横須賀発クリスマス急行

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ってくるあなたが最高のプレゼント(JR-TK)


ジングルベルを鳴らすのは帰ってくるあなたです(JR-TK)

どうしてもあなたに会いたい夜があります(JR-TK)

あなたが会いたい人も、きっとあなたに会いたい(JR-TK)

会えなかった時間を今夜取り戻したいのです(JR-TK)

何世紀になっても会おうね(JR-TK)


1988年のクリスマス・イブ、JR東京駅新幹線14番線ホーム。彼女はダッフルコートのフードをすっぽりとかぶり、小刻みに震えながら私を待っていた。彼女はすぐには私に気づかなかった。私は事前に伝えていた車両より1車両手前の車両に移り、彼女に気づかれないようにニット帽を目深にかぶりなおし、ジャケットの襟を立てて下を向き、新幹線から降りた。私を見つけられない彼女の顔はみるみる曇っていく。彼女の大きな瞳からは今にも涙がこぼれ落ちそうだ。人混みが途切れても私を見つけられない彼女の顔が紅潮していく。

私はホームの柱の陰からブレイクダンスしながらムーンウォークで彼女に近づいた。彼女の悲鳴と歓喜の声があがる。強がりながらも涙ぐむ彼女。

「バカ! バカ! バカ! でも、あなたが最高のクリスマス・プレゼントよ」


1990年のクリスマス・イブ。スマートホンはおろか、携帯電話さえ一般には普及していなかった頃。自宅の留守番電話に待ち合わせに遅れる旨の伝言が10回以上吹き込まれていた。彼女の声には焦燥感がにじんでいた。私は待ち合わせ時刻の5分前で帰るからだ。私はタクシーを飛ばして彼女の自宅のある芝公園近くのアパートに向かった。

彼女は帰宅していなかった。私は待ち合わせ場所を記したメモを絆創膏で彼女の部屋のドアに貼った。

「待たせたね。東京タワーの第2展望台で待ってるよ。今夜は東京タワーが僕らのクリスマス・ツリーだ。こんどは僕が待つ番だ」


1992年のクリスマス・イブ。彼女は最終の新幹線に乗ってやってきた。人影もまばらなホーム。二人並んで真っ白な息を吐き出しながら東京の夜更けを眺め、生き物のように光る新幹線の車両を見送り、バターピーナッツをわけあって食べ、山下達郎の『クリスマス・イブ』を一緒に歌った。

「さて、これからどうしましょう?」と彼女がたずねた。
「そうだね。とりあえずハグしよう」と私はこたえた。
「会えなかった時間が取り戻せるまで」
「今夜中に全部取り戻そう」

そして、私と彼女は時さえ忘れてハグをした。


201X年のクリスマス・イブ。最初で最後の朝と昼と夜をともに過ごした女を見送るために、私は横須賀線のひと気の失せたホームにいた。二人の間に言葉はなかった。

私と女の両方のスマートホンの着信を知らせる電子音がほぼ同時に鳴った。二人とも電話には出なかった。みつめあう私と女を引き裂くように横須賀発クリスマス急行のネイビーとクリームのツートンカラーの車体がホームに滑りこんできた。

「またいつか」と女が言った。
「またいつか」と私は答えた。

女が乗り込むと、横須賀発クリスマス急行は音もなく滑るように夜の闇の中へと走り去った。女と会うのは無論のこと、言葉をかわすことすらもうできない。時間はかくも残酷だ。

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# by enzo_morinari | 2017-12-01 00:00 | YOKOSUKA DREAMIN' | Trackback

旅の終りの名もなき道の片隅でみつけた世界で一番意志強固な石ころ

 
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The Road. 道の話だ。


ダニー・オキーフの『O'Keefe』を手に入れたのはまったくの偶然だった。14歳、中学2年の冬の初めだった。その年の秋に母親が死に、吾輩は正真正銘、天涯孤独になっていた。

ダニー・オキーフの『O'Keefe』は東宝会館でピーター・オトゥール主演の『ラ・マンチャの男』をみた帰り道に立ち寄った中古レコード屋で吾輩を待っていた。店の看板にはアダムスキー型の円盤のイラストが描かれ、円盤の縁に「Flying Saucer」と店の名前がへたくそな字で書いてあった。

