、いつもたばこ屋がわりに利用している。タスポを持っていないからである。深夜の抑えようのない飢餓感を満足させるためのジャンク・フードの類いの調達先としても重宝している。飢餓にはジャンク・フード。これは譲れぬ。
さて、つい先ほどのことだ。下げたくもない頭を下げ、言いたくもないお愛想を言う局面が終了して、吾輩は心底、不機嫌だった。不機嫌きわまりもなかった。おまけにその局面のさなかにたばこが切れて、苛立ちは限界に近かった。帰還後、ピース・ライトを買うべく、すぐに15秒コンビニに向かった。
晩めしを求める人々でレジ・カウンターはにわかに混みはじめていた。と、3ヶ所あるうちの真ん中のレジ・カウンターがあいた。吾輩の順番は次だったので並んでいた列を離れ、あいたレジ・カウンターの前に立った。すると、腕組みをしていたアルバイトとおぼしき髪を赤くキンキラキンに染めた若い女が不機嫌そうな表情を浮かべ、そっぽを向き、腕組みしたまま右の手で犬猫でも追い払うような仕草をした。もちろん、吾輩がただで済ませるわけがない。
オウッ! ゴルラァ! おのれ、どういうつもりじゃあ! このボゲェッ! カスゥッ!
生ゴミ女は「いったいなにが起ったの? わたしがなにをしたっていうの?」という表情をしたあと、吾輩の鬼の形相にまみえたとたんにビエンビエ〜ンと泣きじゃくりはじめる。奥の事務所から店長とおぼしきデブが素っ飛んでくる。
オウッ! ゴルラァ! おのれ、どういう教育しとんじゃ! このボゲェッ! ゴルラァ!
デブ店長、平謝り。以下の顛末は省く。ただ、腹立ちはいまに至るもおさまらない。
吾輩はとっくの昔に生ゴミ世代(いわゆる、「ゆとり教育世代」)のクソガキ、小僧っこ、小娘、その親(モンスター・ペアレント)どもを見放し、憎悪し、軽蔑しているので、彼奴らを諭すことも導くことも教えることもいっさいしない。ただひたすら怒鳴り飛ばす。脅す。泣かす。訴訟だって起こす。訴訟はいくらでも受けて立つ。(百年戦争になるところを実質勝訴とも言いうる「即決和解」に持ち込む吾輩に勝てるかな?)
そのようにして、社会にはどうにもならない相手、存在があることを思い知らす。世界にはどう足掻いても太刀打ちできない恐ろしい人間がいるのだということを知らしめる。これは吾輩流の「世直し」である。この国の「滅び」は彼奴らが社会の中心となる頃に完結する。15年? 20年? 30年はかかるまい。
生ゴミくそガキ小僧っこ小娘ども! 万が一にもオレ様に小生意気な態度、こましゃくれた口をきいたら、おまいらが一生トラウマを抱えつづける言葉、表情、仕草をお見舞いしてやるからな。せいぜい、オレ様と袖触れ合う他生の縁を持たぬように「ありえな〜い、信じらんな〜い神サマ」にでもお祈りしやがれ!
吾輩が彼奴らに言いたいことはただひとつである。
死 ね ば い い の に!
*今夜は腹立ちまぎれに、須藤久監督の『斬殺せよ!』を鑑賞しようと思う。
せつなきもの、それは愛 ── 舞台挨拶の壇上に駆け上がり、いまは亡き野村秋介先生にたしなめられたことがなつかしく思いだされる。