鬼が来た。予想もしなかった方角から。鬼だ。鬼になりたかったんだ。鬼ごっこの話ではない。正真正銘、本物の鬼だ。やっとなれた。いや、鬼になっていたことに気づいた。きのうのことだ。吾輩の修羅の日々の一端を知る古い友人との他愛のないやりとりがきっかけだった。
こどもの頃から「鬼ごっこ」の鬼をやるのが好きだった。自分から志願して鬼役をやった。ほかのこどもたちは鬼を志願する吾輩が理解できないらしく、不思議そうな顔で吾輩をみつめた。怪訝な表情をみせる者もいた。
鬼となって逃げる者たちを追いかけまわすことに快感をおぼえた。わざとぎりぎりのところまで迫り、しかし、捕まえずに追いかける。「オラオラオラ! おうおうおう!」と雄叫びを上げながら。
追う吾輩。逃げる腰抜けども。腰抜けどもが悲鳴をあげるのがたまらなかった。中には地面にへたりこみ、大声で泣き出すやつもいた。吾輩はその様子を見ながらゲラゲラと笑った。笑いは止まらなかった。
夕暮れの小学校の校庭に響く泣き声と笑い声。いま思えば世界のなにごとかを象徴していた。泣く者と笑う者という世界のありようを。
自分でも気づかなかった。鬼になっていたことに。鬼とはなにか? わかった。鬼とはなにごとかに一心不乱に打ちこむ生きざま、姿そのものだった。鬼はどこにいるのでもない。わが胸中にありだ。
鬼は自分の性根、心、魂からやってくる。鬼は余計なものは容赦なく手加減なく捨てる。切り捨てる。無駄なことは一切しない。それが鬼だ。
ずっと昔、あるテレビ番組で開高健を取り上げていた。副題は開高健本人の名言、「悠々として、急げ」。古代ギリシャの劇作家ソポクレスの『アンティゴネー』第231節に由来する。いい言葉だ。コメンテーターたちの薄っぺらで浅はかな発言をのぞけば、おおむねよくできた番組だった。まだ若い開高健がインタビューに答えたときの言葉には激しく強く深く胸を抉られた。開高健は言った。
外部の敵とはどのようにも戦える。内部の敵、心の闇だけはどうにもならない。そうか。あの開高健でさえ「鬼」に怯えていたか。思えば、開高健とともに歩いてきたような人生だった。その博学、博識、博覧強記、大伽藍のごときヴォキャブラリー群にはただただ圧倒されつづけた。
風貌、話しぶりとは対照的に、開高大人の小説作品は緻密であり、濃密であり、繊細である。根拠のないひとりよがりにすぎないが、自分の文章を読みなおしていて、「あ、これはどこかで聴いたことのある『話しっぷり』だな」と思うことがある。おぼろげな記憶をたどってゆくと、はたと思いあたる。開高大人がなにごとかについて語るときの、汲めどもつきぬ「豊饒なる饒舌」に吾輩はわれ知らぬうちに強く影響を受けていたのだと。
いまでも、週刊プレイボーイに連載された読者とのQ&Aをまとめた『風に訊け』は折りにつけて読み返す座右の書と言ってもよい本だ。励まされる。叱られる。驚かされる。笑わされる。考えさせられる。そして、モンゴルで巨大なイトウを釣り上げたときの「イトウだ! イトウだ!」と叫ぶ開高大人の永遠の少年のごとき声と満面の笑顔がよみがえる。
悠々として急ぎ、茫洋として繊細だった開高大人もいまはない。中上健次大兄もいない。大森荘蔵先生もみまかった。憂きことのみ多いが、せめて、悠々として、急ぎ足で帰り道をゆくことにしよう。いつか旅は成就する。円環は閉じられる。美しいものを見たくなったら、眼をつぶればいいだけのことだ。
鬼は捕まえた。この手と耳と眼と心と魂で。あてどなく、ただやみくもで他愛のない「鬼ごっこ」はこのあたりで終りだ。よい子はルンルンかまやかしイタリアン・ジェラートでも買っておうちに帰るがよろしかろう。あとは捕まえた鬼を飼いならし、野に放つだけだ。
陽はとっくに落ちているというのにそのことに気づかず、極楽とんぼ能天気に鬼ごっこにかまけている世間知らずの甘ちゃんどもは、せいぜいほんまもんの鬼には気をつけることだ。
鬼はあらゆる場所、あらゆる時間にやってくる。鬼の形相で。ときにはえびす顔で。はたまた仏の顔で。この鬼は魂を喰う。喰らいつくす。恐ろしいが、迷ったら鬼に訊け。いくぶんかの痛み苦しみはともなうが、死ぬほどではない。