空飛ぶ円盤レコード。悪くないネーミングだった。「Flying Saucer」に通うようになったことがきっかけとなって、吾輩は空飛ぶスパゲッティ・モンスター教の敬虔なる信者であるパスタファリアンとなるわけだが、それはまた別の話だ。

「Flying Saucer」は横浜馬車道の路地裏にひっそりとあった。髪を肩まで伸ばし、とんぼ眼鏡をかけた痩せぎすの若い男が店番をしていた。愛想のなさはリバプール時代の火星旅行から帰ってきたばかりのジョン・レノンみたいだった。なにをたずねてもか細い声で「あっ」とか「いっ」とか「うっ」とか「えっ」とか「おっ」とか「まっ」とか「んっ」とか「こっ」とか言うだけだった。彼が難聴だと知るのはずっとあとのことだ。

吾輩がダニー・オキーフの『O'Keefe』のレコード・ジャケットを手にし、ジャケット裏面のライナーノーツを読んでいると、火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンは吾輩のほうを見ずに言った。

「それ、いいです」
「聴ける?」
「はい」

火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンは注意深くジャケットからレコードを取り出し、トーレンスのレコードプレーヤーのターンテーブルの上に置いてからレコードにそっと針を落とした。聴こえてきたのはA面5曲目の『The Road』だ。

初めはカントリー系かと思ったがちがう。曲を聴き、ライナーノーツの歌詞を読むと乾いた心に一滴の雨がしみこむような気分になった。値段をたずねると気持ちが少しだけひるみ、揺れたが思いきって買った。それがダニー・オキーフとの、『The Road』との、火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンとの出会いだ。

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その頃、中学1年の夏休み初日からつづいていた旅の円環はいまだ閉じられていなかった。あの遠い日の夏からきょうまでに空飛ぶスパゲッティ・モンスター教の円盤には何度も乗ったが、旅は本当には完結していない。いまもだ。

中学1年の夏休み初日以来、現在に至るまで、「とどまるな。走りつづけろ。旅は終わらない。旅はずっとつづく」と風邪っぴきのウディ・ガスリーの嗄れ声に似た声がいつも聴こえている。

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火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンは吾輩より5歳歳上だった。3ヶ月も経った頃あたりから、火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンは吾輩が「Flying Saucer」のピーター・マックス色のドアをあけると笑顔をみせるようになっていた。「いらっしゃいませ」などとは言わないが、そのぎこちない笑顔は火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンの精一杯のお愛想ででもあったんだろう。

「これから旅をする。いいな? 用意はできているよな?」と吾輩は火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンにぶっきらぼうに言った。
「もちろんです」

店じまいをすませ、少し息を弾ませている火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンは即答した。旅と言っても、それはただ無目的に歩くだけのことなのだが。ここと決めた道を気がすむまで歩きつづけること。あるいは道の終りまで。

その夜の旅歩きはとても気持ちがよかった。月は14番目だったし、豊饒の海ではフランスタレミミウサギがフラダンスを踊っていたし、ペーパームーンのへりに座っているテータム・オニールがたばこをふかしながらこちらに何度も何度もウィンクを寄越していた。

130Rを過ぎると、道は突然行き止まりになった。道の果て、旅の終り。吾輩は心の動揺を火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンに気づかれないように道端に転がっている石ころのひとつを蹴飛ばしてから拾い上げた。そして、言った。

