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三つ編みバンビちゃんが抱えていた真っ白なキャンバスと Life is a work in progress.

 
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横浜YMCAでひと泳ぎした帰路。中華街玄武門際のシーメンズ・クラブでギネス・ビールを飲み、ホット・サンドを食べた。ダブリン市民であるアイルランドの貨物船のセカンド・オフィサーを相手に「物理学における基本粒子」を言いっこしたり、頭突きっこしたり、ギネスを賭けて腕相撲したり、沈黙合戦したり、人文科学と社会科学限定の尻取りをしたり、人類史とアーサー王伝説と『ダニーボーイ』とクラウゼヴィッツの『戦争論』とジェームス・ジョイスとサミュエル・ベケットと「ティム・フィネガンはなぜ屋根から転落し、『フィネガンズ・ウェイク』の "フィネガンズ ”にはなぜアポストロフィーがついていないのか?」について、さらには「クォーク鳥が "クォーク"と3回鳴いた意味」についてちょっとした議論をし、Life is a work in progress という地点に落下傘なしでいっしょに着地し、最後には握手していい友人になった。彼がその後、アイルランド首相になったときは心の底から驚くと同時にうれしかった。たぶん、あのときの言い争いと頭突きと腕相撲と尻取りと議論が彼の政治意識を目覚めさせ、高め、ついには彼を政治家にさせたのだ。そのことはわれわれの友情に終止符を打つ結果となり、「二人の聖パトリック・デー」の終焉をもたらしたが、なにひとつ悔いはない。

巨人大洋戦の消化ゲームを観戦する人々でにぎわう横浜スタジアムを抜け、根岸線関内駅南口へ。根岸までの乗車券を買い、いかにもやる気のなさそうな男(きっと動労系のやつにちがいない)に持たせ切りされてむかっ腹を立てながら改札を抜け、ホームへ。反対側のホームに高校時代のガールフレンドの姿をみつけ、ほんの少し動揺しているとスカイブルーの車輛がホームに滑り込んできた。車内はほぼ満席。乾いたコンプレッサー音を発してドアが閉まり、スカイブルーの車体は退屈そうに走りだす。石川町駅と山手駅の中間よりやや山手駅寄りで、となりに座っていた男がポケットに突っ込んでいた手をもぞもぞと動かしはじめる。前の座席にはバンビのように可憐な脚と眼、三つ編み、陶器のようにつるりとしたきれいな肌の女子高生が座っていた。彼女は大事そうに真っ白なキャンバスを抱えこんでいる。制服から横浜雙葉の生徒とわかる。「次は根岸」の車内アナウンス。そのときやっと、初めて、世界の基本は無関心なのだと気づく。

「何年生だろうな」と思ったとき、となりの席の男が急に立ち上がった。酒が入っているのか、足元があやうい。吊革につかまる手は油の汚れで真っ黒だ。焼酎とニンニクともつ焼きのにおいがする。「いやだな」と思った。男は女子高生をみすえ、足を踏み出す。男の体が揺れる。「まずいな」と思う。また一歩。さらに揺れる。男は女子高生の前に立ちはだかる。うつむく三つ編みのバンビちゃん。そして、男は言い放った。

「きみのその真っ白なキャンバスに向かって、おもいきりシャセイさせてくれないか」

夏の名残りを残す根岸線磯子行きが凍りつく。三つ編みバンビちゃんの顔はみるみる歪み、ついには嗚咽を漏らしはじめる。そして、号泣。そして、僕は席を立ち、ドアに向かう。あとの顛末はまったくわからない。僕は凍りつく根岸線磯子行き車輛番号クハ103-420から下りたのだ。かわいそうな三つ編みバンビちゃんを残して。心残りは三つ編みバンビちゃんの涙のゆくえを見届けられなかったことと、男に「写生と射精をひっかけたんですよね?」と尋ねられなかったことだ。夏の名残りを残す根岸線磯子行きが私の下車駅、根岸に着いてしまったからだ。根岸の駅前に降り立つと同時にほんの少し秋の気配を感じた。

三つ編みバンビちゃん。あのときのいやな出来事のあと、きみはきみが持っていたキャンバスにどんな絵を描いたのかな。やっぱり、美術室の薄汚れたトルソーやら山下公園の真ん前でふんぞり返るマリンタワーやら港の見える丘公園から見下ろす横浜港やら草むした外人墓地やら根岸台の緑やら元町を行き交う物狂おしい大衆やらのつまらないものを写生したのかな。あの日から、毎年9月20日が来るときみときみが抱えていた真っ白なキャンバスのことを思いだすよ。来年もきっとね。そして、考える。きみときみが抱えていた真っ白なキャンバスのことを。僕の行動の問題点を。僕の行動の問題点はきみを忌まわしい困難から救いだせなかったことじゃない。問題はきみを救いだそうとしなかったことだ。勇気を持てなかったことだ。その考えはいまも変わらない。これから先、変わることもない。きみに言いたいことはつまり、きみときみが抱えていた真 っ白なキャンバスのことを思いだし、考えるときに聴く音楽は『The Gallery in My Heart』だし、結局、人生は Work in Progressってこと、そして、僕もあの日よりは少しは勇気を持てるようになったってことだ。だから、これからもあの日みたいにしっかりと真っ白なキャンバスを抱えつづけてほしい。なにがあっても。そうさ。なにがあってもだ。どんなにつらくて悲しい出来事があってもだ。そして、そこに人生やら世界やら宇宙やら森のコトリたちのことやら雨に濡れて輝く森の木々のことやら海の不思議な生き物たちのことを写しとってほしい。僕が言いたいのは、たぶんそういうことだ。

あのときのきみはすごく悲しい顔をしていたけど、いまはいくらか悲しみや苦しみがやわらいでいるように見える。もちろん、僕の中ではきみはいつまでも三つ編みバンビちゃんのままだけどね。そして、僕は約束する。いついかなるときも、困憊と困難と不運が山のように僕に降りかかっていても、根岸線磯子行きに乗ったときはかならず三つ編みバンビちゃんのことを思いだすって。

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三つ編みのバンビちゃん。僕はこの夏、亜麻色の髪のコトリのような少女が「足だけ入る川」で水遊びする光景を描くために生まれて初めてキャンバスに向かったよ。亜麻色の髪のコトリのような少女と三つ編みのバンビちゃんがなぜだかダブって見えた。でも、たぶんそれは僕の気のせいだ。

正確に37年前のきょうの出来事である。(「あ、さてー」の小林完吾ではない)
 

 

by enzo_morinari | 2012-09-20 14:15 | 昔々、横浜で。 | Trackback | Comments(0)
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