「この石ころを見てみろ。あんたより、よほど強固な意志を持っている」

吾輩が言うと火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンは目を輝かせた。

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「すごい石ですね。ほんとにすごい」
「ただな。厄介な問題がひとつだけある」
「なんでしょうか?」
「この石ころを持つ者はどんな境遇であれ、いついかなるときにも旅をつづけなけりゃならない」
「へえ。不思議な石ですね」
「そうさ。旅に関することでは銀河系宇宙において、この石ころの右に出るものは存在しない」
「樽さんはなぜそのことを知っているんですか?」
「知りたいか? おれの秘密を」
「とても知りたいです」
「それはだな。おれが宇宙を支配する巨大な意志の力の導きのもとに生きているからだ」
「なるほど」
火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンは吾輩の手のひらの上で揺れている石ころを物欲しそうにじっとみつめた。
「私にくれませんか? その石を」
「どうするかな」
「どうかお願いします。いいレコードがみつかったら、いの一番に樽さんに知らせますから」
「そんだけ?」
「以後はすべて2割引きします」
「3割引きなら考えてもいい」
「では、2割5分引きで」
「わかった。手を打とう」

吾輩はいかにももったいつけて石ころを火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンにくれてやった。火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンは生まれたてのシーズーの赤ちゃんを抱くように大事そうに注意深く石ころを受け取り、赤いマックのネルシャツの胸ポケットにしまい込んだ。

「ところで、樽さん。道は行き止まりになってしまいましたけど、このあと、どうしますか?」
「そうだな。どうするかな。後戻りするのは癪にさわるしな」
「ではこうしましょう」

火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンは胸ポケットから旅に関することでは銀河系宇宙において右に出るもののない石ころを取り出し、大きく振りかぶってから、行き止まりにある家めがけて投げた。

旅に関することでは銀河系宇宙において右に出るもののない石ころはひゅうと鋭い風切り音をあげて飛んでいった。直後、ガラスの割れる音と怒鳴り声がした。

吾輩と火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンは元来た道を全速力で走って逃げた。それが吾輩と火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンの最初で最後の旅の終りだった。とんだ旅の終わり方だが、ダニー・オキーフも歌っている。「別の街に行けば別の道がある。道があれば旅はつづく」と。

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中学1年の夏休み初日に始まった旅は、火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンに出会った6年後、ジャクソン・ブラウンの歌う『The Road』を聴き、『The Load-Out』を聴き、『Stay』を聴いてひとまずの終りを迎えるわけだが、本当の旅の終りではない。

火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンはその後、「強固な意志を持った本物の石」の後を追ってアメリカに渡り、現在ではデヴィッド・リンドレーの主治医をやりながら、「強固な意志を持った本物の石」を探しつづけている。いい人生と言えば言えないこともない。少なくとも、愚にもつかぬ仲良しごっこで日々をやりすごし、おべんちゃらきれいごとおべっかおためごかしを並べたててグロテスクな親和欲求や認知欲求を満足させるよりはずっとまともで上等だ。

火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンはよくボブ・ディランの言葉を引き合いに出したものだ。

仲良しごっこに夢中になり、おべんちゃらきれいごとおべっかおためごかしを口にするたびに人生はつまらなくなるし、魂は汚れるし、顔は醜くなる

まったく、火星旅行から帰ってきたばかりの無愛想なジョン・レノンの言うとおりだ。

強固な意志を持ちつづけるかぎりにおいて、あらゆることは開かれている。道がつづくかぎり旅はつづく。道が行き止まりになり、行き暮れたら新しい道を探し、また歩きだせばいい。

世界にあるすべての道を歩くことはできないし、知ることはできないし、数えきることはできないが、自分の歩く道くらいなら必ずどこかにある。厄介事は歩きながら考えればいい。


 The Road - Danny O'Keefe
 The Road - Jackson Browne
 
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# by enzo_morinari | 2017-11-09 18:21 | The Road | Trackback

パリ北駅発、現象。バラ色の人生。

 
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パリ北駅4番線ホームにおける知覚の現象学的手法

遠い異国から来た若者はすでに列車の中だ。遠い異国から来た若者は生涯最高にして最悪の旅に出ようとしている。


遡ること数時間前。わが要塞、わが知の胎内。わが知覚の現象学的手法が誕生する場。

朝、いつものように眠られぬ夜をやりすごし、ベッドから抜け出すと遠い異国から来た若者が居間の中央に正座し、神妙な面持ちで吾輩を待っていた。

「おはよう。どうした? こわい顔して」
「お暇乞いを申し上げにまいりました」
「死ぬのか?」
「死にゃしません」
「なんだ。つまらない」
「わたしが死ぬとおもしろいですか!」
「うん」
「ひどい!」
「うん。吾輩がひどいのは有名だ」
「鬼ですね!」
「うれしいことを言ってくれるじゃねえか。あと1、2週間いろよ。アゴアシは面倒みるから」
「もうなにがなんだかわけがわかりません!」
「またまたうれしいな。わけがわかることくらい面白くないことはないからな」
「しばらく放浪することにしました」
「ほう。そりゃまたなんで?」
「あなたの、いえ、先生の背中すら見えない自分が情けないからです」
「なるほど。いい心がけだ」
「ありがとうございます。あの夜、ラ・セーヌを行ったり来たりしているとき、ほんの少し見えかけたんですけど…。すぐに見えなくなっちゃいました」
「ほうほう。ほんの少し見えかけた吾輩の背中はどんなだった?」
「血煙が上がってました」

吾輩は言いかけた言葉を飲み込んだ。血煙か。なつかしい言葉だ。思えば吾輩自身が血煙を上げている人物を探し求める人生を生きてきたのだった。

小学生のときに靖国神社ですれちがった三島由紀夫は青白い炎のような血煙を上げていた。その数日後、三島由紀夫は自裁した。小林秀雄も埴谷雄高も吉本隆明も江藤淳も高橋和己も大江健三郎も五木寛之も吉行淳之介先生も松本治一郎も高山登久郎もビートたけしも中上健次も阿部薫も鴨志田穣も田中角栄もマレーネ・ディートリッヒもベニー・グッドマンもマイルス・デイヴィスもジョン・コルトレーンもエリック・ドルフィーもアルバート・アイラーもローランド・カークもミシェル・ペトルチアーニもウラジミール・アシュケナージもムスティスラフ・ロストロポーヴィチもスティーヴ・ジョブズも高倉健も鶴田浩二も市川崑も長谷川和彦も森田芳光もやしきたかじんも泉谷しげるも忌野清志郎も桑田佳祐も渡辺香津美も吉田美奈子もベルナール・ロワゾーもアイルトン・セナもミケーレ・アルボレートも古今亭志ん朝も野村秋介先生も、そして開高先生も血煙を上げていた。それぞれ色や形や強さはちがったが血煙を上げていた。自分も血煙を上げる人間になりたいと思った。

村上春樹? 血煙ではないが暖かそうな暖炉の炎のようなものはある。たまに暖を取るのにはちょうどいいだろう。村上龍? 血煙も炎も出ていない。マッチの軸ほどもだ。あとはひと山いくらだろう。

「たばこを切らしちまった。建物を出て左の並びにタバー屋があるから買ってきてくれないか?」
「銘柄はなにがよろしいんでしょうか?」
「ピースのアロマ・ロワイアル」
「それはさすがに売っていないんじゃないでしょうか」
「そういうもんか。ではジタンとゴロワーズを1カートンずつ。ほれ、おカネ」
「いえ、それはわたしが。置き土産がわりです」
「すまんね」
「とんでもございません」

遠い異国から来た若者は風のように駆け出した。虹子を呼ぶ。

「はい?」
「いまキャッシュの手持ちは全部でいくらある?」
「ちょっと待ってくださいね」

虹子戻る。

「おねいちゃんたちからもかき集めてきてくれ」
「はいはーい」
全部で2万ユーロちょっと。
「いまユーロはいくらだ?」
「円でですか? それともドルで?」
「両方」

虹子ネットで調べる。

「吾輩の書斎に青いヒポポタマスの置物があるのは知ってるか?」
「はい」
「やつをここへ。それとフランク・ミューラーも」
「あなたあれは ──」
「いいからここへ」

「若者!」
「はい!」
「荒野を目指せ」
「古い…」
「いいから最後まで黙って聴いてろ。必ず泣かしてやるから」
「泣きません! もう涙は枯れ果てました。泣きすぎて」
「重要なのはカタルシスだ」
「肝に銘じます」
「けっこうけっこう。では、つづける。どこまでいったっけ?」
「五木寛之のパクリのところまで」
「ああ、うん。青年が荒野を目指すところまでだな。よしよし。で、だ」
「はい」
「苦しみつつなおも働け。安住を求めるな。この世は巡礼である」
「はい」
「そして、漂っても沈むな。悠々として急げ。わかるな?」

若造をみる。案の定泣いていやがる。

「な? やっぱり泣かせただろう?」
「ずるいや!」
「ずるかろうがずるくなかろうが泣かせるのが吾輩の仕事だ」
「どんな仕事だよ」
「こんな仕事だ。泣かせ屋。ひとは吾輩のことを泣かせ屋一代と呼ぶ」
「またわけがわからなくなってきた…」
「けっこうけっこう」

発車時刻が迫っていた。遠い異国から来た若者も落ち着きがない。虹子が「あなた、これ」と言ってラデュレの袋をよこす。打ち合わせ通りだ。

「若者」
「はい」
「虹子ちゃん特製のお弁当とラデュレのマカロン・パリジャンだ。食べなさい」
「ありがとうございます!」
「それとこれを記念にあげよう」

フランク・ミュラーのカサブランカを渡す。

「先生! こんな高価なものをいただくわけには ──」
「吾輩はフランク・ミュラーは好みではないんでね。吾輩の愛する時計はパテック・フィリップとブレゲとバセロン・コンスタンタンのみっつのみ! ほかの有象無象は吾輩にとってはひと山いくらのケイチャン売りのゴミ時計とおなじだ」
「では遠慮なくいただきます!」
「うん。けっこうけっこう。腕時計なら置き場所には困るまい。いざというときに売れば旅費と当面のめし代くらいにはなるはずだ」
「なにからなにまで…」
「泣くなよ。笑とけ笑とけ。ここから先に流す涙はすべてガラス玉と認定する!」
「わかりました!」
「それとな。さっきのラデュレの袋の中にも置き場所に困らないちょいとしたものを入れておいた」
「なんですか! にやにやして! なにが入ってるんですか!」
「ソバージュ・ネコメガエルのエクリを旅のお供にと思ってね」
「ええええええええええ! カエルは苦手だって言ったじゃないっすか!」
「三島由紀夫は蟹が苦手で大きくなったんだ。苦手な蟹を克服せんとする過程で『金閣寺』も『仮面の告白』も、そして『豊饒の海』も生まれたのだ。カエルだって似たようなものだろう」
「蟹は食べますけどカエルは食べません!」
「食用蛙があるがね」
「あ。そうか」
「弁当を食うときにでもたしかめなさい。弁当は誰の眼もないところでこっそり食べるようにな。ちょっとヤバめのブツが入ってるんでな」
「もう! いいかげんにしてください!」
「うへへへへ」

発車を報せるベルがけたたましく鳴る。

「まあ、冗談はさておき、達者でな。漂えど沈まず、悠々として急ぎたまえ」
「はい! ありがとうございます! なんとお礼を ──」
「みなまで言うな。いや、なにも言わなくていい。マットンヤ・ユミーンの歌にもあるだろうが。ヴィトゲンシュタイン先生は”語りつくせぬことについては沈黙せよ”と言っている」
「わかりました」
「いいか、若者。忘れるなよ。”漂えど沈まず、悠々として急げ”だぞ。いいな?」
「はい!」
「スワヒリ語で言ってみろ」
「無理です」
「ではトレーン語とヴォラピュク語とエウスカレで」
「無理です」
「まったく無知者には困ったものだ。ラテン語で言ってみろ」
「えーと、えーと。思い出した! Fluctuat nec mergitur, Festina Lente! だ!」
「でかした! さあ、とっとと行きやがれ! さらば友よ。二度と来るな!」
「何度でも襲撃します。何度でも」

列車が動き出す。数十秒後、窓があき、遠い異国から来た若者が吾輩のくれてやったラデュレの袋をかざしてなにか叫んでいる。その眼からはじゃぶじゃぶと音を立てて涙がこぼれている。

さらば、友よ。荒野を目指し、いい旅を。再度言う。漂えど沈まず、悠々として急げ。そして、一日の花を摘め。なにがどうあれ、人生はバラ色だ。


パリ北駅発、現象。バラ色の人生。かくして、人生の日々はつづく。

La Vie en Rose - Edith Piaf
Sous le ciel de Paris - Edith Piaf

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# by enzo_morinari | 2017-09-29 23:45 | Carpe Diem/一日の花を摘め | Trackback

虹子とLINEと天国と#001

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虹子の初七日が済んだ夜のことだ。戯れに虹子のLINEのアカウントにメッセージを送った。


天国だか地獄だかの様子はどうよ?


「既読」のサインがすぐに表示された。まさかな。ありえないことだ。相当目にきてるな。ふ。情けない。しかし、タブレットのディスプレイに目を凝らす。やはり、「既読」のサインはある。そのとき、虹子のアカウントからメッセージがきた。


なに考えてんの? あたしは死んでんのよ。死人にLINEメッセしてなんの意味があんの? バッカみたい。


はあ? なにソレ。


あたしは死んでんの。何度も言わせないで。死人にLINEメッセする極楽トンボはあなたくらいのもんよ。


死んでるおまえがなんでLINEできんだよ。


そこがLINEのすごいとこじゃないの。


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これは死んだ虹子とのLINEをめぐるちょっと不思議で、けっこう土手っ腹にこたえ、かなりクスクスする42日間の記録だ。四十九日法要を終えた日の夜に虹子は別れを告げるのだ。もちろん、LINEのメッセージで。


あの42日間は天国の日々とも地獄行きの予行演習とも思えるけれども、どちらかと言えば愉快な日々だった。虹子は生きているときにも増して剽軽でファンキーでファニーでおまけにファジーだった。腹がよじれるほど笑ったのは数えきれないし、口から心臓やら尻こ玉やらスライムみたいな得体の知れないモノやらネジ巻き鳥やら逆立ち熊やらが飛び出してくることもあった。


一番驚いたのは虹子がおならをしたとき、強烈なタマゴっ屁のニオイがタブレットのディスプレイから大手を振って漂ってきたときだ。そのタマゴっ屁は両脇にムラサキウニとムラサキカマボコを従えていて、やけに横柄な態度だった。たかが屁のくせに。

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# by enzo_morinari | 2017-09-03 10:04 | 虹子とLINEと天国と | Trackback

一千億の屍を越えて/東京は燃えているか?

 
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Is Tokyo Burning? 東京は燃えているか?

「東京は燃えているか?」と打電するのはだれか? 北の国の王子様、太っちょの将軍様か? あるいはその背後にいる傀儡師、竹のカーテンの奥から孫子の兵法と孔子様の『論語』と赤いロング・マーチで理論武装した権謀術数で狡猾傲岸不遜に操る飛行機と椅子以外はなんでも貪り食う飲茶兄弟、満漢全席ブラザーズか?

遅かれ早かれ東京を中心とする関東一円が火の海になる日は必ずやってくる。大阪も同時に。札幌も仙台も金沢も名古屋も神戸も広島も福岡も。日本の各地で。

「世界の終り」と破滅へのカウントダウンはすでに序章も第二幕も終わり、大団円を待つのみだ。

日本民族の課題は「いかに死ぬか」と「いかに生き延びるか」の2点に集約しうる。「いかに死ぬか」にはいくぶんかの選択肢が残されてはいるが、「いかに生き延びるか」については選択肢は限定される。世界のどこにも日本語が通じる場所はないからだ。

言葉を失う民族。流離う民。望徳の鐘を鳴らす者はもはやいない。望徳の鐘はいまやどこにもない。

世界はすでにして定員オーバーだ。1億2000万の民を受け入れられる国も地域も場所もない。食料と水の行き先はとっくに決まっている。出口なし。入口なし。グレート・デッドロック、マーベラス・デッドエンド。

熔解する制度。紙屑となる通貨。価値のなくなる土地。根こそぎにされる社会基盤。解体される国家。溶けてなくなる民族。新しい流離譚のはじまり。解答なき流離譚。オデュッセイアもアガメムノーンもヤマトタケルもアーサー王も登場しない物語。

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国際政治は冷厳冷徹にして冷酷だ。情け容赦なく、手加減もない。日米同盟? 寝言は寝てから言ってくれ。米国がいつまでも日本の同盟国、うしろ楯であるなどと思ってはならない。イランが好例だ。

パーレビ国王時代を含めてあれほど援助し、肩入れしていたものが、いまや仇敵中の仇敵、「テロ輸出国家」指定である。ホメイニを中心とした「緑色革命」など容易に予想はついたにもかかわらず黙認した背景には「石油」をめぐる混みいった思惑があったのだとわかればすべては合点がいくし、米国の「やり口」も理解できようというものだ。

米国がおそれるのはその地域で現象化する「ドミノ・セオリー」だけであり、それが払拭されればなんでもありのなんでもこいということだ。

米国は中国あるいはロシアとの「裏取引き」の内容いかんによっては瞬時に手のひらを返す。力のある者は力のある者と結び、強者は強者と手を握る。それが互いに傷つかないための、あるいは傷を最小限度に抑えるための手っ取り早く低コストで、もっとも有効な方法だからだ。それが国際政治の現実である。

曖昧模糊とした「頬笑み」だけでは交渉のテーブルにつくことさえできないし、百万言の感謝の言葉をならべ立てたところで誰の腹もふくれはしない。

「ありがとう」「Thank you」「Gracias」「Merci beaucoup」「Grazie」「Obrigado」「Danke Schoen」「スパシーバ」「謝謝」が魔法の言葉だというのなら世界は魔法使いだらけということだ。決してそうではあるまい。共依存と親和欲求と認知欲求まみれの甘っちょろいたわ言は年端もいかぬこどもを相手に宣うか、退屈とマンネリと裏切りに満ちた閨室の寝物語ででもやるがいい。百害あって一利なしだ。

交渉に必要なのは頬笑みと棍棒である。やわらかな頬笑みをたたえて右手で握手しながらも左手にはしっかりと棍棒を隠し持っていて初めて交渉事を有利に進めることができる。地盤と看板と鞄だけで議員バッジを手に入れた有象無象の政治屋どもや温室育ちの日本の木っ端役人ふぜいにそのような芸当ができようはずもない。かれらには微塵も期待はできない。

数少ない棍棒であり切札であり、頼みの綱だった「経済」は虫の息となり、「技術力」は風前の灯となった。ソニーと松下の屋台骨が揺らぐ時代だ。泡の時代にソニーにはたんまり儲けさせていただいたが命脈尽きるのは時間の問題だろう。低賃金とコストカットと内部留保で生きながらえようとしたところで、そんなものは所詮、その場しのぎのまやかしにすぎない。

上場企業? ブラック企業といったいどこがちがうというんだ? そのような企業、経営者だらけの国がたどり着く先は火を見るよりもあきらかだ。

さらに、国連分担金を年間に3億ドルも負担し、米国に次いで第二位の分担金額を支払いながら、いまだに安全保障理事会の常任理事国になれないという現実からは「ヤルタ・ポツダム体制」の強固さと闇を垣間みることができる。

有り体に言ってしまうならば、現在の世界は「パックス・アメリカーナ」と「パックス・シノワ」と「パックス・エウロペ」のために動いているのだ。大は為替相場から小はくしゃみひとつ、肉の切り方、パスタの茹で加減、箸の上げ下ろしにいたるまで「パックス・アメリカーナ」と「パックス・シノワ」と「パックス・エウロペ」のためでなければならない世界ということだ。

吸う空気はホットドッグとハンバーガーと支那竹とバターとチーズとオリーブ・オイルとワインのにおいに満ちている。いかにもうまそうなにおいだが、巧妙狡猾に致死量の何百万倍もの「毒」が仕込まれている。

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「日本の分割統治」をめぐる第二の「ヤルタ会談」は秘密裡のうちにすでに行われているかもしれない。日本に「市場価値」「使い道」がなくなれば米国はすぐに日本を見限り、見捨てる。価値のないものに投資し、手間ひまをかけるお人好しはいない。

相手はゴリゴリの功利主義、研ぎすまされたプラグマティズム、ラブレスのカスタムメイド・ナイフ並みに切れ味鋭いケインズ流近代経済学主流派が肩で風を切っている国だ。「損して得とれ」などという悠長なことは一切通じない。「根回し」など瞬時に芥子粒のように消し飛んでしまう。

米国に都合が悪ければ前半戦が始まったばかりでも「GAME SET!」の宣言がかかり、あるいは逆にゲームの終了時間がとっくに過ぎていても無限のインジュリー・タイムが加えられる。米国が勝つまでゲームは終わらないのだ。TPPで日本がコテンパンにされる様がありありと目に浮かぶ。木っ端役人の中からは何人もの自殺者が出るにちがいあるまい。

信頼関係? しがらみ? 歴史? 笑わせるな。極楽とんぼもたいがいにしておけ。スペイン語、フランス語、ポルトガル語、イタリア語、ドイツ語、ロシア語、中国語は無論のこと、英語すらもろくにしゃべれず、聴きとれぬ者ばかりの国の最高権力者をいったいだれが信頼するんだ? どうやって心を通わせるというんだ?

安倍晋三の外国人記者クラブでのスピーチを聴いたか? 野田佳彦の英語を聴いたか? 自他ともに認める「英語通」とやらの宮澤喜一の英語はどうだった? よど号をハイジャックしたたわけ者やダッカ事件の不逞の輩の和製英語のほうがまだましだったのではないか? 戦後日本で唯一マッカーサーに楯突いた男、「てめえには手がねえのか!」「日曜はビジターお断りだ!」の白洲次郎はもはやいないのだ。

日本語以外の外国語を理解しない者が生きることができる国は日本以外にはない。その日本がなくなる。「その日」はすでにタイムテーブルの上だ。そのテーブルではいったいどんな晩餐が待ち受けているのか? 少なくとも日ごと夜ごとの「オサレなランチ」やら「豪勢豪華なディナー」でないことだけは確かだ。

日本消滅のタイムテーブルに並ぶのは数値化された欲望だけである。そのテーブルの上には血まみれの札束を数える血まみれの指先を洗うための純金製のフィンガー・ボウルはあっても、津波大洪水に飲みこまれ、泥にまみれた少女の亡骸にそそぐ一滴の水すら用意されてはいない。

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中国の侵略? もちろんそれもある。尖閣諸島をめぐって起きている種々はその序章だ。しかし、それだけではない。仮想宗主国XYZは徹底的に日本を骨抜きにしてかかる。だが、だ。「その日、そのとき」に日本人は別の意味の「平穏」を手に入れる。「なにも考えなくていい」という平穏を。

もういい。もう手仕舞いの頃合いだ。一旦、すべてを終わらせよう。そのほうがずっといい。終わらせて、一から始めればいい。そして、木っ端役人どもが律令制国家誕生以来、営々として姑息強欲に築きあげてきた「官僚ファシズム」を一掃し、地盤と看板と鞄のみで議員バッジを手に入れた政治屋どもから本来の「政治」を取りもどすのだ。

エーリッヒ・フロムの至言を思い起こせ。

自由からの逃走

人間は束縛されているときはなにも考えなくてすむ。みずからの意思で決断し、行動する必要がないから目先の日々は楽だ。唯々諾々とお上の「お達し」を受け入れ、日々をやりすごすだけで最低限度の食いものと寝床は確保できる。

平穏で無目的で退屈な日々。パラダイムなきパラダイス・パラレルデイズの始まりはもうすぐだ。能天気お気楽極楽にパラパラでも踊り狂いながら日々をやりすごし、あるいは、「自己実現」「(自分のためだけの)幸せ探し」「自分探し」という名のグロテスクなエゴイズムをさらし、「その日、そのとき」を待つか? さて、どうする? どうするんだ?

決めるのはほかのだれでもない。あなた自身だ。


望徳の鐘を鳴らす者よ、いでよ。失われし望徳の鐘を再び築き、打ち鳴らせ。

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 Is Paris Burning? - Takashi Kako
 Esperanza - Didier Merah
 

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# by enzo_morinari | 2017-08-31 01:30 | 一千億の屍を越えて | Trackback